14話 極光




「……そっか」


 そう頷いて、アキホはゆっくりと窓から離れた。ゆっくりと廊下へとつながる扉へと向かう。


 これで互いに知りたかったことは伝え合った。共に在ることは出来なかったが、それでも意味のある会話だったと互いに感じている。背を向け立ち去ろうとするアキホに、後ろから優しい声が呼びかける。


「……長い時間拘束して済まなかった。君の歩む道に幸在らんことを」


「こちらこそ。明日からもよろしく」


「……それは出来ん相談だ」


「そっか」


 小さく笑うルークに手を振り、アキホは扉を開けて外へ出た。

 外に出ると、廊下の少し前で所在なさげに鞄を抱えてフィオが待っていた。


「あっ……」


「待っててくれたの?」


「はい……お話、終わったんですか?」


「終わったよ。よかったら途中まで一緒に帰ろっか」


「……っ!はいっ!」


 授業が終わってからずっと沈んだ顔をしていたフィオがようやく笑顔を見せた。

 そしてそのまま二人並んで帰ろうとした時、数名のクラスメイトとすれ違う。


「おっ、負け犬君じゃ~ん」


「負け戦の帰り道、おつかれさまでーす!」


 すれ違いざま投げかけられた雑音を無視してアキホは歩くが、隣を歩いていたフィオはそうは行かなかったらしい。思わず足を止めて彼女は後ろを振り返ってしまう。


「無様に降参したんだってなぁ?」


「自分であんな条件吹っ掛けておいてだっせぇなぁ!」


「もう少し考えて発言したら?サルでももっと考えて行動するわよ。まああの悪魔を庇う脳みそがそんな上等な思考回路を持っているわけないんだけど!」


 そしてクラスメイトも足を止めて、にやついた笑みでこちらを嘲笑わらっていた。


 あの教室では憎悪の象徴シルヴィアがいた。しかし今は彼女はいない。自分を介して彼女を貶めているわけではなく、アキホに直接暴言を吐いている。


 そうしてアキホは思い至る。これがルークの言っていただと。


 国の絶望を糧に生まれた魔物、王国への義憤や憎悪という流れに乗っているだけの、人を害する事が出来れば何でもいいという社会のどこにでもいる歪んだ悪意なのだと。


「っはは!顔に負け犬って書いてあるわ!」


「悪魔に付き添うだけあって惨めだな!もう学校なんて辞めて道端で物乞いしてた方が有益なんじゃねえの!?ぎゃはははは!!」


「おいなんか言ってみろよ。それともおつむが弱すぎて言葉が話せねぇのかなぁ!?」


 品性を掻いた笑い声が響き渡る。そういえば、あの教室でもこの集団はこの笑い声を上げていた。シルヴィアへの嘲笑を心から楽しむように笑っていたんだと、アキホは思い出す。


「あの……」


「お前達……」


 そして余りにも無礼極まりない物言いに、アキホ以外の二人が思わず非難しようと前のめりになる。


 フィオはともかく、ルークがここで非難すれば、彼のこれまでの我慢が無になってしまいかねない。自分のために怒ってくれるのは嬉しい事だが、それは阻止しないとまずい。


 フィオが食って掛かろうと自分のスカートの袖を掴み、教室の中からルークが声を掛けようと一歩踏み出した。それを何とか宥めようとアキホが歩み寄ろうとしたその時に、









 廊下の全てを白く染め尽くすような極光が、アキホの視界を薙ぎ払った。








「いい加減にしてもらえますか」


 思わず振り向くと、そこに立っていたのは一人の少女。肩に掛かる髪を小さく払い、いかにも不機嫌な顔を張り付けながら、鞄を持ったが白銀の髪を揺らして少し離れた位置に立っていた。


「たかが授業の模擬戦での敗北を無様とは笑わせてくれますね。授業に対する意気込みがずいぶん強いようで。ではこれから貴方が一戦負けるたびに、羞恥に転げまわるような渾名を考えてあげましょうか」


