第4話 リリーとレイナと昔話
「レイナ、ハンカチ持った? 注文はちゃんと確認した? 今日行く場所はちゃんと分かる?」
「もう、あなたはいつも心配し過ぎよ。レイナなら大丈夫だし、さっきも同じ確認してたでしょ?」
そうです。お父さんはちょっと面倒くさいくらい心配性なんです。
「でもまだ八歳だよ? そうだ。お花の配達は――」
「分かってるってば」
「あなた、あんまりしつこいとレイナに嫌われるわよ」
お母さんの言葉を聞いて、お父さんは声が出なくなったみたいです。
それでも何か言いたいのか、まだ口をパクパクさせています。
「じゃあそろそろ行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい。気を付けてね」
花籠を持った私を、お母さんはいつもの優しい笑顔で、お父さんは相変わらずの心配そうな顔で見送ってくれました。
今日の配達は大通りを進んで横道に入ったところにある、エデルおばあさんのお家。
ワイスおじいさんと結婚して30年経った記念のプレゼントだそうです。
お母さんたちが何時間もかけて選んだとっておきの花たちを、気に入ってくれるといいなぁ。
「……あれ?」
おばあさんの家までの道は、昨日も歩いてしっかり確認したのですが、似たお家ばかりで迷ってしまいました。
このままじゃ、せっかくのお花が届けられない……。
胸がざわざわして籠の中を見ると、きれいに整えられた明るい色のお花たちが、お日様に向かって背伸びをしています。
お母さんとお父さんが必死に選んだお花。
おばあさんがおじいさんのことを思って頼んだお花。
それを思うと、さっきのざわざわがチクチクと刺すような痛みに変わりました。
「お母さん……」
泣いてちゃダメなのに、まるで知らない町に来たみたいに寂しくて、勝手に涙が溢れてきました。
それでも、お花は届けないと……。
私は、昨日歩いた記憶を頼りにまた歩き始めました。
「近くまでは来てるはず……」
けれど、やっぱり見つかりません。
涙がぼろぼろとこぼれた時、目の前でかわいらしい声が響きました。
「ねぇ、なんで泣いてるの?」
顔を上げると、そこに立っていたのは声と同じくらい、いやそれ以上にかわいい女の子です。
薄い栗色の髪をお日様に照らされて、空みたいに青い目で私を見ています。
「エデルおばあさんのお家が分からないの」
不思議と名前も知らない彼女には、心の内を正直に話せる気がしました。
「エデルおばあさんならすぐそこのお家だよ」
そう言って彼女が指さしたのは、ちょうど私が背を向けているお家でした。
見ると、確かにその窓から見える飾りには見覚えがあります。
さっきまでは気づかないうちに下を向いていたから分からなかったのでしょう。
「ありがとう」
私が頭を下げると彼女は、花が咲いたような愛らしい笑顔で、
「ふふ、やっと笑ったね」
私にそう言いました。
言われて初めて、さっきまでの涙がいつの間にか止まっていることに気づきました。
「あなたのおかげだよ」
エプロンの中からハンカチを出して、顔を拭きながら言うと、
「リリー」
「え?」
彼女が笑顔のまま、私の好きな花の名前を呟いたのです。
「私の名前。リリーっていうの。あなたは?」
「えっと、……私はレイナ」
私も名前を伝えると、その名前を何度か小さく唱えてから。
「うん。レイナ、私と友達になってよ」
どう答えたらいいのか、迷っていると、リリーがそっと私の手を取りました。
「ねぇ、いいでしょ?」
そのあどけない顔に、思わずうなずくと、目の前でリリーがぴょんぴょん飛び跳ねて。
「あ……レイナ、配達してたんだよね」
突然、思い出したように言って、エデルおばあさんの家をノックしました。
「ほら、大事なお仕事なんでしょ?」
「うん。ありがとう」
彼女がいなかったら、今もまだ届けられていなかったと思うと、感謝してもしきれません。
どうにかしてお礼をしたいけれど、友達なんて初めてで、どうしたら喜んでくれるんだろう……。
私が悩んでいると、玄関がゆっくりと開いて、おばあさんが出てきました。
「あら、ずいぶん可愛らしいお嬢さんたちね」
「お花をお届けに来ました!」
私よりも先に、リリーが元気に口を開きます。
「あらまあ、もっと近くで見せてくれる?」
「え……あ、はい!」
おばあさんに近づいて籠から花束を取り出すと、おばあさんはそれを嬉しそうに受け取ってくれました。
オレンジと白、それに緑をメインに作られた花束は、おばあさんにとってもよく似合っています。
「ふふ、彼は喜んでくれるかしら」
「うん! きっと喜んでくれるよ。大好きな人からのプレゼントなんだもん!」
迷いなく答えるリリーが、なんだかとってもまぶしくて、私はそっと空になった籠に視線を落とします。
あ、これ……。
「ほんとうに、ありがとうね。あなたたちのおかげで、今年も楽しい一年が過ごせそうよ」
「こちらこそ、お花を頼んでくれてありがとうございました」
おばあさんが手を振ってから扉を閉めると、リリーがぐっと伸びをしました。
「じゃあ、私もそろそろ帰るね」
「あ、待って……」
思わず呼び止めると、少し驚いたような顔で、彼女が私を見ています。
「あの、これ。……今日のお礼、っていうほどの物じゃないけど、よかったらもらってくれる?」
私の手に乗るのは、籠に結んでいたオレンジのバンダナ。
小さいころに使っていたものをエプロンに仕立て直したので、正確にはその残り。
本当は誰かにあげるなんて失礼かもしれない。
だけど、彼女の綺麗な髪にはよく似合うような気がして……
「ふふ、とっても嬉しいよ」
私から受け取ったバンダナをさっそく巻いて、リリーはくるりと一回転します。
「どう? 似合ってるかな?」
「うん。似合ってる」
「えへへ」
嬉しそうに笑うリリーを見るのが嬉しくて、私も口が緩んでしまいます。
彼女はまだ知らない、おそおろいにそっと手を当てて。
「帰ろ、リリー」
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