第九話 めがね、きらい!


 泣いてるゼラの頭を胸に抱いて、頭を撫でて背中をポンポンしてなんとか落ち着かせる。俺にしがみついて泣くゼラ、いったい何があったのか。


「えぐ、カダールー」

「よしよし、よーしよしよし」


 肋骨が痛む。これはヒビでも入ってるかもしれん。そこは我慢だ。俺は男だ。ヒックとしゃくり上げるゼラの涙を拭いてその目を見る。やっと泣き止んだ。……ゼラの泣いてる顔も、可愛い。いや、待て俺。そうじゃない。冷静になれ、この状況に対処しろ。現状を確認。

 今の俺はゼラに持ち上げられて抱き締められて、というか、ベアハッグでもされているような状態なんだが。


「エクアド、ルブセィラさんはどうだ?」

「たいしたことは無い。後頭部を打ってたんこぶができてるだけだ」

「いえいえ、たいしたことありますよ。私はこの頭が取り柄なんですから」


 手を伸ばしてゼラの背中をさすっている母上に聞いてみる。


「母上、何がありました?」

「何があったというか、止める間も無かったというか。ルブセィラさん。ゼラの嫌がることは慎むようにと厳命されていたのでは?」


 冷めた目でルブセィラ女史を見る母上。よろよろと立ち上がったルブセィラさんは片手で頭を抑えながら。


「すみません、つい。ですがこれも検査の内ですので」


 何が起きたのか説明してもらうために、俺とエクアドは再び倉庫の中へ。ゼラの胸を隠す為にエプロンをつけ直して。倉庫の中、椅子に座る。テーブルを挟んで正面にルブセィラ女史。罪人を囲むようにエクアドの部下がルブセィラ女史の周りに立つ。

 ゼラはすっかり警戒してしまったようで、俺の背中から離れない。ルブセィラ女史は王立魔獣研究院の優秀な魔術師ということで、俺はこれまで丁寧に話してはきたのだが。


「ではルブセィラ。弁明を訊こうか」

「えーと、いきなり裁判のようですね」

「ここではゼラを怒らせたり不機嫌にさせたりするようなやからは、ウィラーイン伯爵領、並びにスピルードル王国に破滅をもたらす可能性のある者として、拘束、監禁もやむ無しだ」

「それは解ります。検査の内とはいえやり過ぎたことには反省しております。ただ、何処までが許される範囲か、何処からがゼラさんが怒るのか、それが解らなかったことでして。今回の件を踏まえて今後はそのラインを越えないように注意しますので、どうかご容赦のほどを」


 ルブセィラ女史を見ると少しは反省してはいるようだが、


「いったいゼラに何をした? ゼラがここまで取り乱すところは見たことが無い。アルケニーの調査は必要でも、これではルブセィラを帰して、王立魔獣研究院から代わりを呼んだ方がいいかもしれん」


 きつめに言っておく。……椅子に座った俺の背中からゼラがひっついて、首に手を巻くように抱きついているので、凄んでもあまり様にはならんか。ルブセィラ女史は慌てて、


「それは困ります。それに私以外の偉ぶってるだけの年寄りなど、ものの役には立ちませんよ。女性研究者も少ないですし」

「ゼラを調べるには、女の方がいいか。他に女性研究者は?」

「なんと言えばいいのか、私の研究室が女ばかりと言うのはですね、これは身内の恥なんですが」


 ルブセィラ女史は薄く笑う。嘲笑うという感じだ。


「言うなれば私の研究室というのは、王立魔獣研究院のセクハラ被害の駆け込み処とでも言いますか、そういう役割でして」

「あんまり聞きたい話では無いが、なんだそれ?」

「男の年寄りが権力持てば、そうなるものでしょう。騎士団はよく律していられますね。これは私が人のこと言える立場に無いですが、研究以外に人との交流が無いと、ダメな人になるものですよ」

「それでは王立魔獣研究院はダメな人ばかりじゃないか」

「そうなんですよね、研究バカの集まりですし。優秀な研究者で、生きたアルケニーを怖れず、女であること。私が立候補してすぐに決まったのもそういう事情でして」


 ルブセィラ女史の後ろに立つ調査班の四人、ルブセィラの研究室の女性研究者は不安そうにルブセィラと俺を見ている。このルブセィラ女史の他にマシな候補はいないということか? まったく部下にセクハラとか、これが騎士団なら相手に腕を切り落とされているぞ。

