#1 方略 Ⅵ
ロランは紫色の翼を広げ、飛翔する。あたしは遠く離れた通路からそれを見ていた。
けど、ものすごく熱い。
ロランはキャンピングカーくらいの大きさの鷲。その巨体が翼を広げて、ショッピングモールの柱の間を縫っていく。羽毛の表面では青紫色の火が発火しては消えてを繰り返していた。ロランが一つ羽ばたくだけで辺りが火の粉だらけになるし、もう立っていられないくらいの突風になる。
あたしは咄嗟に、通路に置かれていた観葉植物の陰に隠れた。あんまり前に出ると危ないんだろうけど、あたしはできるだけロランの様子を見ていたかった。
あたしが対策軍のことを頭上から見下ろしていと、ロランはショッピングモールの奥の方に消えていく。でもすぐに熱風がこっちへ向かって吹いてきて、続いてロランが
「あはははははは!」
ロランは、普段からは考えられないくらい上機嫌で笑い声を上げる。竜災対策軍が陣形を組んでいる背後から、彼らを掠めて上昇した。すれ違う瞬間、羽の間から金属の雫が落ちていくのが見える。
まずい、あれは簡単に人を吹き飛ばせる。実際あたしも吹き飛ばされたことがあるし。
「危ない……!」
あたしは何とか声を殺す。ここで騒ぐわけにはいかない。ロランや対策軍に見つかったら、余計この戦いが混乱する。
案の定、垂れた金色の雫は空中で爆発する。青紫色の強い光が眩しい。火は爆風で鉄さえも捻じ曲げて、どんどん建物を破壊していった。
「――障壁展開!」
対策軍の誰かが慌てて指示を出すけど、あんまり隊が機能している印象は受けない。ロランの攻撃を受けて倒れた人が多すぎる。
それでも対策軍の人たちは障壁の魔法を発動させる。ガラスの様な半球がいくつも重なってロランを取り巻いた。大きいものと小さいものが互いを支え合うようにしてくっつきあっている。
あたしは対策軍に向かって祈る。
「お願い、ロランにあんたたちを傷つけさせないで……!」
じゃないと、もしこの場から逃げきれたとしても全然意味がない。
でもあたしの願いなんて、ただの夢想だった。
通路をちょっと進んだところで、アルマスはあたしと同じように観葉植物にまぎれている。彼はずっとロランを目で追っていたけど、いきなりこっちを振り返って「引っ込め」とジェスチャーした。
「え?」
彼はすぐロランの方を見て、右手を真横に突き出す。すると手のひらから光の糸が噴き出して、半透明な剣が形作られた。先に向かって細くなっていく、彼の片腕より少し長いくらいの剣。まるで水のように表面が波打って、照明の光をゆらゆらと地面に投影した。
彼はそれを床に突き刺す。
真っ白な光が模様になって建物の壁や柱に奔り、あたしの方にも迫ってきた。
「うわ、何を――」
瞬きをするその刹那、ロランの姿が目に入る。ロランはくちばしを開けていて、口の中で青い光が練り上げられていった。
「下がれ‼」
アルマスが叫ぶのと同時に、大量の障壁が目の前に現れた。
直後、視界の全部が紫色になる。嵐の日みたいに風がごうごうと障壁を叩いて通り過ぎていく。
――怖い。
あたしはつい目を瞑ってしまった。何一つ取りこぼすことなく認めて、ロランのことを受け止めてあげなきゃいけないのに。
瞼を開けるとそこは、まるで絵で見た煉獄みたいになっていた。あらゆるものが青紫色に燃えている。アルマスの作ってくれた障壁は、最後の一枚だけになっていた。それもすぐに細かい粒になって消えていく。
「撤退! 撤退! 無理だ! 逃げろ!」
対策軍はもうボロボロだった。ロランにひどいことを言った奴は必死に叫び、隊員を引き連れてばらばらと引き返していく。動けなくなった人たちを抱えて、急いでショッピングモールから退去していった。
「ロラン、攻撃しちゃダメ。お願いだからじっとしていて……」
幸いロランはまだほんの少しだけ理性を残しているみたいで、床に頭をこすりつけて呻いている。
「ぁあ、だ、め、死んじゃう……。楽し……。あぁっ、にげ、て、あはは、い、シェリ――」
