第5話

あれからもう、五十年以上の時がたち、私は白髪のおばあちゃんになってしまいました。孫の修は、私のことをバッチャンと呼んでいます。


「バッチャン、なんで白髪を染めたの?」

宮崎旅行に出かける前に孫の修に聞かれました。この旅行の為に、私は髪を染めて、デパートで洋服を買ったのです。いつも忙しさにかまけておしゃれをしてこなかった私の変貌ぶりに、修は驚いたようです。


「死んだジッチャンにも見せてあげたいよ」


 私は修の言葉に答えられず、苦笑いしてしまいました。実は、あの方に会えるのではないかと密かに期待した私は、少しでも若く見せたくて、旅行を理由に努力したのです。


「そりゃあ、写真を沢山撮るんだから、綺麗に写りたいじゃないの」


 そう言ってごまかしました。それも理由の一つであることに違いないし、本当のことなんて絶対言えません。



 宮崎について昼食をとり、ハネムーンの時主人と見た唯一の観光地、鬼の洗濯板を見てからホテルの部屋に入りました。


 そこはあの日と同じホテルの特別室でした。今は改装され、当時とまったく同じというわけにはいきませんでしたが、美しい海岸がよく見える部屋でした。修はホテルの部屋を見て目を丸くし、すぐに写真を撮り始めて、ケータイで投稿したようです。

「私はホテルで休んでるから、海岸でも散歩しておいで。かわいい女の子に会えるかもしれないよ」

「バッチャンが疲れてるんなら、無理はさせられないなあ」

修は素直で優しい子なので、私の言うとおりにしてくれました。


 修がいる間、私はゆっくりと体を休めていましたが、心の中はソワソワしていました。出かけたのを確認すると、すぐに部屋中を探しました。手鏡。これが鍵となるはずです。が、どこを見ても手鏡はありませんでした。こんなこともあろうかと、念のため自分の手鏡を持ってきました。私はソファに背筋を伸ばして座り、祈るような気持ちで鏡に向かってあの言葉をかけました。


「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな。そ~っと会わせてくださいな。太郎く~ん」

 すると、なんと、あの時と同じように、鏡がモヤモヤと渦巻きはじめ、あの方が現れたのです。以前と変わらないままの若々しいお顔でした。そして、懐かしいあのお声が聞こえてきたのです。

「花江さん、お久しぶりです」

私はあまりのうれしさに、声より先に涙があふれてしまい、やっとの思いで発した声もふるえてしまいました。

「今まで何度あなたをお呼びしたことか……」

「知っています。花江さん。私もどんなに会いたかったか。鏡に手を置いてください。あの日と同じように」

その声は私の中にある芯を溶かしました。


 私は鏡の上に手を置きました。すると、やはりめまいがして、気が付くとそこは丘の上で、すぐそばには赤や緑で鮮やかに彩色された韓国風の美しい六角形の東屋がありました。

「ここは……?」

東屋は初めて見るもので、そばには赤松の木が生えていました。周りを見ると、美しい山並みが見え、景色を見下ろすと、集落や川がありました。それは、見たことがある風景でした。家の形は現代風になっていて、以前と変わっていましたが、山並みや川を見て、なんとなくあの時見た風景だとわかりました。

「工事してずいぶん様子が変わりましたが、前にあなたと訪れた丘です。またあなたに会えて本当にうれしい。あなたは今も変わらずとても美しい」

「何をおっしゃいます。もう、こんなにおばあちゃんになってしまいました。あなたはちっとも変わらず、あの時のままのお姿なのね」


 あの方はお若いままなので相変わらず素敵でした。私は老いた自分の姿を恥ずかしく思いました。

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