第二十話 おこった! びー!!


「ゼラ!」


 目前の光景が信じられない。とっさに俺を守ろうとしたゼラの腕、褐色の肌の細い腕にスケルトンの飛ばした矢が刺さっている。


「カダール! だいじょぶ?」

「俺は無事だ!」

「カダール! だいじょぶ?」

「大丈夫だ! ゼラ、治癒を!」


 あっさりと、随分とあっさりと、ゼラの腕に矢が刺さる。右腕、手首と肘の中間、貫通した矢にゼラの腕から流れる赤い血が滴る。


「ゼラ? 防御が間に合わなかったのか?」


 魔術も弓矢も剣も槍も、魔法と糸で全て防ぎ、これまで全くの無傷のゼラ。それが咄嗟に俺を守ろうとしたら、腕に矢が刺さるなんて。俺というお荷物のせいか?

 動きの止まった今が好機と見たか、メイモント軍からまた遠距離攻撃の雨が来る。今はマズイ。

 ゼラは左手を振り、


「すー、ま! ちぃし!」


 宙に湧く水が半球状のドームとなり、俺達を守る。水は厚みを増して氷に変わり、外からの攻撃を防ぐ。

 今の内にゼラの手の手当てをしなければ。治癒の魔法を使うにも、矢は抜いた方がいい。ゼラの右手を取り矢を見る。鏃に毒は無さそうだ。


「ゼラ、暴れないでくれ」

「うー、いたーい。人の身体、脆い。皮膚、簡単に破れるー。いたー」


 なんだって? 人の身体が、脆い? 目に涙を浮かべて顔をしかめるゼラ、その腕には、矢が一本貫通している。見た目以上の怪力はあっても、触ってみれば柔らかい腕。皮膚は柔らかく、すべすべとしていて、暖かい。その腕にまるで人の肌のように、矢が、刺さる。


『進化種の進化とはより強い魔獣への変化。それがギカントディザスターウィドウからアルケニーになるというのは、魔力では強くなったのかもしれませんが、肉体は弱くなります』


 ルブセィラ女史が言っていた、ゼラの奇妙な進化。進化種として疑問に思うところ。

 ゼラが灰龍をやっつけた、そう聞いている。それを真実だろうとも感じる。だからアンデッドの軍勢くらいたいしたことは無いと、考えていた。

 だが、ゼラの言ったことを思い返せば、灰龍を倒したのは、進化前、ギカントディザスターウィドウのときだ。

 ゼラは、灰龍をやっつけて、食べて、ギカントディザスターウィドウからアルケニーに進化したと言っていた。その後、ゼラがアルケニーになってから俺と再会して、それから今まで、ゼラが本格的な戦闘をしたことは無い。

 今日がゼラがアルケニーになってからの、初の戦闘。今になって、やっとそのことに、気がついた。


『人の身体は弱く脆いのですよ、蜘蛛体ほどの頑丈さはありません。人間体という弱点を抱える進化、というのが謎です』


 上半身人間体という、脆い弱点を抱えたアルケニーになってから、ゼラはまともに戦ったことが、無い。

 ゼラの反応の速さと魔法でずっと無傷だった。だから、気がつかなかった。

 もしも、矢でも槍でも魔法でも、死角からゼラの頭にひとつでも当たったら? それは想像するだけで目の前が暗くなる。


「んぎー、いたた」

「!待てゼラ! 無理矢理引っ張るな」


 半泣きで左手で矢を掴み、刺さった右手から矢を抜こうとするゼラを止める。貫通したのを無理に抜くには鏃が邪魔だ。

 

「ゼラ! ちょっと我慢してくれ!」

「うー、ウン!」


 氷のドームの外からは、ガンガキゴン、と氷を砕こうとゾンビがスケルトンが攻撃しているらしい。白く濁った氷の壁の向こうはよく見えない。不気味な打撃音が周囲の氷の壁から聞こえてくる。

 

「ゼラ、少しこっちに身体を捻って」

「ウン!」


 俺は蜘蛛の背中に立ち、ゼラの腕を左の脇に挟み、左脇で固定、左手で矢の矢羽のところを掴む。右手のナイフで刺さった矢、返しのついた鏃の部分を切り落とす。ナイフが矢に当たった振動が腕の中に響いたようで、ゼラが、んあー、と泣き声を上げる。


「抜くぞ!」


 左手で矢羽のところを掴み、右手でゼラの手首を抑える。鏃の無くなった矢を引き抜くと、腕からゼラの血が飛沫しぶく。刺さった矢を抜くのは、腕や脚、肉の中を何かが抜ける感覚は、気持ちが悪い。覚えがある。目をぎゅっとつむるゼラ。

 抜けた矢を投げ捨てる。氷のドームにヒビが入る。外からの攻撃に耐えられなくなったか。


「矢が抜けたぞゼラ! 治癒の魔法を」

「ウン! なー」


 ゼラの左手の指が白く光り、右手のキズを治していく。ゼラの右手には赤い血が、その血も人と同じ赤。ゼラの、アルケニーの身体は、上半身は人のように脆い。それは、人になろうと、ゼラが人間になろうとした、歪な変化なのか? 俺が、人と魔獣は一緒にいられない、そう言ってしまったから、抱えた弱点なのか? これも、俺の為か? 俺のせいか? ゼラ、俺はゼラの何をこれまで見てきた? こんな戦場にヘルムも無しでゼラを突撃させてしまった。

 俺は、ゼラのことをちゃんと見ていなかったのか? 

