第9話 妖術の呼び声

 四半刻(30分)ばかり真剣に軍平は身の隠し場所を考えた。しかし結論は、

(とりあえず、飯だ)だった。

 この国は狭い。それに家老、郡奉行、義理の母親に加えて戊亥衆と揃っていると、数少ない彼の潜伏先ぐらいすぐに読めるだろう。

 いつの間にか日はとっぷりとくれていた。悩み続けてもいい答えは出てきそうにない。

 逃げるにも、立ち向かうにも、とりあえず食べ物と武器はいる。

 よし、少し落ち着こう。

 そう考え、食事をしてから差し料をあらため、かえってげっそりした。


 長く手入れしていない佩刀の拵えは、かなり傷んでいる。こんなみっともない刀なんて、祖父も父も下げていたことはあるまい。

 上意討ちがもっと納得できる内容なら、せめて外装だけでも一新したいところだが、そんな時間も金もない。昨年の暮れ、カネの夫から「さしでがましいようでございますが」と拵を変えるどころか軍平に新しい大小一式を提供しようかと言われて断った。

 それが、卑しい心根だと思いつつ、いまになって悔やまれる。


 ふと気になった軍平は、祖父にもらった脇差をもう一度抜いた。乏しい灯に刀身が光った。あらためて、自分にはもったいない刀だと思う。

 刀身は派手さのない一方、剛刀といってよいほどたくましい。流派の教えに従うなら刀に頼ってはいけないのだろうが、刀のすごみについ安心感を抱く自分がいる。この迫力は、心願の術にも役に立つのだろうか。

 上意討ちを聞かされて、急に妖術のことを考え始めた自分が、軍平はおかしくてならなかった。

 怖いと、まぼろしに逃げるんだな。

 いや、それよりなぜおれは、これほどに妖術を避けていたのだろう。

 はっきりしているのは、人外のものになるかもしれぬという恐れである。

 亡くなった祖父は、なにかと目立つ風貌ではあったが、少なくとも化物じみてはいなかった。むしろ規矩に従う挙措正しい男だった。  

 だが、底知れなさは身近な孫にも常に感じられていた。

(こんなとき、おじいさまならどう対処されただろう)


 気分を変えるため、別のことを考えることにした。

 家老がもったいぶって教えたのが事実なら、討ち手はあと二人いる。どちらも歳は軍平より一回り以上も上であり、人となりはよく知らず、頼りになるかどうかも分からなかった。

 ひとりは普請方の三浦又五郎。槍術の使い手として藩で武芸をたしなむ層には知られた人物だ。ただし、勇敢だが人の話をあまり聞かず、どこか抜けているとの評価を聞いた。あだ名も知っている。人呼んで巌流島の又五。大切な試合に大遅刻して、処罰を受けたはずである。

 もう一人は関所番の小磯半蔵。「かの男は、独自に工夫した武器を使う」と聞かされて記憶が蘇った。ずっと前に、江戸での修行をかけた剣の試合を笹子と行い、破れて肘を壊されたのが小磯ではなかったろうか。


 すると、三人そろって軍平と同じ没落組である。石田の台詞と合わせると、桑田家老の権力地盤は、案外脆弱ではないかと思えてきた。本来なら、もっと問題が少なく冷静さを保てそうな剣士に命じるはずだ。

 まてよ、とさらに軍平は考えた。笹子も元の家柄は上士のはずで、一族の失敗だったか汚職だったかに連座して親が身分を落とされたのではなかったか。不平不満組を選んで味方に抱き込むのは、家老の常套手段なのだ。

「むろん、わしは宇藤木に期待しておる。見事本懐を遂げよ」

 家老の笑顔を思い浮かべた。いつの間にか上意討ちが仇討ちにすり替わっていたのは、そういうことだ。

 

 ―― いくら恨みがあっても、いくさを知らぬ我らに人がやすやすと斬れるか。あほばか、まぬけ。

 気分転換するどころか、よけい腹正しくなって、ひとしきり上のやつらをののしると、軍平は肩をがっくり落とした。


 今回の上意討ち指令において、裏の意図は別にしても、なにが一番の憤りを感じるかといえば、家老たちの態度に人を斬ることへの真剣味が感じられない点だ。

 本気で笹子の存在を消したいのなら、綺麗事をいわずに奇襲や罠、毒や隠し武器をも利用した暗殺を検討すべきはずだ。少なくとも祖父ならそう指示したろう。上意討ちの体裁など、あとからいくらでも取り繕える。これは妖術とは関係なく戦闘術としての発想である。

