#2 縷々 Ⅱ

 どうしてこうも歴史に名を残すような人物にホイホイ会えるのだろう。

 紹介されたから、というのも確かにある。だが恐らく紹介されなかったとしても簡単にコンタクトを取れたのではなかろうか。


 私は今大学図書館に来ている。一昨日ローレント・D・ハーグナウアーが、「お爺さんを慰めるために大学図書館に行け」と言ったからだ。

 それを聞いた時の私は、ローレント・D・ハーグナウアーが客員教授をしているくらいだから、お爺さん――アルマス・ヴァルコイネンも教授くらい任されていても不思議はないだろうと推察する。

 個室でこっそり本を読んでいるのではないだろうか。でないと、少なくとも現地学生からは愉快な噂の種にされる。『スズランの手記』にあまり親しんでいない留学生あたりは、あの美しい銀髪碧眼と顔面を噂の種にするだろう。街での彼を見ていれば、多種多様な視線を向けられる様子が容易に想像できる。彼だって、衆目の中読書をするのは嫌だろう。

 であれば、私が取る行動は一つだ。

 入口にあるカウンターで職員を呼び、ローレント・D・ハーグナウアーの偽名を出して訪ねる。

 あの銀髪の御仁がどこにいるのか、と。

 すると応対してくれた女性職員はついて来いとジェスチャーをする。後を追って二階へ向かうと、彼女はすっと前方を指差し、そしてカウンターに戻っていった。

 彼女の指し示す先、開放感のある談話スペースを見渡す。

「――いや、ここにいんのかよ」

 外を見渡せる大きなガラス窓に面したカウンター席。几帳面に本や電子書籍が並べられているその中心で、彼は突っ伏して寝ていた。カウンターチェアで寝たら椅子から落ちそうなものだが、彼は寝相が良いらしく危なっかしさはない。しかし、こんなところで眠ったら成果物が盗まれそうに思えるが――なるほど。

「無駄に高度な技術を……」

 近づいてカウンター上に広げられたノートや資料を覗き込むが、白いクレヨンで塗りつぶしたみたいな靄が蠢いていて全く読み取れない。いわゆるロストテクノロジーだ。触れようとしても、手に伝わる感触はカウンター天板のすりガラスのもので資料には実体がない。指が本の中に没入するなんて、まるで幽霊にでもなった気分だ。

「てか、全然起きないし……」

 さんざん私物で遊んでやったのに一向に起きる気配がない。随分深いノンレム睡眠だ。

 一昨日の事件のこともあり私は面目ない気持ちでいっぱいだったので、極力優しく声を掛ける。

「アルマス・ヴァルコイネンさん? 少しお時間を頂いていいですか?」

 彼は微動だにしない。耳元で囁く程度では彼の目を覚まさせるには足りないらしかった。

 私は肩を少しつついてみる。だが彼は可愛らしい寝息を立てるばかりで応答しない。何だこのあざといおじいちゃんは。

 仕方がないので、声のボリュームを上げて肩を強く叩く。

「アルマス・ヴァルコイネンさん、起きてください。お話ししたいことがあるんです」

「――ふぁぁっ⁉ なに⁉」

 彼は飛び起き、なよなよした声で叫んだ。

 私の顔を見てようやく頭が覚醒したらしい。咳払いをして座り直す。

「……何だよ。お前、一昨日の女子高生だよな?」

「はい。そうです」

「言っとくが、俺はアルマス・ヴァルコイネンじゃないぞ」

「いえ、ハーグナウアーさんから聞いています。アルマス・ヴァルコイネンさんですよね」

「はぁ……。ロランやりやがったな」

 怒っているというより落ち込んでいるようで、刺々しい口調だが声に覇気がなかった。くまも酷く、目元がやや赤い。一昨日の騒ぎで相当に精神を摩耗しているのだろうか。

 私は勢いよく頭を下げる。

「一昨日は本当に申し訳ありませんでした……! 私が止められなかったばっかりに、あなたに辛い思いをさせてしまいました」

「……いいんだよ。別に大したことじゃない。顔を上げてくれ」

「でも……」

 私が改めて彼の顔を見ると彼は心底諦めたような表情を浮かべていて、それがひどくもどかしい。

「確かに辛いさ。でも、お前の友人が抱いているような思いを受け止めるのは、俺の義務だ。そこに異論はない」

 絞り出すような声だが、そこには決意があった。私にはそれを否定することはできない。

 だがここで終わってしまっては、あんまりにも彼にとって救いがない。

「だったら、あなたが助けた人間の思いも同じように受け止めてください……! 私は、五歳の時、あなたの住む森で遭難しました。寒くて、すごく怖かった。途中からはほとんど覚えていないけど、あなたが警察のところまで連れて行ってくれたんでしょう? 母から、警察にあなたが来て、しかも連れている子どもが私だったからかなり揉めたという話を聞きました」

