第28話 優しい人生


ノックの音がした。返事をする前にドアノブを回す音がする。


ラナンタータはマントを持ってトイレに駆け込み、ラルポアはのんびり「どちら様ですか」とドアに向かって言った。


ガチャガチャとドアノブの音が激しく鳴る。


「今、開けますよ。ちょっと待ってください」


蹴破られそうな尋常ならぬ雰囲気に、ラルポアはトイレのドアの隙間から覗くラナンタータに向かって顎をしゃくった。窓から逃げろというサインだ。


ラルポアがドアの鍵を開けた途端に、数名のサングラスの男たちが雪崩れ込む。


「何者なんですか、あなた方は」


言いながらラルポアの腕は最初の男の右手を掴み、次の男の股間に蹴りを入れている。ピストルを出した男に右手の男を投げ飛ばした。柔道は見よう見まねだ。次々にドアから入り込む男を順番に空手チョップで喉を打ち、股間を蹴る。秒殺で全員倒した後にピストルを奪い取った。起き上がる男のこめかみを銃底で殴る。


靴音がする。ピストルを向けた。


「おっと、俺様だ。カナンデラ・ザカリーだ。待たせたな」


ホールドアップの格好でドアから入りしな、呻いている男の尻を蹴る。


「ラルちゃん、これまたハデにやったこと」


「ラルちゃんって誰……ラナンタータ、もう良いよ」


ラルポアがピストルを下げた。カナンデラも腕を下げる。


ラナンタータは眼下に黒いフォード二台を睨み、窓から室内に片足を入れながら小声で怒った。


「カナンデラ、遅いっ」


「お、おいら、遅くなるって電話したべ」


「ラルポアを手伝って早く縛って」


ラルポアはソファーの下からロープを引き出して、乱入者を縛り始めている。


「ん、ラルポア。どうしてこんな縛り方を……」


男の右手を背中に回して番になる相手の背中回しの右手と縛る。左手も同様に背中回しに繋げる。


「うん、ラナンタータに面白がってもらおうと思って……」


「よし、それなら俺様だって」


抵抗を見せる男たちに虐待を繰り返して縛り上げたカナンデラの作品は、アントローサ警部に「ラナンタータの仕業か」と言わしめる。従兄妹同士は似るものなのか。


ラナンタータはラルポアの背中にくっついている。


「もう終わったよ、ラナンタータ」


「さ、寒かったから……」


「よしよし、寒かった寒かった。もう大丈夫だよ」


本当は怖かったんだねと、ラルポアがラナンタータを抱き締める。カナンデラはふいに悲しくなった。


ラルポアが女顔だからか……

そこはかとなく悲しい……

母親と娘に見える……


黒いワーゲン二台は前後を警察車両に挟まれた。



イブラから聞き出した情報はアントローサ警部に衝撃を与えた。


ロイヤルホテル総支配人のモーズストーブが

ヴァルラケラピスのメンバーだったなら

何故、私に会いたいと言ってきたのだ。

電話があったのはいつだつた……

暫く休みを取ってフランスに行くから

そこで会えないかと言う伝言だったが

モーズストーブと連絡を取り合う前に彼は殺された。

ヴァルラケラピスを裏切って

私に連絡してきたってことか。

其れを組織に知られてジェイコバに殺されたのか。

ジェイコバは死んだ。

取調室に呼び出すことはできない。

モーズストーブ……

何が言いたかった……

私に何を伝えたかったのか……


「此の毛皮のクッションカバーを彼女の部屋に持って行きますね」


腹心の部下とも言える家政婦は、まだ18才のみずみずしい感性で奥方の感情に過剰同調して先回りする。


「ええ、お願いね、エイマ。あなたは本当に気が利くわ」


縫い終えたばかりの毛皮のクッションカバーを抱えてお辞儀をすると、エイマは部屋を出てため息を吐く。図らずも其れは室内の奥方と同時だった。


エイマの気分は奥方と同じように暗雲が垂れ籠めて、見通しが利かない。長い廊下を行くと左手の小さなホールに出た。


車椅子用に専用ホールがある特別な部屋には、数年前まで年寄りが暮らしていた。其の部屋を若い女性好みにリフォームして、着るものや履き物を買い揃え、食事も特別に用意する。


