第15話  勃起した



天井は高く、赤い織りのカーテンが美しいドレープを作って流れる寝室。ジェイコバの影が揺れて、鮮血が飛ぶ。


サニーは思い出しながら言葉を繋いだ。


『マヌエラ・ド・サランドラの娼館に出入りする人なら、市議のフーク、ミリアム、エディプス、ロウナー商会社長、ロイヤルホテルの支配人モーズストーブ……他にもまだいるわ……』


サニーを生かしておいて良かったとほくそ笑むイサドラを、ジェイコバは満足気に眺めた。


先ず、独身のフークを訪ねた。フークは大人になったイサドラを見ても過去の過ちを思いださなかったが、イサドラには見覚えがあった。記憶が忌まわしさと合致する。


『花売り娘のサディです。この度、お店を持つことになりまして、お会いしたいと思っておりました』


イサドラは微笑んでハグを求めた。ベラドンナ抽出物の隠し場所は捜査されていなかったから、イサドラは数本の注射器と抽出物の瓶を回収できた。ベラドンナの花言葉の1つは『男への死の贈り物』。イサドラはまさしく、其の花言葉を実践した。ハグしながらフークの頸部に針を射した。


次いで、市議を辞めて引きこもっている老人ミリアムに会った。ミリアムは器具を使い役に立たない自身の淫欲を満足させた男だった。元気になる薬だと偽り、注射すると、喉の渇きを訴えた。イサドラは家の人に笑顔で其の旨を伝えた。


イサドラには時間がなかった。ジェイコバのブガッティで急ぎ移動する。精神病院の拘束服の患者が入れ替わった女医だとバレてしまう前に、全てを終わらせる必要があった。



エディプス議員は病院で死にかけていた。家族に手出しをしないと約束して、満月会メンバーの名前を聞き出した。


「サディ、私はやがて死ぬ。彼らも裁かれるべきだと私も思う。君を踏みつけてにしたことは許されざることだ。正しい裁きは裁判で行うべきだ。しかし、私は死に面しても、家族の為に社会的名声に傷を付けたくない。其れは彼らも同じだろう」


エディプス議員はサディに許しを乞い、サディは嘲笑った。


「神様ならあなたを許せるかもしれない。あなたを許すのなら私のことも許すわ。あなたたちがメンバー同士で許し合ってきた様にね」



ロウナー社長は大金を積んだが、ジェイコバに押さえつけられた。注入後、彼は呻き声を上げて暫くすると酩酊状態になった。


昼寝から目覚めて6時まで、4人に死をプレゼントした。時間が経てば彼らは痙攣し意識を失う。其れは死を意味する。


ロイヤルホテルの支配人モーズストーブは休暇で会えなかった。ガーランドを入れて残り6人。全てを殺す。


外食する為にサニーのアパルトマンに戻った。暖かい部屋に入って、イサドラとジェイコバは驚いた。新しいテーブルの上に料理が並び、3脚の椅子が用意されている。


「暇だったから沢山作ったの。味の保証はしないけど、腕に撚りをかけたのよ。食べて。安物だけど、ワインもあるわ。ウタマロから貰ったワインよ」


イサドラとジェイコバは家族の様に互いにハグし合って食卓につく。死と殺人の臭いは暖かい部屋の美味しい料理に掻き消され、胃袋の満足と家族団欒の雰囲気は復讐を暫し忘れさせた。


サニーは、イサドラが近いうちに店を持つものだと信じている。其の店で使ってもらえる。人間らしい生活ができる。偶然舞い込んだ幸運に付き纏う邪悪な影に気づかない、明るい笑顔だ。


ジェイコバは、ロウナー社長から巻き上げた大金の入ったバッグを広げた。


「サニー、お店を持つのはあなたよ。このお金があれば、お店一軒くらいは持てる。あなたは私たちにとって母親みたいな大切な存在になってくれたから、プレゼントするわ」


「母親だなんて。うふふ、私を一体幾つだと思っているの。私はまだ32才よ」


「私より10こ上ね」


「俺様よりも少し上だ」



長い夜を迎えても話は尽きなかった。ジェイコバは酒を大量に買って戻り、店を持つならこんな国境近くではなく街に出るべきだと言った。


夜は楽しく優しくすぎた。イサドラとジェイコバは夢を語った。サニーに店を持たせる夢だった。サニーはイサドラとジェイコバにとっての傀儡、自身の代理者、身代わりに夢を叶える者になった。3人揃って怖いくらい幸せだった。




