The Pillow Book of Nagi April
The Pillow Book of Nagi 1
大学一年の冬、私は唐突に無職になった。
「凪ちゃん、ごめんねぇ。うち、店を畳むことになったんだわ。よって凪ちゃんは、クビ」
容赦ない言い方をしたのは、当時のアルバイト先の焼肉店の店主。
「そ、そんな」
一生懸命働いてきた。テスト明けで眠い日も、バイト先の先輩(お付き合いをして、別れた)とシフトが被って気まずい思いをしても。それでも、クビなのだ。店自体がなくなるのだから仕方がない、クビという言い方に語弊があるだけだ。
そういうわけで、また新たなアルバイト先を探さなければならないのだが、条件に合うバイトというのはなかなか見つからないものだ。あくまで大学生活優先。しかし時給は高い方がいい。――となると。
「そりゃあ凪、あれが良いんじゃないのか。家庭教師か塾講師」
地方大学の教授をしている父に電話で相談をすると、さも当たり前のように返事があった。
「だって凪、お前は勉強が得意なのだから。教育系のアルバイトを経験しないなんて、むしろ勿体無いことはないか?」
「まあ……そうなんだけど」
なんというか、「社会に出ている」感がないな、と思っていたのだった。学生として、長い年月を学校で過ごしてきた。そんな私が、教育機関でアルバイトをしたところで、何かを得られるというのか。
「いいか、凪。――教育だって、立派な仕事だ」
もちろん、教授をしている父に向かって、そんな野暮なことは言わなかったけれど、彼は何かを感じ取ったらしい。
「次世代を担う若手の教育は、社会貢献の一貫なんだ」
そういうわけで、今年の二月終わりから、私は家庭教師Do itという大手家庭教師斡旋会社に所属し、生徒を受け持っている。生徒の名前は、
定華さんと初めて出会ったときのことは、よく覚えている。家庭教師センター長の向井さんにつれられて、私は都内の某タワマンを訪れていた。
「はじめまして」
と挨拶をした定華さんの母親は、些か焦っている様子を見せた。
「あの、いきなりで本当に恐縮なのですが……娘がどういうわけか居なくて」
そう、定華さんは初回授業の日、姿を消してしまったのだ。
「おかしいな、つい五分ほど前まで自分の部屋にいたはずなのに……本当にごめんなさいね」
定華さんのお母様が言うとおり、先ほどまで家に居たのであれば、そう遠くには居ないはずだ。私たちは、家の中を捜索することにした。
定華さんの部屋。父親の書斎。両親の寝室。リビングにキッチン。ありとあらゆる場所を(主にお母様が)探したけれど、定華さんは見つからなかった。
「ごめんなさい、今日の分のお給料はきちんとお支払いしますので」
今日はもうお引き取りください、といった様子。
「本当によろしいんですか? もしかしたら、急な用事ができて外出せざるを得なかったのかも」
「……ちょっと変わった子なんです、定華は」
「と言いますと?」
「とにかく自由奔放なんです。――家庭教師だって、本人の希望でつけたんですけれど、もしかしたら直前になって嫌になってしまったのかも」
「……それなら、せっかくだし定時までは待ってみたいです」
自分の口からそんな言葉が飛び出すなんて、思ってもみなかった。――でも、普通の中学生は、自ら「家庭教師をつけたい」なんて絶対に言わない。たとえ一瞬の気まぐれだったとしても、彼女はたしかに私を必要としてくれていたはずなのだ。それなら、与えられた時間だけでも、せいぜい彼女と向き合ってみたいじゃないか。
「そう言ってくださるのはありがたいですけど……本当に、お気を遣わずに」
恐縮し切っている母親。そんなときだった。
「遅れてしまってごめんなさーい!」
ドアを勢い良く開け放つ少女。寒さで頬がほんのり赤くなり、制服から伸びる細い手足は心許なげだが、女の子らしい柔らかさが見てとれた。緩く巻かれたマフラーに埋もれそうなほど小さな顔は、整っている。艶やかなロングヘアは、ハーフアップに結われていた。
そう、その快活な美少女こそが、私の最初で最後の生徒、
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