[2] 合流

 第9軍の残兵はベルリン南方の森林を抜けて包囲を突破しようとしていた。約2万5000人の兵員と数千人の民間人が第1ウクライナ正面軍の封鎖線を強行突破したり、ひそかに潜り抜けたりした。疲労困憊していたが、猟師に追われる獣のように最後の力を振りしぼった。すでに一部のグループはクマースドルフで集結を果していたが、他のグループはまだ何とかそこにたどり着こうとしていた。

「クーアマルク」装甲擲弾兵師団のある伍長は最後まで残った3両の「ティーガーⅡ」戦車が燃料切れで放棄され、爆破されるのを見た。第9軍司令部の幕僚も、やむなくキューベルワーゲン(ジープ)を置き去りにして歩いていた。相変わらず空爆が続き、ソ連軍の砲兵は高い樹木の上で砲弾を炸裂させた。伍長は次のように記している。

「われわれは開けた土地に到達した。そこに1両の戦車が残っていたが、それに負傷者が鈴なりにしがみついていた。何とか場所を取ろうと、兵士たちが互いに争い合う光景はあまりに恐ろしく、悲しく、残酷で、われわれはその場を去った」

 第12軍はベルリン南方のベーリッツ地区で何とか持ちこたえていた。エルベ河に向かう脱出ルートを開くとともに、ポツダム地区のシュプレー軍集団のために脱出路も確保しなければならなかったが、次第に圧力が強まった。ベーリッツはポツダムから転進してきたソ連軍の自走砲から猛射にさらされた。シュトゥルモヴィクの急降下爆撃と機銃掃討も激しくなった。

 5月2日の朝、ポツダムから敗走した第12軍は突然、第1ウクライナ正面軍の包囲網から脱出してきた第9軍と合流を果たした。物資や体力の尽き果てた両軍の兵士たちは互いの腕の中に倒れかかった。隊列から1人の軍人がヴェンクに歩み寄った。眼の前に来るまで、ヴェンクは相手がブッセだとは分らなかった。2人は手を握った後、ヴェンクはこう言った。

「あなたがここにいることを神に感謝する」

 10万を越える将兵とほぼ同数の民間人が西方のエルベ河を目指して移動を続けた。ハーフェルベルクとラテノウの間ではソ連軍の攻撃が激しくなり、第12軍の移動が遮断される危険が生じた。第12軍司令部は戦闘を交えつつエルベ河まで後退し、ソ連軍に対抗するよう命じた。さらに、ヴェンクは麾下の第48装甲軍団長エーデルスハイム中将に対して米軍との交渉を命じた。

 5月4日、第12軍と米軍の降伏交渉がシュテンダールの市庁舎で行われた。米第9軍司令官シンプソン中将は難しい立場に置かれた。人道的配慮だけではなく、同盟国ソ連に対する自国の約束や膨大な数の将兵と民間人の給養や処置という問題も考慮せねばならない。そこで負傷者や武装解除した兵士は受け入れるが、民間人難民の受け入れは拒否した。難民は戦争終結後に自宅に戻るものとされた。

 5月5日、第12軍はエルベ河の渡河を始めた。第9軍の生き残りが最優先で西岸に渡った。東岸に残った者は誰しも、いつまで取り残されるのかと心配した。第12軍の半周防御陣地はすでにソ連軍の攻撃でじりじりと侵食されていた。火砲やカチューシャ・ロケット砲の砲撃を受けて、単線の鉄道橋を渡るためにまだ行列している数千人の人々が斃された。

 5月7日朝、周縁防御線が崩壊し始めた。第12軍に最後まで残った数門の火砲が残弾を撃ち尽くした。渡河撤退に先立って兵士たちは最後の物質集積所や車両、兵器に手榴弾を投げて爆破した。ヴェンクと幕僚は最後までギリギリ頑張ってシェーンハウゼンに置かれた第12軍司令部を放棄してエルベ河を渡った。

 米軍の前線にたどり着いた第12軍の兵士の心情は複雑だった。人助けしているという自負心。ソ連軍に対する憎悪。エルベ河で停止してそれ以上東に進撃しなかった米軍に対する憤懣。自国民をあざむいたナチ体制に対する怨念。そんな兵士たちの気持ちの総決算をつけるかのように、避難路の道端に置かれたナチ党の大看板は相変わらず呼号していた。

「すべてはわれらの総統のおかげだ!」

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