#1 方略 Ⅶ

 ロランがくちばしを開けて、魔力を込める。ひらひらと空中を舞っていた火の粉が、口の前で青い球に集束していった。対策軍を倒すときのと似ているけど、感じる空気は全然違う。ロランの体中にあった結晶という結晶は全部引っ込んで、その分だけ青紫色の光が強くなる。

 まずい。あれは学校のグラウンドを滅茶苦茶にした攻撃。とんでもなく危ないやつ。お願いだから、そんなものを人に向けないで。

 でも、何でも思い通りになるはずのシェリル・キングストンの願いも、今は叶えられない。完全に無力。声を出すな、隠れていろ、なんて言われたからには、ロランを慰めることも怒ることもできない。できるのは、他人に頼って合図を待つだけ。そんなことしかできない自分に腹が立つし、そんなことしかさせてくれない神様にもムカつく。

 あたしのことをドラゴンにしてくれてもいいのに。そうしたらあたしがロランのことを止めにいけるのに。

「あははははははははははははは‼」

 ロランは高笑いをして、魔力の青い球を吐き出した。すると球から青紫の炎が一直線に伸びて、アルマスを襲う。強風のときみたいに音が鳴って、熱が押し寄せる。あたしはアルマスが全力で障壁を展開してくれたおかげで平気だけど、彼はバーナーみたいな攻撃の中に飲まれていった。

 アルマスはものすごい勢いで飛ばされて、三階の店のウィンドウに突っ込む。ガラスが盛大に割れる音がして彼が視界から消えた。

 負けないで。アルマスがいないと、きっと説得もできない。

 ロランは大きく羽ばたいて離陸する。一時的なんだろうけど、羽根の隙間に金属の結晶は生えていない。

 アルマスが突っ込んだ店に、ロランはキャンピングカーくらいある大鷲の体をねじ込んだ。鉄骨にかぎ爪をかけて、もう何もはまっていない窓枠のその奥を覗く。

 その時、不思議な言葉が聞こえてきた。

「《不幸な鉄よ、粗暴な火に焼かれる鉄よ。まだお前には何かが欠ける。水の中に漬けずして、お前は硬くなりはしない。灰の溶けた灰汁の中、お前は浸されねばならぬ》」

 アルマスの声だ。何語だろう、あたしには全然分からない。でも歌うような、唸るような響きは神秘的。離れているのに、不思議とはっきり聞こえる。

 あれ、もしかしてこれ、魔法なの?

 周りで倒れていた鉄骨が少し光っている。雪の粒みたいな、真っ白で柔らかな光。それが鉄骨に入り込んでいって、淡く輝かせているんだ。空気中を舞っているこれは、明らかに魔力。

 けどこんなに大量の魔力の粒なんて、正直見たことない。まるで吹雪。こんなのあり得ないに決まっている。

「《鉄は火の中てっさいとなって、金床に伸びて鎖となった。鋼となった哀れな鉄よ、呪法を宿した強固な鎖よ、激しくいかくろがねよ!》」

 アルマスの声はだんだんと力強くなっていく。それに呼応して、鉄骨はどろどろにけて床に広がった。それもすぐに空中へ伸びはじめ、短く千切れる。できあがった短い鉄の棒は、赤熱したまま一個一個丸まって繋がっていく。

 鎖だ。しかも、ものすごい本数。

 アルマスの変な呪文のせいで気が立っているのか、ロランは一瞬顔を引くとまた勢いよく突っ込んだ。ばさばさと壁を翼で叩きながら何度もそれを繰り返す。中がどうなっているのか分からないけど、あたしにはくちばしでつついているように見えた。

 それでも、アルマスの声は途切れない。

「《さあ縛れ、一本の長い鎖よ。とどめろ、二本の強い鎖よ。留め置け、三本の魔法の鎖よ! あの大鷲が羽ばたいただけ、その翼に絡み付け。あの大鷲が首を振るだけ、その頭に絡み付け!》」

 アルマスが叫ぶと、鎖が一斉にロランの方へ飛び出す。ロランは金属のぶつかる音に気付いて振り返るけど、もう遅い。数えきれないほどの鎖がロランを拘束していく。鎖はロランを一階まで引っ張っていって、地面に縫い付けた。

