[3] 降伏

 5月7日早朝、デーニッツと国防軍総司令部(OKW)を代表してヨードル大将がフランスのランスに置かれた欧州連合国派遣軍最高司令部で降伏文書に署名した。欧州連合国派遣軍最高司令部(SHAEF)付きの連絡将校スースロパロフ少将が「最高司令部を代表して」署名した。これを知ったスターリンは激怒した。降伏文書はベルリンで署名されるべきであり、それを受理するのは戦闘の大半を引き受けた赤軍でなければならない。また、スターリンは欧州戦争勝利宣言を時期尚早とみなした。ランスでヨードルが降伏文書に署名したとはいえ、チェコスロヴァキアでは中央軍集団が激しい抗戦を続けている。今なおクールラントに孤立している強大な兵力もいまだ降伏していない。

 チャーチルは翌8日に対独戦の勝利宣言を行うことにこだわった。スターリンは譲歩して5月9日が始まった時点で、ベルリン完全降伏に引き続いて勝利宣言を行いたいと考えた。独ソ戦最後のドラマがベルリンで執り行われることになった。このドラマを目撃していたのは作家のコンスタンティン・シモノフだった。

 5月8日昼近く、シモノフはテンペルホーフ空港の一郭で草原の上に寝そべっていた。ドイツ空軍機の残骸は片付けられた。300名程の儀仗兵が「ささげ銃」の練習をしていた。ジューコフの代理ソコロフスキー上級大将が空港にやって来た。まもなく1番機が姿を現した。外務人民委員部次官ヴィシンスキーが外交官たちを引き連れて到着した。

 1時間半後、アイゼンハワーの代理テッダー英空軍元帥と在欧米空軍司令官スパーツ大将を乗せたダコタ輸送機が到着した。ソコロフスキーが急いで歩み寄って挨拶し、一行を儀仗兵の方に案内した。ドイツ代表団を載せた3機目が到着した。カイテル、フリーデブルク海軍大将、空軍代表シュトゥンプ大将が出てきた。空港を出た車列はベルリン郊外のカールスホルストに置かれた第1白ロシア正面軍司令部に向かった。

 夜半を回る直前、連合国代表たちは旧ドイツ軍工兵大学食堂があった2階建ての建物のホールに入った。西側報道陣とカメラマンたちの振る舞いは「狂気の沙汰」だった。良い場所を取ろうと必死になって将官たちを押しのけ、連合国四か国の国旗の下のメインテーブルの背後に殺到した。最後にジューコフ元帥が着席した。テッダーがその右。スパーツと仏軍のドゥ=ラトル=ドゥ=タッシーニが左に席を占めた。

 ドイツ軍代表団が入って来た。フリーデブルクとシュトゥンプは諦めたような顔つきだった。カイテルは堂々たる態度を見せようとして、時おりほとんど軽蔑するような眼つきでジューコフを睨んでいた。この男は腸が煮えくり返るような思いでいるのだろう。シモノフはそう推察した。

 降伏文書がメインテーブルに持ち込まれた。まずジューコフが署名する。続いてテッダーとスパーツ、ドゥ=ラトルが署名した。カイテルは拳を握り締め、まっすぐ背筋を伸ばして座り、首をますますのけぞらしていた。その真後ろに直立不動の姿勢で立っている長身のドイツ軍参謀将校が「顔の筋ひとつ動かさずに泣いていた」。

 ジューコフは立ち上がってロシア語で言った。

「我々は降伏文書に署名するためドイツ軍代表団を招いた」

 通訳がそれをドイツ語で伝えている間、カイテルはイライラした身振りで《もうわかった。自分のところに書類を持ってこい》と合図した。ジューコフはテーブルの端を指し、通訳に「ここに来て署名するよう彼に伝えよ」と告げた。カイテルは起立して歩み出し、もったいぶった態度で手袋を外してから署名した。続いてシュトゥンプ、フリーデブルクが署名した。

「ドイツ軍代表団はホールを退去してよろしい」ジューコフが通告する。

 3人はテーブルから立ち上がった。カイテルは元帥杖を挙げて敬意を示し、踵を返して出て行った。

 戦争は終わった。東プロイセンやクールラントなどの孤立した拠点で最後の抵抗を続けていたドイツ軍兵士は翌9日までにラジオなどを通じて政府の降伏を知り、連合国に投降した。

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