#4 身侭 Ⅴ

 図書館の入口で携帯端末を弄っていた彼女は、勘がいいのか僕が声を掛ける前に顔を上げた。

「ディー氏、昨日ぶり。今日は眼鏡してるね」

「クロエ。何やらお待たせしたようで申し訳ありません。それと、眼鏡は恐らく今日で見納めです」

「ふーん。じゃあもうシェリルに告白できそうなのかな」

 クロエは黒髪と紫色のメッシュをくるくると指でいじりながら言った。何もかも分かっていそうな風体だ。

「はい。どうやら、諦められないくらい、シェリルの傍にいたいと願っているようで」

「こっちもセイシュンだね。ジェイの手腕には驚かされるよ」

 全くだ。ジェイが声を掛けてくれたからこそ、今僕はシェリルのところへ向かおうとしている。考えてみると僕から会いに行くのは初めてかもしれない。これは、ジェイがいなければ永遠になかった気づきだ。

 歩き出したクロエに続き、図書館を出る。まだ肌寒い四月の空気が彼女の帽子を吹き飛ばした。空中で受け取って頭に乗せると、彼女は頭を両手で押さえて立ち止まる。俯いて、まるで風に耐えているかのようだ。それほどまでに帽子を飛ばされたくなかったらしい。しばらくすると小さく唸って、また進み始めた。

「ディー氏。シェリルの所までしばらく掛かるし、雑談していい?」

「ええ、構いませんよ」

 雑談に許可を取るなんてクロエらしい。授業でペアを組むときと同じように、クロエは軽く頭を下げてから語りはじめる。

「私、ヤマト・エンパイアのショージョマンガが好きなんだけど、そこで面白い言葉を見つけた。主人公の女の子が、好きな相手へ紫色について話をするんだ。お気に入りだって。あなたには紫色が似合うね、って。特にイメージカラーってわけでもないし、私、最初は意味が分からなくて。ディー氏はわかる?」

「いえ、恥ずかしながら心情表現については全く。前後の文脈次第では判断できるでしょうが」

「だよね、知ってた。ディー氏の言う通り、前情報は大事」

 クロエは小石を蹴ってから、ゆっくり頷く。紫色――彼女が髪を染める理由だろうか。やはりクロエはヤマト・エンパイアが好きなのだ。

「それで、台詞の意味は判明したんですか?」

 僕が尋ねたのは、クロエが望んだ問いだったらしい。彼女にしては勢いのよい方向転換をして、僕の方へ携帯端末をかざした。

「もちろん。ヤマト・エンパイアの人にダイレクトメールで聞いてみたからね。そしたらこう返ってきた」

 クロエは少しの間僕の顔を観察すると、髪を指に巻きながら視線を外す。

「――恋も、愛もある。ってね」

 一度止めた足をまた動かして、クロエは木が茂る小道に僕を導いた。

 彼女の吐く息が少しだけ白く凝結する。まだこの時期の日陰は寒いだろう。ドラゴンに成った僕には気温など大した問題じゃないが、いくらか薄着の彼女は冷えてしまう。

「恋、そして愛。ヤマト・エンパイアの文化によるものでしょうか」

 ジャケットをクロエの肩に掛けると、彼女はそれをきつく握りしめた。

「……ディー氏ってば、ろくでもない奴だね」

 何が言いたいのだろう。ただクロエの言う通り、僕はどんな側面においても大概ろくでもない奴だ。再認識したと言わんばかりの反応で、どこか面白くさえ感じる。

「ええ。僕はシェリルの想いも、ジェイに言われるまで気づかない阿呆です。今更でしょう」

 けれど今のままではいられない。シェリルが傍にいても良いというのなら、僕は変わるべきだ。具体的な方策は何一つないが、シェリルの傍でならそれも見つけられる気がする。

「悪化させないよう、早いうちに自己分析を進めなければなりませんね。クロエも手伝ってくれますか?」

 クロエが僕の手を握り返してくれる。案の定指先は冷え切って震えていた。言い出さないのは僕を気遣ってのことだろうか。そんな彼女が手を貸してくれるなら心強い。

「駄目だ。ディー氏、悪化する気しかしないよ」

「そうですか。クロエ、不躾なお願いをして申し訳ありません」

「お願いの話じゃないよ。駄目なのはまた別のこと」

 拒否されたかと思ったが、合意ではあるらしかった。やはり彼女の言葉は難しい。けれど無理に聞き出すのも野暮だ。クロエが話したくなったら、その駄目なこととやらを教えてもらうのがいい。

