タクヤの悩み事 其の二

 目眩がする程暑かった夏が終わり、過ごしやすい季節になってきた。

 昼間は半袖で丁度いいのだが、夜になると流石に肌寒い。時折、二の腕を両手で擦る俺を尻目に、タクヤはちゃっかりと長袖のネルシャツに身を包んでいた。


 まさか、帰りがこんなに遅くなるとは思わなかった。寒い上に腹が減り過ぎて倒れてしまいそうだ。


 駅方面に続く国道沿いを二人で並んで歩いている。

 そこでタクヤの相談にのると約束したからだ。

 俺の大嫌いな恋愛相談というやつかと身構えていたが、歩き始めてすぐにタクヤが言った。


「たたない」


「………パードン?」


「うんとも、すんともいわない」


「君はあれだね。主語とかないんだね」


「わかるでしょ? たたなくなったんだ」


「それって、大変なことじゃない?」


「だから相談してんじゃん!」


 この世界には神様がいて、本来の用途ではない使い方をするやつに、天罰を与えるらしい。

 すごいな。オナニストは神様と闘うのか。


「落ち着け! いつからだ。いつから……ぐっ……ぐっ……だ、だめだ! 笑ってしまう!」


 そう言って、俺はひとしきり笑った。

 タクヤが神様と闘う場面を想像してしまったからだ。


 腹がよじれるぐらい笑った後、小さい声で「ごめんちゃい」と言った。タクヤは怒り心頭で俺を睨み付けている。


「コウタに相談するんじゃなかった」


「そう言うなって」


 もう笑わないように深呼吸して、タクヤの眉間だけをみる。だって目があったら、また笑っちゃうから。


 しかし、俺に相談されてもどうしようも出来ない問題だな。話すことで気持ちが楽になるのなら、いくらでも付き合ってやるけど。


「まあその、EDというやつか。たたなくなる病気だろ? お医者さん行ったら?」


 俺を見詰めるタクヤの視線を意識しながら、取り敢えず思い付いた言葉を吐く。


「まだ行きたくない」


 じゃあ、いつならいいんだよ? っと言いたくなるのをこらえて、俺はスマホを取り出した。

「ええっと。ED.EDっと」

 困ったときはネットで検索だ。

 大概の事は何かしら書いてある。


「なになに。身体的要因と心理的要因に別れるらしいな。最近身体の調子はどうなの?」


「いたって健康」


「だよねぇ~。じゃあストレスは?」


「とくにない」


「う~ん………。病院いこか?」


「コウタ。真剣に聞く気がないだろ?」


「いや、あるって! そうそう、いつからだ? いつから調子が悪いの?」


「ここ二~三日」


「なんやねん! まだそんなもんか!」


 正直がっかりした。

 この世の終わりのような顔をしているから、随分長いこと悩んでいるのかと思っていた。


「もうちょい様子みたら? たまたま調子悪いだけかもよ?」


 そこまで言って俺は、はっとする。

 こいつはプロなんだ。

 たまたまなんて、ある訳がないのだ。


 考えてみて欲しい。


 五年間。


 五年という長い歳月。

 雨の日も風の日も、暑い日も寒い日もあったろう。そんな長い歳月の中で、たった一日もかかさず、ただただ、愚直にやり続けた事柄が、貴方にはあるんですか!?


 僕にはありません!


 例え、やり続けていた事が自慰行為だったとしても! 雨だとか風だとか、メイン室内だから関係なかったとしても! 暑さとか寒さなんて、エアコンでどうにでもなっちゃったとしても!

 五年間やり続けた事柄が、貴女にはあるんですか!?


 僕にはありません!


「タクヤすまない。もうちょい真剣に考えるわ」


 タクヤにしてみれば、五年間積み上げてきた連勝記録がとまってしまったようなものだ。勝ち続ける為に彼は努力をしていたのだろう。

 だから「たまたま」なんて、あるはずがないのだ。


 スマホで検索を続けていると、それっぽい記事をみつける。絶対これだわと、たたない原因を見つけた気がした。


 ようするに。


 色々なオカズを食してきたタクヤは、全ての食材を食べ飽きてしまったのだ。

 調味料を変えてみたり、料理法を変えてみたりは毎日やっているはずである。それらをやり尽くしてしまって、もう何も感じなくなってしまったのではなかろうか。


「僕もそう思う」


 僕もそう思うって、答えでとるやないかい!

 タクヤがすかさず言ったので、グーで殴ってやろうかと思った。


「だからもう、引退するしかないのかな~とか、まじで思ってる」

 

 タクヤよ。そこまで思い詰めていたのか……。

 なんて短い選手生命なんだろう。

 某国のフィギュア選手のようだ。

 たぶんこれが、オナニストに出くわさない理由なんだろう。絶対的に数が少ないのだ。

 気の毒に思った俺は、色々と元気になってもらおうと、優しく接してみる。


「しばらくエロいものは一切見ないようにするのはどう? 少し間隔を空ければ、新鮮に感じるかもよ?」


「そうだね。それでも駄目なら病院いくよ」


「そうしろ。静ちゃんとの事もあるし……まあでも、焦ってもよくないか」


 しばらく無言で歩いていると、駅に辿り着いた。会話をしている時は、感じなかった肌寒さを思い出して身を震わす。別々のホームだから、改札で別れようとした時、タクヤが声をかけてきた。


「明日ひま?」


 明日は休日だった。


「暇だよ。とくに予定ない」


「最後に試したいことがある。そのジャンルは詳しくないから、コウタの力を借りたい。付き合ってよ」


「お前が知らなくて、俺が知ってるエロい事なんてあるのか?」


「エロってわけじゃない。ちょっと今までとは違う分野だ。頼むよ。何を揃えればいいのかも分からない」


「わかったわかった。付き合ってやる。明日は十時な。またここで」


「おう!」


 笑顔を残して、タクヤが階段に消えていく。

 もう前に歩き始めたと、俺は思った。

 この調子なら、放っておいても立ち上がるだろう。

心もアソコもだ。


 永遠のオナニスト。

 やっぱり、俺には真似できない。

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