第3幕 女形歌舞伎役者の煩悩

    (1)


 演劇部門は、毎月末に一度東西会議が開かれる。

 大阪のとんぼり竹松座、とんぼり演芸の角丸座、京都都座、東京の江戸歌舞伎座、竹松演舞場、東京スカイシアターの六つの演劇の劇場の支配人が集まり、その月の興行数字の発表を行う。

 六月は、一五日に召集された。

 いつもより、一〇日程早かった。

「早く召集してすまないね。株主総会が月末にあるんでね」

 会議の冒頭、嵐山が説明した。

 しかし、毎年この時期に、株主総会が開かれるが、こんなに早く行われるのは、異例だった。

 誰も嵐山にさらなる説明を求めなかった。

 会議は、異例の速さで、一時間余りで終わった。

 白川が会議室を出ようとすると、

「おい、ちょっと」と嵐山が呼びとめた。

「何でしょうか」

「社内体験ツアーに行くか」

 大きく笑いながら、嵐山が云った。

「どこ行くんですか」

「お前、和夫の新しい部屋見た事あるのか」

 東山副社長と同じフロアに先日、和夫が引っ越して来た。

 廊下を挟んで、東山親子が独占していた。

 以前は、元映画プロデューサー衣笠が自分のデスクと、企画会議室があったが、それらを全て撤去した。

 衣笠は、撮影所の駐車係に左遷されていた。

 衣笠は、時期取締役候補だった。

 定期人事ではなくて衣笠ひとりだけの、異例の人事だった。

 漆黒のドアをノックせず、

「入るよ」

 といきなり嵐山が入った。

 秘書チーフの下鴨弥生は、嵐山と白川の顔を見て、

「あっ」と小さく叫んだ。

 秘書は、弥生を含めて四人いた。

 四人とも手持無沙汰で、スマホでゲームしていたらしく、二人の姿を見ると慌てて、スマホを机の下に隠そうとした。

 中には、慌て過ぎて床に落とす者までいた。

 嵐山は一瞥しただけで、それ以上何も云わず、興味を持たなかった。

「東山は、只今京都撮影所に行っております」

「あっ、そう」

 嵐山は、弥生の言葉を聞き流しながら、ずんずん奥へ進んだ。

 さらにドアがあり、それを開けると、大きなデスクが目に入った。

 椅子は、両ひじかけで、頭を乗せるのがある。

 嵐山は、そこに座り、

「俺より、いい椅子だな」

 嵐山は、肘掛の所に手をやり、前後に何度も擦った。

 応接セットは、二つあり、そのうちの一つが、目の前にあった。

 白川はそこに座るが、どうも居心地がよくない。

 大きな窓がある。

 銀座が一望できる。

 弥生が、お茶を入れて持って来た。

 さらに隣の部屋があり、高級なウイスキーが並ぶサイドボードがあった。

「こりゃあ、会社の部屋じゃなくて、自分のマンションの部屋だな」

「ここでは、ビデオを上映してるんですか」

 白川は、弥生に聞いた。

 弥生は、お茶を置いた後も、白川らの所に、居続けた。

 おそらく、そう云われているのだろう。

 まるで、監視されている様で、落ち着かない。

 一方、嵐山は、本当に部屋を冒険する様に、あちこち動き回り調度品にも手をやり、壁に掛けてある絵画にも興味を示した。

「お邪魔様」

 急に嵐山は立ち上がり部屋を出ようとした。

「東山和夫専務に、伝言があれば、承ります」

「ああ、いいから」

 片手で手を上げて左右に振りながら、あっさりと部屋を出た。

「おい、飯でも食うか」

「はい」

 竹松本社を出ると、近くの小料理屋に入る。

 まだ昼前で、看板も暖簾も出てないが、嵐山は自分の家の様に、玄関戸を開きすぐの所の階段を上がる。

「おーい、女将、二階に上がるよ。二人だ」

「はーい、どうぞ」

 仕込みに忙しいのか、女将は声だけ厨房から張り上げた。

 小部屋は、四畳半ほどの広さだった。