「それで? 恋や愛と、紫。一体何の関係があるんですか」

 クロエは不自然に口を開けてこちらを見た。何か別の、意識が逸れることでもあったのだろうか。けれど探る間もなく、すぐにショージョマンガの話題に戻る。

「そう、そうだった。濃い紫の、濃いって部分と同じ音の言葉があるんだって。それが恋。どっちも『コイ』と読むの。愛も同じ。アイムラサキって色があって、藍色と、愛。両方『アイ』と読む。面白いでしょ? これ、ダジャレっていう表現技法なんだって」

 濃い紫も、藍紫も、それぞれ別の意味を内包しているということか。クロエがヤマト・エンパイアを好きだと公言して憚らないのも頷ける。独特な言語だ。

「とするとヤマト語は、表意文字を用いるのでしょうね。実に興味深い。魔法は媒介とする文字や言語に左右されるところが大きく、表意文字を用いた術式は表音文字を用いたものに比べ魔法の再現性に優れると――」

「ディー氏、ストップ。日が暮れる」

 今日のクロエは付き合ってくれないらしい。当然か。後にはシェリルとの話し合いが待っている。何を思ったのか、彼女は「いい子だからまた明日語り合おう」と念を押してきた。そんなにも僕が可哀想なやつに見えたのだろうか。喜ぶに喜べない。

 無言で歩いているうちに体育館が見えた。視線を感じながら入口を抜けると、掛け声、ホイッスルの音、床を踏み切る衝撃が一斉に響きはじめる。入って二つ目の扉を開けた向こうでは、練習着に身を包んだ同級生たちが一心不乱に練習をしていた。

 その中でもひときわ目を引くのが、チームの中央で踊るシェリルだ。ブロンドの髪をポニーテールにして、激しさと安定感が同居した動きを見せる。コーチらしき女性がホイッスルを吹くと、集団は隊列のような規則正しさを失い、場に三つの塊を作る。他の部員たちの後ろに隠れたシェリルは、真ん中の団塊から現れたと思うと――跳躍した。

 投げ上げられて、誰よりも高く、誰よりも軽やかに弧を描く姿。他の二人がやや回転重心を崩しているのに、シェリルは一切揺るがない。そのまま土台の部員たちに受け止められ、危うげなく着地してみせた。

 限りなく完璧な高嶺の花だ。笑えてくる。たった一度でもこの煌びやかな世界を見ていれば、僕は理解できたんじゃないか。今の今までシェリルのことを何一つ知らなかったなんて、僕はとんでもない馬鹿者だ。

 僕では及びもつかない才能と努力。しかもシェリルは頭も回る。これだけのものを持つ彼女なら、比喩抜きで何でも手に入れられる。

 そんなシェリルが、気まぐれなんかで好きと言うはずがない。お情けでなんかで僕を映画に誘うはずがなかった。華やかな世界には彼女が選び取れる素晴らしいものが溢れている。それに対して、僕は役に立たないことはおろか害にしかならない危険物だ。事実、シェリルに火傷を負わせたことだってある。わざわざ僕を傍に置いておこうなんて、最初から覚悟なしにはできなかった。

