第54章:最終局面

[1] 市街戦

 4月26日の朝は激しい砲撃で始まった。クライナー・ティーアガルテンに対する砲撃は特に激しかった。炸裂する砲弾に引っかき回されて子どもたちのお気に入りの遊び場だった公園は見る影も無くなった。

 ホーエンツォレルンダムのベルリン防衛司令部で仮眠を取っていた参謀長レフィオール大佐は弾着観測用に立て続けに撃ち込まれる砲弾の炸裂音で叩き起こされた。司令部がカチューシャ・ロケットの射程内に入ったからには移動が必要だ。そう判断したヴァイトリンクはベンドラーシュトラーセの旧陸軍司令部―ベンドラーブロックに司令部を移動させた。

 完全に包囲したベルリン市街地に対するソ連軍の本格的な強襲が始まった。工兵と自走砲に支援された狙撃兵部隊はドイツ軍守備隊が立てこもる頑強な石造建造物の一軒一軒に襲い掛かった。民間人の存在など構っていられなかった。狙撃兵たちは彼らに銃口を突きつけて、地下室から銃弾や破片が飛び交う街路に追い出した。多くの将兵が混乱に業を煮やして、全ての民間人を力ずくと立ち退かせようとした。3年前にスターリングラードの市街戦で第六軍が試みた手法と全く同じだった。ある元軍人はこう記している。

「相手が何者か、見分ける暇なんてなかった。地下室に手榴弾を放り込んで、そのまま進んだこともあった」

 ベルリンに突入した当初の戦術は巧妙とは言えず、第1白ロシア正面軍が受けた被害は甚大だった。スターリングラード市街戦の実績を誇る第8親衛軍でさえも、最初は多くの誤りを犯した。今回の市街戦は独ソ両軍の立場が完全に逆転していた。赤軍が装甲兵力と空軍の圧倒的な優位の下に攻撃し、防御に回ったドイツ軍が待ち伏せすることになった。

 第8親衛軍と第1親衛戦車軍によるテンペルホーフ空港への攻撃はこの日の大半を通じて続けられた。「ミュンヘベルク」装甲師団が反撃に出たが、戦車がほとんど残っていなかった。少数の歩兵やパンツァー・ファウストで武装したヒトラー・ユーゲントが反撃を支援した。夕闇がせまる頃に生存者は空港から脱出した。ノルトラント偵察大隊の残存車両はアンハルター駅に後退した。師団全体で残った装甲車両はⅥ号戦車「ティーガー」8両と自走突撃砲数両だけで、いずれもティーアガルテンに撤退した。

 ベンドラーブロックの地下深くに立てこもったヴァイトリンクと幕僚たちは昼夜の区別が付かなくなり、コーヒーとタバコで眠気を追い払った。自家発電によって停電にはならなかったが、空気は湿って重苦しかった。各地区指揮官から緊急増援要請は増える一方だったが、予備兵力は皆無だった。この日の夜、ヴァイトリンクはある少尉から市内の戦況について報告を受けた。

「最期も間近です。もはや戦意のある者はほとんどありません。このまま市街戦を続ければ、国防軍兵士の戦死者・戦傷者・捕虜の比率は85%に達するでしょう。もちろん、国民突撃隊や民間人の損害などは、誰にも把握できません」

 これ以上の破壊と人命の損失を避けるため、ヴァイトリンクは総統地下壕に出向いた。莫大な労力と費用をつぎ込んで建造した総統地下壕では、まともな通信設備が存在しなかった。赤軍の進出状況を確認する唯一の方法は市内の電話帳で周辺地区に住む住民の番号を調べて電話をかけまくることだった。相手が出たら、赤軍が進撃してくる兆候が見なかったか尋ねる。相手がロシア語で威勢のいい罵詈雑言をまくしたてたら、結論は自ずと明らかだった。

 地下壕住人の大半はなすべき仕事を持たぬ連中で座り込んで酒を飲んだり、廊下をうろうろしながら、自殺には銃と青酸のどちらがいいか等と議論したりしていた。生きて地下壕を出る者はいないだろうという暗黙の了解があるようだった。

 ヴァイトリンクは包囲を突破してベルリンから大挙脱出するようヒトラーに進言した。ベルリン守備隊がヒトラーを護衛して西方に突破し、ヴァイクセル軍集団の残兵と合流する。突破決行は4月28日夜を予定していた。ヴァイトリンクの話が終わると、ヒトラーは首を横に振った。

「貴官の提案は全く正しい。だが、それが何になろう?私は森の中をうろつくつもりはない。ここに留まって、わが軍の先頭に立って斃れる。貴官はこのまま防衛戦を続けてもらいたい」

 この決断は壁にペンキで書いた「ベルリンは最後までドイツのものだ」というスローガンに集約された。その一つを×印で抹消し、下にキリル文字でこう書き加えた者がいた。

「でも、おれはもうベルリンに来ているぞ。シードロフ」

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