#1 方略 Ⅳ

 あたしの彼氏ロラン・D・アグノエルは、俗にいえば『堕ちたドラゴン』だ。

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは‼」

 ロランはぶつぶつと支離滅裂な言葉を発していたかと思うと、今度は気味の悪い哄笑を上げる。

 体は指先から足先から、細い糸のような光に変わっていった。その間も魔力を抑える様子はない。床や周りの商品が熱を帯びて燻りはじめているけど、ロランは這いつくばって笑うだけ。

 多分、周りを気にすることができるほどの理性が残っていないんだ。

「熱っ……!」

 なんとか正気に戻ってくれないかとロランの背中をさすっていたけど、いよいよ触っていられないほどロランの体が高温になる。

 ――早く逃げないと、下手すると死ぬ。

 でもあたしはロランの隣から離れられなかった。今ロランの傍にいられなかったら、あたしがあたし自身の背負うべき責任を置き去りにして逃げるみたいで嫌だ。全部ロランになすり付けて自分だけ助かるなんて駄目。

 けどあたしの思いとは裏腹に、ロランはまき散らす火の粉をどんどん強くする。

 その時ロランの笑い声が止まった。

「シェリ、ル……、どいて……!」

「ロラン⁉ ねえ、聞こえ――」

 ロランは頭を抱えて、苦しそうに声を絞り出す。そしてあたしを突き飛ばした。

 その様子にあたしはちょっと希望を抱いてしまう。今呼び戻せば、ロランは完全に我を失ったりしないかもしれない。

 あたしは油断した。思いっきり押されて引き剥がされて距離が開いていたから、ロランに近づこうと思って足に力を籠める。

 ――瞬きをすると、目の前に紫色の火の玉があった。

「やば――」

 けれどもう一度瞬きをすると、視界は黒い何かに埋め尽くされる。ガラスが割れるような音が何度も鳴って、あたしを強く照らしていた紫色の炎は消えた。

「な、に……」

「おい、何やってんだ! 死にたいのか⁉」

 透き通る高めの声があたしを怒鳴りつける。

「死にたくは、ないよ。でも」

 顔を上げて確認すると、振り返ったのは銀髪碧眼の男子だ。彼はあたしをお姫様抱っこするとすごい勢いで走り出す。

「話は後でする。いったん隠れるぞ」

 彼は今にも、吹き抜けを囲むガラスの柵に突っ込みそうだ。

「隠れるって、どこに⁉」

「黙ってろ! 舌噛むぞ!」

 彼はそう叫ぶと強く踏み切って柵に足をかける。そのまま大きく跳躍して上の階の通路に着地した。床に亀裂が入ったんじゃないかと思うくらい建物が揺れる。

「ぐぇ、チアのキャッチより重力キツい」

「……すまない」

 強気だった彼はあたしの文句を聞いて急にしゅんとした。そして丁寧にあたしを降ろす。そのしぐさは年下みたいでカワイイ。

 でも多分年下じゃない。その証拠にはならないかもだけど、彼は今にも暴れ出しそうなドラゴンを前にして落ち着いている。何よりさっきの大ジャンプは人間にはそう簡単に真似できるものじゃない。

 少なく見積もっても彼はドラゴンだ。しかも見境なく力を振るうドラゴンを前にして、簡単にあたしを救い出せるくらいの実力者。もしかしたら竜災対策軍の非番の軍人さんかもしれない。

 でもあたしの勘は違うって叫んでいる。

 公的機関で働く人なら、他の客とともに逃げることを強制するはず。彼は見ての通りあたしを逃がそうっていう使命感を見せないし、応援要請みたいな電話もしない。ほとんど軍に対するあたしの偏見だけど、きっと彼は勝手に動き回っている誰かさんだ。

 それにこの見た目でドラゴンとか、思い当たる節がありまくり。この街に生まれ育ったなら必ず、いや世界中でも、あのおとぎ話に出てくるドラゴンを連想するだろう。

 今も彼は注意深く下の階を観察している。吹き抜けからギリギリ見える位置にロランはいた。もう体はほとんど魔力の光になってほどけていて、周りに置いてあったディスプレイの服が紫色に延焼する。