最初にミリアム老人が死んだ。家族は老人の突然死に驚き嘆いたが、受け入れた。次にエディプス議員。親しい友人のパーティーの席だった。そしてロウナー社長、異変に気づいた秘書が軍用トラックに似た救急車を呼んで入院の手続きを取ったが、間に合わなかった。

まだ事件として浮上せず、繋がりも気づかれていない。真相を知るエディプスは黙して死ぬつもりだ。




「奇妙な縛り方が話題になった。誰の仕業だ」


アントローサ警部がラナンタータを睨んだのは朝食の時だった。クロワッサンを一口分に千切って燻製のハムとホクホクのポテトを挟む。其処にバターと炙りチーズをたっぷり乗せる。オーツ麦のスープにはニンジンとレタスが入っている。朝は軽く済ませるので、少しのフルーツと珈琲が付く。


ラナンタータはにっこり笑う。


「お父様、私にはそんな手荒な芸当はできません。奇妙なと言うより芸術的なと言った方が素敵だと思います」


「ラナンタータ、やっぱりお前か」


「見抜かれたか……さすがは警部」


「お前のやんちゃぶりを人様から聞かされる私の耳は恥じておる。大体何で天使のように恵まれた外見に生まれておきながらそんな荒っぽい真似をするのだ」


「恵まれている……私が……」


「そうだ。お前は世界を知らない。世界もお前を知らない。其だけのことだ。お前は十分恵まれている。平穏無事に暮らしてほしい」


「私だってそう願っているけど、あいつらの方からやって来たのだ。やっつけても構わないだろう」


「ラナンタータ、お前は女の子だ。忘れるな」


「私は女の子だからといって押さえつけられるのが嫌いだ。何で女の子は押さえつけられるのだ。男になりたいとは思わないけど、腹が立つ」


「ラナンタータ、お前暫く日本に行ってみるか。日本の行儀見習いは凄まじいと話題だ」


「ジャポネ、ジャポニカ、ジャポニズム。わあい、本当に。嬉しい……ラルポアも喜ぶ。でもカナンデラは……」


「日本は男尊女卑の国だぞ。良いのか」


「アマゾネスの国以外は世界中何処も同じだろう。でも行く、ジャポジャポジャポン。ああ、私は恵まれている。親の金でジャポジャポジャポンだ」


「私が言ったのはそういう意味ではなかったのだが……」





ウタマロで逮捕したサングラスの男は、ミリアム老人とロウナー社長がヴェルラケラピスのメンバーだと自供したが、舌を噛んで死んだ。


アントローサ警部の部下はミリアム老人とロウナー社長が同日に死亡していることを突き止め「折角手にした情報が霧散したが、おかしいと思わないか」と首を捻った。


家宅捜索の礼状を持ってミリアム老人とロウナー社長自宅を調べ、血の染みた白いガウンとヴェルケラピスの紋と思われる記章、多数の手紙やカードの類い、記念写真を押収した。


記念写真には恐るべきものが写っている。心臓と子宮と思われる臓器を左右の手に掲げて笑うミリアム老人と12人のメンバー。


其の中に知った顔があった。



シャンタンは鏡の前に立った。湯上がりの火照った皮膚が艶やかに弾く水滴。薄くなったカナンデラのキス・マーク。触れるのも忌々しいが、ふと、イメージに襲われた。カナンデラの顔が近い。心臓が止まるかと思った。息子が反応する。


「殺す、カナンデラめ。殺してやる。俺様は男だ。お前の尻に突っ込んでやるぜ。うおおおおおお」


勃起した。




劇場に向かう刑事の横を若いカップルが通りすぎる。金髪の男はダークカラーのスリーピース、足を微かに引きずっている。ストールの女は毛皮のロングコート、揃ってサングラスのセレブなカップル。1920年にシャネルから出た香水キュイール・ドゥルッシーがふわりと香る。若い刑事は振り返りながら再び口笛を吹いた。


劇場支配人に会いたいと告げる。双子の芸人は支配人の座に収まり、舞台に立つことはなくなっていた。刑事は支配人のブースに通された時、異変が起きた。双子が共に喉を掻き毟っている。


「水をくれ」


「早く、水を」


刑事は聞き込み処ではなくなった。死に瀕しているわけでは無さそうだが、異常事態らしいことはわかった。


若い刑事の身体が反応した。猟犬の様にサングラスのカップルを追う。駐車場からブガッテイは出ていた。ナンバーも確認できないほど遠くに去ってゆくブガッテイは、若い刑事の胸に何らかの匂いを残した。




