第6話  三人バラバラ


ラルポアはずぶ濡れになる前に運転席に潜り込んだ。少しでも上手く雨を遣り過ごそうと、車を林の中にバックで入れた。もう、外には出られない。イスパノ・スイザのコンパーチブルの幌は横殴りの雨の中を走るには心もとない。荷物も濡らすわけにはいかない。だから油紙を貼った防水シートを被せたのだが、そうなるといよいよ発進できない。

雷が鳴った。土砂降りの雨に閉じ込められて、ラルポアの胸はざわつく。


ラナンタータに何かあったら……まあ、カナンデラは戻っているだろう。いつものことだ。しかも、ラナンタータはデリンジャーを持っている。例え危険が及んでも、ラナンタータなら心配ない。其れに此の村はカナンデラの親戚の村で、今日は結婚式だ。何かが起きるとは思えない。


風雨に荒ぶ木立とコンパーチブルの幌とシートが擦れる音。雨の匂い。ラルポアは運転疲れで夢の中に迷い込んだ。


ラナンタータは年がら年中黒マントを着ているせいか、今日のような素敵なドレスは感動すら与える。あれはいつだったっけ、カナンと僕にお下がりをねだったのは……男装の麗人を気取るにはサイズが問題だとカナンに一笑に伏され、ラナンタータはそっと口を尖らせていたっけ。


結婚式のドレス選びは、カナンと3人でわざわざフランスまで行った。楽しかった。美しい硝子細工のようなノースリーブのドレスを選び、ラナンタータは母親の形見のチョーカーで首元を飾って、やっと貴族の娘らしい姿になった。其れなのに、黒絵の具を頭に塗るなんて……ははは、可愛いことをする。


昔、同じようなことがあったっけ。茶色の絵の具を顔に塗った時……



『なんて真似をしやがるんだ。#此方__こっち__#はお前のアルビノらしさを愛して止まないと云うのに』

『そうだよ、ラナンタータ。君はみんなに愛されている。世界には君のようなアルビノが片身の狭い思いをして生きているんだ。アルビノが堂々と生きていける時代を作るんだろう。力になるよ』

『勘違いするな、ラナンタータ。ラルポアは仕事だからな』



仕事……妹のように思っている。家族愛だ。4つ下の可愛い赤ちゃんを見た時から、妹のように愛している。


『そうだ、ラルポア。君の妹みたいに可愛がってくれよ』


アントローサ警部……4っつだった僕の頭を撫でてくれたんだって。さすがに覚えていないけど、母から何度も聞かされた。




ラルポアの夢は今朝の情景を描いた。


『ラナンタータ。此れはお前の母親の形見だ。私が贈った記念すべき品だ』


一目で高価な物と分かる箱の中には、白い貝殻に女神のレリーフを象ったカメオのチョーカーが鎮座していた。父親の手で首元を飾り、ラナンタータは鏡の前で佇むラナンタータ。黒い天鵞絨のリボンが黒塗りの髪の色とマッチする。異様に白い肌色に優しく色を添える影も、ラナンタータの整った輪郭を飾る。ラナンタータは、母親の形見に目を奪われた。


ラルポアは、子供の頃からラナンタータを妹のように守ってきた。運転手だった父親が亡くなっても母親はアントローサ家の台所で働き続けている。そういう立場だ。


大戦後、ラルポアはアントローサ警部に大学進学を勧められたが、それを断ってラナンタータのボディ・ガードになった。アルビノの肉を喰らいたがる輩は何処にいるかわからない。それなのに、ラナンタータは14才から通学に1時間もかかる聖ヒジリア学園に通うことになった。警部はボディ・ガードを雇うと言い、ラルポアが名乗りを上げた。若輩者だが格闘センスがあり、ラナンタータと気心が知れている。恋だとか愛だとか考える暇はなかった。ラナンタータは就学前に誘拐されかけた。


ラルポアは夢の中で過去に入り込んだ。ラナンタータの肉を狙う『アルビノ狩り』の連中が闇の中で蠢く。ヴァルケラピスだ。ラルポアは其の連中と格闘になり次々と捕らえてゆくが、ラナンタータを奪われた。走っても走っても追い付けない。夢の中では上手く走れない。焦ったラルポアは喘いで目が覚めた。


