琥珀にぽっかり穴が開く。

狐火

穴を塞ぐ。

「あ」

 私はキラキラと光るアクセサリーが並んだ店の前で足を止めた。

「どうしたの?」


 私の声に彼は反応し、そして一緒に足を止めた。私は少し焦がしたお砂糖のような色をした琥珀のピアスを手に取る。


「可愛い。」


 私は店の天井の明かりにそのピアスをかざし、光が透き通るのを見た。


「気持ち悪。」


 しかし彼は私が手に取ったピアスを見てそう言い放った。確かにその琥珀には中に蟻の死骸が入っていて、見る人から言わせれば気色の悪いものかもしれない。しかし琥珀は造形に時の流れを感じさせ、私にとっては美しいものだ。踏みつけてしまえば粉々になってしまう儚さや、琥珀の中に閉じ込められ見世物にされている虫たちを想えば、悲しい気分にさせられ私の偽善の心は踊る。


 虫たちの悲劇、年月の長さがこの琥珀の美しさを奏でているといっても過言ではない。無論、このピアスは人工物であり私のこの琥珀への考察はただの空想にしかすぎないのだが。

「そう?」


 私は彼の言葉に気分を害し、けれどそれを彼に悟られないように表情を取り繕った。琥珀のピアスを元あった場所に戻し、私は彼の方を向く。気持ち悪いとほざいたわりには彼は未だにそのピアスを見ていた。


「気持ち悪いよ、そんなもの。第一、星奈の耳にはピアスの穴は開けていないだろ。」

 彼は私の手を引いて店を後にした。

「そうね。」


―嗚呼、また私の中の何かが壊されちゃった。


 自分の意思も顧みる余裕もないまま、いつも私は彼に手を引かれる。その度に私は私の身体から何かが零れ落ちていく気がしていた。それは生命活動に必要な臓器がボトボトと地面に落ちるような気色の悪さだ。


(嫌なものだ、人に左右される人生というものは。)


 彼は私に一言も「買うな」とは言っていない。けれど彼は私にそのピアスを買わせる選択肢を与えず、むしろ否定という支配的な態度をとった。私の指に絡められた彼の指は私の小さな手を包み込んで、彼は何だか私の骨の髄まで握っているような顔をして生きている。


 今まで付き合ってきた男たちも、いつも私が自分の言うことを聞く前提で生きていた。男というのは、支配欲の権化なのだろうか。それとも私が、女という生き物を健気で包容力があり綺麗な物だと決めつけ、そんな人間を演じているからなんだろうか。


「あれだったらいいんじゃない?」

 彼がさきほどの店から少し歩いた店で、花の可愛らしいピアスを見つけ歩きながら指さした。

「要らない。」

「何で?」

「だって私の耳にはピアスの穴が開いていないもの。」

「さっきまではピアスを欲しがっていたじゃないか。よくわからないなぁ。」


 はぁ、とため息をついた彼。

 私にも分からないわ、自分の『可愛い』を押しつけてそれを私が喜ぶと思っている貴方の精神が。

「そうねぇ。」

 私は少しも彼のピアスに目もくれず歩き続ける。彼の手が私の歩みをそのお店で止めるように促していたが、そんなのお構いなしだ。

「別れたら開けようかな。」

 私は小さな声で言った。

 その声が彼に聞こえているかどうかは知らない、知ったこっちゃない。









 私が琥珀のピアスを欲しがったことなんてどうせ忘れる彼を、私はそれでも愛しているのだ。


 人間には多面性がある。私にはその面がどうやら他人に比べて多いようだった。

 彼をどうしようもなく可愛いと思う私と、琥珀の美しさを貶した彼を恨めしいと思う私と、バレンタインデーの季節が近づくと今年は彼に何をあげようかと無意識に考えてしまう私と、私の人生に居座り思い通りに生かせようとする彼を蹴落とし突き飛ばし除外したいと思う私。あげればきりがない。


 どれもこれも私が彼の彼女である以上存在してしまう私で、彼と別れてしまえば一気に跡形もなく消え去る私だ。いつか私の中の負の私が彼を愛している私を殺して、 彼を断ち切れるようになったら私たちの関係は終わる。


 今までだってそうやって私は、新しい人と関係を築くことで生まれた私をたくさん殺してまた新しい私に出会って来た。そろそろこの恋の私の死期が近づいて来ているのかもしれない。だって今、私は彼と深くて甘いキスをして心も体も満たされているはずなのに、こんなことを考えている。


 いつもより私を抱きしめる彼の力が強い気がする、この感覚は私の執着心なの?それとも彼は何か勘づいているの?


「愛しているよ。」

 私の耳元でささやいた彼。彼の手は私の服の中へと進む。

「冷たい。」

 私のそんな言葉は無視して彼の動きは止まらない。


 ねえ、不正解だよ。もし本当に私を止めたいなら、貴方は今すぐに琥珀のイヤリングを買ってきて、私にピアスの穴なんて開けないで、って懇願しなきゃ。

何で私はきっと悲しい顔しているはずなのに、貴方は気付いてくれないの?


 なんでそんなに私を殺していくの?

 貴方もやっぱり違うんだね、貴方じゃないんだ。

 貴方は本物じゃない、だったら私は私の心の中に住みついた貴方を根こそぎ抜き取って、大きな穴を開けなくちゃ。


 天井にある丸く灯った琥珀色の電灯を見ながら、私はそれに手を伸ばした。

「同じ穴に入ろうね。」

「それを言うなら、同じ墓、でしょ?」


 いやだ、そんなの。勘弁してちょうだい。

 その瞬間、指と指の隙間が風を切り彼の頬に勢いよく手のひらが当たった音が、私たちの関係の崩壊の音まで、演出してくれた。

 蒸し暑い外気をゆっくりと私の体は吸い込んでいく。

 息を吐くと何故か罪悪感も一緒に出て行って、その爽快感で心臓に繋がる一本の血管が今まで詰まっていたことに気が付く。


 久しぶりに誰にも支配されていない思考、心の動きが止まらない。


「気持ち悪。」

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