 何もこちらから頼んでいないのに、五分もしないうちに、女将がお膳を二つ持って現れた。

「あらあ、嵐山さん、このイケメンさんは」

「京都都座の支配人だ」

「白川です」

 白川は、名刺を女将に渡した。

「私、一度都座の顔見世を見たかったんです」

「おお、こいつに頼めば、云い席が取れるぞ」

「ありがたいです」

 入れ換わりに、女将が四隅の角が丸い小さな名刺をくれた。

(小料理屋“やなこ”出町柳子)と書かれてあった。

「やなこですか」

「どうぞ御贔屓に。京都の人の口に合いますか、どうか」

「東京だから、少し味が濃いかもしれんな」

 すでに、嵐山は、箸を持っていた。

 煮魚と、野菜炒めとまめご飯とみそ汁だった。

「まあ食べながら聞いてくれ」

「何でしょうか」

「今度、取締役にしようと思うんだ」

「誰をですか」

 嵐山は、視線を自分の茶碗から白川に移した。

「お前に決まっているだろう」

「うへっ」

 白川は、むせた。

「ほ、本当ですか」

「本当だ。だからここへ呼び出したんだ」

「えらい急ですね」

「演劇が好調な内に、外堀を固めておかんとな」

「誰か退任するんですか」

「東大路銀行から来てる、烏丸取締役が退任するそうだ」

「じゃあ後任がいるでしょう」

「それが、東大路銀行は、後任は出さないと正式に通達して来た」

「何かあったんですか」

「竹松の映画部門の赤字成績にほとほと嫌になったんだろう」

「じゃあ、融資打ち切りですか」

「いきなりそこまでは、いかんだろうなあ。演劇部門が好調だし、お陰さまで、江戸歌舞伎座の後ろの四十階建てビルのテナント全て埋まったからなあ。キャッシュフローは出来ている」

「映画部門は、どうなるんでしょうかねえ」

「もうそろそろ、ヒット作を出して貰わないと」

「朱雀さんの、カブクですか」

「あれもどうかなあ。やっぱり歌舞伎役者は、舞台でなんぼだろう」

「和夫さんは、監督までさすって」

「世間の人は、朱雀の美しさを見に劇場に足を運んでいるんだよ」

「確かに」

「和夫は、歌舞伎を一度も見たことがないらしいなあ」

「もっぱらの噂です。ネットでも、その噂が満載です」

「NINPОは、結局二つとも入らなかったみたいだ」

「そうだと思ってました」

「俺も思ってたよ」

「数字を操作させてようやく、興収二億だろう」

「予算は、四十五億でした」

「和夫の奴、どこまでホラ吹いたら気が済むんだ」

「数字の操作って何ですか」

「竹松のシネコンで、上映される映画の入場料金をNINPО・東山バージョンに回しているんだ。特に鞍馬監督の、NINPОの入場料金が、相当東山バージョンに流れているようだ」

「それってやばいですね」

「ハリウッドの配給会社にばれて見ろ、大変だぞ」

「よろこび組も初めて見ました」

「何故四人もいるんだ」

「皆、美人ですね」

 女将が、お茶を持って現れた。

「お味は、どうでしたか」

「おいしかったです。とても」

「まあ嬉しい」

「女将、気をつけろよ。こいつは京都人だからな。京のお口べっぴんと云うことわざがあるぐらいだからな」

「何ですか、それは」

「こころにもない事を云う事だ」

「本当においしかったですよ」

 と白川は、云ったが本心は、嵐山との竹松の実情を話しこんでいたので、味はわからなかった。

「お前の取締役就任、月末の株主総会で承認されるからな」

 白川取締役の誕生だった。


    (2)


 朱雀監督・主演「カブク」の撮影は、七月に行われた。

 白川は、製作発表会には、出席したが、撮影所は、まだだった。

 朱雀からメールが届いたのは、撮影が始まって一週間が過ぎた頃だった。

(支配人、早く来て下さい!悩んでいます)