 ルブセィラ女史は指で眼鏡の位置を直す。


「私が検査したことも含めて、今のところでアルケニーのゼラさんの解ったところを説明します。アルケニーについては、これまで上半身の人間部分は擬態であり、蜘蛛の体が本体でそちら側にオス、メスがある、という説がありますがゼラさんはこれに当てはまりません。ゼラさんは表情も豊かで人体部分の手も器用に扱います。ただの擬態にそんな機能は必要ありません」

「蜘蛛体が本体でそっちに頭が、という感じは無いか。これは観察というかこれまでゼラを見ていたこと、あとは魔獣と戦った経験からなんとなく感じる、というものだが」


 俺の言葉に続けて、俺の隣のエクアドがゼラを見ながら。


「ゼラとはじゃんけんもあやとりもできるし、蜘蛛の部分がゼラの意思で動いてて、蜘蛛体部分が人の上半身を動かしてるって感じはしないよな。反応見てるとそう思う」


 エクアドが手を振ると、ゼラは合わせて手を振る。じゃんけんぽん、あいこでしょっ。それをジッと見てるルブセィラ女史。


「そうなると奇妙なのです。進化種の進化とはより強い魔獣への変化。それがギカントディザスターウィドウからアルケニーになるというのは、魔力では強くなったのかもしれませんが、肉体は弱くなります。人の身体は弱く脆いのですよ、蜘蛛体ほどの頑丈さはありません。人間体という弱点を抱える進化、というのが謎です」


 母上が首を傾げる。


「謎でもなんでも無いでしょう。ゼラの目的は人への進化なのですから」

「そうなると進化種とはその身の行く末を己で選べるということに。これは生物として見れば異常です。腕を増やしたいから腕を生やす、などというトンデモ生物ですからね。そして、ゼラさんは人の上半身を持つアルケニーとなった。そこにはカダール様が大きく関わっています」

「俺が?」

「ゼラさんの右の前脚は一本欠けたままの七本脚。高い再生力を持ち高度な治癒の魔法が使えるゼラさんが、何故、欠けた脚を再生しないのか? これは再生しないのでは無くて、できないからです」


 ゼラの脚は七本。右の一番前の脚が一本欠けている。それは俺が子タラテクトのゼラを見つけたときからで、その後、別の蜘蛛の魔獣に進化しても七本足のままだった。ブラックウィドウのときも、ジャイアントウィドウのときも。


「ゼラさんが子タラテクトのときから、右の前足は失っていたと。ですがその後はカダール様を守る為に戦い、かなりの怪我をしたこともあると」

「あぁ、ゴブリンのときも、スワンプドラゴンのときも、ゼラは無傷という訳じゃない。地下迷宮のときは、スケルトンの槍でブラックウィドウの身体を刺されたのも見たことはある」


 俺の首に巻くゼラの手を撫でる。俺が窮地に落ちたとき、ゼラはけっこう無茶をしてきた。そんな話を今になって聞いて、ゼラには申し訳無いというか、なんだかいたたまれない気持ちになる。今、俺の頭に顎を乗せてるゼラは、無茶を無茶とも何とも思ってないのかもしれないが。


「だが、子タラテクトから次に進化してからは、どんな怪我も治るようになったとゼラから聞いているんだが」

「進化する魔獣の力に目覚めてからはそのようですね。そしてその前からの怪我、右の前一脚は再生しない。カダール様に会う前の欠損は再生できず、カダール様に会ってからはどんな怪我も治るようになった、ということになります。ゼラさんが進化する魔獣へと覚醒した件にはカダール様が関わっている、この可能性は高いでしょう」


 聞いてて怖くなる。俺はいったい何だ? まるで俺がただの人間では無いような、俺が魔獣を変質させる化け物のような。


「こうなるとカダール様の血を徹底的に調べなければなりませんし、このことを知る者は少ない方が良いのではないでしょうか。これを知られるとカダール様の血が狙われる事態の懸念があります。エクアド隊長にはこの件、外に洩れない方が良いと具申します」

 

 解った、と応えるエクアドの声がずいぶんと遠くから聞こえる気がする。不安を誤魔化すように首に回るゼラの手を握ると、ゼラは背中から、ぎゅ、と俺を包んでくれる。

 大丈夫だよ、と、安心させるように。

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