[4] ポズナニ攻防戦

 特定の都市を「要塞」に指定したヒトラーは包囲された守備隊の撤退を許そうとはしなかった。この手法は無益な犠牲と被害を国防軍に強要することになった。ドイツ空軍には補給物資を空輸できるだけの飛行機も燃料も無かった。そのためこれらの都市はしょせん持ちこたえられないことをヒトラーは知っていたが、それでも各軍集団に対して兵力を喪失させる方針を取り続けた。

 ヒトラーが「要塞」または「防塁」と指定した都市はケーニヒスベルクとブレスラウを除いて、そのほとんどが陥落した。ポンメルン南部の「要塞」に指定されていたシュナイデミュールにはヴァイクセル軍集団司令部が置かれていたが、十分な防備に必要な物資も部隊も存在しなかった。ソ連軍が市街地に迫ると、ヴァイクセル軍集団司令部は北のファルケンブルクに撤退した。「要塞」に取り残された国民突撃隊を主力とする守備隊は必死に防戦したが、シュナイデミュールは2月14日に陥落した。「冬至」作戦が失敗に終わった後はポーランド西部の「要塞」ポズナニに焦点が当てられた。

 第8親衛軍司令官チュイコフ大将は第1白ロシア正面軍司令部に対してベルリンへの進撃を主張していたが、同軍麾下の1個軍団と第69軍(コルパクチ中将)の1個軍団がポズナニでドイツ軍を包囲するために釘付けになっていた。

 ポズナニでは住民の半数以上が逃げ遅れていた。ナチ当局が市民の避難を認めようとしなかったためである。大管区指導者グライザーは全員死守を命じておきながら、自身はポズナニから逃げ出していた。従軍記者のグロスマンは「カーテンの陰から我々をそっと見ているドイツ市民」をますます意識するようになった。攻略戦の期間中、グロスマンはしばらくチュイコフと司令部で起居を共にした。グロスマンは書いている。

「今やチュイコフはスターリングラードと同様の状況に追い込まれようとしている。ただ敵味方の役割が入れ替わっただけだ」

 第8親衛軍は「要塞」の攻略に苦戦した。チュイコフはグロスマンにこう言った。

「わが軍の戦闘経験とずば抜けた情報収集力を考えると、まったく驚きいった話だが、われわれはちょっとした細かい点を見逃した。ポズナニに第一級の防御陣地があることを知らなかった。欧州最強の要塞の一つだ。それを片手間で簡単に占領できる町だと考えた。そこで今、えらく苦労しているわけだ」

 2月18日、チュイコフはポズナニへの強襲を命じた。火砲はすでに9日前から威嚇射撃を始めていた。スターリングラード攻防戦と同じように宣伝班が砲撃に先立ってスピーカーで感情的な音楽を流した。その合間に「諸君らが生命を救い、故郷に帰る唯一の道は降伏だ」と呼びかけた。包囲された守備隊は「今や前線から200キロ以上も後方に取り残されてしまったのだから、脱出の希望は無い」ことを知らされた。

 この日の朝、1400門の火砲と迫撃砲、カチューシャ・ロケット砲が4時間に渡る連続射撃の準備を整えていた。上部構造をめちゃくちゃに破壊した要塞に突撃班が突入した。敵は建物の中から抵抗を続けた。203ミリ榴弾砲を投入して壁を破壊し、視野を開いた。火炎放射器を使用して通気口に爆薬を投げ入れた。降伏しようとする守備隊の下士官は味方の将校に射殺された。だが、終末が迫っていた。

 2月22日から23日にかけての夜、守備隊長ゴメル少将は自室の床に広げた鉤十字旗スワスチカの上に横になって拳銃で自決した。守備隊の残兵は降伏した。ポズナニにおける包囲戦はようやく終了した。

 グロスマンは第8親衛軍の一部隊とともに、ポズナニから第三帝国の首都に通じる道路をさらに前進した。この部隊がシュヴェーリンを攻略した時、グロスマンは見たことを全て小さなノートに鉛筆で走り書きした。

「一面の火の海。燃える建物の窓から一老女が飛び降りる。略奪が進行中。何もかも燃えているので夜も明るい」

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