 緊急の気配がしたので、白川は、翌日、竹松映画撮影所を訪ねた。

 前に訪れた時は、和夫と鞍馬との喧嘩を目撃したなあと思った。

 あの、熱気は何だったのかと思う。

 結局、二つのNINPОの映画は、不入りで終わった。

 撮影現場も混乱したが、映画編成部もそれに負けじ劣らず大混乱を極めた。

 映画編成部は、全国の竹松シネコン及び、提携している映画館への映画供給、番組作りを行う部署である。

 すでにアメリカハリウッド映画を主とする外国映画、日本の映画の封切り上映、完了日は決まっていた。

 そこへ無理やり「NINPO東山和夫バージョン」をねじ込ませた。

 どうしてもしわ寄せが、他の映画にも出る。

 連日ハリウッド映画の日本支社、単館映画館主からは怒りの電話、メールが殺到した。

 和夫の我儘は、竹松の映画部全体の信用を失墜させる結果となった。

 西宝と西映は上映を拒否した。

 表向きは、すでに上映映画は決まっているので、動かしたくないのが理由だが、本音は、(騒動の火の粉は被りたくない)のだった。

 撮影スタジオを訪れたら、丁度朱雀の撮影中だった。

 撮影が終わるまで、待っていた。

 終わると、朱雀は、走って駆け寄った。

「待ってたわ。嬉しい」

 朱雀は、白川の手を握り締めた。

「こんなに早く来てくれるなんて嬉しい」

「元気そうじゃないですか」

「今はね。それより、白川さん、取締役おめでとうございます」

「いやあ、まだひらとりですよ」

 白川は、少しはにかんだ。

 ここで朱雀は、急に息を潜めた。

 白川が振り返ると、和夫が立っていた。

「お久しぶりです」

 和夫と会うのは、製作発表会記者会見以来である。

 朱雀は、白川と話がしたかった。

 次のシーンは、朱雀は出ない。

 本来、朱雀が監督なのでデレクターズチェアに座って演出するの

 は、朱雀のはずである。

 しかし、そこには、和夫が座っていた。

「白川さん、ちょっと」

 朱雀は、手招きしてスタジオの隅に招いた。

「朱雀監督が抜けていいんですか」

「あら、白川さんそれ嫌みなの」

「いえ、違いますよ」

「監督は、和夫」

「でも、朱雀さんが監督・主演でしょう」

「だから、それは、宣伝用の売り文句。あいつが、監督もプロデューサーも全部やっているのよ」

「やっぱり」

「何なら、映画に出たらいいのよ」

 朱雀は、吐き捨てる様に云った。

 白川の思惑通りだった。

 宣伝展開の一つが、朱雀の初監督であり、映画での初主演であった。

 その夜、朱雀がどうしても、取締役就任歓迎会をやりたいと熱望するため、白川は、ついて行った。

 嵐山の渡月橋近くの小料理屋だった。

 料理が運ばれて来ても、朱雀は話を続けた。

「全く、あの和夫の奴、いけすかない野郎」

「目立ちたがり屋なんですよ」

「まあこの世界は、目立ってなんぼの世界だから、そんな奴知っているけど、それも程度の問題だと思うわ」

「そんなに酷いんですか」

「初めての撮影初日は、マスコミが詰めかけてその時は、私が、デ

 レクターズチェアに座って、よーいスタートと声を掛けてたわよ。

 マスコミが帰った途端、すぐに和夫が、はい、そこは私の席ですって云って、追い出されたわよ」

「横で、助言するんじゃなくて」

「違うわよ。自分が監督。おまけに冗談かどうかわからないかもしれないけど、クレジットタイトルの所に、(総監督・東山和夫)と入れようかなあだって」

「総監督とは、和夫らしいなあ」

「私って、結局和夫に利用されただけなのよ。ああ悔しい」

「まあ、乗りかかった船ですから、朱雀さんも撮影アップまでは、我慢、我慢の精神で乗り切って下さいよ」

「そんな舟なんか、沈没したらいいのよ」

「まあ我慢、我慢。さあ、一杯行きましょう」

 朱雀は、白川がついでくれたビールを飲み干して、ふーと深いため息をついた。

「ああおいしい。イケメンに注がれるとなおさらおいしいわ」

