[4] 燃え上がる帝都
ヴァイトリンクの守備隊がベルリン中心部に向かって後退する間も、SSはますます冷酷な狂信ぶりを発揮して摘発を続けた。クアフュルステンダム周辺では、白旗を挙げた家屋にSSの摘発隊が侵入してそこにいた男性を全員射殺した。崩壊の兆候に恐れをなしたゲッベルスは投降のサインを「伝染病菌」と決めつけた。しかし「ミュンヘベルク」装甲師団長ムマート少将はSSと野戦憲兵隊に対して自分の担当地区―アンハルター駅およびポツダマープラッツ周辺からの退去を命じ、逆に処刑を行う者はその場で射殺すると脅した。
白旗を掲げる家にヒトラー・ユーゲントとSSが銃撃を浴びせるため、市民は双方の狂暴な敵意で板挟みになった。かつて建物があった跡地の瓦礫の山から死体の腐臭が漂い、家屋の焼け跡の黒ずんだ残骸からも焦げた肉の臭いがした。
4月28日、第3打撃軍がティーアガルテンの
「燃え上がり、くすぶり、煙を上げる大都市のパノラマが開けた。何度見ても心の底から揺さぶられるような光景だった」
第3打撃軍は第79狙撃軍団(ペレヴェルトキン少将)がアルト・モアビットを南下し続け、ついに
東からラントヴェーア運河北岸を進撃した第5打撃軍は第11SS装甲擲弾兵師団「ノルトラント」と「ミュンヘベルク」装甲師団の残兵をベラリアンスプラッツから追い出して、アンハルター駅に迫った。時を同じくして、第8親衛軍が南から運河を渡って自軍の西翼を後方から進入してくるのを見た。
第8親衛軍はラントヴェーア運河を越えて北方のティーアガルテンに進撃していた。運河を泳いで渡った部隊もあり、弾幕射撃と煙幕を張った後から急ごしらえの船で渡った部隊もある。下水路の出口を利用して敵の背後に回ったグループもいた。チュイコフは健在な状態にあるポツダマー橋を奪取して渡ることを選んだ。
ポツダマー橋は敵機関銃の掃射にさらされていた。第8親衛軍は巧妙な計略を用いることにした。外側に油をしみこませたボロ布や発煙筒を付けたT34を橋に接近させ、発火させた。守備隊の対戦車砲や「ティーガー」は砲弾が命中したと思い、砲撃を止めた。T34はその隙を衝いて至近距離から砲火を浴びせながら橋を渡った。他のT34もこれに続いた。
この日の晩、第9軍は包囲突破の準備を整えた。攻撃の焦点はハルベ近くに定められた。ここはソ連軍の作戦境界線が走り、防備が手薄だった。ここを抜けた後は森林地帯を64キロも進まなければならない。突破攻撃の先頭は第11SS装甲軍団が務め、突破後は北翼を援護するために展開する。続いて第5軍団が進んで南翼を固め、殿は第5SS山岳軍団が担う手はずになっていた。夕闇の訪れとともに、攻撃は開始された。数千人の避難民も一緒に進み始めた。第11SS装甲軍団は第50親衛狙撃師団の防衛線を破り、第9軍がその間隙をすり抜けた。しかし後衛部隊は突破口を塞ごうとする第1ウクライナ正面軍との戦闘に巻き込まれた。
カイテルはハインリキがマントイフェルに対して撤退を命じたことを知り、この日の夜にヴァイクセル軍集団司令官からハインリキを解任した。総統命令に対する不服従が理由だった。後任の同軍集団司令官にマントイフェルを指名したが、無意味な継戦で部下の生命を消費することの重大さを認識していたマントイフェルはこの任命を拒絶した。そこで国防軍総司令部は第1降下猟兵軍司令官シュトゥデント上級大将を任命した。シュトゥデントがオランダから飛行機で来る間、第21軍司令官ティッペルスキルヒ大将が兼任した。
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