長男の反抗

 長男が中学3年生のある日の事だ。

家族揃っての夕食の後、ダイニングには私と夫と長男が残り、姑と次男三男は私室に戻っていた。

 夫と長男が何かを話していた。たぶんサッカーか、音楽か、他愛もない会話だったのだと思う。私は食器を片付けたり風呂の用意をしたりとダイニングを出たりはいったり…

 ちょうど洗面所にいたタイミングだった。ダイニングの方から夫の大きな怒鳴り声が聞こえた。

「だから、謝るなって言ってるだろう!」

そして、それに対して長男の

「謝らなきゃと思わせているのは、そっちじゃないか!」

驚いてダイニングに戻った私の横を長男は駆け抜けて廊下に出るドアを激しく閉める…

バタン!!!!!!

そして二階への階段を駆け上がる足音と、上がって直ぐの長男の部屋のドアを開けて激しく閉める音…

バタン!!!!!!


 いったい…何が…?

と私が思った次の瞬間…異音…


ギィー…ガタン!


振り返ると…ドアが割れて、割れた部分が倒れていた…


 実をいうと、この時の私の心の中は…


"長男!よくやった!やっと反抗できた!

おめでとう!"

"ドアが…ドリフか!…(爆笑)"


 夫と息子達の関係について話そう。

夫は県内でトップの高校を卒業し、一浪しながらも公立の医学系の学部に入学し卒業している。

 本人に自覚はないが、私からみると軽度だが、他人の気持ちが解らない発達障害があるような気がする。不登校児である息子達を相手にしても、自分の高校の自慢をよく話す。サッカーや音楽の話しをしても、自分が賢いと思っているから長男と違う意見をおし通そうとする。ちょっとした事でイライラと機嫌が悪くなる事も多い。

 息子達は夫に口ごたえをした事がなかった。小さな頃から週末には色々な場所に遊びに連れて行ってはもらったが、一緒に滑り台を滑ったりするのは母である私の方が多かった。

 息子達は夫がイライラしだすと、サッとその場を離れ、意見が違えば自分の意見を引っ込めた。

 特に長男にいたっては私からのプレッシャーも強かったためか自己肯定感が低く、小学校高学年になる頃には直ぐに「ごめんなさい」を口にするようになっていた。

 その長男の「ごめんなさい」には私自身もイライラする事があった。

 私は不登校が始まってから色々な情報を得るにつれて大きく反省した。そこで一時期は長男が必要のない「ごめんなさい」と言うと

「お母さんが、あなたにそう思わせてしまうんだね。ごめんね。」

と返していた。しかし、ある日長男は言った。私のこの言葉もイヤだと…私が自分の事で私自身を責めるのも嫌な気持ちになると、そう言った。

 だから私は長男の「ごめんなさい」はあまり気にしないようにした。たぶん、それで少しうまくいくようになった。


 長男が中学3年生の頃、夫は私よりは息子とのコミュニケーションのとり方が解っていなかった。そして息子は夫に反抗することなく過ごしていた。この時まで…


 さて、長男の去ったダイニング。夫はイライラを抑えるようにしばらくの間考えていた。

 しばらくすると、ようやく気持ちが落ち着いたのか、二階の長男の部屋へ…

 私はしばらくダイニングにとどまったが、夫が降りてこないので、やはり心配になり部屋の前まで行って中の様子を伺ってみた。

 夫は何か説説と長男に話しかけていた。長男の返答は聞こえてこない。私はそっとドアを開けた。この時気がついたのだが、このドアも外れてはいなかったが、ヒビが入っていた。

 長男はベッドに横になっていて、夫はその横で1人で喋っていた。一応、長男に対して「悪かった」的な事は言っていたが、それに続く言葉は、言い訳のような、やはり自分の意見を通そうとしているような…余分だな…と私には思えた。

 私は夫の腕をとり「もう、いいから…ここはそっとしておいた方が…」と言ったのだが、夫は「今は俺と長男が話しをしてるんだ。」と聞かなかった。"それは、あなたが勝手に喋ってるだけでしょう"と言いたかったが、どうせ夫には分からないと思い私は仕方なく部屋を出た。

 それから5分ほどして夫は気が済んだのか部屋から出てきた。


 翌日、長男にこの時の事を聞いてみた。

「俺もう諦めて、途中から聞くふりだけして、部屋の片付けしてた。」

と言っていた。


 この出来事があってから、夫と長男の関係が少しづつ良くなっていったように思う。

 今は、夫と長男はよく話しをしている。時々、どちらかがイラッとしている感じもあるが、そういう時は、たいてい長男がスっとその場を離れる。


 子どもは成長するものである。 

 長男は親の短所を許すこと、或いはスルーする事ができるほどに成長をした。

 夫の場合、この出来事の数年後、三男が入学した中学の文化祭で学園長の話しと三年生の劇を観て「大いに感動したし、これまでの自分をもの凄く反省した」らしい。

 少し、相手の言うことも聴けるようになったかもしれない。

 

 今では仲良し家族だと胸をはっていえる。


 



 余談ではあるが、この時に壊れた家のドアについても書いておく。

 我が家は、この出来事があった時点で築7年であった。一応、全国的にCMも流している有名メーカーで建てた注文住宅だ。標準装備として付いていたドアなどの建具も聞いた事のあるメーカーだった。

 それが築7年でのである。

 この出来事の数年前から、時々閉まりが悪かったりして、メーカーの担当工務さんに来てもらい、直してもらっていた。そのたびに

「ドアは静かに閉めてください」

と言われ、「無理でーす」と笑っていたのだが…。

 ドアそのものが割れるとは思わなかった。

ダイニングのドアと長男の部屋のドア、2枚を新しい物に付け替えて、ついでにクローザーという、ゆっくり閉まる部品も付けてもらった。結果、7万円の修理費がかかった。


 しかし…あの時の事を思い出すたびに私は"ドリフか!"と笑えてしまうのである。


笑いは大切である。


志村けんさん、ありがとう。




 

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