 ようやく、朱雀の機嫌が直った。

「他は、何かありますか」

「和夫の秘書って女、あれ、和夫の愛人なの」

 白川は、下鴨弥生の顔が思い浮んだ。

「違うでしょう」

 一呼吸置いて、白川は答えた。

「撮影中も横にいさせて、何様のつもり」

「ひとりだけですか」

「ひとりだけ。秘書のチーフって云ってました。名刺貰ったけど、名前も見ずに破り捨てたわ」

 と云ってから朱雀は、高笑いした。

 とても、男とは、思えぬ甲高い笑いだった。

「和夫には、四人の秘書がいて、我々は、(よろこび組)と揶揄して云ってます」

「よく竹松もそんな事を認めてますね」

「親父さんが副社長ですからね」

「親子で、竹松を食い物にしてるわね」

「和夫は、決して悪い男じゃないですよ。映画に夢中なだけです」

「それで、映画がヒットしたら、いいんだけど」

「誰しも同じ事を云ってますよ」

「竹松でヒット作品と云えば、蹴上監督のライト男ぐらいでしょう」

「今度、都座で撮影します」

「まあそうなの。一度蹴上監督の作品出たいわ」

「もう映画はこりごりじゃないの」

「和夫は、こりごりと云っているのよ」

 朱雀は、あまり酒が飲めない。

 しかし、今夜は、気を紛らわすために無理に飲んでいる様にも見受けられた。

「ああ、酔ったわ」

 食後のデザートのアイスを一口手をつけただけで、ぐったりと白川にしな垂れかかった。

「大丈夫ですか」

「何だか火照るわあ」

「飲み過ぎですよ」

「白川さんの顔を見たら、緊張の糸が切れたみたい」

「もう今夜は早く寝た方がいいですよ」

「わかってるわよ」

「ホテルまで送りますよ」

「手を貸して」

 朱雀は、白川にしな垂れかかったまま店を出た。

 タクシーで撮影所近くの定宿へ向かった。

 車内で、朱雀は白川の肩に顔を預けて、白川の手をしっかりと握りしめていた。

「よかったわあ」

「何がですか」

「白川さんが取締役になった事よ」

「どうしてですか。私は、本音を云うと今の都座の支配人だけでよかったんですよ。取締役なんて、やっかいな役職は、自分に合っていないと思います」

「白川さんは、竹松の創業者の末裔です。もっと自分に自信を持って頂戴。ゆくゆくは、白川さんは、竹松の社長になる人、いや、なるべき人です」

 ホテルの前に着いた。

 ロビーで、フロント係が、

「朱雀様、お帰りなさいませ」

 深々とお辞儀した。

「私、白川さんの応援団だから」

「有難うございます」

「だから、今夜は部屋まで送ってね」

 何が(だから)なのか、白川には理解出来なかった。

 しかし、朱雀の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 ドアの前で朱雀は、カードを入れた。

「ここね、ホテルだけど、部屋は純和風なの」

 朱雀は、力強い腕力で白川を部屋の中へ入れた。

 カードを入れずに、電気をつけずに、暗がりの中で朱雀が白川に抱きついて来た。

「私、寂しいの」

 完全に女である。

 冷静に見れば、白川の目の前にいるのは、生物学上(男)なのだ。

「朱雀さん」

 白川は、喋ろうとするが、朱雀の口でふさがれた。

 すぐに朱雀の舌が侵入して来た。

 白川は、何とか踏ん張って、朱雀をベッドに運んだ。

「せめて私が寝るまで横にいて」

 幼子が云うような台詞が朱雀からついた。

「わかりました」

 じっと朱雀を見つめた。

 明かりを足元灯だけにした。

 その暗がりに安心した、朱雀は眠りの世界に入った。

 静かに部屋を出ようとした白川に、

「今夜は有難う、白川さん」と声を掛けて来た。

 すっかりと寝たものと思っていたので、びくっとした。

「おやすみなさい」

 ゆっくりと振り返り白川は呟いた。

(これから竹松はどこへ行くのか)

 白川の胸中を複雑な思いが貫いた。

 やはり、取締役と云う肩書が、白川の思いを複雑化させていたのだ。


   (3)