「お前は……、あの時の女の子か。あれは厄介だったな。あの教会の関係者だと分かっていれば手出ししなかったのに」

「それでも弱りきった私に血を分け与え、最後まで私の身を案じてくれた」

 彼は突き放すように言うが、私は母から一部始終を聞いているのだ。

 摂取した者の傷を治し、体力を回復させることのできる彼の血。警察に着いてすぐ、自分の腕にナイフを押し当てて血を私に飲ませたという。ドラゴンは傷の治りが早いとはいえ、赤の他人のために自らを傷つけるなど簡単にできることではない。

「それは……。『彼の者の領域』なんて呼ばれている場所で子どもが死んだら面倒だからな。要らない争いが起きる。俺は火種に対処をしただけだ」

「あなたの抱く理由は言った通りなんでしょう。それでも私はあなたに救われた。あなたは私の恩人なんです。あなたがアルマス・ヴァルコイネンだからといって、その事実が揺らぐことはない」

「でも俺は――」

「私はこの街であなたのことを何度も見かけました。そのたびにあなたは誰かに優しくしていました。堕ちたドラゴンだったとしても、あなたがアルマス・ヴァルコイネンだったとしても、私はあなたのことを大切に思っています。他人につけられた肩書なんかじゃなく、あなたの行いそれ自体があなたを構成するものでしょう? あなたが救った私の命、そして思いを――あなたの行いを受け容れることはできませんか?」

 俯いた彼の表情は見ることができない。だが、震える肩が彼の感情を物語っている。

「――アルマスさん、ハグしてもいいですか?」

 返事は来ない。私は両手を広げ、椅子の上で震えている彼を包み込んだ。彼は怯えたように体を強張らせるが、拒否する様子はない。私が彼の背中をさすると、彼は徐々に受け容れ、私の背中に腕を回した。

「助けてくれてありがとうございました。おかげで今私は生きています。アルマスさんが救ってくれた命は、私の一番の宝物です」

 私は強く抱きしめる。彼は私の肩に顔を埋めて吐息を震わせた。ぱたぱたと涙が布を叩く音が聞こえる。

 ――このまましばらく彼を感じていよう。

 彼の心に思いを馳せ、私は決意を強めた。


「――悪かったな。流石に大人げなかった。だが心が軽くなったよ。ありがとう」

 だいぶ長いことハグをして彼もいくらか落ち着いたらしい。ローレント・D・ハーグナウアーがやっていたように、彼は空間にできた謎の歪みからティッシュペーパーを引き出して涙を拭く。使用済みのものも同様に、彼が投げ込む動作をすれば消えてなくなった。

「いいんじゃないですか? ドラゴンは見た目もそうですが、精神年齢も固定だと聞いたことがあります。そうやって考えると二つしか変わりませんよ? 全然大人に含まれないでしょう」

「精神年齢に関してはその通りだが、なめてんのか」

「人種、性別、年齢、そんなものは誰かの都合に合わせてカテゴライズされているに過ぎません。したがって、私は相手が誰だろうが一定以上の敬意は払いますし、逆に言えば過剰に敬ったりはしません。ご承知おきください」

 彼は呆れたといった顔をしているが、声には多少の生気が戻ってきた。泣き腫らしていてもどこか清々しい様子である。

 彼は大きなため息をつくと、「ちょっとそこ座れ」と言う。私の制服の、涙で濡れた場所に手を翳して彼は呟いた。

「――其を戻せパラウタ セ

 すると彼の瞳が碧く光り輝いた。涙の粒が布から空へ上昇しては消えていく。染みは時間を巻き戻すように縮小していき、最後にはまっさらな状態に戻った。

「おお……、すご」

「まあ何だ、元の状態にして返すのが道理だろう? お前相手なら通報もされないだろうし」

「優しいですね。やっぱり」

「……んん」

 慣れないのか、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめてそっぽを向く。そして話題を完全に挿げ替えた。

「――ところで、だ。ロランが紹介するくらいだから、お前の目的はお礼だけじゃないだろう。あいつはメリットとデメリットを病的なまでに勘定するからな。メリットのある何かを持ってきているはずだ」

