タカちゃんと『秘密の部屋』

のむお

第1話

蒸し暑い夏の夜。雨の音を聞くと、俺は決まってあの時の出来事を思い出す。

俺は親友のタカちゃんと二人で、ものすごい宝を手に入れた。残念ながら億万長者にはなれなかったが、この宝は今も俺たちの手元にある。

今日は気分がいいから特別に教えてやろう。



夏も終わりにさしかかる頃。その日も殺人的な暑さだった。

あまりの暑さにイライラした俺は、下駄箱に勢いよく上履きを突っ込んで手の甲を擦りむいた。薄く血が滲み、ヒリヒリと痛む。

むしゃくしゃして脳みそが沸騰しそうになった。


「いってえなぁ、くそ!」

「荒れてんじゃん、どうしたよ?」


タカちゃんの声がした。

奴は俺の傷にちらりと目をやると、うははははと笑いだした。


「ダッセー」

「うるせえなぁ!」


俺はタカちゃんのすねに蹴りを食らわせるふりをすると、そのまま歩きだした。今日はジャンプの発売日だからアホに構ってる暇はない。


「まてよケン!傘!忘れてんぞ!」


タカちゃんが後ろから声をかけてくる。

昼には雲一つなかったのに、空はどんよりと灰色に濁っていた。

雨の日とプールの日は学校をサボると決めていた俺は、傘なんて持ってきていなかった。


「ほら!」


固くてひんやりとしたものが手にあたる。ビニール傘の持ち手だ。


「誰のだよ?俺、傘もってねえぞ」

「知らねえけど、まあいいだろ」


とんでもない男だ。

さんきゅーな、と言いながら受けとる俺にそんなことを言う資格はない。


「あと、次俺のことを『ケン』って呼んだら山田と同じ目にあわせるからな」

「怒んなってケンジ!全治二週間だっけ、アイツ?」


そう尋ねるタカちゃんに、俺は黙って指を三本立てた。全治三週間だ。

俺をバカにした山田は、肋骨をへし折って入院している。


「いつかバチがあたるぜ」

「そんときはそんときよ」



『うちの中学で1番頭が悪いやつは誰か?』そんなアンケートがあったら、まず間違いなく俺かタカちゃんの名前が書かれる。

二人とも九九の七の段でつまずいたまま小学校を卒業し、中学校に入学し、無事2年生になった。

中学に入ってから新しく英語の時間が増えた。『pen』の綴りより先に『fuck』の綴りを覚えた俺たちは無敵のはずだった。

だが、現実はそんなに甘くない。

そんなこんなで適当に生きてきた俺とタカちゃんだったが、そろそろここらで他の奴らを見返す時がやってきたようだ。

タカちゃんは校舎の正面玄関、さっき俺が手の甲を擦りむいた下駄箱から5、6メートル離れた場所に立つと、


「ここだけおかしいんだよな」


と言って傘でタイルをつつき始めた。


「なにやってんだよ?早くしないとジャンプが売り切れちゃうじゃんか」

「ちょい待ち、ちょい待ち」


なおも傘をがんがん打ち付けている。その姿は、四丁目の爺さんによく似ていた。しなびた盲導犬を連れたおいぼれ爺さんだ。よく分からない雑貨屋を経営している。


「犬がいれば完璧だったのにな」

「ん?」

「いや、こっちの話よ」

「ふーん?」


不意にタカちゃんの目が輝く。なにかを見つけたようだ。傘の先が指し示すのは他の薄汚れたタイルと変わらない場所だった。


「なんもねえじゃんかよ」

「強めに叩いてみ」


言われた通りにしてみると、タン!とカン!の間のような音が響いた。


「次はこっち」


タカちゃんは別のタイルを傘で叩いた。先程とは全く違う鈍い音がする。

タカちゃんの謎の行動が俺にもようやく理解できた。


「ここ……この下ってスカスカ?」

「たぶんだけど空洞になってる」

「なんで?」


俺の問いに答えずタカちゃんはニヤリと笑う。ヤニで黄ばんだ歯が顔を覗かせた。



誰一人信じてなかったが、うちの中学にはお宝が眠っているらしい。『秘密の部屋』だか『秘密の通路』だかにソレは隠されているそうだ。

今までたくさんの人間が宝探しに挑戦してきたが、全くそれらしい『部屋』も『通路』も見つかっていない。

しかし。


「もしかしたらさ……これって」

「あ!やっぱり?やっぱりそう思うよな?」


タカちゃんも俺と同じ考えのようだ。


「でも空間があるのはここだけなんだよ」


俺も一緒になってあちらこちら叩いてみたが、タカちゃんの言うとおりだった。


「入り口が見つかんなきゃどうしようもないじゃんか」


あと少しで億万長者になれるかもしれないのに。俺は秘密の部屋を作ったヤツに怒りが沸いてきた。見せびらかすだけ見せびらかしたくせに、それで終わりにするのは悪いことだ。許せない。