 役員会議は、不定期に行われていた。

 白川が取締役についた事で、六月末の株主総会で正式に承認され

 た後の、初の会議が七月中旬に行われた。

 清水利之の社長代行から社長、自宅に火をつけた父親の龍二は、

 竹松から完全に役職を解かれた。

 (顧問)として残留を打診されたが、本人も息子の利之も固辞した。

 白川のお披露目でもあった。

 演劇、映画、不動産、管理部門から総勢九名の清水利之社長、嵐

 山、東山副社長、東山和夫専務取締役、太秦取締役らが一堂に集まった。

「今度烏丸取締役の退任で、白川君が取締役として就任する事になった。一言どうぞ」

 嵐山に促されて白川は静かに席を立とうとした。

「その前に嵐山さんちょっといいですか」

 と清水利之が手を上げた。

「何だ、云ってみろ」

「この一年、父の不祥事で多大なご迷惑をお掛けしました。

 父は、完全に竹松を去りましたが、いつまでも竹松の今後の繁栄を節に願うと申しておりました。竹松の復活の日も近いと申しておりました。

 映画部の皆さんの奮闘努力を願うとも云っておりました。有難うございました」

 利之が席についてから静かな拍手が起こった。

 続いて白川が挨拶した。

「演劇は、江戸歌舞伎座が新装オープンして高稼働してます。

 京都都座も、京都が年間五千万人の観光客が訪れツる都市であるのを活用して

 さらなる飛躍を目指します」

「白川君も、大いに羽ばたいてくれよ」

 嵐山から励ましの言葉を貰った。

 鞍馬監督のNINPОもNINPО東山バージョンも大コケした事について、和夫は、

「日本の大衆は、僕の映画論についていってないなあ。父さん今度ハリウッドで撮ってみせますよ」

 としれっと云いのけた。

 父親の守は、苦虫を潰したかの様な顔色で、和夫を睨んでいた。

「で、次の朱雀のカブクは、どうなの」

 嵐山が聞いた。

「撮影は、順調に進んでいます。ご心配なく」

「で、幾らなの」

「何がですか」

「興収だよ」

「予算では、五十億です」

「えらく大きく出たなあ」

「夢も何事も、大きく持たないと駄目ですよ」

「竹松は、獏(バク)じゃないから、夢だけでは、食っていかれないからなあ」

 嵐山は、最大の皮肉を云ったつもりだが、和夫は全く表情を変えないでいた。

「和夫、現実的な数字はどうなんだ」

 父親の守が重い口を開いた。

 和夫は黙った。

「固い数字で、どうなんだ」守は催促した。

「そうですねえ、三十億でしょうか」

「そんなに行くか」

「父さん、行きます」

「嘘ついても仕方ないぞ」

「嘘じゃないです」

 守と和夫は、自宅での会話のようなやり取りを始めた。

「まあいいじゃないの東山副社長」

 嵐山が中に入った。

「ここは、和夫君の熱意にかけますか」

「完成後の朱雀さんの舞台挨拶は、北は北海道から、南は九州沖縄まで日本列島縦断します」

 と和夫が力強く云いのけた。

 全国の竹松のシネコンスクリーン前で、疲労困憊の朱雀の姿が、白川の脳裡に浮かび上がった。

「それから、このカブクの映画、東京は江戸歌舞伎座でお披露目しようと思う」

 と嵐山が云った。

 白川が知らない事案であった。

「完成は、八月ですよね。歌舞伎座、若手公演の芝居やってますよ」

「八月は、若手公演だから、昼一回公演が多いんだろう。そのうちのどこかでやればいいんだ」

 嵐山は、和夫を見ながら云いのけた。

「嵐山副社長ありがとございます」

「朱雀が出てる映画だ。演劇部も全面的に応援するよ」

 和夫は、京都都座でも上映したかったらしいが、蹴上監督のライト男の都座ロケが入っている。

「それから、もうひとつお願いがあります」

「何だ云ってみろ」

「特販切符もお願い出来ませんか」

 特販切符とは、別名お仕着せ切符とも呼ばれている。

 竹松の映画関係の下請けや、業者らに、切符を買わせるのだ。

 また、「ライト男」の映画切符は、社員全員強制的に買わされている。

「冬のライト男の特販決まっているんだろう。続けてはなあ」

 率直な感想を嵐山は述べた。

「ライト男の様に、社員全員にも特販切符をお願いしたいんです」

 それでも和夫は、持論をつっぱねた。

「和夫、そりゃあやり過ぎだろう」

 守が心配そうに云った。

「何故ライト男だけ、特別なんですか!」

 和夫が叫んだ。

(ライト男は、少なくとも十五億前後の興収を叩き出してる!あんたの赤字垂れ流し映画と違う!)

