第25話 いくら女がショッピング好きでも

1927年の雪の季節に、アントローサ警部の朝食が変わった。熱々のリゾットと、珈琲が朝の楽しみになった。ラナンタータとラルポアにはウインナーか半熟卵も付いた。たまに季節外れのバナナマフィンが出る。


ショナロア(ラルポアの母)はスウェーデン製のガス式冷凍冷蔵庫に、此の国では珍しいバナナ一房を凍らせてある。夏、ラルポアと一緒にイスパノスイザ・アルフォンソ13世で市場に行った時のバナナだ。


今日も市場の駐車場にいる。薄く積もった雪に足を取られないように気を付けながら、ハラン上院議員のショーファーがラルポアに話し掛けてきた。駐車場では同業者同士が煙草を吹かしながら談笑に暇がない。


ショナロアが買い物をしている間、ラルポアも話に加わる。ラルポアが情報通なのは、こういう場での有益な雑談に拠るところが大きい。


「エディプス市議の葬儀に見なかったな」


ラルポアより少し年上のショーファーは、笑うと人懐こい顔になる。


「えっ……エディプス市議と言えば新聞で……」


エディプス市議会議員は『稀代の殺人鬼イサドラに復讐されたフーク議会とミリアム議員とも繋がりがあった』と新聞に書き立てられた。9月の話だ。イサドラは病院を脱け出した後、賞金首になっている。


「其のエディプス市議だよ。殺人鬼イサドラに復讐されなかったのだから、無実の人を新聞が叩いたと投書があって、今日の葬儀は大賑わいだったんだ」


「其れで奥方が……」


「ああ。なにせ噂の相手だから秘書と奥方が代理で参列して、さっき、秘書を送ったばかりだ。奥方はここ数日ショッピング三昧で、わざわざ家政婦を連れに戻って……昨日は屋敷に外商を呼んで1日中ドレス選びをしていた。靴屋も呼んだよ。かと思えば街に買い出しさ。こんなことは初めてだ。億の金を浪費している」


ショーファーが雇い主の情報を漏らすのは御法度に近いが、彼は白い息を吐いて其の暗黙の了解を破った。そのことに困惑しながらラルポアは応える。


「女性はショッピングが好きですよね。僕の母もショッピングに時間をかけます」


ラルポアは当たり障りのないように心掛けた。


「そうだよな。女はショッピング命だよな。しかし、奥方はそんな方ではなかったんだ。急にだよ。葬儀の帰りにも買い物だなんて……」


「男の立場としては恐ろしいですね。ショッピング狂いの女性は」


「だよな。何か提言すべきかな……立場を弁えるっていうのもケースバイケースだよな」


「何て提言するんですか」


「どうしようかな……」


「どうしたら良いんですかね」


二人とも雪の上の足跡に目を落とす。



カナンデラが目覚めた時、シャンタンの熱は下がっていた。夜中、何度か起きてネクタイとハンカチを濡らし、そのうちにタオルを見つけて真鍮の洗面器に水を張り、テーブルに置いてタオルを替えた。


ネクタイは額に巻いたままにしておいた。カナンデラの美的センスが惹かれたからだ。


大きな欠伸をして立ち上がる。シャンタンの首はフォックスの襟巻きとボルドーのカシミヤでぐるぐる巻きにした。天鵞絨のコートの上からカナンデラのトレンチコートを掛けてある。ストーブのケトルの水も足した。


カナンデラはシャンタンの頬にキスして、大股で部屋のドアを開けた。


側近が本から顔を上げた。目が合う。


「おっ、お前、何してんだ」


「あっ、ザカリーさん。お早うございます。会長は……」


「お前、いたなら入って来いよ。会長は熱出して大変だったんだからさ。おいらが卵を抱くみたいに温めちゃったぜ。親鳥の気分だ」


「親鳥……ですか」


一睡もしなかったのだろう、側近ツェルシュの目は赤い。


「お前、寝てないのか」


「は、番犬ですから」


「わはははは。面白い奴だ」


「会長の具合は……」


「ああ、寝てる。熱はさがった。俺様は帰るから、後は宜しく」


大股で出て行くカナンデラを後に、ツェルシュは会長室に入った。ソファーに近づく。


「お、お早うございます、会長……」


恐る恐る声を掛けると返事があった。


「お早う」


ぱっちりと目を開けたシャンタンが不機嫌な顔をしている。


「カナンデラのコートだ。カシミヤも。あの異様な夢は夢では……」


ネクタイを額に巻いたまま起き上がる。


「会長……熱を出されたとか……夕べ、お茶を買いに出た後、セラ・カポネの連中と銃撃戦になって……」


「ぇ……銃撃戦……」


シャンタンが会長の座に就いてから初めての、直属部下の関わる事件だ。


「連中は警察に逮捕されて行きましたよ。私は、会長のロールスロイスをやられました。ライトとドアの辺りだけですが、修理に持って行かせました」


「お前、大丈夫か……」


「はい。私は銃撃戦の経験は積んでますから」


会長専用車のロールスロイスもボディーの厚さは装甲車並みの特別仕上げだから、例え機関銃襲撃を受けても貫通はしないが、めり込んだ弾丸は半端じゃない。特注品の強化フロントガラスを割られなかったのは幸いだった。


「お前、寝てないのか。目が赤い。今日は休め」


「え、いや、あの……はい。ご自宅までお送りします」






























(17)結婚の邪魔


カナンデラから遅くなると連絡があったことはあった。


「カナンはきっとお泊まりしたんだ。あのイットガールの処で。遅くなるにしてもほどがあるよ」


ラナンタータは出かける準備が早い。お化粧するでもなく、黒マントの下はラルポアのお古のフィッシャーマンセーターをすっぽり着こんで、ちっともおめかしする気がない。


「ラナンタータ、カナンデラから聞く前に断定しちゃいけないよ。相手は……」


「ラルポアったらママみたい。ママが生きていたらきっとラルポアみたいに口煩いだろうな」


探偵事務所のいつもの窓辺からラルポアを振り向く。


「なんで其処だと思うの」


ラルポアはロンホアチャイナのお茶をマイセンのカップに淹れた。赤と金色の和柄のカップに美麗花茶の象牙色の花が開く。


「私の勘は鋭い。外れることは滅多にない。だからさ、ラルポア。さっきの話だけど、ハラン上院議員の他に議員の代理人が来ていたかどうか知ることはできるかな」


「ショーファーに聞いてみれば何とか……お茶だよ」


マイセンのカップを持つために、ラナンタータは長いセーターの袖に隠れた手の、手袋を外す。ラルポアはこっそりため息を吐いた。袖口の編み模様に見覚えがある。ラナンタータが『腰まで覆うから温い』と喜んだお古のセーターだ。


「其れとね、ハラン上院議員の家ってどこら辺かな。行ってみたい」


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