 だから陣屋を出る際、郡奉行に「相手は一筋縄ではいかぬ男。万一の討ち漏らしを防ぐため弓手を控えさせてはいかがでしょう」と言ってやった。

 すると奉行は目を見開き、まるで家老の代弁者といった顔つきで、「そんな卑怯な真似はできぬ」と吐きすてた。深夜に待ち伏せて集団で殺すのを立案した連中の言葉とは思えなかった。

 

 真剣勝負では度胸と経験がものを言う。三浦と小磯も腕はあるのだろうが、軍平と同じく実戦経験はないだろう。

 一方の笹子については、長い江戸ぐらしでどんな経験を積んだかわからない。京に登って有名な新撰組や見廻組とからんだ話はさすがにないとは思うが、どこで何をしていたかは知れたものではない。実は向こうで人斬りには慣れている、といった類の悪い卦も考えておかねばならない。

 また、家老らの口からは出なかったが、もとは良い家柄の笹子にはどこに行くにも伝助という名の従者が付いている。毛の抜けた熊みたいな大男で、六尺棒を箸みたいに軽々と振り回す。主が女を買いに行くのにでも忠犬よろしく近くで待ち続けているというあの男が、どれほど張り切るかは想像に難くなかった。

 他人に負担を強いるしか方法を持たない家老たちの顔を思い浮かべ、笹子の叛心も無理からぬことと思えてきた。

 地に引きずり込まれそうな気分がする。

 ここ数日の気疲れがどっと軍平を襲い、彼は床に倒れるように寝転がった。


 苦しい気持ちになると、どうしても許嫁だった津留を思い出してしまう。

 津留は、祖父と仲の良かった祐筆頭の孫にあたり、その縁で早くに話がまとまった。桃の節句に彼女の家に招かれたこともあった。津留の髪飾りと着物の柄をぼんやり憶えている。

 津留その人と打ち解けて会話した記憶はあまりない。しかし彼にとっては良い時代の思い出であり、未来へのほのかな希望だった。

 父の死後、援助してくれる有力な親戚もなく、義母の関係者は口だけ出して手も金もださなかった。跡目を継ぐために軍平は見知らぬ大人の間を必死で駆けずりまわらされ、毎日が辛く苦しかった。

 その最中、何かの拍子に津留の話や痕跡に触れるのは、喜びでありひそかな希望でもあった。彼女が軍平をどう感じていたかは全く伝わってこず、軍平の一方的な思いというのは解しているつもりだった。互いに生母を早く亡くしたという共通点があり、軍平はそのせいで親近感を持っていたところはあるが、彼女がそれをどう考えているか、確かめたことはない。

 

 そういえば、桑田家老はこんなことも言っていた。

「無事お役目を果たせば加増は間違いない。父が落とした家名もあがる。なによりおぬしの武名があがろう。嫁も選び放題じゃ。なんなら、わしが口添えして山岡に考えなおさせてやってもいい。悪い気はしないだろう、なにせ命がけで助けたぐらいだからな」

 ちっ、狸め。誠実さは少しも感じないのに、提案に心を揺さぶられているのは嘘偽りない事実だった。 

「久しく会っていないな」

 彼は目を閉じて、記憶の不鮮明になった元許嫁の顔を思い浮かべた。

 やっぱり無表情で、何を考えているかはわからない。

 しかし、美しかった。


 

 その後の浅い眠りの中で、軍平の夢に出てきたのは、残念ながら津留ではなかった。このあいだからたまに出てくる祖父でもなかった。

 別の「なにか」としか言いようのない存在だった。顔はまっくらでわからない。

 それは、訪れた「機会」を喜んでいた。そして、軍平に素直になれと言った。素直になれば、ほんらいのおまえに宿った価値が、輝き出すと。

 

 おれにそんな価値なんてものはない。万事に自信のない軍平は言い返したが、「なにか」は声だけで笑った。

 軍平は、「正直に言えばおれは、お前たちにすべてを委ねるのが怖くてならない弱虫だ。野心も大してありはしない。こんな情けない男に人の力をはるかに超える術を使わせようとするのは、筋違いだ」

「なにか」にそう言ったとたん、「だから、おまえなのだ」と諭すような返事があった。「ただ術を使わんがため、やすやすとすべてを賭ける奴など危ういだけだ。成功しても小さい」