 白川は、和夫の顔を見ながら、こころの中で叫んでいた。

「夏、冬連続の特販切符では、組合も反発するだろう」

 まるで白川の、いや、ここにいる和夫以外の役員を代弁する形で嵐山が云った。

「そこを何とか」

 役員は黙りこんだ。

「演劇部としてはいいけど、ここは、やはり蹴上天皇の了解と云うか、それがいるんじゃないの」

 沈黙を破る感じで嵐山が云った。

「蹴上天皇は、私からお願いしてみよう」

「有難う、父さん」

 それから三十分後、役員会議は終わり白川は、嵐山と江戸歌舞伎座に向かった。

 監事室で芝居を見ながら

「どうだ、初役員会議の感想は」

 と嵐山が聞いた。

 監事室とは、劇場後方にある小部屋で、芝居が正常に進んでいるか監視する所である。

「少し緊張しました」

「それから?」

「東山親子って、いつもああなんですか」

「まあな。俺は役員会ってのは、腹の探り合いだと思っているんだ」

「腹の探り合いですか」

 白川が聞き返した。

「そうだ。竹松は、実質は演劇と映画と云う二つの会社が存在しているんだ。いづれ、一つにまとめないといけない。西宝のようにな。

 演劇が天下取るのか、それとも映画が天下取るのか、その闘いの前哨戦でもあるんだ。本音三分、うわべ七分の気持ちを持って会議に臨まないといけない。

 ところが、和夫は馬鹿だから、本音百%でぶつけて来る。

 まあ裏を返せば、それだけ、裏表のない実直な奴と云えるがな」

「ええ、彼は話せばいい奴ですよ」

「確か、同期入社だったな」

「そうです」

「プライベートで、どう奴とつきあおうとそれはお前の勝手だけど、くれぐれも、お前は演劇の人間だと忘れるなよ」

「いつまで、その演劇とか、映画の垣根が続くんですかね」

「まあ当分続くな」

「当分って、いつまでですか」

「馬鹿野郎、そんな事俺が知るわけないだろう」

 嵐山に罵声を浴びせられても、今回は不思議と腹立たしさの気持

 ちは、起らなかった白川だった。

 そりゃあそうだろう、現役員、全員思っている事だ。

 でも誰もその答えを持ち合わせては、いなかった。

「嵐山副社長は、映画は嫌いなんですか」

「俺らの世代で、映画が嫌いな奴はいないよ。何しろ、テレビがないから、映画が唯一の娯楽だからな。

 お前ら若い奴には、わからないけどな、日本が戦争に負けて、進駐軍、つまりアメリカ軍がこの日本を占領してな、その時、アメリカ映画がどっと入って来た」

「それからテレビが出て来るまでの、約十年映画の全盛時代が続くんですね」

「お前、若いのによく知っているなあ」

「勉強しましたし、親からも聞きました」

「戦後西宝は、労働争議が起きて、映画が作れない状況だったんだ。

 今日まで残る戦後すぐの名画の殆どが、竹松なのは、そのせいなんだ」

「それは知りませんでした」

 二重の密閉ガラスの向こうでは、芝居が繰り広げられていたが、二人は会話に夢中だった。

「一時、俺は本気で映画部門へ移籍して映画監督になろうかと思ったんだぞ」

「映画監督ですか」

 思わず白川は笑った。

「笑うなよ、けど本気だったんだ」

「じゃあ何故やめたんですか」

「俺は思ったんだ」

「何をですか」

「映画は、アメリカ問わず、世界で作れる。けど歌舞伎は、日本だけしか作れない。当時、歌舞伎は死んだと批評した演劇評論家もいたけど、俺は好きだったんだ。歌舞伎は、オンリーワンの世界だ」

「それで、演劇に留まったんですね」

「後、もう一つある」

「何ですか」

「戦後、日本の価値観とか、教育とか、全てのものが一転したんだ。昨日まで鬼畜米英と叫んでいたのが、皆アメリカの国旗を千切れるほど振りながら、各地での進駐を歓迎したんだからな」

「親から聞きました」

「そこで俺は、考えたんだ。この先、変わらない物は、一体何かと」

「で、その答えが歌舞伎だったんですね」

「今はアメリカのブロードウエイミュージカルが流行りだけど、そんなもの、日本では、四百年前からやっているんだ」

「確かに」

「幾ら、前衛の芝居だと叫ぶ連中がいるけど、歌舞伎をもっと見て勉強しなさいと俺は云いたい。そんなもの、全部もう歌舞伎がやっていますと」

 嵐山の演劇、歌舞伎論は延々と続いた。

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