 ゼラが俺を見る。俺が無事だと確認して、安心する目で。俺はゼラのように、ゼラのことを見ていたのか? これほど想われて、それを利用するようなことをして、それなのにゼラは自分の身が傷つくことも構わずに、俺を守る。罪悪感で、胸が痛い。後悔で過去の俺を殴りたい。


「ゼラ、腕は?」

「ン、痛かった」

「ゼラ、一旦戻ろう。もう充分だ」

「カダール……」

「ゼラひとりでかなりの数のアンデッドは潰した。戦果として充分だ。あとは王軍に任せよう」

「カダール、危なかった……」

「ゼラ?」

「カダール、危なかった!」


 ゼラは正面に向き直り、氷のドームの向こうを睨む。背中に乗る俺からはゼラの表情が見えなくなる。


「ゼラ? どうした?」


 尻の下、ゼラの下半身、黒蜘蛛の身体からキシキシと音がする。蜘蛛の体毛が軋むように硬くなる。なにか、得体のしれないなにかが、ゼラの身体から湧き上がるような。蜘蛛の身体がひとまわり大きく膨らんだような。ゼラの全身がプルプルと震えていて、これは、怒気か? ゼラが怒っているのか?

 暗く静かにゼラが呟く。


「……ゆるさない」

「ゼラ! 俺は無事だ、ゼラ?」

「めっさつ!!」


 これまで、困ったり泣いたりしょんぼりしたことはあっても、一度も怒ったことの無いゼラが、怒った。

 ゼラは両手を音高く打ち合わせる。その手を顔の前でクロスさせて、左右に大きく開く。


「まぁぐなー!!」


 ゼラの咆哮と共にゼラの周囲に赤紫の光が八つ、宙に浮き出る。ゼラの瞳の色に似た赤紫の光の球体は、人の頭ぐらいの大きさ。

 氷のドームに一際大きくヒビが入り、今まで俺達を守っていた氷の壁がついに崩れて、氷の破片が降り注ぐ。

 外は氷のドームを壊そうと集まったアンデッドの軍勢。堰を切ったように雪崩れてくる。


「ちむ!」


 ゼラが左手を振り上げて叫べば、八つの赤紫に光る球体から細い光線がアンデッドに向けて走り、赤紫の光線が当たったゾンビが、爆発した。

 これまで見たことも無いような魔術、いや、ゼラの本気の魔法か? 赤紫の光線が触れたところから小さな爆発が起きて、ゾンビがスケルトンが破裂する。肉の破片が骨の欠片が弾けて飛ぶ。


 ゼラの一騎駆けでかなりの数のアンデッドは潰した。それでも数は多く下位のゾンビとスケルトンばかりとはいえ、アンデッドだけで二万の軍勢。その五分の一はゼラが片付けたものの、残りはスピルードル王軍と戦っている。

 スピルードル王軍は柵を立て防戦の構え。柵に群がるアンデッドを銀の槍で屠り、浄化術師が呪詛を消して、アンデッドをもとの屍に戻していく。

 スピルードル王軍とメイモント軍は、アンデッドの軍勢という川を挟んで睨み合い、魔術を、弓矢を射ち合っている。

 俺とゼラが氷のドームに籠っている内に、かなり攻められていた。そこに八つの赤紫の目玉のような光の球体が、アンデッドの軍勢の中を飛び回る。赤紫の光線が走る度に、破裂して吹き飛ぶゾンビにスケルトン。どちらの軍も突然の未知の魔法に驚いて動きを止める。光線の数が増え、爆発する音が繋がり、振動が空気を伝わり肌を震わせる。肉片骨片が爆発して乱れ舞う、悪夢のような戦場。

 

「ゼラ? もういい、もう充分だ。一度戻ろう、ゼラ?」

「ふうー、る、る、る、る、るぬーっ!」

「ゼラ? ゼラー!」


 聞こえていないのか? ゼラは赤紫の光の球体を操りながら、手近のゾンビを蜘蛛の脚で蹴り飛ばし、スケルトンを蜘蛛の爪で引っ掛けて、近くのスケルトンに投げてぶつける。

 目につく動くもの全てに怒りをぶつけるような暴れ方。ゼラのブレストプレートの背中の取っ手を握り、振り落とされ無いように膝を着いた脚で踏ん張る。ゼラ、ゼラ、と呼び掛けても爆発の音、打撃の音がひどいのか、頭に血が上ったゼラには聞こえていないのか、暴れるゼラは止まらない。止められない。

 スピルードル王軍もメイモント軍も呆然と、アンデッドを蹴散らすゼラを恐怖の目で追う。


「あーしゅ!」


 ゼラの両手が目前の空間を抱いて潰すように、両手で圧縮するように力を入れる。ゼラの両手の間に光が生まれる。得体のしれない恐怖を感じる。これは、なにか、マズイ。


「ゼラ! 止まってくれ! ゼラ! もういい!」

「だーす! と、だーす!」

「ゼラ! やめろ!」


 ゼラが両の手のひらの間に生まれた光を、押し出すように手を前に突き出して、


「びー!!」


 ゼラの手から閃光が走り、視界が白で埋め尽くされた。

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