 ロランは絶叫しながら暴れる。でも炎を出して熔かしたりはしない。

「ぁあああ、放せぇ!」

 ロランがもがく度に鎖が翼や足に絡みついて、動きは小さくなっていく。ロランは地上で息を切らし咳込んだ。首に巻き付いた鎖が喉を圧迫して少し苦しそう。

 そんなロランに気を取られていると、頭の上から声が降ってくる。

「――防御が手薄だぞ。攻撃手段を失ったときは常に警戒しないと」

 アルマスは脇腹を押さえてロランを見おろしていた。彼は黒いカーディガンに浮いた埃を軽く払いながら、あたしと目を合わせる。

 そして全力で合図をした。

「ここからはお前の出番だ。呼び戻せ!」

 あたしは大きく頷く。

 そう、ここからはあたしの戦い。あたしがいかにロランを助けたいのか、どれだけ戻ってきてほしいのかを伝える戦い。

 アルマスに着せてもらったロングパーカーのフードを脱ぐ。肩から降ろし、床に落として、鎖で縛りつけられた黒い大鷲に近づく。ロランはあたしに気づいて、もがくのをやめた。瞳は魔力で強烈な青紫色に光っているけど、あたしと目が合うと、それがちょっとだけ穏やかになる。

「シェ、リ、る……、いるの……?」

「うん、ここにいるよ。まだロランと行きたいところがあるから、用事が終わるまで待ってたの」

 良かった。こんなに辛い状況でも、ロランはあたしのことを思い出してくれる。これなら、また今まで通り過ごすことだってできる。

 あたしは、もう一歩、ロランに近づく。

 するとロランは目を見開いて、また暴れ出した。

「こ、来ないで! シェリ……」

 急に動き出すからびっくりしたけど、全然攻撃されそうにない。きっとロランが怖がっているんだ。あたしにはそう見える。なら、もっと近くに寄って安心させてあげなくちゃ。

「――ねぇ、何をそんなに怖がってるの? 教えてよ」

「シェリルが燃え、燃えて燃えて燃えて、っ、あ……」

 ロランは呻きながら目を瞑る。あたしは項垂れたロランの額に、そっと触れた。指の間を羽毛がすり抜けて、ロランの体温が伝わってくる。

「ゆっくりでいいよ。あたしがどうしたの?」

「僕が、シェリルの日常を、壊した。けれどシェリルは、気を遣ってくれる。……全部、僕のせいなのに」

 そうだったんだ。ロランは、あたしが思っている以上にたくさんのことを心配してくれていたんだ。それがすごく申し訳なくて、でも嬉しい。

「壊れてないよ。全然壊れてない。これからも壊れたりしない」

「でも……、シェリルに迷惑ばかりかけて……!」

 あたしはロランの額を撫でながら、自分の心を決めていく。

「ううん、迷惑でも何でもないよ。一緒にいられるの嬉しかったもん。ロランのこと、好きだから。そばにいられるだけであたしはしあわ……」


「幸せ」。

 それがトリガーだった。


「違う‼」

 ロランは激しく頭を振った。縛られているからそんなに勢いはないけど、あたしは押されて尻もちをつく。

「嘘ばっかりだ! 幸せだなんて嘘だ! 嘘、嘘、嘘嘘嘘‼ あは、あははははは‼」

「嘘じゃない、嘘じゃないよロラン……! ねえ――」

 迂闊だった。ロランがあれだけお母さんのことで悩んでいたのに、あれだけ繰り返し嘆いていたのに。何であたしは「幸せ」なんて言葉を使っちゃったの?

 ロランは狂ったように笑いながら捲し立てる。今までに聞いたどんな早口よりも冷たくて、苦しそうな叫び。

「嘘じゃない? あはは、理由がないんだよ!」

 ロランがあたしに近づこうと、ぐっと鎖を引っ張る。全く身動きは取れていないけど、鎖は擦れて音を立てる。

「安い同情にしか思えないんだよ! どんなに手を尽くし言葉を尽くし慈悲を掛けてもらっても、僕は、シェリルの望むようにはなれない。全部、全部全部全部! あは! 何もかもが釣り合わないんだよ! シェリルのように華やかじゃないし、器用じゃない。バッドステータスにしかなり得ない。僕と一緒に居たって何の得もない。ねぇシェリル? あははははは! 僕はさぁ、気味が悪いんだよ。何でそんなに僕に拘るの? 勝手にドラゴンになった僕に、どうして拘る? ねぇ?」

