三男の居場所 3 まなざし教室と先生
まなざし教室に専任の先生はいなかった。
その年によって、また2年から3年ごとに変わる校長の方針によって、まなざし教室の子ども達の扱いは多少変わったりもしたが、それでもまなざし教室に常に在室できるような先生はいなかった。
まなざし教室にいる全ての子どもには在籍する本来のクラスがあり、子どもの本来の学級担任や、その学年の副担任、特別支援学級の教師、普段は職員室にいる生徒指導の先生などが授業の合間や業務の合間に見にくることが多かった。
まなざし教室にきた先生達は余裕があれば担当の子どもを主な相手にクラスの様子や行事について話しをし学習指導をし時には一緒にカードゲームやボードゲームなどをした。発達支援学級の近くにあったまなざし教室には、それらのゲームがいくつか置いてあった。
担任達は、なんとかまなざし教室の子どもの心をとらえようとし、授業や行事に参加させようと試みたが、成功することはすくなかった。そして忙しい時期には慌ただしい様子で休み時間にやってきて、学習ドリルや計算、漢字などのプリントをやるように言って去っていくのだった。まなざし教室の子どもが真面目に勉強をしている事は少なかった。
私も母としてまなざし教室の中で色々な先生を見て関わりを持つ事があった。
4年生の時の学年の副担任は若い女の先生だった。音楽の先生だったので比較的に空き時間が多かったのか、まなざし教室にはよく在室してくれていたように思う。というか、三男によく関わってくれたというべきかもしれない。
まなざし教室にはキーボードが一台置いてあった。なんのきっかけだか判らないが、三男はその先生に当時流行っていたアニメの曲の弾き方を教わっていた。
三男は幼稚園の頃に音楽教室に行きエレクトーンを習った事がある。しかし、その頃は特に音楽を好きになることはなく、2年目の途中で辞めてしまい、ろくに音符も読めなかったと思う。しかし先生に1章節ごとに鍵盤の位置と指の動きを教えてもらい、何日かすると両手で伴奏をつけて弾けるようになっていた。
先生は三男にドリルや学習プリントの課題を出し、それが出来たら次の1章節を教えるという声かけをしていた。三男はなかなか勉強をしようとしなかったのだが、よほどキーボードが弾けるようになりたかったのか、この時は出される課題をやっては先生に曲の続きを教えてくれるようにせがんでいたようだ。
三男はその後、その先生がまなざし教室に関わらなくなってからも、よくキーボードを弾いて楽しみ、中学になってからは動画で好きな曲の演奏を見て何曲かをマスターした。
キーボードをまなざし教室で教わった三男は他にもまなざし教室で教わった事がある。
5年生の頃の生徒指導の先生は、まなざし教室に来るとお手玉をやってみせた。私も見た事があるがとても上手かった。三男はこれにも興味をもち数日の練習でお手玉を習得した。それも両手で2個を回すような単純な方法だけでなく、クラウンや大道芸人がやるように玉を交差させるように操ったり、片手で3個を操るという事まで出来るようにしてしまった。
「基本的に器用なんだなぁ」
とその先生が呟いていたのを覚えている。
教室に入れないことが劣等感となりがちな三男が人より出来る事あるのを私は嬉しく思った。おそらくお手玉を教えた先生も、三男が自信を持つことを狙ってくれたのだと思う。
色々な先生がまなざし教室の子ども達のために何が出来るかを考えてくれたと思う。それでも母として、"この先生はいったい何を考えているのか?"と不信感を持たざるを得ない先生もいた。
5年生の初めの頃、三男はまなざし教室にも行きたがらなくなった。不思議に思い一緒に登校し、まなざし教室で数日を過ごす事にしてみた。
給食の時間、まだクラスの子ども達が来て一緒に食べるという事のない時期で、学年の男性副担任が一緒に給食を食べていた。この男性教師は図画工作と家庭科が担当で、やはり空き時間が比較的にあるのか、5年生になってからまなざし教室にいる事の多い教師だった。
ふと1人の子どもが三男にきいた。
「将来、なんになりたい?」
三男は答えた
「スキー選手!」
我が家は家族でスキーによく行っており、子ども達は幼い頃から毎年、合宿型のスキー教室に参加していたのだ。
私は不登校ながらも将来の夢を語れる場と仲間がいる事に微笑ましく思い聞いていたのだが、一緒にいた男性教師は驚くような事を笑って言った。
「スキー選手は儲からないぞー。先生の友達にスキー選手いるけど、貧乏だぞ」
冗談なのか、現実を見せようという思惑なのか判らないが、教師のこの台詞には私も戸惑った。
「大丈夫よね、でっかいスポンサーがつくような選手になるもんね」
と、楽しい雰囲気を壊さないように私は三男に向かって言ったのだが、その後もこの男性教師はスキー選手がいかに生活できないかを語るのだった。
また別の日、その日は5年生の夏に行われる野外キャンプについて子ども達が係ごとに話し合う日だった。
実は三男と同級生の男の子は炊事係となっていたのだが、担当やクラスの子ども達の誘いに応じる事が出来ず、話し合いには参加できなかった。2人とも"話し合いに行かなくては…"と思ってはいたのだが、どうしてもクラスの中に入っていく事はできなかったのだ。
話し合いが終わった後の給食時間である。
男性教師はニヤニヤしながら言ったのだ。
「2人とも、話し合い出なかっただろ。どうする〜?配膳係、めっちゃ大変みたいだぞ〜」
その場にいた私は、"これがまなざし教室にいるような子どもに教師が言う事か?"と呆れるやら驚くやらで何も言えなかった。
夢を語る子どもの腰を折るような言葉や、ただでさえプレッシャーを感じている子ども達をさらに追い込むような言葉を平気で言う先生…
5年生になって三男がまなざし教室にも行きたがらなくなった理由は、この先生なのではないかと私には思えた。本当のところは分からないが。
私は担任や生徒指導の先生にこの先生の言葉について訴えた。冷静に実際に見聞きした事と母として疑問を感じるとだけ伝えたが、担任と生徒指導の教師は
「わかりました。こちらからも指導をします」
と返答をした。実際にどの程度どのように指導をされたのかは、もちろん私にはわからない。
ただ、その後も問題の先生の様子は変わる事はなく、私は「あぁ、このひとはこういう人なんだなぁ」と諦め、それでもやはり気になる事があると生徒指導の先生に不満をもらしていた。
年々不登校の問題が重視され、子ども達への対応も変化してきている。不登校の子ども達に上手に関わる事の出来る専任の先生が増えてくれればいいし、もしくはこういう子ども達への接し方をより多くの先生に指導してもらえるといいと思う。
三男が不登校になった時の2年生の担任の先生だが、数年後に特別支援の勉強をしていると聞いた。三男に関わったことが理由ではないかもしれないが、それでも嬉しく思った。
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