 長年一緒にいると、息をするようにお互いが分かるようになるのだろう。病的という言葉に苦笑しながら私は答える。

「はい、私にはやりたいことがあります。そのためにあなたと一度お話ししなければならない。あなたにとってメリットになるとお約束はできません。ですがハーグナウアーさんからは及第点を貰いましたし、私自身、あなたに報いることができると思っています」

「そうか。じゃあ話してみろ」

「あなたが何のために罪を犯したのかを知りたい。そして『理由なき暴虐』というステレオタイプからあなたを解放したい。この街で日常的にあなたと接している人たちは、きっとあなたが理性的な人間であると知っている。けれど今のままでは集団の母数が少なすぎる。――だから、真実をたくさんの人に知ってほしい。その方があなたにとって生きやすいはずだから」

 私の思いを、彼は目を瞑って聞いていた。すべて聞き終えると慎重に言葉を紡いでいく。

「真実を……多くの人間が知ったとき、何が起きるか……。いや、そんな初歩的なことで躓いているようならロランが許さないだろう」

「私は、あなたの行動理由を知った人々の善意を信じます。本来、信じるだけでは駄目なのでしょう。しかし私は人間の本質に賭ける」

 私が言い切ると、彼は少し驚いた顔をして、にやりと口角を上げる。

「そうか。責任は重いぞ?」

「ええ。だからこそ行動を起こさなきゃいけない。思い立った『誰か』に与えられる使命ですよ、それは」

「その考え方、面白いな」

 彼はカウンターに肘をつき、ふわりと微笑む。

「ならまあ、その点はいいさ。どうしてもやりたいんだろう? お前は好きなように探ればいい。未来を転がしていくのは若者でなくちゃな。――だが確認しておきたい」

 彼は切ない表情になってガラスの向こうを眺める。私は彼の作り出した沈黙に身を委ねる。

「まず、俺は自分語りをするつもりはない。はっきりいって、語りたくなんてない」

「わかりました。無理にほじくりかえすつもりはありません。本当はあなたの口から聞きたいけど……。気が変わったらでいいです。永遠に気が変わらなくても構いませんし」

「ありがとう。それと――」

 彼は寂しそうに礼を言う。一つ深呼吸をして、それでやっと、無理矢理に言葉を押し出した。

「……お前は、俺のしたことが正義だと思うか?」

 彼は否定されるためにそう発言している。とはいえ、面と向かって正しくないと言われるのは辛いだろう。それでも彼は言い切った。私は彼の意図を汲んで――きっぱりと否定する。

「いいえ。あらゆる戦争は正義ではありません。あなたが戦争を起こしたうちの一人であるなら、あなたは戦犯です」

「よく言った。それが分かっていれば――」

「なにそこで終わらせようとしてるんですか?続きもちゃんとありますよ」

 彼は暗い顔で勝手に結論に達しようとするが、私がそれを看過するはずがないだろう。彼は間の抜けた表情で振り返った。

「あなたは戦犯です。同時に、罪を覚悟したうえで最善を尽くした善意の人です。違いますか?だったら、罪を背負い償う姿勢は評価されていいはずです。ハーグナウアーさんからは戦争の原因がなにやら物騒なものだったと聞いていますよ。正義か否かなんて単純な話じゃないんでしょう」

「だが俺にそんな――」

「もっと建設的な方法で過去を見ましょうよ。前回までがどうなのか知りませんが、三度目の戦争が起こらないための努力に、もっと世界中巻き込んでいいんじゃないですか? 一部の人間だけが苦しむなんて不公平です」

 彼は額に手を持っていく。そして熟考ののち、徐に口を開いた。

「はぁ……、物凄い熱量だな。何かを成し遂げるには丁度いい。俺の勘はよく当たるんだ。お前、そのうちなんかやらかすぞ」

「やらかすって、なんか嫌な響きだなぁ。でも納得しました?」

「残念だがその問いにイエス、ノーでは答えられないな。まあ、好きなように、存分にやれ。俺は文句は言わん」

 私は喜びのあまり飛び上がる。彼は必死になって私を制止した。

「喜ぶのはいいが、ちょっとは環境を考えろ! ここ図書館だぞ!」

「女子高生に抱き着いて泣いてた人に言われたくありません」

「なっ! おま――」

 彼はこの期に及んで私のことを「お前」なんて呼ぶのだ。

 私は意地悪く笑って、彼に名乗った。


「お前じゃありませんよ。私はイーリス・ポルクネン。あなたの過去を世に広めるメッセンジャーです!」

 それを聞いて彼は困ったように微笑む。

 私は確信した。この優しい笑顔こそが彼の真の姿なのだ。


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