「そ、んな……、だって、だって、ロランは……!」

 泣いちゃ駄目。絶対泣いちゃ駄目。辛いのはあたしじゃなくてロラン。あたしはロランの感情の全部を受け止めなきゃいけないの。ここで涙を流したところで、何にもならない。

 ロランはあたしを助けてくれた。あたしがロランと一緒にいるのは、守ってくれたあの後姿が忘れられないから。事件の後、どんどん孤立していくロランを放っておけなかったから。あたしが、そう思ってしまえるくらいロランのことが好きだから。

 耐えろ、シェリル。必ずロランを連れ戻すの。あたしが耐えればロランは無事戻ってくる。あたしはロランのことが好きだから、なんて言われたって平気なの。あたしの想いを伝えるのは、日常が戻ってきてからでも充分間に合う。今は受け入れるべきなの。

「まるで僕が悪いみたいじゃないか! 僕がシェリルを縛り付けてしまったみたいじゃないか‼ 自分の所為だって顔するけどさ、これは僕が決めたことなんだよ。責任なんてシェリルにはこれっぽっちもないのに、もうこうするしかないみたいな顔しないでよ!」

「違う……! 違うの……!」

 もう、どう答えろっていうの?

 ロランの言っていることは、あたしの本心じゃない。あたしの望みじゃない。責任もあたしにあるし、ロランに縛り付けられてもいない。何から何まで、決定的に間違っている。

「何が違うんだよ‼ どうせ償いだとか思っているんだろう? どうせ、僕のことなんてどうも思ってないだ――」


「――うるさい黙れ‼」


 世界が一瞬で静まり返った。

 あたしはロランのことを受け容れなきゃいけない。優しく包んであげなきゃいけない。

 でも口から出たのは真逆の言葉だった。

「勝手に決めつけてんじゃねーよこの根暗眼鏡‼」

「え、な、」

 あたしには元から我慢するつもりなんてなかったのかもしれないけど、自分でも驚くほど、思っていたことがそのまま出ていく。

 もうこの際、片っ端からぶつけよう。

「いい? 聞いて。あたしはロランに一目惚れしちゃったの。ロランはあたしを助けちゃったんだから、好かれないわけがないでしょ。分かってる? あたしは、何でもいいからロランと一緒に居たかったの。ロランがドラゴンに成ってどんどん孤立していって。弱ってるところを見て、今近づけば付き合えるって思ったの。言っとくけど、気づかないロランが悪いんだからね! あたしはチャンスを活かすために出来る事をしただけ! 文句ならあたしを助けた時のロランに言って‼」

 なんだかんだ悩んだけど、あたしの本心なんて結局これ。責任とか、そんな言葉で繕ったって意味はない。だって一目惚れしただけだから。

「違う、そんな、はず」

 これだけ言っても、ロランはまだ否定しようとする。ほんとムカつく。

 あたしはロランの顔の羽毛を掴んだ。「痛い」とか言っているけど、そんなの知らない。

「ロランの意見は聞いてない。あたしはロランが好きなの。大好きだから一緒に居るの。じゃなきゃこんな面倒くさいやつと二人で出かけたりしないから。親しくなったのが最近とはいえ、知り合ってからはそこそこ長いよね、あたしたち。知ってるでしょ? あたしが、気に入ってる子としかプライベートな話しないってこと。ね、気に入られてる自覚ない? あるよね? こんだけお互いの家で遊んだりして、しかもあたし結構雰囲気作ってるつもりなんだけど、ロラン見て見ぬふりするよね。そんなにあたしのこと嫌い? ねぇ、聞いてる? 返事しろよ」

「ごめ、ん、なさい……」

「何謝ってんの。ロランが謝ること、なんにもないじゃん」

 膨らんでいたロランの羽毛が今はぴったり体にはりついて、なんかすごく細い鷲になっている。確か鳥って、恐怖を感じると羽根をしぼませるんだっけ。ロランは目を全然合わせてくれない。