雨は止んでいる。フロントガラスから闇が覗いていた。


「そうだ、ラナンタータというらしい」


「ラナンと似た名前じゃないか」


「ラナンのように命を狙われるかもしれない」


「誰が狙うと言うのだ、ドレッポ」


「わからない。ラナンタータという娘を放っておいても良いのか」


はっきりした声が近づく。


「ドレッポ、ラナンタータという娘は何処に泊まるのだ。それが分かれば……しっ……車だ……逃げろ」


ラルポアはドアを開けた。影が林の中を走って行く。ラルポアは追いかけたが、夢の中のように追い付けない。


「ラナンタータの味方をしてくれるのなら、僕を恐れなくても良いのに。だが、待てよ。ラナンとか言ってたな。誰だ、ラナンとは……」



雲の切れ間から覗く月は、辺りを蒼ざめた異世界のように照らす。コンパーチブルの幌の上から垂らしていた防水シートを畳んで、少しばかり車で進み、村人が大勢集まっている広場に入った。声の主はわからないが、ラナンタータの身を案じてくれる人が此の中にいる。ラルポアはラナンタータとカナンデラを探した。



カナンデラの方でもラルポアを探していた。ラナンタータはラルポアと一緒に違いないと思い込んでいたから、木立に掛けたランプの灯りでラルポアの姿を認めた時には驚いた。ラルポアとほとんど同時に目が合って、互いにラナンタータとはぐれていることを察知したからだ。駆け寄る。


「「ラナンタータは……」」


辺りを見回して、大柄な村の奥さんの後ろから姿を表したアンナベラを見つけた。


「カナンデラ、ラルポア、楽しんでるぅ」


アンナベラは柔らかな高い声色を夜気に放った。其の振動にカナンデラとラルポアは安堵する。思わず顔を見合わせて肩を竦めた。


「アンナベラ。会えて良かった。ラナンタータは……」


「え……一緒じゃないわ。さっきまでメリーネさんの家で雨宿りしてたけど」


「なんてこったい、アンナベラ。俺はてっきり君と一緒だろうと」


「メリーネさんのお宅で、ラナンタータは服を借りて、あなた方に見せたいって……ふふ……可愛いかったわよ。でも今は其れより、興味深い話を聞いたの。此の村にもアルビノがいたんですって。しかも、ラナンと言う名前よ。奇遇だわ」