ぶつぶつと呟くロランを警戒しながら、アルマスは燃える瓦礫の山へと歩いて行った。一部が融けて斜めになった鉄骨に飛び降りて、バランスよく登っていく。途中まで来ると、大ぶりな黒く丸い石を掴み、剣を差し込んで鉄柱から引き剥がした。きっとあれが監視用の魔石なんだろう。アルマスは赤く発光しだした魔石を投げ捨てると、ロランのいる方へ歩いてく。
彼は携帯端末を操作しながらあたしに呼びかけた。
「対策軍は完全に撤退した。今から七分以内に片をつける。合図をしたらすぐに来られる位置にいろよ」
「わかった。お願いね」
彼は一階からあたしの方を見上げて、軽く手を振る。それは了承の合図だ。
じゃあ、あたしはある程度近くで見ていてもいいってことか。依然、合図があるまではロランに何にもしてあげられない。けど見守ることもできないよりは、かなりマシ。
あたしはアルマスの後ろを、彼が見えるか見えないかのギリギリの距離で追いかけた。止まったエスカレーターを転びそうになりながら駆け下りて、壁沿いに身を隠す。
アルマスは操作していた携帯端末を空中に投げ上げる。すると飛んでいった先で端末が消え失せた。空いた右手に剣を持ち換え、それを慣れた手つきで軽く回す。水みたいな外見であまり刃物っぽくないとはいえ、さっき床へ簡単に突き刺さった剣。刃が彼自身に当たらないか、ちょっとドキドキする。
彼はロランを目で捉えながらゆっくりと足を進めていく。彼が剣を回すごとに透き通った音が鳴って、うずくまっていたロランはようやく顔を上げた。
ロランの羽の膨らみ具合を見れば、ものすごく警戒しているのがわかる。アルマスがすぐそこまで接近すると、ロランは軽く飛んで距離を取った。
ロランが着地し、彼を睨んだ瞬間。
彼の剣がぴたりと止まる。切っ先はロランへと真っすぐに伸びた。
「――対策軍はもう撤退したぞ。安心していい。今ここにいるのはお前の彼女と俺だけだ」
「誰誰誰誰誰誰。燃やせる人ですか。燃やします」
「怖いことを言うじゃないか。だがそう簡単にはやられないぞ?」
アルマスが挑発するように剣を揺らす。ロランはクラスの不良に絡まれたときみたいに、不快そうに顔をそむけた。その間にも、羽の隙間からのぞいている黄金の結晶はどんどん成長している。ロランは結晶を使って大爆発させる気みたい。きっと後ろの方で控えているあたしも、余裕で巻き添えに吹き飛ばせるくらい強力な魔法。
あたしはお腹の
それでも、アルマスはお構いなしに一歩踏み出した。
彼の靴底のゴムが甲高い音を鳴らす。
――それが合図だ。
ロランは大きく翼を広げて、熱風とともに金属の結晶を飛ばす。アルマスに降り注ぐ黄金色の薄い結晶は、空中でほとんど溶けていた。金色の粒が空間に広がってあたしたちの方へ迫ってくる。
その瞬間、アルマスは剣を軽く横に振った。
「……
海の香りがして、青白い光とともに大きな波が現れる。大量の水はアルマスの足元からロランへと、うねりながら進んでいく。壁のように立ち上がった波はあたしの視界を遮って、ロランが見えなくなった。
そして――吹き飛ぶ。
アルマスは爆発に巻き込まれて、入り口近くの案内カウンターに突っ込んだ。ショッピングモールの案内チラシが舞って、瓦礫に埋もれた彼の上に降り注ぐ。
あたしの目の前にはさっき見た透明な薄膜が構築されて、熱い空気だけが通り過ぎていくだけで済んだ。
「アルマス!? 大丈夫!?」
なんていうか、彼、すごく痛そう。
実は、あたしは大事なことを言い忘れていた。あれを思い出せなかったなんて、随分パニクってるみたい。アルマスにはちょっと申し訳ないことをしたかも。
彼はひしゃげて倒れたカウンターの上に足だけ出している。もぞもぞ動いているから死んではいないはず。それからしばらくすると、彼はうんざりした様子であたしの呼びかけに答えた。
「……ああ、大丈夫だ。この程度じゃ死なないし、怪我もしないよ」
「はぁ、よかった。あっさり負けちゃうのかと思った」