 隣で同じようにチアリーディング部の練習を見ていたクロエは、腕組みをして唸る。

「キレが凄いね。シェリル、相当機嫌悪いよ」

 今朝、あれだけひどく僕が撥ねつけたのだから無理もない。シェリルがどれほどの思いで接してくれていたのかも気づかずにいたなんて、自分でも呆れる。

「ねえ、シェリルのこと受け入れられそう?」

 クロエがこちらを見上げて言った。僕が即答しなくても、いつものように様子を窺って待っていてくれる。やっと彼女に謝意を伝えられることを、僕は喜べばいいのだろう。

「はい。やっと区別がつきました。クロエ、ありがとう」

「よかった。ずっと暗い顔してたもんね」

 クロエは貸していたジャケットを僕の手に持たせる。それで少しすると、遠慮がちに僕の背中を叩いた。

「じゃあ私からは一つだけ。いいかな」

「もちろん。許可など求めないで、全て僕に教えてください」

 クロエは染めた髪をいじりながら俯く。不自然に呼吸をすると、彼女は顔を上げた。

「私、ディー氏がドラゴンに成ったときに見た紫色が好き。でもシェリルは、もっと紫色が好きなんだよ」

 そうか。シェリルもクロエも紫色が好きなのだ。また一つ、今まで欠け続けていた情報を知ることができた。

「貴重な情報をありがとうございます。参考にします」

「もうそれでいいや」

 クロエに押し出されて、一歩。体育館の照明の中に踏み出せた。


  ***

 身勝手で非合理な論理でも、それが僕にとっては正しいことだった。うだうだと暈し続けていたが、つまり僕の恋心とは、そういう我儘極まりない願望なのだ。


 場違いとしか思えない灯りの中、一瞬だけシェリルと目が合う。一段落したところで彼女は教員に手を振って練習を抜けた。僕らのことが気になるのか、部活はほとんど中断してしまう。

 仕方のないことだ。学園の女王が学校一番の厄介者と話すなんて、奇異の目で見られて当たり前のこと。

 これはいかにも気まずい。せめて眼鏡だけでも外せば違うかとポケットに突っ込んでみたが――レンズを通さない分、視界に多少の青みが増しただけだ。僕も非合理なことをする。案外、この状況に動転しているのかもしれない。

 目の前で腕を抱えて立っているシェリルは、珍しく何も言わないでいた。滴る汗を拭うこともない。心なしか距離も遠くて、ハンカチを彼女の頬に当てるにも僕から近づく必要がある。

「ありがと」

 されるがままのシェリルなんて、一度たりとも見たことがない。

 いや、彼女だって普段の振る舞いをできないこともあるはずだ。僕はそれを直視してこなかったし、だからあんな取り返しのつかないことを言ってしまった。「他人に救いを求めない」なんて、ひたすらに僕を救おうとしてくれたシェリルにぶつけていい言葉じゃない。

「キングストンさん――いや、シェリル。今朝はひどいことを言った。本当に申し訳ない」

 僕のしたことは謝って許されるようなことではない。もっと利口に、傷つけないようにできればよかった。僕はどこまでも不器用でかなわない。

 シェリルが「ばか」と呟く。同時に、軽くというには過分な衝撃が胸に伝わってきた。

「ロランだけが謝ることじゃないもん」

 そう口にしながら殴るあたりシェリルらしい。突き出した拳を開いて、彼女は僕にもたれかかってくる。

「あたしもひどいことをした。だってあたし、全然ロランの話聞かなかったもん。ロランのためになるって思ってた。けど、嫌がってるのに勝手に押し付けたら、それって結局あたしのためじゃん」

 落ち込んでいるのだろうか。彼女に非はないだろうに。

 ――いや。そのことを僕は一度たりとも伝えなかった。

「ずっと整理がつかなかったけれど、全て僕のためだって分かっていたよ」

「あたしも同じ。ロランがあたしのために怒ってくれていることはわかってた」

「それでも受け入れられなかった。だから拒絶してしまった」

「あたしたち一緒じゃん。ばかみたいだよね」

 小さな声で言うと、シェリルは突然僕の肩を掴んで顔を上げた。

「じゃあもう、あたしたち同罪だったってことにしよっか」

「そうしよう。……なんて、僕が言うと、どうにも無責任に思えるな」

 シェリルは僕の言葉に吹き出して、何が面白いのか大笑いする。置いて行かれた気分だ。

「大丈夫。あたしだって十分無責任だから」

 手を引かれてベンチに座ると、シェリルも隣に腰を下ろす。このまま僕が何もせずにいれば、いずれシェリルが話をしてくれるだろう。

 でも今回は僕から話そう。

「シェリル――」

「ロラン――」

 思わず思考が止まる。シェリルの方も、こっちを見たまま固まってしまった。僕がもたもたしているからこうなるのだ。またシェリルに任せっきりになってしまう。

「僕から、話してもいいかな」

「い、いいよ! 全然オッケー。何でも言って」

 落ち着かない挙動で、シェリルは首を大きく縦に振った。笑うのは失礼なのでかみ殺すよう努めるが、手で押さえても漏れてしまう。そうこうしているうちに、シェリルが脇腹を肘で突いてきた。なんとか呼吸を整えて、出来る限り本心に近い言葉を探す。