カナンデラとラルポアは目を瞠り、カナンデラは眉を顰め、ラルポアは笑顔になった。


「俺も聞いた。殺されたのだろう、其の娘は」


「「殺された……」」


ラルポアとアンナベラの声がハモった。


「殺されたんだ、2年前に。俺はハウンゼントの実家で此の村で起きた謎の事件を幾つか聞いた」


「私はメリーネさんの家で雨宿りさせてもらったけど、そんな話は……」


カナンデラが驚く。


「メリーネ。ラナンの母親じゃないか」


「まあまあ、話は大体わかった」


ラルポアはカナンデラとアンナベラの顔を順番に見て、声を潜めた。


「ドレッポを探せ。彼は味方だ」


「ドレッポ……」


アンナベラは小首を傾げた。何処かで聞いたような名前だ。


「車の近くに来て誰かと話していた。僕が車から下りる前に逃げたから顔確認できなかったが、ラナンタータの身を案じていた」


「此の村で起きた事件の一番始めに、アルビノ狩りが関係しているのかもしれない。そして彼は何かを知っている」


「私はメリーネさんに当たってみるわ。勿論、ドレッポも探す」


「じゃあ俺たちもドレッポを」


「ラナンタータはデリンジャーを持っているわ。拳銃の音がしたら……」


「わかった。しかし、何故デリンジャーを……」


「其のことは後で」


言い終わらないうちに拳銃の音がした。そう大きくない音だが、夜気をつんざく音がはっきり聞こえた。


「今のは」


「銃声だ。西だ」


3人は駆け出した。広場の灯りが3人の後ろ姿を浮き上がらせる。


「アンナベラ、アンナベラ、何処へ行くんだ。くじ引きダンスが始まるぞ」


ハウンゼントの声が3人を追う。白いウエディングドレスが振り向いた。


「ハウンゼント、お願い。ランプを頼むわ。灯りが必要よ」


アンナベラの声が遠ざかる。ハウンゼントは、広場を巡る木立に設えたランプを手にした。


「ハウンゼント、何処に行くんだ。主役がくじ引きを見ないのか」


ハウンゼントは後ろ向きに進みながら

「花嫁を呼んでくる。暫く待ってくれないか……いや、始めてくれて構わない。結果は後から教えてくれ」

と言うと踵を返して3人の後を追った。





猿ぐつわのラナンタータは身を捩ったが、脚を柱に固定されて動けない。金髪の男を睨んだ



「此の納屋なら誰も来ない。其れより車だ。ルノーで来たんだろう」



ルノー。1900年代後半から、この小型のフランス車は大量生産されてタクシーとしてパリを中心に活躍していた。


此の国でもルノーと言えばタクシーのことを指す。



「運転できないんだからブガッティで来るわけにはいかないでしょ。あんたのT型フォードはどうしたの」



女はラナンタータを押さえつける時に噛まれた腕を擦った。



「森の奥だ。糞……アルビノが来ることが分かっていながら此のざまだ……いつもついてない」



男は脚を引き摺った。



「仕方ないわよ。笑って。戦争の傷が痛んでも死ぬよりましだわ。私が車を運転出来れば良いんだけど……」


「アルビノは高く売れる。アルビノの肉を食えば不老不死の力を得られると信じている教団がある」


「あら、初耳だわ。教団ってなあに……」


「其れを知ってどうする」


「どうもしないわよ。ねぇ、其れより、ラナンの時みたいに失敗しないでね。殺しちゃったら引き取ってもらえないでしょ。私はもう行くから、後でね」


「ああ、このデリンジャーは何処か他所に捨ててくれ。目につく処に」


「分かった。じゃあくれぐれも妙な真似をしないでね。其の子、あんたみたいなクズに犯られたら死ぬわよ。相当プライド高いから。じゃあね、アルビノさん」



ラナンタータは身を捩って騒ぎ始めた。



「どうした。挑発する気かぁ……これ以上騒いだら……」



最後まで聞く前にラナンタータはぴたりと動かなくなった。ううう……と呻いている。



糞ぉ、人間のクズが……

私の肉を喰うだと……

カニバリズム教団ヴァルケラピスか……



男は立ち上がって腰のベルトに手を掛けた。



確かに此の男の顔に覚えがある。5年前になるか……学園編入が決まって、教会付属寄宿学園の8年生になった時。アルビノ狩りを危惧して私だけ通学を許可してもらった……其の学園の更衣室にヴアルケラピスの構成員が潜んでいた。


其の日は授業参観日だったから生徒の家族が訪れて賑やかだった。私は休めと言われていた。父が犯罪捜査でき参観できないことが分かっていた。


此の男だ。潜んでいた此の男に追われ、ラルポアがこいつを投げ飛ばさなければどうなっていたことか。


此の男は脚が痛むのか。ラルポアに投げ飛ばされて痛めた脚か。おかしな走り方で逃げる後ろ姿は印象的だった。



「アルビノは早死にするらしいな。尤も、狩られちゃ長生きは無理だわな。これを喰らえ」


ビシッとベルトの鞭に打ち据えられた。ビシッ、ビシッとラナンタータの身体に皮ベルトの鞭の衝撃が走る。ラナンタータは寝返りを打った。



うっ……ううっ……



「此れくらいでは死なないだろう」



男は続け様に数回皮ベルトをしならせたが、ラナンタータを殺す気はない。



背中を数回打たれて、ラナンタータは痛みに顔をしかめる。




「「「ラナンタータ、ラナンタータ」」」



遠くからカナンデラやラルポアの声、アンナベラの声もする。ラナンタータはほっとして脱力した。



遠くから銃声が聞こえた。



納屋に近づきながらカナンデラは音に反応する。



「銃声だ。ラナンタータは向こうだ」




違う、カナンデラのど阿呆。


誤誘導するなああああああ……


私は此処だ。

此処にいる。


カナンデラ、ラルポア……


アンナベラ……



た、助けて……



……か、神様……





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