 全部あたしのせいだ。ロランが理性を失ってしまうほど苦しんだのは、あたしが原因。

 目頭が熱くなってきて、あたしは咄嗟に彼と同じ方向を向く。

「ねえ。あの柵、バキバキに割れてるけど大丈夫?」

「問題ない。この騒ぎで出た損害は俺がすべて賠償する」

「出た、お金持ち発言。ロランのお父さんも似たようなこと言ってたなー」

 あたしは茶化してみるけど、彼は大して気に留めてないみたい。天井を見上げて何か確認している。

「こういった有事のために財源を確保しているわけだから、ロランの父親とやらの金持ちとはベクトルが違うだろう」

 彼は確認作業が済んだのか、別の棟に向かう連絡通路へ歩いて行った。しばらくするとこっちを見て手招きする。あたしは彼の真似をして壁に寄りかかり、逃げていく人々の視線から隠れるように息をひそめた。

「で、お前は何で逃げようとしなかったんだ?」

「びっくりしちゃったんだもん。仕方ないじゃん」

 彼はあたしの返答に呆れたのか、手を額に持って行って溜息をついた。

「びっくりした割には明確な意思を感じたんだがな」

「えーそうかなー?」

「誤魔化しても時間の無駄だぞ。そんなこと言っている場合なのか? あれは」

 彼はロランの方を親指でさす。今は直接見えないけど、静かになったショッピングモールにロランの高笑いだけがこだましている。

 ――まるで責められているみたい。

 あたしのせいだって分かっているけど、他人に言われると更にずっしりのしかかってくる。

「分かってるよ……。何とかしなきゃいけない。あたしが何とかしなきゃいけないの。でもどうすればいいの……!」

 あたしのせいでロランが死んじゃうかもしれない。けど、あたしにはもう何もできない。さっきは我慢したけど、今度こそ涙をこらえられなかった。手で押さえても全然止まってくれない。

 ドラゴンに対する法律は、普通の人間に対するものよりずっと厳しい。

 もしロランが街に出て暴れて、誰かに怪我をさせてしまったら。もし殺してしまったら。

 前回学校でいざこざになったときはロランの家とアイツの家が全力でもみ消したから平気だった。アイツも大怪我で済んだし、あたしも怪我したけど必死に頼んだら両家が何とかしてくれた。

 でも今回は違う。

 目撃者も被害者も、学校という枠の中ではおさまらない。もう今の時点でこの事件を隠すなんて無理になってしまっている。そうしたら刑務所行きは間違いない。最悪の場合、極刑になることだってある。

 それでも原因を作ったあたしは、ただ祈ることしかできない。自分、本当にばか過ぎる。

「あぁ、ほら、あんまり泣くと彼氏君? が心配するぞ! な?」

 彼はハンカチで涙を拭いてくれる。青くなって慌てている姿に、あたしは少し勇気づけられた。

「ドラゴンの私物のハンカチってみんないい香りするんだね」

「……嬉しくない誉め言葉だ」

 彼はまた呆れた顔になってハンカチを引っ込める。

 その瞬間、紫色の強い光があたしたちを照らす。そしてさっき歩いてきた通路の方から熱風が押し寄せた。ショッピングモールがサウナに変わってしまったみたいに暑くなる。

 別に我慢できないほどではない。でもあたしたちは今、ロランから百フィート近く離れている。なのにこんなに熱いなんて明らかに異常だ。

 彼は吹き抜けの方を眺められる位置まで前進した。あたしもついて行って見渡す。

「竜化したか……」

 彼は苦々しく呟いた。その声に内臓が持ち上がったみたいな嫌な感覚が湧く。

 ――そこには黒っぽい紫色の鷲がいた。

 ロランはいつの間にか店から通路に移動している。楽しそうに笑いながら、キャンピングカーくらいある巨体で装飾なんかをはねのけながら歩いていた。体はあらゆる紫を網羅したみたいなグラデーションだ。羽の隙間からは黄金色の薄い結晶が顔を出していて、それぞれが木の枝みたいに分かれて広がっている。