「僕は、シェリルのことが好きだ。でも今までは、シェリルがくれる肯定的な評価を好いているんだと決めつけていた。それに、シェリルは僕に助けられたと思って特別優しくしてくれているみたいだったから。シェリルと離れたいのは、僕を気遣ってくれる人を危険に晒したくないからだ、とね。けれど、よく考えてみたんだ。僕の傍に居ることがどれほと危険か、かつて僕の攻撃で大やけどを負ったシェリルに分からないはずがない。それでも僕の傍に居たいと言ってくれているんだ。なのに何で僕は遠ざかりたかったのか」

 シェリルは何も言わずに僕の顔を見つめている。その前のめりになった姿に、彼女なら目を逸らさないでいてくれるという直感が降ってきた。何故だろうか、思いのほか抵抗なく言語化できている。

「シェリルのことを信じてなかったんだ。母さんみたいに、おかしいとか、このままだと自分は幸せになれないとか、そう言って居なくなるんじゃないかって。でも本当はシェリルと一緒に居たい。いつも僕のことを考えてくれて、支えようとしてくれる。ちょっと強引だけど、拒否する僕を諦めないでくれたのはシェリルだけだった」

 少しだけ声が震える。こんなことを問いかけたら、シェリルが僕を見る目が変わるような気がした。

 その時、シェリルの汗ばんだ手が僕の手を強く握る。今日も今日とて、僕の指を握りつぶしてきそうなくらいの怪力だ。どうにも放してくれそうにないし、力を緩めてくれる気もしない。

 やっぱりシェリルは変わらないな。

「僕は……頭のおかしな奴なんだろうか」

 シェリルは視線を落として、すぐにまた僕の方を向く。ほとんど即答だ。

「本音を言うと最初はちょっとだけそう思ってた。暗いしキレるし、マジでヤバい奴だ、って。でもロランのこと見てきて全然印象が変わった。ロランはおかしくなんかない。一緒にいて幸せになれないなんてことは絶対ない。ロランの行動は、いつだってあたしのためのものなんだって思えたから。やり方がサイコーにバカなだけ。けどやり方なんていくらでも変えられるでしょ?」

 まさかこんなにも認めてくれているなんて、考えてもみなかった。僕がいままで直視してこなかっただけで、ずっと与え続けてくれたものだ。遅くなったけれど、ようやく受け入れられる。

「ありがとうシェリル。サイコーに信頼のおける台詞だ。これは自信を持って言える」

「ばーか」

 シェリルの穏やかな罵倒に「ご明察」と返してやると、彼女は頬を膨らませて変な顔をする。そしてしばらくの沈黙の後、俯いて口を開いた。

「あたしね、謝っておかなきゃいけないことがある。ロランがいじめられてるのを、あたしは見て見ぬふりしてた。そのくせ、ロランに助けてもらってから手のひら返してさ。ほんとあたし都合良すぎ。その後もロランのこと見下してた。ロランはあたしが助けてあげないと駄目なんだ、って。ロランにも考えがあったのに全部無視して、それですごく困らせた。あたしってサイアクでしょ? 本当にごめんなさい」

 そういうことか。シェリルにしてみれば、不満の対象が自分であるかのように感じられたのだろう。僕の紛らわしい態度のせいで勘違いをさせた。

 握られた手を包み込むと、シェリルは一瞬引っ込めようとして――また僕の膝の上で落ち着いた。

「どんなにシェリルが最悪だと思おうと、僕はシェリルを好いている。つまり現在進行形で救われているんだ。本当に感謝しているよ」

「ありがと」

 シェリルにしては大人しい反応だ。もっと大騒ぎすると思ったのに。けれど、彼女らしいというべきか、静かだったのはほんの一瞬だ。勢いよく立ち上がるとポニーテールを振り回して叫ぶ。

