#1 方略 Ⅲ

 あたし――シェリル・キングストンは生涯二人目の彼氏とのデートに来ていた。

 一人目は……、何の不満もないどころかスッゴイ良い奴だったけど色々あって別れた。

 今日は新しい彼氏との五回目のデート。

 二人目はその「色々あって別れる」原因になった男子だ。一人目に勝るところといえば顔と財力と、土壇場での勇気くらいだ。これだけ並べるとメチャクチャ優良物件に見えてくるけど、実際そんないいもんじゃない。

 たとえば財力。

 とんでもない金額を軽々と出すので見ているこっちは気が気じゃない。きっと請求しようなんて気はさらさらないし、そもそも彼にとってはスナック菓子一袋奢るくらいの感覚なんだけど、そんな気軽にブランドバックをプレゼントされてもちょっと引く。もうちょっと努力して贈ってくれた方があたしだって嬉しい。というかふざけてねだってみただけなのに、名家ってレベル違い過ぎて怖い。

 それに、顔も色香ある超美男子だけどやっぱ人間顔だけじゃない。

 まず服がやばい。いっつもサイズのあってないジャケットとかスラックスとかばっかり着ている。しかも地味。絶対ブランドものの高い服だけど、着方がおかしいから凄くダサい。

 顔も良し悪しとは別のところでやばい。造形のいい顔が常に隠れていて見えないから。総合学校の一年生の時から同じ学校に通っているあたしでも、まともに顔を見たのは近所のスポーツクラブでプールに入っている時くらいしか見たことない。液晶画面を見ていないときでもブルーライトカットの眼鏡をかけているし、前髪が長すぎて目玉があるのかさえ分からない。赤毛は目を引くし綺麗だ。猫毛も好き。けどストレートに近い天然パーマは、身なりに無頓着な彼には向かない毛質だと思う。ワックスなんて使わないうえに髪が長いから全体的にもさっとしているし、ブラッシングしても整えきれなかった寝ぐせみたい。

 そして何より性格に難あり。あたしが思う中でこれが一番致命的。

 とにかく彼は根暗。冗談も通じない。興味のない話は全スルー。卑屈に卑屈を混ぜて卑屈を絞り出したくらい卑屈。彼はあたしが学校で挨拶してもちょっと会釈するだけで逃げていく。そのくせ理系の授業の時だけは生き生きしている。彼はお気に入りの授業のときだけ、穏やかな甘い美声で聞いてもいない正答をべらべら喋り出す。ただし暗くて早口だから人気はない。誰だって小難しい理論なんかより、明るい声色で愛の言葉をささやいてほしいと思っているはず。でも彼は自分に親しみやすさなんて求めてない。

 しかも一番大きな欠点はキレること。

 大体怒っていてもそれは自分の中に向かっていくタイプだから、別に殴られるとかそんな心配はない。けど彼はトラウマに触れる方法で攻撃されたとき抑制が効かなくなるみたいだった。いつもは喧嘩しないのに運動神経は悪くないし加減もしないから、ある事件のときには相手に重傷を負わせた。悪い人じゃないって分かっているけど、彼が唇を噛み締める姿にビビるときもある。

 でもあたしが彼に告白したのには何よりも大きな理由がある。欠点なんて乗り越えてやろうと思えるくらいおっきい理由がある。

 彼は助けてくれた。大騒動の中、暴力を振るわれたあたしを庇ってくれた。

 彼は偶然居合わせただけの傍観者だ。当事者はあたしとと、強いて言えば元カレだった。容赦なく魔法で攻撃してくるアイツと泣き喚くあたしの間に割って入った影を見て、元カレが助けに来てくれたんだ、って直感した。

 でも吹き飛ばされて命も危うくなるくらいの血を流して倒れたのは、ろくに話したこともないような同級生だった。それが今の根暗な彼氏。

 あたしの親友の呼びかけに返事できないくらいの怪我をしていて、でもあたしはアイツに攻撃されたままで――本当にパニックになりそうだった。彼にはあたしを助ける義理も、何なら怪我のせいで意識だってほとんどなかったはず。一度は助けに来てくれたけど、もう二度目はないと思った。

 なのに彼は願った。

 彼は全身血だらけであたしの横に立つ。一瞬合った目は子どもの時に見たグリーンではなくて、魔力が放つ鮮やかな紫色に変わっていた。彼はゆったりと足を踏み出して、耳元で呟いた。