 ロランは羽根を整えるみたいにばさばさと三回羽ばたく。翼だけじゃなくて頭のあたりや尾羽にも結晶が生えていて、それがぶつかると蝋燭同士が当たるみたいな鈍い音がした。

 すごく綺麗。だけど恐ろしくもある。

 金色の結晶は融けて雫になり床に落ちる。粒はロランの体から離れるなりすぐに青紫色に燃え上がった。しかも結晶は有限じゃなくて、何度も生え変わりながら炎を拡げていく。

「あの時見た姿と違う……」

「だろうな。『堕ちた』んだから」

 彼の言う『堕ちた』という言葉は重い。

 アイツからあたしを救ってくれたロランは、もっと淡い紫色だった。結晶はぼたぼた融け落ちてなかったし、羽もあんなに逆立ってなかった。

 いよいよロランは発狂して暴れるだけの存在になってしまったんだ。

「とりあえず何かの縁だ。逃げるなら護衛はしてやるよ。お前くらいなら負担にならない」

 彼はロランの様子を確かめると、別の棟に向かって歩き出す。

「待って」

 あたしは無理矢理彼の腕を引っ張って止めた。少し引きずられたけど、彼は渋々足を止める。

「何だ?」

 彼とばっちり目が合う。その瞳はロランと一緒で、鮮やかな魔力の色に染まっていた。

 やっぱり『スズランの手記』に出てくる人と似ている。

 銀髪に、緑がかった明るいブルーの瞳。ドラゴンに成ったときの年齢は十九。男性にしては高く、淀みのない声。

 あの物語にはそう書かれていた。そして今目の前にいる彼を形容する言葉も、きっと似たようなものになる。特徴は怖いくらいに一致していた。

「あんた、アルマス・ヴァルコイネンでしょ」

 彼は肩をすくめる。肯定とも否定とも取れない曖昧な返事だ。それでやり過ごそうって魂胆らしい。

「じゃあいいや。アルマスって呼ぶね。ロランに勝てそう?」

「随分強引なんだな。そこは勝手にしろ。……だがまあ、彼とサシで戦って負ける気はしない。じゃなきゃ護衛をするなんて言わないさ」

 世紀のヴィランかもしれない彼の言葉であれ、それが今は素直に嬉しい。口調と雰囲気が合ってないからあんまりカッコよくはないけど、嘘は死んでも言わなそうだから頼もしい。

 あたしがお礼に肩を叩くと彼は目を逸らして問いかける。

「まあ何だ、そうやって尋ねるからには言いたいことがあるんだろう? 言ってみろ。しょうがないから俺にできることなら協力してやる」

 あたしの胸にあるのは、本来あってはならない大それた願いだ。人を傷つける恐れのあるドラゴンを野放しにするのは、本当ならあっちゃいけないこと。しかもあたし一人ではどうにも実現できそうにない。

 でもあたしはロランの傍にいたい。

 だからあたしは誰に縋ってでもこの願いを叶えなきゃいけない。それが通りすがりの反社会的人物だろうが、邪悪な黒いドラゴンだろうが。

「望むなら口に出して願えばいい。何の代償もなしに助かろうなんて虫のいい話はこの世界には無いんだからな」

「代償? いいよ。あたしにできる範疇ならいくらでも対価払うから」

 腹は括った。

 ロランにあの時のお返しをするなら、今しかない。

「本当のところあんたが何者なのかは知らない。それにどうお願いしたらいいのか、状況を把握しきれていないからわかんないの」

「俺が何者かなんてお察しだろ? 想像にお任せする。それとこういうのは俺の領分だ。お前が願うのは、彼をどうしたいのか。それだけでいい」

「じゃあ」

 彼はちょっと寂しそうに笑いかける。そんな彼に、あたしは強く願った。

「ロランを元に戻して、今まで通りに過ごしていきたい。そのために必要なことがあるなら何だってする。だって、ロランもそうしてくれたから」

「背負うには随分と重いぞ、彼は」

 彼は念を押す。視線の先にはあたしの何倍も大きいロランがいる。彼の言う通り、超重そう。

「確かにあたしがおんぶするには大きすぎるかも。でも、きっとあたしだけが背負うことはないから。二人三脚上等」

 恥ずかしくなるくらい完全な虚勢だ。

 だけどあたしはシェリル・キングストン。

 あたしが口に出した以上、絶対に実現する。

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