母としての自分が救われた言葉

「子どもはね、成長するんですよ」

 8年の経緯の中には書かなかったが、長男は中学入学と同時に塾に入った。次男も同時に入塾した。

 広告とホームページから、なかなかに熱い塾長らしいこと、コーチングを推奨している事がわかった。長男も不登校になってからも塾にはしばらく通い続けた。


 入塾した年の夏、塾長が新しい企画を計画した。キャンプだ。どころが中学生以上のみを対象とした募集に"参加"で返答したのは我が家の長男だけだった。もともと大手のように塾生が多いわけではない。長男の場合、塾で先生としてバイトをしている大学生たちと一緒に楽しめると思って参加を申し込んだのだが。参加の申し込みが一人だった場合、普通は企画は中止になると思うのだが、心の熱い塾長は1人の参加者のために中止にはしなかった。しかし大学生と楽しめると思った長男の意図を塾長が知っているわけではなく、キャンプは長男と塾長の2人で行われることになった。

 一泊が終わった後の帰りの車の中で、塾長と2人だけの宿泊施設での夜はどうだったかと聞くと

「将棋やって、少し話しをして…気まず過ぎて早くねたよ」

と言ったのは、今では笑い話だ。


 キャンプの初日、私は長男を現地まで送って行った。三男も一緒に連れて行った。

 最初の活動は川でゴムボートに乗る予定だった。それは6人乗りの大きなゴムボートだった。そこで塾長の小学1年生の息子(4人兄妹の末っ子だ)と我が家の三男も一緒に乗ることになった。

 三男は大喜びでボートに乗り込み、4人で川の中ほどまで漕ぎ出していった。

 私は河岸でそれを見守ることにした。塾では事務長と呼ばれる塾長の奥さんと一緒に。


 ボートを楽しむ4人を事務長と見ていた。

それまで事務長と話しをする機会はあまりなかったのだが、私は周りに誰もいない河岸で思わずポツリポツリと息子達のことを話し始めた。

「あの子たちは、もうずっとこのままなんですかね」

と私は言った。今から思えば"そんなわけない"のだが、当時の私は本気でそう思っていた。長男も三男もこの先ずっと、学校どころか集団に入ることもできず孤独に過ごしていくのだと。そう思えてしかたなかったのだ。

 ところが私の言葉に事務長は静かに言ったのだ。


「子どもはね、成長するんですよ」


 当たり前の事だ。そんな当たり前のことをその頃の私は忘れていたのだ。

 赤ん坊だった子どもが、立って歩いて喋るようになり…小さな頃は次から次へとできる事が増えていった。そしてそれを大喜びすることができた。それが小学校ぐらいになると、日々の変化が目立たなくなってしまい、その成長をすっかり見落としたり、気がついても大きな喜びにはならなくなってしまっていた。

 だけど子どもは確実に成長しているのだ。赤ん坊の頃のような今日から明日への明らかな急激なものではなく、とてもゆるやかではあるけれど。

 だったら今、学校に行くことができない子ども達も、いつか何処どこかに行くことができるようになるのだろう。

 

 子どもは成長する。私の心の中にストンと落ちるように響いたこの言葉と、その時の情景を私はずっと忘れないと思う。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る