 ――やっちゃったかも。かなり怖がっている。

 あたしは息を深く吐ききった。そして吸い込む。気持ちを落ち着けて、ロランの額を優しく撫でた。ロランは一瞬びくつくけど、ゆっくりと、あたしに心を許してくれる。

「別にロランを責めてるわけじゃない。あたしのことが嫌いなら、無理に付き合ってくれなくたっていいの。もし拒絶されてもあたしはめげない。ただそれだけのこと。だから、ね?」

 ロランの胸元に抱きつく。柔らかい羽毛に埋もれると温かくて――今はちょっと焦げ臭いけど、魔力の甘い匂いがする。ここ最近ずっと隣にあった、ロランの香り。

「もしあたしのことを少しでも特別に思ってくれているなら、その気持ちを教えてほしいの。……さっきは色々言ったけど、正直あたしだって、ロランの傍にいてもいいのか心配なんだから。イエスかノーかくらい伝えてくれたっていいじゃん。ロランのばか」

「――そ、っか。そうだったんだ」

 ロランは、あたしの行動の理由がやっと腑に落ちたんだと思う。穏やかな声で呟くと、体が糸みたいに解けはじめた。

 しばらくすると何かがぐっとのしかかってきて、あたしはぎゅっと抱きとめる。あたしの腕の中で、細くてぼさぼさの赤毛が光に照らされて、オレンジ色に光った。

 ――これは間違いなくロラン。戻ってきてくれたんだ。

 態勢を立て直そうとして鎖を踏んづけたロランは、危なっかしくよろける。ロランはあたしの肩に手をかけて覆いかぶさってきた。見上げると、ロランは珍しくはにかんでいる。

 こんな距離まで接近することは一度もなかったから、顔が近すぎて恥ずかしい。

 けど、それが何よりも心地いい。

「ありがとう、シェリル」

「こちらこそ。ロランのおかげであたしの心も決まった」

 ロランはあたしの背中に手を添わせ、強くたぐり寄せる。あたしはされるがままに、ロランの肩にあごを乗せた。

「ロラン、戻ってきてくれてありがとう」

「別に大したことじゃないよ。ちょっと自分の主観的価値を上方修正しただけ。シェリルが思いのほか高評価してくれていたからね」

「ばか。ほんとばか」

「うん……、そうだね」

 すごく幸せ。これで晴れてロランと付き合って――


 ん、ちょっと待って。


「ねぇ、他に言うことは?」

「好きだよ、シェリル」

 ロランが優しく微笑みかけてくれる。青紫色の瞳があたしだけを映していて、マジで最高の告白。

 でも、ほんのり、あたしにとって都合が悪い笑顔に見える。こう、なんていうか、イエスって言い切ってくれない感じがする。それともあたしの勘違いなのかな?

 試しにあたしはもう一回聞いてみる。

「ねぇ、他に言うことは? イエスとかノーとか」

「……うん、好きだよ」

 ロランがあたしのことを好きでいてくれているのは分かった。でもあたしが聞きたいのはそれじゃない。

「他にいう」

「大好きだよ」

 あんた確信犯でしょ。「一緒にいてもいいのか」って問いには答えないつもりでしょ。

「ねえ、ロラン? あたしから言えってことなの?」

「いえ違います断じて」

 天窓から差す光は祝福ムードだけど、今回だけは空気読めていない。ロランとおんなじくらい空気読めていない。

「じゃあ何? あたしを振ると?」

「違っ、まさかそんな、あ、でも、いや」

「なら言えよ」

 ロランが誤魔化し笑いをする。でもあたしの顔を見て少しずつボリュームを絞って、最後には黙り込んだ。

 あたしは沈黙したロランの脛を蹴る。

 すると、ロランはあたしの目を真っすぐに見つめて――言い放った。

「取り敢えず、付き合うのは保留にしてください!」

 ああもう、笑うしかないじゃん、こんなの。

 堕ちたロランが無事戻ってこられて、あたしのこと好きって言ってくれて。

 本当に、今日はサイコーの記念日。

 ロランは何故か後ずさりする。あたしはよれよれのダサいネクタイを握りしめた。

「ロラン、確か人間よりずっと頑丈なんだよね?」

 こんなに喜ばしいことなんてそうそうない。

 だからたまには、最高速でこの平手を叩きつけてやる。

「いや、やめ、ちょ」


 お祝いのクラッカーって、けっこう清々しい音するなぁ。

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