「そっちの心配か」
彼はため息と一緒に言葉を吐き出すと、ずるっと、瓦礫の中へ足を引っ込める。瓦礫を剣で切り裂いて押しのけると、カウンターを飛び越えてあたしの方に走ってきた。
「ねえ、こっち来ないでよ! ロランに見つかっちゃうじゃん!」
「ああもう、とっくに見つかってるっての! 攻撃されても守ってやるから!」
彼は小さく押し殺した声で悪態をつくと、あたしを抱きかかえて走り出す。そうしている間にもロランはこっちを見ていて、確かにあたしたちはロックオンされていたみたい。羽の隙間から生える金色の結晶はまた大きくなっていって、いつでも攻撃できそうな状態だ。
ってことは――
「駄目! 水は駄目!」
あたしがアルマスの耳元で叫ぶと、アルマスは右手の剣を一閃する。何重にもガラスのような障壁が生まれて、結晶の爆発は相殺される。
「分かってる。そのせいで俺は吹っ飛んだんだろうからな。ひとまず確認をしようと思って聞きに来たんだよ。……あれ、水に反応するとか言うんじゃないだろうな?」
「何言ってんの、反応するに決まってんじゃん! 学校でも水の魔法を使う奴と喧嘩して、大爆発を起こしてたし!」
「ああ、くそ、相性悪いな……。どうしたもんか」
彼は困り果てた表情をする。でもあたしにはそれが不思議でたまらない。
「障壁作って防げばよくない?」
すると彼はきっぱり否定した。
「俺は障壁張るの苦手なの! 最近は平和だったから武器庫までパス繋いでないし、補助装置が手元にない状態ではさっきのが限界なんだよ。お前を守るので手一杯だ!」
「パスって何!? できないってこと!?」
「そうだよ! 悪かったな!」
アルマスは立ち止まってあたしを降ろす。直後、またロランが金属の結晶を飛ばしてきた。アルマスは剣を振って応戦する。大量に展開された障壁は最後の一枚だけ残して爆発を防ぎきった。残りの一枚はあたしの目の前で亀裂だらけになっている。
前を遮るように突き出された彼の腕が、めちゃくちゃ心もとない。守ってもらっておきながらアレだけど、文句ぐらい言ったっていいはず。
「ねえちょっと! 守る守るって言ってるけど、こんなんで平気なの!?」
「いざってときはお前を優先するから平気だよ!」
あたし優先? でもそれってロランを見捨てることになるんじゃないの? それは絶対嫌。
「ありがたいけど、ロランに大怪我させたら訴えるからね!」
「痛い痛い! 分かった、分かったって! 放して……!」
あたしが頬をつねってやると、彼は涙目で悲鳴を上げる。情けない男子。ロランよりもヘタレかも。
彼は、容姿は疑いようのないほどアルマス・ヴァルコイネンだけど、『スズランの手記』で読む黒いドラゴンとは全然印象が違う。あの御伽話のドラゴンは、もっと性格きつそうっていうか、こんなにあたしに振り回されるほど貧弱なメンタルじゃなさそうだったのに。
それに魔法も。本に書かれている彼の魔法は、圧倒的、って感じだった。街を襲ったとき、雷とか雹とかが大災害、って感じだったらしいし。
でも現実はこれ。ロランの攻撃一つ防ぐのに、普通は一枚しか展開しないはずの障壁魔法を何枚も重ねて出している。
「こんなに気弱な奴がアルマス・ヴァルコイネンなの? ほんとに?」
「ノーコメントって言ったろ」
「めんどくさ! 何でもいいけど、天気操れるんでしょ? 雷とかで気絶させられないの?」
すると、何故か彼がまごつきはじめた。
「何? やっぱ偽物なの?」
「いや、違、あー、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」
「はっきり言えよ」
むかつくから、あたしは後ろからアルマスの靴を蹴る。すると彼は飛び跳ねそうなぐらいびくついて、こっちを振り返った。
「……俺、何でか天候の制御、できないんだよね」
マジ爆弾発言。じゃああの本はフィクションだったっていうの? それとも彼がアルマス・ヴァルコイネンじゃない?