「それなんだけどさ……」


タカちゃんはぐっと声を潜めて囁いてきた。タバコの臭いがする。俺は胃がムカムカしてきた。


「誰も聞いちゃいねえよ!普通に話せって!」


もしもタカちゃんが吸っているタバコがセブンスターだったら、あと少しで俺はコイツを殴り殺していた。


「わかったよ、うるせえな……」


タカちゃんは俺の耳元から顔を離した。タカちゃんは俺がなんで怒鳴ったのか理由がわかってないみたいだ。それでも普段通り話を続けた。


「俺が思うのはさ、別に入り口が見つからなくてもいいんじゃない?ってこと」

「よくはないだろ」

「ここの薄くなってるとこをぶち破ればさ、中に入れるだろ?」


足元のタイルをつついて示した。反響音がする。


「マジで言ってんのかよ?」

「親父の現場にツルハシがあるはずだから、ちょっとパクってくればいけるはず。どうする?」

「……やってみるか」


俺の背中を冷や汗が伝う。まさか自分が通う中学校を破壊することになるとは。貴重な体験に体が震えた。

俺とタカちゃんは一旦解散することにした。

まずはジャンプだ。

早く四丁目の爺さんのとこに行かないと今週のジャンプが読めなくなる。



集合時間は深夜の2時。場所は『秘密の部屋』の真上。

天気予報では今夜から明日にかけて雨なので、実におあつらえ向きだ。タカちゃんの親父が働いてる工事現場も休みになるはずだ。ツルハシを借りてから元のところに戻すまで十分な猶予がある。

俺のほうはというと、ずっと雨ガッパを探していた。学校指定のやつがどこかにあったはずだが見つからない。雨の日とプールの日は学校をサボると決めていたのでそもそも持っていなかったのかも。

家の中は足の踏み場もない。

作業着、リモコン、携帯、灰皿。ジャンプ。

カッパは見つからない。

母さんは夜の仕事で家にいないし、父親も最近どこかの警備の仕事が決まったらしく、今日は帰ってこない。

ポテチの袋、枕、セブンスターのカートン。

ごちゃごちゃと散らかった家は心がすさむ。


「手ぶらでもいいかな?」


誰もいない部屋に俺の独り言が響く。いつものことだ。隣の部屋に住んでるヤツがすかさず壁を叩いてくる。これもいつものこと。

母さんが机の上に置いていった菓子パンを二つ、腹の中に詰め込むとだんだん眠くなってきた。

億万長者になったらどうしようか。

声に出さず考えてみる。一日に二度も壁を殴られるのはごめんだった。向こうも俺の声を聞きたくはないだろうし。

結局カッパは見つからなかったので、学校でいただいたビニール傘をさしていくことにした。タカちゃんは既に校門の前にいて、タバコをふかしている。


「遅くなった!ごめんな!」

「気にすんな。もうちょい待ってな」


タカちゃんのタバコが終わるまで、俺は校門を見上げていた。俺たち二人の身長よりも高いが、よじ登れないこともないだろう。

問題はタカちゃんの足元に置いてあるツルハシだ。思っていたよりもでかくて重そうだった。


「じゃ、そろそろ頑張るか」


タカちゃんがタバコを投げ捨てる。


「まずはここを乗り越えねえと」

「もっといいとこがあるぜ。プールの裏が穴場なんだ」


タカちゃんが言うには、プールの裏にあるフェンスはボロボロになっており、人間一人くらいなら余裕でくぐれるそうだ。


「ふーん」

「テンション低いなあ!お眠かよ?」


タカちゃんの軽口をあしらいながら目的地へと向かう。


「別に……早く行こうや」


プールに入るたびにからかわれていた俺は、全くと言っていいほどプールに良い思い出がない。少しだけ気分が悪くなったが、『秘密の部屋』の財宝に比べたらたいした問題じゃない。