「僕は理不尽が許せないんです」と。

 あたしは隣で体を光の糸へと解いた彼の姿を覚えている。彼は巨大なわしのような姿になり、アイツの魔法を淡い紫の翼で打ち払う。

 彼はドラゴンになった。それも親しくもないあたしのために。

 アイツが彼にやられて気絶する形で騒動は収まった。あたしも彼も、嬉しくないけどアイツも退院して、彼とアイツの家同士の裁判で彼の家が勝って。

 ――近くで彼のことを見ていて責任を感じないほど、あたしは図々しくなれなかった。

 だから大騒動がひと段落したとき、あたしは元カレを振って彼に告った。最初は「二人だけでカフェに行かない?」って誘った。でも彼は究極にニブいから「僕と行く必要ありますか?」なんて首をかしげていてお話にならない。だからあたしは言葉を変える。

「どうしてもお礼がしたいんだ。これからずっと一緒に居るっていうのはどう?」

 流石に彼もあたしの意図を察したみたいで、それでも受け入れるつもりはなかったらしい。腹立つけど「まずは友達あたりからはじめませんか?」なんて正論を吐いてあたしの告白を断った。

 でもあたしは諦めない。彼には散々迷惑をかけたから、既成事実を作って無理やり付き合って、優しい美人に一生愛される幸福を味わわせてやる。

 ちなみに、あたしを持ち上げようとしないところと、ふとした瞬間に見せる笑顔を好きになっちゃったのは秘密。だってきっかけがなきゃ彼の良いところに気づけなかったなんて、学園の天使にとって汚点だもん。

 その二人目の彼氏の名前はロラン・D・アグノエル。

 ついでに言うと、彼は普段ローレント・D・ハーグナウアーを名乗っている。けどご先祖様の出身地ではロラン・D・アグノエルと発音するらしくて、親しい人にはロランと呼んでもらいたいと言われた。

 ただしそう頼んできたのはロラン本人じゃなくてロランのお父さんだ。どんだけあたしと関わりたくないんだよ。そんなに避けたくなるほどあたしのこと嫌いなの?

 だから今日のこれはデート。気のない相手と休日に二人きりなんてありえないから、ロランは友達とかほざいているけど絶対にデートだ。服選びにもメイクにもいつもの三倍は時間掛けた。そのせいで家を出る時間を読み誤ったけど、映画にはなんとか間に合ったし結果オーライ。欲のないロランだってきっと今日こそは男の子らしい積極性を見せてくれるはず。そのためにあたしの気持ちを匂わせる内容の映画をセレクトした。……伝わるかどうかすごく不安だけど。

 ――案の定、あたしの予想は的中した。あんなに熱くて感動的な愛だったのに、めちゃくちゃ泣ける映画だったのに、ロランは少し不満そうに無表情を浮かべている。口元しかわからないけど映画への肯定的な思いは伝わってこない。

 なら別の方法で匂わせてやる。

 でもロランは手強い。

 ロランはあたしの涙を見て、そのうえ袖掴みを食らっているのに微動だにしなかった。

 あたしはチェック柄のだぼだぼのジャケットを少しだけ、確かな強さで掴んでいる。それは間違いない。なのに彼氏に甘えているというより、自力で立てないから若者の手を借りているおばあちゃんみたい。自分でそう感じるくらいだから周りから見たらもっとかも。あたしのこの猛攻を受けてあたしに恥を返すのはロラン・D・アグノエルこと根暗眼鏡ナード野郎だけだ。

 あたしは腹いせに涙を袖で拭いてやる。でも変化といえばちょっと生地が濡れたくらいで、肝心の顔の方は相変わらず彫刻みたいに固定。

 女の子の、しかも学園女王とか言われちゃっている女の子の顔が自分の服の袖にくっついたんだぞ? 何で反応しないの? ばかじゃないの?

「ねえ、ティッシュ」

 ロランは召使いを極めている。無言でティッシュを差し出して、同時に高級そうなハンカチまで取り出す始末。対等に見られてないみたいでむかつく。

 あたしは鼻をかんだ後のティッシュを召使いぶっているロランに渡した。

「ロラン、ほんとごめん」

「そう思うならゴミぐらいは自分で捨ててよ……」

 ロランはため息交じりに答えるが断らない。嫌だって言えよ。あたしは「自分で行け」って言ってほしかった。理不尽なことが嫌いなら、あたしと対等な場所まで上がってくればいいのに。

 こうなったら嫌がらせしてやる。

 あたしは手渡されたハンカチで鼻をかむ。ここまでやればロランだって怒るはず。

学園女王カーストの頂点とかナード底辺とか関係なかったね。意地悪してごめんね」

 と上目遣いにロランを見る。ロランは少しづつ心を開いて――

 ここまでがあたしの計画。

 でもロランは怒らない。

「シェリ、ちょ……、――まあいいけど……」

 いいのかよ! よくないでしょ! あんたのせいであたしの計画はご破算なの!

