[2] 自決

 ドイツ軍は帝国議事堂ライヒスタークの周辺に防御施設のネットワークを構築していた。一番厄介だったのは、ケーニヒスプラッツの真ん中を横切る水の障壁だった。そこにあったトンネルが爆撃で崩壊し、シュプレー河から流れ込んだ水で一杯になっていた。

 4月30日午前6時、第3打撃軍の第150狙撃師団が攻撃を開始した。最初に1個中隊が出撃したが、従軍特派員は「50メートルも進まぬ内に敵の疾風射を食らって地面に釘付けにされた」と記している。

 まもなくかなり兵員が減った2個大隊が前進したが、多くの戦死者を出した。守備隊はケーニヒスプラッツ西側のクロール・オペラハウスや帝国議事堂ライヒスタークから猛烈な砲火を浴びせ、強襲部隊を十字砲火に捉えた。第207狙撃師団がクロール・オペラハウスを制圧するために展開してきたが、その前にまず背後の河岸のビル群を掃討する必要があった。ケーニヒスプラッツの歩兵を支援するため、午前中にさらに多数の自走砲や戦車がモルトケ橋を渡って増派された。硝煙と粉塵が濃密に立ち込める。兵士たちには空が全く見えなかった。

 第150狙撃師団は午前11時を少し回った頃に満水したトンネルに到達した。2時間後に攻撃を再開したが、今度は真後ろから猛火を浴びた。2キロ離れた動物園ツォーの防空タワー屋上の高射砲がソ連軍を狙って砲撃を開始したのである。そこで再び日没を待つ羽目になった。第171狙撃師団は午後を通じて、ケーニヒスプラッツ北側にある大使館街のビル群の掃討を続けた。152ミリと203ミリの迫撃砲を含む90門ほどの火砲がカチューシャ・ロケット砲とともに、絶え間なしに帝国議事堂ライヒスタークを砲撃した。50年前の第二帝国時代に建造されたこの建物は猛烈な打撃にも耐えて、その構造の堅牢ぶりを見せつけた。

 総統地下壕では、この日の朝も「いつもと何ら変わること」が無かった。しかし、張りつめた感傷的な空気が漂っていた。官庁街に対する激しい砲撃に引き続いて、モーンケは「持ちこたえられるのはせいぜいあと2日」と警告した。正午近くになって到着したヴァイトリンクは弾薬不足のために防衛線はその夜の内に崩壊するという見通しを述べ、再びベルリンからの突破脱出の許可を求めた。だが、ヒトラーはこの要請に即答を避けた。

 午後3時15分、ヒトラーとエヴァ・ブラウンは居間で自決を遂げた。2人の遺体は帝国官房に隣接する新総統官邸の中庭で焼却された。総統地下壕内は多くの人々の重苦しい気分はがらりと変わり、やけ酒をあおり出す連中が多かった。この時、ボルマンの頭は後継者とナチ新政府の問題で一杯だった。まずバルト海キール近くのプレンにあるデーニッツ海軍元帥の司令部に打電し、「貴下が総統後継者に指名された」と簡単に伝えた。また、ボルマンは総統の死をデーニッツにあえて知らせなかった。ヒトラーの後ろ盾を失ったボルマンがナチ新政府に参加するためにはベルリンを脱出しなければならないが、ゲッベルスやクレープスらはベルリンに留まって自殺するつもりでいた。

 ベンドラーブロックの地下にあるベルリン防衛司令部にSSの尉官が午後6時に姿を現した。ヴァイトリンクと幕僚はこの日の夜にベルリンを脱出する計画を検討していたところだった。SS尉官はヴァイトリンクに向けたメッセージを持参していた。その内容はあらゆる突破計画を中止し、ただちに総統官邸に出頭せよというものだった。

 総統地下壕に到着したヴァイトリンクはゲッベルス、ボルマン、クレープスの3人に迎えられた。3人はヒトラー夫妻が自殺した部屋に案内し、遺体は焼却して上の内庭の炸裂孔に埋めたと説明した。ヴァイトリンクはこの知らせを誰にも口外しないと誓約させられた。唯一この通告を受けるべき人物はスターリンだった。この日の夜に停戦交渉を試み、クレープスが赤軍司令官に通告する手はずになっていた。司令官は当然、スターリンに報告するだろう。

 いささか呆然となったヴァイトリンクはその直後にベルリン防衛司令部にいるレフィオール大佐に電話を掛けた。具体的なことは言えないが、第56装甲軍団参謀長ドウフィンク大佐をはじめ幕僚全員を集めておいてほしいと伝えた。

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