「イサドラは女神のようだ。俺様を覚醒させてくれた。今までちんけな下っぱ家業で小銭を稼いでいただけだったが、社会のトップに君臨する悪い奴等に天誅を下すことができる。それこそが俺様の望みだ。社会を変えるのだ」



サイコパスは言い訳を用意して自分の犯罪を正当化する。イサドラも笑った。


「社会を変える。其れは良いわね。私は自分の復讐を遂げたいばかりだったけど、ジェイコバの言う通りだわ」


「残りは今日中に片付けられるぜ。女神様」


「ジェイコバこそ、私には天使の様だわ」



ジェイコバは、血糊のついた刀を振り翳して追いかけて来る気の触れた父親とは違う。血の繋がりはないけれど家族も同じ。忘れていたけれど、昔、大きな家に住んでいた。施設に入れられて、其処から親戚が花屋に養女に出した。私が受けるべきだった親の遺産はどうなったの……



残りは3人だ。モーズストーブのことはイサドラには話していない。話せば喜ぶだろうが、効果的なタイミングで話そう。ヴェルケラピスの仕事を請け負っていた過去を知られたくないからな。アベロもやがて死ぬ。ヴェルケラピスのメンバーが児童買春の満月会Rにも席を置いているとは、死は天誅を受けるべき奴等に相応しいプレゼントだ。

天使……か。死神じゃなくて残念だが、なかなか嬉しいことを言ってくれるぜ、女神様。まるで可愛い妹ができたみたいだ。




ランチにアパルトマンに戻った。サニーが寂しがって早く帰って来てとせがんだからだ。


サニーは殴られてひっくり返っていた。顔は醜く膨れ上がり、身体には大きな靴跡が青黒く残っている。家具の無い部屋中に割れた皿とグラスが散乱し、料理がぶちまけられている。



「どうしたの、サニー」


「別れた彼氏が戻って来たの。お金は守った。お前、お金があるなら出せと言われたけれど、隠し場所は言わなかったよ。でも、夜、仲間を連れて来るかもしれない」



ジェイコバは天井裏からバッグを下ろした。其れを持って3人で出る。サニーは濃いめの化粧とマフラーで顔を隠し、サングラスと保温効果の高いフェルトのフードマントを買った。この際だからと3人共に衣装を変えた。サニーは有頂天になって喜んだが、直ぐに怖がって泣いた。



「幸せ過ぎて怖い」



いつまで続くのだろう、こんなに幸せな時が……いつまでも続いてほしい。壊れないでほしい。



サニーの願いは虚しく、3人の時間は直ぐに壊れる。





「あ、イサドラだ」



イスパノ・スイザ・アルフォンソ13世の後部座席からラナンタータが目敏く指摘した黒のブガッテイ。



「ジェイコバに似ている」



金髪の精悍な顔つきをしているサングラスの男は、カナンデラ・ザカリーの田

舎の事件で検挙した犯人、ジェイコバに似ている。


ラルポアは不安に駆られた。外出禁止のラナンタータを人の多い美術館に連れていくのも問題なのに、イサドラと出くわしてドライバーがジェイコバに似ているとは……


ラルポアはブガッテイを無視して通り過ぎた。






「今のアルビノ、見たか」


「知っているの」


「恨みがある」


「出入りしている探偵事務所を知っているわ。夜になる前に話しを付けに行きましょ。先ずはランチよ。ロイヤル・ホテルはどう」


「彼処はまずい。警察官がうろちょろしている。旨い店ならランクは落ちるがボナペティはどうだ」


「良いわね。ムール貝食べたかったのよ。パイのキャビア乗せも、トリュフ入りのデザートも。サニー、味を覚えてね。サニーは料理上手だから材料さえあれば」


「あはは、期待して良いわよ。兄弟姉妹の為なら頑張るわ」


「嬉しい。生きる希望が沸くわ」


「楽しみだなぁ」





3人の企みを知らないイスパノ・スイザのアルフォンソ13世は美術館へ向かう。ラナンタータが文句を言う。



「ラルポア、私はイサドラと一緒にいたのが誰かを確かめたい。あの時の犯人に顔つきが似ていた。妙な感じだ。落ち着かない」


「確かめたるも何も、あの時の犯人は捕まって投獄されたじゃないか。ラナンタータは少し神経質さんだね。尤もだけど、今は大人しく美術館に」


「嫌だ。ラルポア、あのブガッテイを着けて」


「駄目だよ、ラナンタータ孃。僕はボディーガードとして反対する」


「じゃあ、カナンデラの事務所に行く」

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