 あたしはロランの手の中にそびえるティッシュの山に、ハンカチを投げつけることにする。でもそれだけでは報復として足りない。

「はー! ほんといい映画だった! 特に主人公がヒロインを無理やり押し倒したり強引にキスしたりが超よかった!」

「僕には棒読みの役者二人が転がっているだけ――痛い痛いっ……!」

 なんであんたはいっつもそうなの⁉

 あたしがどれだけアピールしているのかも気づかずロランは文句を言う。折角いい雰囲気になりそうだったのについロランの腕を極めてしまう。

「やめ、やめてよ! 痛いって……!」

 そんなこと知らないもん。絶対放さないからな。

 するとロランはいよいよ限界に達したのか、お決まりの言葉を口にする。

「シェ、シェリル! レストルームぐらい行かせて……!」

 ロランは耐え難いことがあると必ずそう言ってレストルームに逃げ込む。学校でのことを考えると無理もないかもしれない。でもこの癖は直した方が良い。

 ただ無理やり引きとめるわけにもいかない。あたしには全然理解できないけど、ロランにとっては荒療治するような問題ではないんだろう。

 あたしはレストルームの入口でロランを待つ。微かに水の音が聞こえてくるってことは個室には入ってないみたい。続いて風の音が聞こえてきた。

 ――思ったより長い。もしかしたらあたしが揶揄からかったせいで泣いているのかも。だとしたら少し申し訳なくなる。

 あたしは居ても立っても居られなくなった。ロランの様子が知りたいから馬鹿っぽく呼びかけてみることにする。

「……ロランまだー?」

 いつも通りロランからの返事はない。その代わりに風の噴き出す音は止んだ。革靴の硬い足音がして、ひょろダサい男子が出てきた。

「大丈夫?」

あたしの言葉にロランは口を引き結ぶ。ジッパーを閉めたみたいにぎゅっと力を込めてあたしから顔をそむけた。仕方ない。何も言いたくないんでしょ? なら話題を変えてやればいい。とはいえ、ロランが食いつく話題なんて全く思い浮かばない。これもまた、仕方ない。

「さっきはありがとね。にしてもハンカチとティッシュを常に持ち歩いているなんてお母さんみたい」

 あたしはロランにお礼を言う。ロランが感じ悪いから、学年の半分以上をヨユーでオトせる微笑み付き。これならロランだってしどろもどろになって頬を赤らめるくらいするはず。

 なのにロランの顔は一っつも変わらない。なにが「次出かけるときはハンカチとティッシュを忘れないでね」だ。むかつく。

 もういい。ここで言い合いをしても仕方ない。あたしは譲り合いの精神に満ち満ちた女なんだから譲歩しよう。これ以上ロランに突っかかっても可哀想になるだけだし。

「ロラン。服見たい、服!」

「……いいよ。気に入ったのがあったら言って。買うから」

「ほんと⁉ じゃあおそろいの服選ぶ! ロランも好きな服探してね」

 あたしはさりげなく体を密着させてロランの腕を優しく包む。頭一つ分高いところにある顔を見上げれば、長い前髪の間からちらっと紫色の瞳が見えた。

 なんだろう、いつもより魔力の光が強いかも。普段からロランの目は鮮やかな青紫色をしているけど、今日は一段と強くて激しい色をしている。唇を噛むのもロランの感情が臨界に達している証。

 まずいかも。またあの時・・・みたいに爆発する。どうにかしてロランの気を紛らわせなきゃ。

「ロラン! あそこのお店行こ!」

 あたしはロランを強引に引っ張って店に入った。焦って手近なロングシャツを手に取る。

「ねえ、こんな服どう? お揃いにできそうじゃない?」

 でもそれは悪手だった。

 ロランは唇を一層強く噛み締めて、震える声で答える。

「……そうかな? シェリルの趣味に合うのを選びなよ」

 ――直後、ロランは襟を握りしめて床に膝をついた。

 やばい。また堕ちる。

 店先で座り込んだロランに、通りかかった人や店員さんが不審に思って近づいてきた。

「駄目、来ないで! ロランはドラゴンなの!」

 呻きながら肩で荒く息をしているロランを見て、みんな最悪の光景が浮かんだんだろう。店員さんはバックヤードに引っ込んだ。他の買い物客も一目散に逃げだす。

「ロラン! ねえ、ロラン! 踏ん張って! あたしが困らせちゃったなら謝るから!」

 あたしが揺さぶっても、ロランは苦しそうに胸を押さえるばかりで全然返事をしてくれない。

 それだけならまだ救いがあるのに、状況は悪い方へと進んでいった。青紫色の火の粉が漂い始めて、ロランの周りの床が温かくなっていく。ロランの体は白い光の糸へとほどけ始めていた。

 やっぱりあたしが傍にいるのがいけないのかも。前回も、今回も。あたしが声を掛けたのがきっかけで堕ちた。ロランは何も言ってくれない。心を打ち明けてくれない。けどずっと我慢していた。

 言ってくれれば良かったのに。

「……ロランのばか」

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは‼」

 あたしの呟きはロランの狂った笑いにかき消される。


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