#3 メッセージ Ⅲ

 赤髪の青年は対面のソファに行儀よく腰掛けてエスプレッソコーヒーを飲み干した。大きな窓から差す逆光の中で軽く唇を舐める彼は神々しい――が、怪しさ満点だ。

 空調の低く唸る声にコーヒーカップを置く音を重ね、彼は視線を上げる。

「――そうでしたか。ご学友と仲違いさせたままにならなかったのは幸いです」

 私の話を聞き終えた彼は形式的な文句を並べ、コーヒーを淹れに行く。その色艶ある所作は目に毒だ。

 客員教授ノエ・シュバリエ――もといローレント・D・ハーグナウアーは、ミルクだの砂糖だのを持って戻ってきた。私が一向にエスプレッソコーヒーに手を付けないからだ。彼は少なめに淹れたコーヒーに鮮やかな手つきでミルクを注ぎ込んで、葉っぱのような柄を作る。そしてその器を私の方へ滑らせた。いかにも高尚なセンスがほとばしっている。

 しかし目はどうしてもコーヒーではなくテーブルの方へ吸い込まれてしまう。硝子の天板を乗せたローテーブルの中には、色とりどりに輝く魔石や古びた魔法陣が飾らている。明らかに、今の時代の技術ではない。

 するとハーグナウアーさんは私の心を読んだのか、わずかに頬を緩ませる。

「心配なさらずに。教授お手製の幻影です。本物はアルマスが厳重にしまい込んでいますよ」

「またそんなことに高度な技術を……」

「ここは客間、研究室の顔とも呼べる場所です。どんな場所か理解してもらうにはパフォーマンスも必要でしょう。アルマスのいる研究室に足を運ぶなんて、特別な理由がない限りあり得ませんからね。一種のもてなしというわけです」

 やはりここはアルマス・ヴァルコイネンの居城なのだ。ネームプレートには見覚えのない名が掲げられていたが、きっと偽名なのだろう。

 ハーグナウアーさんは指の腹でテーブルを叩く。そして流れるように手を持ち上げると周囲を指した。

「この本もパフォーマンスの一つです。中は白紙ですが、ちょっとしたギミックがありましてね。ちなみにこれは僕の管轄です。何故かアルマスからはそう明言するように言われています」

「……ああー、理解しました」

 狂気を感じるほど整然と並べられた背表紙に、アルマスさんの意図を察する。私が彼とともに両壁の本棚を眺めている間にもそれは実感できた。彼は突然立ち上がり、優雅に本棚に歩み寄る。

「……ハーグナウアーさーん、何してるんですかー?」

「ああ、失礼しました。本がずれていたので」

「ちなみにどれくらい?」

「……二ミリほど」

 だろうな。私の位置からはまっすぐな隊列を組む本しか見えなかった。二ミリは誤差だ。

 彼は居心地が悪くなったのか怖いくらいの笑顔でソファに戻ってくる。そして私に当たり障りのない話題を振った。

「イーリスさんは何故こちらに?」

 大胆な、というか雑な切り出しだ。

「ああ、まずはハーグナウアーさんからちょっとずつお話を聞けたらと思って来たんです。連絡手段がないもので、ハーグナウアーさんの偽名を出して大学の事務の方に案内してもらいました」

「相変わらず非常に行動的だ。しかし……、そういえばこの前言いかけていましたね。僕とアルマスが何故知り合ったのか、と。余程興味をひかれたようだ」

「はい。右腕とか腹心とか呼ばれるくらいなので、特別な出会いでもあったのかなと。アルマスもあなたのことが好きだと言ってましたし」

 私が補足すると彼は目を見開いた。スラックスに包まれた長い足を組んで珍しく苦笑する。普段の妖艶でミステリアスな雰囲気は薄れ、同年代の男子みたいな無邪気さが覗いた。彼は左手の指輪を弄りながら革張りの背もたれに体を沈める。

「その食いつき方、なんだかシェリルが思い出されます。……いいですよ。少し長くなりますがお話しましょう。ただしまた後で。もうそろそろアルマスの用事も終わります」

 彼は私から目を逸らす。部屋の奥、洒落た木製のパーテーションパネルの先で開錠の音がした。聞きなれた少年のような美声と、男性と女性の声が、部屋から溢れる。

「ハーグナウアーさん、また後日よろしくお願いします。でもとんでもない情報量を詰め込まれそうだなぁ」

「ちなみに電子機器を用いた記録の一切を許しませんから。覚悟しておいてください」

「うへぇ……。それどうやって記録しろと?」

 彼は右手でペンを持つ形を作って「手書き」と囁く。憎たらしいほどの色気だ。

「嫌だな……。手間が……」

「――でもロランの提案は合理的だぞ?」

 ハーグナウアーさんの背後から現れたのは穏やかな風貌の男性だ。白銀の髪を少し長めに切り揃え、まさに少年と青年の境にいるような人である。彼はタブレット端末をローテーブルに投げ出し、ハーグナウアーさんの隣に腰を下ろす。

