第5話 三つの死体とヴェルケラピス


「死体が3つ。連続殺人事件か……」


カナンデラは組んだ膝の上で長い指を遊ばせた。ピアノを弾くような手つきにも見える。


古い館は、100年前に四人の旅人によって成敗された領主の持ち物だ。領主の娘が婿を取り、其の直系子孫がハウンゼントになる。カナンデラは父親繋がりの傍流の関係だが、ハウンゼントにとって親戚はカナンデラだけだ。奥手のハウンゼントに子孫ができなければ、シャンタン坊やに子供を孕ませてでもハウンゼントに養子を与えなければならないと、冗談誤魔化しに笑っていた。


去年の秋にフォレステンの家で見つかったのは、長らく行方不明だった旦那。森の中で奥さんが首を吊って、旦那を殺して自殺したということに落ち着いた。


しかし、其の後で似たようなブガッテイがファイアッテン未亡人の館に来た。ファイアッテン未亡人は村一番の金満家だ。まだ女盛りの豊満な肉体を黒い喪服に包んで、化粧もせずに村の活性化に取り組んでいる。


「しかし、其のブガッティはファイアッテン未亡人には会わずに、近くの村から雇った女中がいなくなり、街に向かう街道で車に撥ね飛ばされたらしい老人の死体が発見された、と言うことか。ブガッテイに因るものらしい轢き逃げ殺人事件は捜査中。で、問題は、轢き逃げされた老人がフォレステンのじいさんだと言う点だな。フォレステン家の3人が短期間に亡くなるなんてことが……」


これまで村と繋がりのあったバイヤーにブガッテイを持っている者は無く、アリバイも全て白だった。普段はこそ泥相手くらいしか働きのない地域の警察は、ここぞとばかりに大挙して村のあちらこちらを其れこそ虫眼鏡で見るかのように探し回ったが、雨の後でブガッティが走ったタイヤの痕跡すら見つからず、第一発見者のアリカネラは肩身が狭い処の話ではなくなった。


『奥さんが犯人なのではないですか。第一発見者と云うのは怪しい』


取り調べを受けて警察官に言われた言葉はアリカネラを傷つけるのに十分だった。アリカネラは去年の秋辺りから体調を崩し、鬱の気に悩まされている。


「この村は作物が豊かに実る豊穣の土地だ。大戦の反動か、ワインもチーズも作れば売れる。以前は馬車で、一番近い町や、高く買い取ってくれるフランス国境まで行ったものだ。人手が必要な村だからアパルトマン計画もある。僕はプチホテルをやりたい。レストランを母とアンナベラに任せて、僕はパンを焼いたら、後は洗濯をするつもりさ。勿論、掃除もね」


ハウンゼントは街の学校を出て役所に勤める予定だったが、何を思ったのかエリートの道を捨ててパン屋の下働きに入り、今では村一番の葡萄パンの名人だ。ファイアッテン未亡人の館に毎日パンを20人分60個納入する。アリカネラの使用人も10人は下らない。昔からのギルドに広大な牧場や葡萄園を任せ、ワインやチーズを作ってきた。アリカネラ自身もジャムを作る。ジャムパンも好評らしい。ギルドや家のパンを合わせればハウンゼントは毎日200個以上のパンを作っていることになる。


「素敵な計画だ。しかし、困ったな。バイヤーが全員白だと云うのなら、女中は何処に消えた」


「村人の中には、ファイアッテン未亡人の女中も何処かで殺されているのではないか、と心配する者もいる。ファイアッテン未亡人はこの村からだけではなく近隣の村や町からも女中や作男を雇い入れていて、まあ、其れはうちでも同じだが、此の村の広大な土地の収穫期は流れ者でも雇い入れる。収穫期には、納屋の二階は何処でも余所者所帯だ」


「では、去年の秋も流れ者がいたのだろう」


「何処でもだいたい毎年同じ人を雇っている。不振な人物はひとりもいなかった。ブガッテイのバイヤーが誰か分かれば、轢き逃げ殺人も解決するのではないかと皆が思っていたんだ」


「あの人たちに疑いを掛けたら神様が怒るわ、ハウンゼント。お前のパンを喜んでくれる人たちなのよ」


アリカネラが首を振る。


「伯母さん、聞きにくいことを聞くけど、形だけだから、良いかい。伯母さんと女中は知り合いだよね。どんな人だった。名前は」


「知り合いって、話したこともないわ。顔見知りよ。名前は……ファイアッテン未亡人の処の使用人は見たら分かるわ。毎年同じ顔。其の女中だけど、目の下に黒子があっのよ。肉感的な色っぽい娘だったわ」