学校への侵入はかなりあっさり成功した。

途中、フェンスの尖った部分でビニール傘に穴をあけてしまったが、どうせ俺の傘じゃないんだから心は痛まなかった。


「よし、ここだな?」

「ああ!」


タカちゃんが上ずった声で返事をする。

幸運なことに警備員の姿は見当たらない。

やるなら今しかない。


「いっせーのーせ!」


俺が音頭をとり、二人して思いっきりツルハシを打ち付ける。


「うっ!結構音が響くぜ」

「難しいぞコレ」


情けないことに、腰の入っていないツルハシはタイルの表面に小さなヒビを入れるだけにおわった。


「薄くなっている部分に当てないと」

「わかってるって!」


だが、この空間には十分な明るさがない。

そして、どうして夜の校舎はこうも音が反響するのか。ツルハシを振るうたびに、甲高く耳障りな音が響く。


「まずいぞケンジ!早くしないと人が来る!」


肩で息をしながらタカちゃんが焦りはじめた。


「わかってるって!タバコなんか吸いやがって!」


相棒のスタミナの無さに呆れながら、俺は休憩中のタカちゃんのぶんまでツルハシを振るった。

その時だ。


「おい!!なにしてんだてめえら!?」


怒鳴り声と共に、俺たち二人にライトの光が当たった。

まぶしい光に目がちかちかする。

どうやってこの状況を誤魔化そうか?そんなことを考えていた俺だが、相手が悪かった。


「おいケン!?俺は毎日、毎日、毎日、口を酸っぱくして言ってるよな!?」


俺の父親だ。

そう言えば、警備の仕事に就いたとか言ってたっけ。


「俺に迷惑をかけるんじゃねえってよ!?違うか!?」


その通りだ。

俺の父親は、自分が損をすることが何よりも許せないタイプの人間だ。


「それをてめえは!こんな深夜にタイルなんか割りやがってよお!」


怒りだした父親は手がつけられない。

俺はいつも母さんと一緒に布団にくるまって暴力の嵐が静まるのを待っていた。

いま、タカちゃんは静かに俺たちの様子を伺っている。

自分に矛先が向かないよう懸命に息を潜めているんだ。

俺を守ってくれる者はここにはいない。


「こんなことされたらまたクビになっちまうだろ!?どうやって責任とってくれんだよ!?おい!!ケン!!黙ってないでなんとか言ってみろ!!」


父親の口から『ケン』という名前が出るたびに、胸の古傷がちくちく痛むような気がした。

俺の胸には北斗七星が輝いている。

知ってるか?『胸に七つの傷がある男』のこと。

俺が小学6年生のときの出来事だった。父親はパチンコで負けた腹いせに俺の胸に根性焼きをしやがった。

その当時、ろくに食べ物も与えられずひょろひょろのモヤシみたいなガキだった俺に。

北斗真拳の伝承者、ケンシロウのように強くなって欲しかったらしい。

その日から俺は実の父親から『ケンジ』ではなく、『ケン』と呼ばれるようになった。


「くそったれがよお!!」


父親の拳が俺の胸に食い込む。

鈍い痛みと酸欠。俺が肋骨をへし折ってやった山田も、こんな痛みを感じていたのだろうか。

わからない。

泣きそうになる。

なんで雨が降る深夜の学校で実の父親から殴られないといけないんだ?

ふつふつと怒りがこみ上げてくる。

くそったれは父親だし、俺に迷惑をかけているのも父親のはずだ。

ツルハシを握る手に力を込めた。



雨はなにもかも洗い流してくれる。

地面にたまった父親の血も、自分だけ身を守ろうとしたタカちゃんへの嫌悪感も。

そして、『秘密の部屋』の下らない真実も。


「ごめんな、ケン……ごめんな……」

「オメーが泣いてどうすんだよ!殺ったのは俺だろ?」

「でも!俺がこんな倉庫を見つけなきゃ……!」


防災備蓄倉庫。上からライトを照らしただけですぐに理解できた。水、缶詰、乾パン、その他様々な食料が入ったダンボールが積まれている。

結局、『秘密の部屋』なんてどこにもなかった。


「メソメソすんなって……なあ!」


俺は横目で父親の死体を見ながら無理やり明るくふるまった。

腹にツルハシを叩きこまれている点を除けば、今にも生き返りそうだ。実のところ、怖かったのだ。山田の肋骨をへし折るのとはワケが違う。


「でも……」

「まあ、朝イチで警察に行って自首してくるからよ。今日はもう帰ろうぜ。疲れちゃったよ、色々とさ」


タカちゃんはショボくれた顔をして俯いてしまった。

悪いことをしたな、と思う。

今夜起きた出来事のなにもかもが最悪だ。

こんなに後味の悪い気分になるのはひさしぶりだった。

タカちゃんは気まずそうに、目線を俺の父親に向ける。おそらくどう表現したらいいかわからないのだろう。

俺にもわからない。

だが、タカちゃんの目は口ほどにものを言う。


『死体を片付けなくていいの?』

『死体をそのままにしておくの?』


朝になったら誰かが見つけるだろう。それでよしとしよう。もうなにも考えたくなかった。


「俺も警察に行くよ!」

「行ったってタカちゃんは殺してないじゃんかよ」


『一緒に見ていた罪』とかで捕まるのだろうか、俺がそう思った瞬間だった。

タカちゃんはずっときつく握りしめていたツルハシを思いっきり振り下ろした。

なんの音も響かない。


「これで俺も人殺しだ……!一緒に殺したことにしよう……!」


俺は泣いた。タカちゃんも泣いた。

二人して幼稚園児みたいにメソメソ泣きじゃくった。

雨はなにもかも洗い流してくれる。

地面にたまった父親の血も、自分だけ身を守ろうとしたタカちゃんへの嫌悪感も。

そして、最後に本当の真実だけが残る。

俺とタカちゃんの友情。

それが宝なんだ。

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