 光と錯覚したのは彼女の魔力だ。

 ともすればルークと同等ー――いや、明らかにそれ以上の圧倒的な魔力が未熟なアキホでさえも可視化され、焼けつくような極光を錯覚させている。


「それに彼の試合を見てその感想とは、よっぽど足元しか見えてないんですね。それなら貴方こそ騎士を目指すのをやめて、道端の小銭を拾っていた方がよほど有意義なのではありませんか?」


 その言葉はまるで隠そうともしない皮肉。

 自らに対して向けられる悪意の全てを受け流して無関心でいた彼女が今、明確な悪意を以てゆっくりとこちらに歩いてくる。


「その上サル呼ばわりですか。貴方の知るサルとは随分と素晴らしい知能を持っているようですね。あれほどの剣技を見せる彼以上のサルなんて、貴女程度よりは幾ばくか上等でしょう。どうですか、いっそこの学園に招待しては?」


「てめぇ………!」


 その不遜な態度に、見下している人間からの悪態にが鳴り散らそうとする一人の男。


 だが、彼の身体はどうしようもなく素直だ。

 彼女から溢れ出す抗う事すら馬鹿馬鹿しく思えるほどの魔力に体は固まり、喉が渇き言葉が発せず、足が震えて止まらないでいる。


「どうかしましたか、随分な怯え様で。謙虚な心持ちなんですね、負け犬の飼い主程度にそんなにも足を震わせて。まるで私の事を怖がっているみたい」


 馬鹿にするように微笑んでゆっくりと歩み寄るシルヴィアに、ついに三人は腰を抜かして地面にへたり込んだ。


 そんな彼らの前に着いたシルヴィアは、上から見下ろすように吐き捨てた。


「私に暴言を吐くくらいなら素直に教室の隅で怯えててあげます。多少の実害も涙を呑んで耐えることもやぶさかではありません。……ですが、彼のに付け上がって、関係ない彼を害するなら、窮鼠猫を噛むことを覚えておくことです」


 彼女は腰を曲げて尻もちをついた彼らに目線を合わせる。

 余りにも強い圧力に震え上がる三人に、有らんばかりの拒絶を以てシルヴィアは囁いた。


「目の前から今すぐ消えてください。……明日からは身の程を弁えて、彼の邪魔をしないように」


「っ!くそがぁっ!!」


 吐き捨てるような言葉を残して一人が我先に逃げ去り、それを追うように二人も姿を消す。廊下に残ったのは三人のみとなった。


 フィオは愕然と言葉を失っており、教室の中ではルークが困ったように頭を抱えていた。


「これで、私も貴方を助けてしまいました。相互関係が認知されてしまった以上、この繋がりは瞬く間に広がり、貴方も私の状況に少なからず巻き込まれるでしょう」


 呟きながら彼女は小さく溜息をつく。 


 しかしそのため息に含まれている感情は、これまでアキホが見てきたものとは違っていた。

 うまく言語化することができないが、彼はそのため息をどこで見たのか思い至る。


「しかし、貴方が悪いんですよ。こんな人間わたしに関わろうとして、挙句あんな危険な試合に挑んで。頑なな貴方はどうせ私が拒絶しても、みたいにしつこく食い下がってくるんでしょう。だから……」


 仕方なさそうなその声も、昨日家で食事を共にした時と同じだ。強すぎる拒絶が和らぎ、とりつく暇もなかった雰囲気は何処か優しくなっている。


 隣のフィオはその変化に目を丸くしているが、アキホは彼女のその優しさを知っている。共に夕食を食べたあの時の彼女が今目の前にいると、それを知っているアキホだけは感じている。




『不幸中の幸いで虐待や暴行を受けてはいないみたいだけど』


『二年生の時点で二つ名を持っているなんて、この学校では2人しかいないんだよ!?』




 圧倒的なまでの魔力を持ち、消えていく魔力に光の残滓を纏う彼女の姿にふとアキホはアリアの言葉を思い出した。そして理解する。これこそがどれほど王女に憎悪を抱いていても、誰も彼女に直接危害を与えない理由なのだと。


 揺るぎない強さ。類稀なる総量と放出量を持った『微かなる極光リトルサンドリヨン』はゆっくりと振り返り、仕方がなさそうな顔を微かに赤く染めて、ようやくアキホの目を見て話しかけた。





「責任を取って、これからよろしくお願いします。……アキホ・ヨシカワさん」




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