「僕も一度見たけれど、覚え易い顔だ」


「ふうん。覚え易い顔ね……」


殺人事件は去年の秋、女中が行方不明。犯人が女中だとしたら何が狙いだったのだろう。

フオレステン家の当主は長い間行方不明だった。帰って来た其の日に殺された。タクシー……フランス製のルノーが街を走り回る時代だ。おそらくルノーで帰って来たのだろう。

待てよ。ブガッティなら、女中は運転できるのか……

其のブガッティは誰が運転して来た。フオレステン家の当主か……

当主を殺してブガッティで逃げた。

俺の推理が正しければ、おそらく犯人は女中だ。

ブガッティと当主が繋がれば……

警察が気づく前に解決だな。金一封はまたしても此のカナンデラ・ザカリー様のモノだ。わははは……

シャンタン坊や、楽しみだなぁ。次はホテルに誘ってやろう。



「ま、其れはそうと、今日はハウンゼントの結婚式だ。おめでとう、ハウンゼント。幸せになれよ。ああ、お祝いの品を持って来たのだけど、生憎車に置いて来た。雨も止んだ様だし、広場の様子も気になるから失礼しても良いかな」


何故か急に幸せそうな笑顔を振り撒いて、カナンデラはハウンゼントに両手を広げた。


「有り難う、カナンデラ兄貴」


「黎明祭の警告の文は何人に話した」


「村人全員が知っている。回覧板みたいに廻って来たんだ。小さな村だから直ぐに広まって、くじ引きが大変だ」


「そうか、わかった。黎明祭には必ずお前と花嫁を守る。心配するな。伯母さん、元気出して」


カナンデラはハウンゼントとアリカネラに厚いハグを交わして広場に向かった。





「早くドレスの染みを抜かなくちゃ。あなたアルビノでしょう。気にしないで。シャワーを使うと良いわ」


メリーネと名乗った家の主に見抜かれて戸惑ったが、土砂降りになった雨の中、何処にも出られず世話になるしかない。


「ドレスの染みは諦めます。タオルを貰えますか」


ラナンタータは静かな声で言った。自分がどれ程強烈な印象を与える者であるかを知っている若い娘の自制は、小太りのメリーネに一笑された。


「水溶性の染め粉でしょ。絵の具かしら。繊維の奥に入り込む前に叩き出せば色残りしないから、ほら、遠慮しないで。此の服を代わりに着てみて」


頭をタオルで乾かしたラナンタータは、メリーネの都会に出た娘のものだというウエストの細いドレスを借りることになった。時間をかけて刺繍した民族衣装は様々な色の刺繍糸が大小の花の図鑑の様相を呈して華やかだ。初めて着る民族衣装にラナンタータはため息が出た。


「こんなに素敵なドレスをお借りしても良いのでしょうか」


「やっぱり、とっても似合うわ。うちの娘もアルビノよ。娘が帰って来たみたいで嬉しいわ。ハグさせて」


「ラナンタータと言います」


「まあ、うちの娘はラナンよ。名前まで被るなんて奇遇ね。其れに、其の服、あなたなら入ると思ったわ。体型までそっくり」


メリーネはラナンタータをしっかり抱きしめて「ラナンタータ、幸せになるのよ」と頬に軽いキスをした。


ラナンタータは気持ちが楽になるのを感じた。絵の具が落ちて白い髪の毛が現れても村人は驚かなかった。メリーネの娘ラナンの、真っ白な姿を見慣れていたのだろうと、得心がいく。


此の村に来る前に知りたかった。そうなら絵の具頭にする必要なんてなかったんだ。カナンの馬鹿野郎。何が『アルビノのお前だから愛している』だ。従妹の私だから愛しているのじゃあないのか……

いや、あんな単細胞に愛されても困る。裏社会と繋がっているし、単細胞なのにファッションセンスだけは超一流だから、見てくれだけで人様を騙すヤバい従兄だ。

そう言えば、パリでレースの薔薇の素敵なブラジャーを買ってたけど、あれはとても高級品なのに、私にくれる物じゃなかった。

カナンデラ・ザカリーは繁華街に事務所を構えて夜の蝶々さんたちと宜しくやっていそうなのに、見かけに依らず女の点では噂一つない奴なんだけどな……

としたら……誰だ。あの単細胞を其の気にさせたのは……



石造りの頑丈そうなメリーネの家は、内部が同じ大きさの4つに別れ、ひとつが台所になっている。7人は台所に通された。夕暮れの窓を打つ雨足の激しさに寒々しさを感じたが、温かいミルクが出されてほっとした。


ファイアッテン未亡人が口火を切って自己紹介になり、皆のプロフィールが明らかにされた。


まず、ファイアッテン未亡人。年は34才。広大な農地を所有して牛と羊を飼っている。農地や館の使用人はおよそ20人ほど。此の村一番の大富豪で、アパルトマン建設計画を立てている。アパルトマン建設は村を活性化して町へステップアップする都市計画の一端だと考えている。


