[2] 最後の障壁

 4月22日、この日はベルリン占領予定日だった。だが、第1白ロシア正面軍はまだ周辺地域で足踏みしていた。ジューコフは麾下の指揮官たちに打電した。「ベルリン防衛組織は弱体であるにも関わらず、わが軍の作戦は遅々として進展していない」として「1日24時間不眠不休の前進」を命じた。

 第8親衛軍は戦車部隊と協同して、第56装甲軍団を市内に追い込んでいた。その北翼では第5打撃軍が東の郊外に突入し、さらに北を迂回した第3打撃軍は都心部に進撃せよという命令を受けていた。第2親衛戦車軍はベルリンの東に位置するシャルロッテンブルクを目指して包囲環を完成させようとしていた。

 第1ウクライナ正面軍は第3親衛戦車軍がこの日の夕刻、ベルリン周辺防衛線の南縁に当たるテルトウ運河に到達した。ヴァイクセル軍集団司令部にとって、第1ウクライナ正面軍の進撃は寝耳に水だった。その西翼では、第4親衛戦車軍がポツダムから10キロの地点に進出していた。第3親衛戦車軍は運河に対する総攻撃の準備に1日を費やした。運河のコンクリート護岸と北岸の防御設備を備えた倉庫群は強力な障壁に見えた。翌23日の夕刻までに、3000門近くの火砲と重迫撃砲を陣地に配置した。

 ヒトラーはこの日、北から第3SS装甲軍団が反撃を開始したかどうか報告を求めた。しかし正午に開かれた作戦会議で、同軍団がまだ動いていないという確実な情報を知った。ソ連軍は市の北部でも周縁防衛線を突破したという。ヒトラーは金切り声で怒鳴り始めた。軍と同様、SSも裏切った。この戦争は負けだ。ヒトラーは初めて公然と語った。会議に参加していたカイテルやヨードル、クレープスの面々はショックを受けた。それから敵に捕らえられるのを防ぐために拳銃で自殺すると言った。一同はベルヒテスガーデンに赴くよう説得に努めたが、ヒトラーの決意は変わらなかった。ヨードルはエルベ河で米軍と対峙している第12軍(ヴェンク中将)を呼び戻してベルリン救援を命じることが出来ると示唆した。ヒトラーはヨードルの意見を受け入れて、カイテルを第12軍司令部に派遣した。

 4月23日、第56装甲軍団長ヴァイトリンク大将は総統地下壕に電話を入れた。自軍を南方に脱出させるつもりだったヴァイトリンクに対し、クレープスは素っ気なく貴官に死刑宣告が下っていると告げた。並外れた精神的勇気を奮って、ヴァイトリンクはこの日の午後に総統地下壕に出頭した。ヒトラーはヴァイトリンクの態度に感動して、臆病風を吹かせた廉で一度は処刑しようとしたこの男が実は第三帝国首都の防衛を指揮すべき人間であると判断した。ヴァイトリンクは空席だったベルリン防衛地区司令官に任命された。

 第1白ロシア正面軍と第1ウクライナ正面軍の作戦地域境界線はリュッベンからさらに延長され、マリーエンドルフを経てアンハルター駅に向かって延びていた。スターリンは相変わらず2人の元帥の競争心を煽り立てていた。独裁者からの圧力は次のような電文に現れていた。

「我が軍が遅々として進まぬため、連合軍はベルリンに接近し、占領しようとしている」

 第1白ロシア正面軍では、第8親衛軍の一部がケペニックの南でシュプレー河を渡ってファルケンベルクを目指していた。この部隊は手漕ぎボートから遊覧船に至るまで各種の舟艇を見つけ出していた。第8親衛軍と第1親衛戦車軍はブリッツとノイケルンに前進した。第28親衛狙撃軍団の記録によれば、一般市民は恐怖のあまり「我々の長靴を舐めんばかり」の卑屈な態度を示したという。

 モスクワから第1白ロシア正面軍に戻ろうとしていた従軍記者のグロスマンは途中でランツベルクに置かれた後方司令部に立ち寄り、ノートにこうメモしている。

「子どもらが屋上で兵隊ごっこ。ドイツ帝国主義がベルリンでまさに終末を迎えようとしているこの時、足が長くブロンドの前髪で後頭部の髪を短く刈り込んだ男の子らが大声を上げ、飛び跳ねながら木剣や棒を振り回してチャンバラをやっている・・・これは万古不易のもの。人間から闘争本能を取り除くことはできない」

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