「電子機器はメンテナンスが必要なのと、寿命の問題があるのとで少々使い勝手が悪い。情報漏洩も怖い。何より電源消失の事態に備えるとなればアナログが一番だ」

 そう言ってのけるのは二千年前からこの世界に生き続ける邪悪なドラゴン、アルマス・ヴァルコイネンである。

 彼は過去に二度ほど戦争を起こして電気を含む全インフラを破壊し尽くし、文明レベルを数百年単位で巻き戻した前科がある。それを鑑みればこの上なく物騒な言い草だ。

「悪ぶってそういう言い方してもかっこよくないですよ。というか電源消失しないために頑張りましょうって話、この前しましたよね?」

「したな。だが努力することと並行して、三度目の可能性を想定することも必要だ。大それたことを成し遂げるつもりなら、その記録は戦争を乗り越えて残った方が良いだろう?」

 そうだけどそうじゃない。私は頬を膨らませて抗議するが、銀髪の爺さんも赤髪の爺さんも意地悪く笑うだけだ。

 と、そこへ見知らぬ男性が割って入る。年は私の幾つか上、大学生だろう。

「すんません。それ、俺やこいつが聞いていい話ですかね?」

 彼が親指で指したのは、ハーグナウアーさんほど鮮やかではないが赤髪の女性だ。無表情で彫刻のような美しさがある。彼女は隣に立つ男性のことをしばらく見つめると、平たい口調で返した。

「あんたのことは知らないけど、私はロラン爺様から色々聞かされてるから。心配なら出てけば?」

「マジでつれねぇよ。一人で出るの心細いから言ったのに」

「別に。ほら、帰りなよ」

 赤髪の女性は上着のポケットに突っ込んだ手でドアを示し、退出を促す。すげなくあしらわれた男性は泣く泣く部屋を出た。そんな彼にアルマスさんは声を掛ける。

「次のゼミではもうちょっと詰めて来いよー?」

 慰めるのかと思いきやただの追い打ちだ。男性はひどく落ち込んだ様子でドアを閉めた。アルマスさんは存外優しくない。

 赤髪の女性は男性を見送ったあと、私の方を向く。

「ねえ。もしロラン爺様と一人で会うの嫌だったら、私が一緒にいたげるよ」

「是非お願いしたいです」

 ハーグナウアーさんのことを爺様と呼ぶからには、彼女は親族だろうか。この家はエスパーだらけだ。

 赤髪の女性は軽やかに踵を返し部屋を出た。彼女を見送ってから、アルマスさんは話の続きに戻る。

「――で、もしイーリスが蒐集した記録を脳味噌以外の場所に保存したいなら、手伝えることがある」

「というか、手伝わせて頂いた方がこちらとしては安心です」

 ハーグナウアーさんは隣で足を組みかえ、アルマスさんの言葉に付け足す。電子機器云々と関係があるのだろうか。

「貴方が知りたがっていることは、漏洩しないよう厳重に管理されてきた情報です。貴方が然るべき立場に就き、然るべき影響力を持ったときはじめて公開を許可します。勿論、公開に踏み切るとして内容の確認はさせて頂きますよ」

 ハーグナウアーさんは何かを差し出すように右手を前に出す。何が起きるのかと見ていれば、軽く握った手の中にオーロラのような白い光が揺らめいて古びた手帳が現れた。私の前に突き出されたそれを受け取ると、使い込まれた革の艶が指先に伝わる。

「どうぞ、開いてみてください」

 私は恐る恐る手帳を開いた。しかし捲っても捲っても白紙。染みも日焼けもないさらな白紙が続く。

「……何も書いてないですね」

「そうでしょうね。それは二度目の大回帰を起こすときに使っていた手帳ですから。そう簡単に中身を見せたりしません」

「ちょっと! なんでそんなもん簡単に渡しちゃうんですか⁉」

 ハーグナウアーさんは呑気に微笑む。そして私の手から手帳をするりと抜き取った。

「場所はいつでも把握できるようになっています。というより、そもそも他人には読めないようになっていますし問題がないんですよ。それに――」

 そう言って手帳を閉じると、彼は瞳を紫色に発光させる。

 瞬間、手帳が爆発した。青紫色の炎をまとった紙片が空中で燃え尽き、灰さえもすぐに魔力の光となって消えていく。

「……はぁ?」

 ハーグナウアーさんは平然として手の中に燃え残ったものを見せる。薄い金属に宝石――いやきっと魔石だろう。装飾の石があしらわれた栞のような物だ。彼はそれをローテーブルに置き、自身の手のひらを押し付けた。そして再び瞳を紫色に輝かせる。

 手帳は強い光を伴って復元された。しっとりとした黒革の姿は、爆発する前に見た通りだ。

 アルマスさんは呆けている私に笑いかけた。

「盗まれても無くしてもいいように、他人に見られないように加工することは可能だ。というかこちらとしては紙に記録してほしいし、内容を隠蔽する加工をさせてほしい。一冊書き終えるまではいわゆる保存魔法はかけられないけどな。もしイーリスにやる気があるなら、それくらいは手伝おう」

「……いいんですか?」

「この期に及んで野暮なこと言うなよ。好きなノートを持ってくればいくらでも加工してやる」

 アルマスさんは大らかに目元を綻ばせる。


「――だって、イーリスは俺に希望を与えてくれるメッセンジャーなんだろ?」

 その言葉に、私は大きく頷いた。

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