ファイアッテン未亡人は黒いドレスに身を包んでいる。今でも亡き夫に忠誠を尽くして独身を貫き通す為に喪服を脱がず、今日の結婚式の為に白いエプロン姿で料理を運んだり皿を片付けたり、裏方として動き廻っていた。


優しい目でラナンタータを見る。




アンナベラ・ザカリー。旧姓スワンセン。18才。都会育ちだが、ラナンタータの従兄のカナンデラに紹介されたハウンゼントと恋に落ちて、今日が結婚式。プチホテルのレストランを営業するつもりで希望に燃えている。


アンナベラはラナンタータと気の合うクラスメイトだった。勝手に寄宿舎から抜け出して来てラナンタータの家でパジャマパーティをした悪友だ。アンナベラは動であり太陽であり電極で言えばプラスであった。ラナンタータは静であり月であり電極マイナスであった。光と影のようにつるんでいた。

しかし、アンナベラの主観は全て真逆だ。ラナンタータを光と思い太陽でも月でも星でもあった。学園生活の全てだった。ラナンタータは友人を作らなかったが、アンナベラにはラナンタータ以外に友人はいなかった。


アンナベラは秘かにラナンタータの指と自分の指を絡めている。



ヨルデラ・スワンセン。24才。歌手。アンナベラの従姉で、アンナベラの父親が結婚に猛反対して参加を拒否している為に、スワンセン側からの参加はヨルデラのみ。


女豹を思わせる化粧が印象的な美しい舞台人は、フランスで喝采された歌を歌った。日本語の歌だ。日本のキモノをセパレーツショーツだけの身体に羽織って、槍を振り回しながら歌うのがヨルデラの演目『黒田節』だ。ヨルデラは此の出し物でムーランルージュにも出たと言う。


ヨルデラの奇想天外な歌は日本人以外を驚かせた。



イクタ・シンタ。32才。日本人。元美術留学生だが、世界大戦中にフランスから流れて住み着いた。ファイアッテン未亡人の納屋の2階で暮らしている。


田舎に疎開してアルブレヒト・デューラーの水彩画に出会った。其の水彩画の出所を探り流浪して、ザカリー家が400年も前の画家の肉筆水彩画らしき数点を所有していることを知った。デューラーが流浪した2年間に此の村に立ち寄ったのではないかと考えている。


彼はアルビノのラナンタータに奇異の目を向けない。



セホッポ・ダリアレン。20才。隣村の出、ファイアッテン未亡人の納屋で暮らして2年になるカウボーイ。兄弟で出稼ぎに来ている。

 

牛追いの傍らチーズ作りにも精を出す。セホッポの村は貧しく、長男以外の男子は全て村外に出稼ぎに出ている。数年働いてお金が出来たら労働賃金の高いフランスに出ようと兄弟で決めている。


ラナンタータを初めて見た時は驚いたが、年が近いせいか、何か話したそうに笑顔を向ける。



ラナンタータ・ベラ・アントローサ。19才。生まれつき肌や髪の毛の真っ白なアルビノ。従兄カナンデラの探偵事務所に出入りして、暇潰しをしている。


4年間クラスで仲の良かったアンナベラの結婚式に出席する為に、従兄のカナンデラ・ザカリーと運転手兼ボディ・ガードのラルポアと此の村に来た。


ラナンの存在を知って気が緩んだ状態。陶器質に見える顔が和らいでいる。



最後に家主のメリーネ・デナリー。45才。機織りをして生計を立てていたが時代に押されて手織り布は衰退気味。村のギルドでチーズ作りに参加している。


メリーネは、娘のラナンのことを伏せた。此の村に昔からいるファイアッテン未亡人とイクタ・シンタは、メリーネの娘がアルビノだったことを知っている。セホッポには、ラナンとほとんど同時期に入れ違いのようにやって来た印象を持っている。


メリーネの関心はラナンタータに温かく向いた。




お互いがそれぞれに相手を見知った者同士の中では、新婦アンナベラとヨルデラとラナンタータの3人だけが新参者だ。話は自ずと3人の関係に移り、次に「黎明祭のくじ引き」に移った。


「黎明祭の旅人の訪問を断れだなんて……今は其の怪文書を持っていないのね」


メリーネが尋ねた。頷くアンナベラに、ファイアッテン未亡人が残念そうな顔を向ける。


「アンナベラ、去年、此の村であった殺人事件のことを知っているわね。フォレステン家の3人のこと」


ヨルデラの目が光った。


「どんな話ですか。是非、聞かせてください」



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