第3話

どれくらい意識を失っていただろう。

 目を覚ました時眼前にあったのは、倒れた時と同じ、見慣れた自宅のリビング。俺は自分が椅子に座らされて、テーブルに着かされている事を知る。


 だけど、体の自由がきかない。手は椅子の後ろに回されて縛られているけど、どうもそれだけじゃないらしい。

 何と言うか、全身に力が入らない。さっき食らった、スタンガンの影響か?


 相変わらず、血の臭いが鼻につく。今座っている椅子のすぐ後ろに、公子が倒れていたけど、

 今もそこに横たわっているのだろうか?

 縛られた状態だから、後ろを見ることはできない。だけど倒れていた公子の姿を思い出すと、絶望的な気持ちになる。あの出血では、おそらくもう……。


 だけど決定的な証拠を見るまでは、一抹の可能性にすがりたかった。それが現実逃避だとわかっていても、公子に起きた悲劇を、受け入れるなんて到底できるものじゃない。

 公子、今も倒れているのか? 助けを求めているのか?


 だけど振り返ろうにも、やはり体の自由がきかない。

 そうこうしていると、聞きたくない声が耳に飛び込んできた。


「お待たせ。食事の用意ができたわ」


 やって来たのは、手に皿を抱えたアリサ。その姿を見て、俺はギョッとする。彼女は何故か全身に真っ赤な血を浴びていて、にこにこと笑っていたのだ。


 不気味としか言い様の無い姿。だけどどうやら、アリサ自身が怪我をしているわけではないようで、血で染まったその格好のまま、のんきにテーブルの上に皿を並べる。

 そしてその皿の上には、一口大に切り分けられたステーキが並べられていた。


 おそらくアリサが作ったのだと思われる。人の家のキッチンを勝手に使って。

 だけど今はそんなことはどうでもいい。俺はアリサを睨むと、強い口調で怒鳴り付ける。


「おい、今すぐ縄をほどけ! 公子は無事なのか!?」

「あらあら、そんなにお腹が空いてるの? 慌てなくても、すぐに食べさせてあげるから」


 ダメだ。会話がまるで噛み合っていない。

 絶望感漂う俺をよそに、アリサはステーキの一欠片にフォークを突き刺した。


「はい、あーん」

「やめろ、そんなもの食べてる場合じゃ……むぐっ」


 無理矢理口に押し込まれた。

 舌の上には、ゴロゴロとした食感。息を吸い込むと、肉とソースの香りが鼻孔をくすぐっていく。

 こんな状況にも拘らず、味覚や嗅覚、舌の触覚が、敏感に反応してしまうのは料理好きの性なのだろう。


 口の中いっぱいに広がる肉の味。

 旨い。だけどこれはいったい、何の肉だ? この独特な味と食間、今まで感じたことがない。ソースの香りは、どこかで嗅いだことがあるような……。

 って、料理を堪能している場合か!


 噛むのを止めて、口の中の肉を無理矢理飲み込む。するとアリサも俺と同じくステーキを口にして、幸せそうにその味を堪能する。


「ふふふ、思った通り最高の味ね。初めて食べたけど、病み付きになりそうだわ」

「暢気に飯なんて食べてるんじゃない! そんなことより公子は……」

「中々食べられないのが悔やまれるわ。人間の肉なんて、簡単には手に入らないものね」

「…………えっ?」


 今コイツは、何て言った?

 さっき食べたステーキの味を思い出す。今まで食べたことのない不思議な味、それにかかっていたソースの香り……そうだ、あのソースから感じた匂い。あれは、血の匂いだ。


 アリサが言った、人間の肉。そして思い出されるのは、横たわった公子の姿。まさか……まさか今俺が食べたのは……。


 その考えに至った瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。だけどアリサは相変わらずニコニコ笑いながら、肉を咀嚼している。


「私ね、好きな人と好きな物を食べるのが、最高の幸せだと思うの。久留米さんだってそうでしょ。はい、あーん」


 俺の気も知らずに、更にステーキを食べさせようとしてくるアリサ。止めろ、そんなもの食べたくない!


「こ、答えろ! この肉は……き、公子の肉なのか!?」


 震える声で問いかける。

 できればこんなこと、考えたくもなかった。無理矢理にせよ愛する公子を、食べてしまったなんて。


 だけど意外な事にアリサは意味が分からないと言った様子で、キョトンとした顔をする。


「何言ってるの? あんな女なんて食べたら、お腹を壊しそうよ」

「ち、違うのか!?」


 せり上がっていた吐き気が、少しだけ治まった。

 よ、良かった。公子じゃなかった……。


「あの女はバラバラにして、近くの川に捨ててやったもの」

「————ッ!?」


 頭の中で、何かが崩れ落ちた気がした。こいつのついている血は、やっぱり公子を切断した際についた返り血なんだ。


 公子……お前はやっぱりもう……。

 だけど悲しい気持ちに浸っている場合じゃなかった。次の瞬間アリサは、驚くことを口にする。


「あんな女の肉のわけ無いじゃない。これはね、アナタのお肉よ」


 …………は?

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