これにはほとんど理性を失ったロランも驚いているみたいで、こっちの様子を伺いながら首をかしげている。
「やっぱ偽物でしょ。そっくりさんでドラゴンって損だね」
「もうそれでいいよ……。これを羽織って隠れていろ。出来るだけのことはしてみる」
彼はぐにゃっと歪んだ空間から、黒いロングパーカーみたいなものを取り出す。剣を床に刺すと、あたしの肩に丁寧に掛けてフードを被せた。
その瞬間、ロランが不安げな声を出す。
「シェリル……? どこ、どこに」
あたしは返事をしたくなった。でもアルマスが唇に指をあてるのを見て、ぐっと飲み込む。
アルマスは剣を取った。斜めに振り抜くと、激しい水の流れが生まれて視界を遮る。彼はあたしの背中を優しく押して、柱の陰に隠れさせた。
「――大丈夫だ。ロラン君は必ず、お前の呼びかけに応えてくれるよ」
彼はあたしの横で軽く助走をつけると、力強く踏み出した。
物凄い勢いでロランのところまで距離を詰め、両手で構えた剣を振り上げる。
ロランは咄嗟に翼を羽ばたかせて金属の結晶を飛ばした。アルマスは剣を上へ投げ、空中で体をひねって躱す。そのままの勢いで、ロランの羽毛だらけの胸を踏み台にして後ろに跳躍。
ロランは衝撃で吹き飛んで、建物の骨組みに打ち付けられる。大量のガラスと濃い紫色の羽根何枚かが舞った。それが、地面に這いつくばるロランに降り注ぐ。
大怪我させたら訴えるって言ったのに、全然容赦がない。とりあえず後で文句を言ってやらなくちゃ。
アルマスは宙返りしながら、落ちてきた剣をキャッチした。彼は後ろへと大きく滑りながら着地する。靴底のゴムの跡が長く引かれた。
「こんな様子じゃあ、コイツを持っているのも危ないな」
彼は剣を掲げて肩をすくめる。それでも剣を仕舞うつもりはないみたい。彼は前を見据えたまま、歩いてロランに近づいていった。
「死死、僕、死んじまえよ。シェリルに優しくしてもらっていい気になってんじゃねーぞ! 僕には生きてる価値なんてねぇんだよ! わかりました。観測者が僕だけになれば平和です! 僕はおかしな子ね、だから死にます。母さんは幸せ!」
ロランはデータの壊れた音声ファイルみたいに、何度も何度も繰り返す。
いじめのことは知っている。ロランのお母さんのことも、離婚したってことくらいは知っている。
でもあたしは知らなかった。知ろうとしなかった。ううん、知っていたのに見ないふりをしてきた所もたくさんある。
ロランはずっと無表情で文句も何も言わないから、平気なんだとばかり思っていた。いじめも、お母さんのことも。ロランにとっては、自分を否定したくなるくらい深刻な悩みだったのに。
――あたし、すごく嫌な奴。責任を押し付けるのは駄目とか思っているくせに、ロランに何にもしてあげなかった。
アルマスは剣先をロランに向けたまま、淡々と語る。
「辛いよな。ドラゴンに成ると、押し込めてきたはずのものが耐えられなくなって、忘れたいのに忘れられなくて。堕ちてしまえばあらゆる
アルマスの声は急に冷たく、鋭くなる。
「――快楽の先にあるのは地獄だけだ」
俺はお勧めしない、と静かに付け足す彼。後姿がひどく寂しげに見えて、目頭が熱を持つ。
どんな人生を送ってきたのかあたしには分からないけど、でも絶対、ロランにはこんな風になってほしくない。
「理不尽、理不尽理不尽。ぅううあああ‼」
ロランは急に絶叫してアルマスへと突撃した。低空を滑るように飛んで、金色の結晶を弾丸みたいにまき散らす。じゃらじゃらと攻撃的に鳴る鈴みたいな音は、今までよりかなり大きい。
アルマスは大量の結晶を器用に避けた。あたしの方に雫が飛んできて反射的に目を瞑るけど、ガラスが割れるみたいな音がして、熱や衝撃はやって来ない。目を開けると障壁が何枚か砕け散るところで、手前の二枚が爆発を防ぎきった。
守られていても本当に怖い。逃げたい。でも、あたしが逃げたせいでロランが戻ってこなかったら、それはもっと怖い。
今は耐えなきゃダメ。あたしはシェリル・キングストンなの。ロランを助けられるのはあたししかいないの。
「理不尽なことなんて何一つないぞ! 全ては君自身が選んだ結果だ!」
アルマスは叫びながら、高く掲げた剣を振り下ろす。
それは一瞬の隙だった。結晶を飛ばしつくしてしまったみたいで、ロランの周りにはあの小さな爆弾が浮かんでいない。大きな波が渦を巻きながらロランを飲み込む。途中、小さな爆発が何回か起きるけど、アルマスは障壁も出さずに踏ん張っている。
ロランは波にもまれて顔を出さないし、物がぶつかるみたいな鈍い音が何度も響いている。
「お願い、ロラン。無事でいて……」
死なないで。ロランは心の底では死にたいって思っていたのかもしれないけど、あたしはロランに死んでほしくない。だってあたしを助けてくれた唯一の人だから。
ロランは簡単に壁際まで押し戻された。ずぶ濡れだからだろうけど、濃い紫色の体はさらに黒っぽくなっている。どうやら無事みたい。まだ何も安心できる状況じゃないけど、少しほっとした。
でも、三回咳をするとすぐに立ち上がる。ロランはアルマスの方を向いて、くちばしを開いた。
奥に見えるのは、青く光る球。それが膨らんでは小さくなってを繰り返して――
「あははははははははははははは‼」
あたしの前に現れた障壁のその奥で、青紫の光線が、まっすぐアルマスを突き刺した。
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