「ああもう、あたしたち自分勝手すぎ。全然お互いのこと話してなかったじゃん。よし、今度こそちゃんと決めた! あたし――」

 なにやら告白でもしそうな気迫でこちらを見るので、指でシェリルの口を封じておく。何でもかんでも彼女に言わせてしまったら、僕の立つ瀬がない。

「言わせて。保留中だったからね」

 シェリルが頷く。

「僕はシェリルと一緒にいたい。時が許す限りずっと。迷惑ばかりかけるけど、自分勝手にシェリルの傍に居ていいかな」

 シルバーの瞳をこんなにも間近で見たのは、実のところ初めてかもしれない。シェリルが上目遣いに見つめてくるので、じわじわと気恥ずかしくなる。返答がないので、僕はおかしなことを言ったかもしれない。思えばこれは、告白として成立しているのだろうか。補足説明が必要だったかもしれない。

「――ねえ。それ、あたしに聞いたら勝手じゃなくなっちゃうんじゃない?」

 シェリルが首をかしげる。全くもってその通りだ。動転しているにも程がある。もう幾分かは余裕を保てると思っていたが、僕の見立ては甘かったようだ。

「ごめん、矛盾してしまった。じゃあ……僕は、シェリルとずっと一緒にいる。勝手にね」

「このままだとロランの片思いになっちゃうね」

 別にシェリルがそう望むなら片思いだろうが一向に構わないが、まるで試すような口ぶりで僕を揺さぶるからたちが悪い。流石は学園女王だ。

「片思いでいいよ、僕の勝手だから。シェリルが嫌なら諦めるけど」

 途端、シェリルの両手で頬を挟まれ、鼻先が当たりそうなほど顔が接近する。彼女はやたらと瞬きをしてから僕を見上げた。

「嫌なわけないじゃん。それに片思いにはならないから安心して」

 僕のシャツの襟を整えて、シェリルは背筋を伸ばす。一歩下がると、凛とした声で言った。

「あたしは好きな人とは一緒にいたいの。そしてあたしは、ロランのことを永遠に好きでいる。だから、あたしはロランとずっと一緒にいる。口出しは許さない。文句言ったら噛みちぎるからね」

 シェリルは「がう」と僕の顔の前で歯をかみ合わせた。最初から最後まで脅迫じみているのに安心できるなんて、不思議なものだ。

 こんなの、裏切ろうと思ったって裏切れない。

「相変わらず、へたくそな笑い方」

 指摘されたからには改善したいが――なぜか上手くできなかった。

「ごめん。でもシェリル相手に繕うなんてできないよ」

 シェリルの頬に触れると、ブロンドの髪があたってくすぐったい。彼女は頬に添えられた僕の手に指を絡ませた。腰のあたりをシェリルの腕が滑っていく。

「一つだけ言わせてほしい。こんなにも穴が無くて反論のしようもない三段論法、僕は今まで見たことがないよ」

「でしょ?」

 勢いに流されて唇を重ねてみる。感じるのは生体組織の弾力だ。一瞬力が籠められるが、シェリルは別段抵抗するでもなく口を開ける。スポーツドリンクの甘酸っぱい味が共有されて、これがキスというものなのだと初めて実感した。

 息継ぎができなくて離れると、シェリルが余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった様子で話しかけてくる。

「ねえ、二人だけの特別な呼び方したい。ロランはあたしのことなんて呼びたい?」

「そうだな……シェリー、とかどう?」

「好き。じゃああたしは、あー、どうしよう。ロリーだと女の子みたいだよね」

 不意にロリーと呼ばれて母の顔が過る。けれど、シェリルにだったらそう呼ばれてもいいかもしれない。

「シェリルがそう呼びたいなら、それでもいいけど」

 シェリルは豪快に首を振る。髪が当たって痛いが、そんな僕なんてお構いなしだ。

「いや、もっとカッコイイの考える。特別感がある名前にしたいし。そしたら、ロラン……ローレント……。レン! レンでどう?」

「シェリルが主観的に格好良いと思うなら、それでいいよ」

「決まり。レン。大好き」

 ああ、なんだか高校生みたいじゃないか。命懸けでドラゴンになって――それがきっかけで普通の恋ができるなんて、思ってもみなかった。いや、普通の恋と表現するにはだいぶ我儘だ。何てったって、危険を丸無視して一緒に居ようというのだから。

 けれど、それも悪くないかもしれない。

「シェリー。僕も大好きだ」

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