まるで女王様みたいだわ、イサドラ・ナリス。希代の殺人鬼だと新聞が書き立てていたらしいけど、私は文盲だから本当の処はわからない。


でも、奥様がお悩みになっていらっしゃる気持ちは私にも伝わる。とても苦悩していらっしゃるのよ。

どうにかしてイサドラ・ナリスを追い出すことができれば良いのだけれど……


奥様は私だけを信頼して、イサドラ・ナリスのことを他の誰にも知られないようにと心を砕いていらっしゃる。


もしも、イサドラ・ナリスがいなくなっても……誰にも……


エイマは意を決したように顔を上げてノックした。


「エイマです」


「どうぞ」


静かにドアを開けると、虎の頭付きの毛皮にイサドラが大の字になっていた。いつもは其の虎の頭にすらりと伸びた足を乗せて、絹のストッキングを履かせろとか脱がせろとか言いながら、虎を踏みつけにしているイサドラが、エイマは好きになれない。


「イサドラ様、どうかなさいましたか……」


ふかふかの絨毯に立つ。屋敷の何処にもこんなにふかふかの絨毯は敷かれていない。


「エイマ、あなた、ジョセフィン・ベーカーって知っているかしら」


「はい、チョコレート色のダンサーですね」


イサドラは其の答えが気に入ったらしく、身体をエイマに向けて横臥した。


「ねぇ、奥様に伝えて。私、暫くフランスに行きたいわ。ジョセフィン・ベーカーを観たいの。あなたを連れて行くわ」


もう決まったことのように言い放つ。


「畏まりました。此のクッションカバーをセットしたら直ぐに、奥様に伝えて参ります」


ソファーの上には豪華な刺繍のクッションが幾つも並んでいる。それをイサドラは嫌って、すべて毛皮にしろと我が儘を言った。其の我が儘は簡単に通り、奥方とエイマが二人で奥方の毛皮を解体して縫い直したのだった。


ベッドのミンクは特注品だ。一体どれくらい多くの動物の命を犠牲にしたのかと、エイマは暗くなる。


「それとね、もうひとり、連れて行きたいの」


「どなたですか……」


「そうね、きっとあなたも知っている人よ。記念になるわよ」


イサドラの脳裏にサニーの顔が浮かぶ。


ロウナー社長のバッグ一杯の金は没収されたけれど、世間は案外悪くはない。神様が見捨てた代わりに世間が面倒みてくれるもの。

そうよ、サニーに募金が集まって店を開くだなんて、最高だわ。何処で人生の転てつ機が切り替わったのかわからないけど、ラッキーだわ。サニーがウタマロに戻っているかと偵察に人を遣らせたり、あの川沿いで立ちんぼしているのではないかと探してもらったりしたのよ。私の家族、サニー。あなたは、あなた自身もどん底だったのに私の苦しい時に助けてくれた、私の家族よ。

待ってて。必ず、会いに行くわ。私の人生が私に優しくし始めたのよ。あなたにも分けてあげる。

ああ、楽しみだわ……世間は案外悪くはない。


毛皮の敷物を掛けたソファーに、読み捨てられた新聞が開いたままになっている。其の一面に、橋の上の銃撃戦の記事があり、二面に大きくジョセフィン・ベーカーのバナナダンスがフランスで大当たりして連日賑わっていること、三面にはイサドラを匿った不幸な生い立ちのサニーが、世間の募金によって飲み屋を開店することが書かれている。


毛皮の上で鼻歌交じりのイサドラに微かな殺意を抱いて、エイマはクッションに毛皮のカバーを黙々と被せた。










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