ファンゴ VS 猪


 一切の防具を纏わぬ肌身を、飛沫しぶきのごとき雨が濡らしていく。狩人から失われていくのは負傷による血の気と回復薬の残量だった。


 真夜中の熱帯雨林を吹き荒れる大嵐が揺らすのは、なにも草木のこずえだけではない。馬上槍と見紛うほどに凶悪な荒々しい牙を二本携える大猪、ドスファンゴの闘争心さえも揺るがしているように見えた。


 ――――こんなはずではなかった。


 ドスランポスに敗北を喫した村人レベルの強さしかない私は、最序盤に戦えるもう一体のボスであるドスファンゴに戦いを挑んだ。


 奴は孤高の王者のごとくただ一匹で夜の密林を闊歩していた。ドスランポスのように群れている訳ではない、一匹ならばやれる……! 


 結果としてその甘く愚かな考えは、いままさに追い詰められている狩人によって証明されつつあった。雨とも冷や汗とも言える雫が狩人の頬を伝い、後悔の念と共に密林の大地へと落ちていく。


 奪った命は両指の本数にも満たないハンターナイフが、嵐の露に刀身を煌めかせ大猪の獣皮を斬り裂く。五十は斬っただろう。奴はもうすでに全身傷まみれのはず。しかし未だ無機質な殺戮兵器のごとく突進を繰り出すドスファンゴに、狩人こと私は徐々に気圧されていった。


 アクションゲーム初心者あるある、当時の私には回避という概念がほぼ皆無であった。私の記憶が正しければ、この時代のドスファンゴのモーションは突進の一種類のみだったはずだ。


 にも関わらず、避けれない。


 頭のなかでは避けなければ分かっているものの、身体が……というか狩人の動きとプレイヤーの脳みそが絶妙にかけ離れていた。攻撃を欲張らなければよいものの、あと一撃と欲をかき被弾していく姿は猪と称してもなんの比喩にならなかっただろう。


 三回の突進の度に、一度は被弾していたかもしれない。回復薬で狩人の腹はたぷんたぷんになっているはずだ。胃の容量とは裏腹に、余裕の心構えが欠けていく。前回の失敗を糧に、回復薬は上限まで準備したはずなのに。


 いつたおれるか皆目見当もつかないドスファンゴに、私は奴が生物の域を超えているかとさえ思った。こちらの攻撃がヒットするたびに大出血サービスを繰り返すドスファンゴの血液は無から創造されているとでもいうのか。


 十分……二十分。死闘は果てしなく続いた。明けることのない嵐の夜のように。


 狩人は最後の回復薬を飲みほしガッツポーズを決めると、私は玉砕覚悟で果敢に突撃した。だが、死なない。死ぬ気配がしない。大猪はカウンターぎみに突進し、狩人を無残にも吹き飛ばす。


 恐怖により心の堤防が決壊していく音がはっきりと聞こえた。追撃の突進が放たれる。眼前へと迫り来る大牙が、容赦なく残り僅かの体力ゲージが吹き飛ばす。


 後はこれまでの健闘ぶりが不自然に思えるほど脆かった。回復のない狩人はもはやまともに戦いを続けることは叶わなかった。


 追い詰められて覚醒するのはいつだって物語の中だけだ。私は所詮はモブに過ぎなかったのだろう。三落ちの画面に茫然と遠い目を向け、ドスランポスに続く二度目の敗北を噛み締る。


 ――――しかしこの敗北は確かに糧となっていた。


 一本目の矢は放たれることなく地に落ちた。二本目は放たれたものの届かなかった。


 だが三本目はどうだろうか。粉々に砕けたふたつの闘争心が合わさり、次の矢はより強固になっていく。


 敗北を乗り越えた狩人の鋭い視線は、ドスランポス討伐のクエストを鋭く見据えていた。雪辱を晴らすときが、ついに来たのであった。

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