 案外と理屈っぽいのだなと思う軍平に声は続けた。

「我らは遠い時の向こうに生まれ、長い長い旅を続け、いまや影でしかなくなった。そしてこの千年ばかり、ただ人を支配したい、財を得たいと願う者とばかり出会ってきた。欲に凝り固まった妖術師志願はもう飽きた。お前のように己を疑うことのできる者こそ、我らに道を指し示してくれる。取り憑かれ者はいらぬ。我らと共にあり、時に叱り時に鼓舞し、喜びを感じさせてくれる者こそ欲しい」

「そんなの、おれであるわけない。おれを一体何者と思っているんだ」

「実に面白いやつだと思っている。兵部も面白いやつだったが娘と妻、そして主とやつが考えていた男を亡くしたら、すっかり生きるのを面倒がるようになった。ああなれば如何ともしがたい。おまえがいてくれて、われわれも嬉しい」

「天の下には無数の人がいるだろう。他をあたってくれ」

「おまえの、なんでも剣術から考えるくせはよくないぞ。視野を狭めている。剣は才がなくとも死ぬ気で努力すれば、一を二に、二を四にするのは不可能ではない。だから大勢が修行する。しかし、妖術はいくら望んでも一すら得られない。無か有かのどちらかだ。おまえは有だ。さだめを受け入れろ」

 それが術と呼べるのかと軍平が聞くと、呼び名なんてどうでも良いと「なにか」は言った。「じきにおまえに、『きっかけ』が届く。受け入れて願いを叶えよ。それだけだ」

 「ただし」声は注釈をつけた。「お前があまりに逃げ倒したため、せっかくの子供の素直さが消え、心の筋が硬くなってしまった。これから術を使いこなすなら、まだひと波乱が必要だ。我らのうち、小さき者たちがおまえを助けようとするだろうが、あいつらにも波乱は止められぬ。なぜなら」

 ひと波乱ってなんだ。なぜならって途中でとめるなよ、なにが続くんだと軍平が聞き返したところで、


「しまったあ、寝てた」軍平は天を仰ぎ叫んだ。

 いつの間にか、夜があけていた。

 すでに外はほの明るくなっていた。夜闇に紛れて姿をくらますには遅すぎる。自分の運命の先行きにだんだん真剣味が出てきた。

 夢の中だとなんとでも言えるが、現実において彼の終わりの時は刻々と迫りつつある。

 世間というものにがんじがらめになった情けない武士としては、いまから逃げるのも難しい。

「これから山に籠ろうか。それとも辻斬りでもして人斬りに慣れるか」

 そう言いつつ火を起こし、水を入れた鉄瓶を乗せた。

 苦しむ片方で、つい生活を継続しようとしている。自らの行為に力なく笑ったあと、急に激しい感情が襲ってきた。

「逃げてやる逃げてやる、に、げ、て、やる」

 死への畏れより、幼稚で愚かな執政どもに駒扱いされる不条理が堪えられなかった。「気ままに生きてきた奴らのために、なぜ死なねばならぬ。勝手に死ね、笹子。勝手に死ね、年寄りども。死ね、死ね」


 そこらにあるものを殴り、蹴飛ばす。それでも湯の沸いた鉄瓶などを避ける小心さが情けなかった。よけいにかっとなって土壁を殴りつけると、日頃の修練のたまものか、一撃で大穴があいた。しまった。ここは人の家だ。

「なんでこんな因果な目にあうのか。上意討ちなんて、まるで」と、まで言ってから思った。 

 西洋に上意討ちはあるのかな?

 生きて帰ったらぜひ調べてみよう……そう考えたところで軍平の胸に、本当にしたかったことがいくつもあふれてきた。子供のころ、なりたかったのは、たばこの世話でも薬草の世話係りでもなかった。剣術使いでもない。

 軍平の国には海はない。だから大海を見て大きな船に乗り、できれば異国まで行きたかった。そこに住む人たちを知りたかった。

 よその国では、同じように泣いたり笑ったりして暮らしているのだろうか。食べ物は似ているのだろうか。

 とにかく悲しい記憶ばかりのこの国から出たかった。

 外国が無理なら隣国でも良い。息のつまる生活のすべてを捨て、どこかへ行ってしまいたかった。

 思えば、物心ついてから勝手な大人に振り回されて我慢ばかりしてきた。ここで逃げても文句を言われる筋合いはない。

 でも、どこへ逃げれば良い?逃げる金も、ない。

 あるのは、先祖から伝わった流儀の伝書ぐらいだし……。



「若様、若様」ほとほとと、戸を叩く音がした。

 カネの声だった。

 出て見るとカネの横には、亀を従えた須恵がいた。

「お、おまえ、なにしにきた」

 間者が十人いたのより、軍平は驚いた。

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