9.12月24日 夜

 帰宅するまで、二人は無言だった。


 電気の消えた部屋で、美咲はサタンクロスをそっと固定電話の横に置き、マフラーを解く。

 次いで、彼の言う番号をプッシュする。

 掛かったのを確認してから、美咲は受話器を立てかけた。


「聞かれたくないだろうから、部屋を出てるね」


 彼女は返事を待たず、出て行こうとする。


『美咲!』


 その背中をサタンクロスは呼び止める。


『……感謝する』

「……言ったでしょ。困った時はお互い様だよ」


 彼女は振り返ることなく、後ろ手にドアを閉めた。

 室内に、受話器から洩れるコール音だけが残される。


 やがて、呼び出し音が二〇回目を数えると、留守番電話のメッセージが流れる。


――ただいま留守にしております。ご用の方は、発信音の後にメッセージを入れてください。


 事務的な留守番電話の受信メッセージだ。

 サタンクロスは、発信音が鳴り終わるのを待って口を開く。


『我らはバベル。神に挑みし者』

「……ほう? 今になって連絡してくる者が現れるとは」


 少しの驚きと共に、嗄れた声が返ってくる。


『俺です、プリズマー総統』

「まだ稼働しておったとはな、サタンクロスよ。上野基地と共に自爆したはずではなかったか?」

『申し訳ございません。こうして生き恥を晒しております』

「……恥じる必要はない。お前に与えた命令は、オメガマンの排除。及び、失敗した場合の、彼奴を巻き込んでの基地諸共の自爆じゃ。十分任務は果たしたじゃろう。生き残ったのは時の運。むしろ、生還したことを誇るがよい」

『……恐れ入ります』

「む、しばし待て」


 不意に通話が途切れる。

 十秒ほどの沈黙の後、再び声が戻ってくる。


「これでよし。やれやれ、話の途中じゃったな。まず、バベルは活動を一旦休止することとなった。正直なところ、先の敗戦の影響はあまりに大きい。最早、組織としての体をかろうじて保っているに過ぎぬ。今一度地下へ潜り、力を蓄えねばならん」

『では……』

「うむ。現在地を確認した。早急に迎えをやらせよう。戻るが良い、サタンクロス」

『…………』

「……どうした?」


 彼が主の命に初めて沈黙をもって応えたことに、プリズマーは困惑しているようだった。


『申し訳ございません、総統。俺はまだ戻るわけには参りません』

「……ほう? 何故じゃ?」

『……』

「理由如何では希望を聞いてやろう。答えよ、サタンクロス。何故戻れぬ?」

『……自らの意思で悪をなしていないからです」

「自らの意思じゃと?」

『いかにも。オメガマンに敗れてから……いえ、その前から、俺は自らの存在理由を、自身に問い続けてきました。未だ明確な結論は出ておりません。ただ、このままでは俺は悪党を名乗る資格がない。奴は自らを、己の意思で正義をなすためにあると定義した。ならば俺は、己の意思で己の望む悪を成さねばならない』


 訴えながら、徐々にサタンクロスの声には熱がこもっていく。


「……つまり、儂の命令ではなく、自らの意思で悪行を望むというのか」

『そうです』

「答えよ、サタンクロス。それはオメガマンに勝つためか?」

『違います』


 否定に強い意志がにじむ。


『……正直なところを言えば、ある者の言葉を聞くまで、迷っておりました。この俺の頭の中で渦を巻く衝動は、奴への対抗心から生まれた物ではないか。であれば、それは自分の意思ではない。奴を倒すために作られた俺に、生まれた瞬間与えられた使命故のものでしょう。だが、今は違う』

「……ふむ、続けよ」

『……ある者に言われたのです。俺に悪党であって欲しいと』


ぽつりと、驚くほど自然に思いが転び出る。


『彼女はおぞましい邪悪に晒されていた。この俺ですら不快に思うほどの、腐りきった悪意だ。彼女を救いたいなどと、思い上がったことを言うつもりはない。だが、俺は彼女のような者達の思いに応え、導く義務がある』

「一体誰をどこへ導く?」


――正義では救えぬ者達を、正しき悪の道へ


 しばしの沈黙の後、受話器の向こうから聞こえてくるのは主の哄笑だった。


「フハハハハハハッ! 面白い! 面白いぞ、サタンクロスよ!」

『……面白い、ですか?』

「然り! 正しき悪の道、ときたか! ハーハッハッハ!」


 ここまで興奮する主の声を聞くのは初めての経験である。

 サタンクロスは沈黙し、次の言葉を待つ。


「よかろう! お前の好きにするが良い!」

『……よろしいのですか?』

「構わぬ! 今やバベルは壊滅寸前、故に援軍は送れぬ。たった一人で何が出来るのか、やってみるがいい!」


 プリズマーは笑い疲れたのか、感慨深げにため息を漏らす。


『総統……?』

「……ふ、お前がよもやこんなに儂を楽しませるとはな。作った甲斐もあるというものよ」

『……過分なお言葉です。期待を裏切ることの無いよう、精進致します』

「ふむ。何か褒美をやらねばならんな」

『褒美?』

「そうじゃ。とはいっても、大したことは出来ぬ。くれてやれるのは情報くらいじゃ」

『情報……ですか』

「うむ。まず、お前がこの電話をかけてきた時、一瞬音が途切れたじゃろう?」

『はい。あれは一体……』

「この電話はのう、何者かに盗聴されておる」


 何でもないことのようにプリズマーが告げる。

 予想外のことに、耳を疑うサタンクロス。


『盗聴!? 一般家庭の固定電話ですよ? 一体何故?』

「さぁな。儂にも分からん。今はこちら側から対処しておる故問題ない。恐らく市販の盗聴器じゃろうな」

『総統が追跡される可能性は?』

「無いな。あくまで通話の録音のみ。じゃが、いつ通話内容からお前の存在が割れるかは分からん。短期間とはいえ、そこに滞在しておるのじゃろう? 心当たりはないのか?」


 少し考えて、サタンクロスは苦虫を噛みつぶす。


『……なるほど、思い当たる者はおります』

「まぁいい。次に、お前が今いる家を調べたのじゃが……面白い」

『……?』

「その家の主は警察官じゃ」

『……警察!? 間違いないのですか!?』

「ああ。つまりお前は、敵地のど真ん中で寛いでおったということ。痛快だと思わぬか?」


 サタンクロスには、最早プリズマーの声は聞こえていなかった。

 不規則な労働時間や、美咲の正義の味方に対する嫌悪も、あの男が警官であるというなら納得がいく。


「……ロス。……サタンクロス!」

『……! はっ、申し訳ございません!』

「よい、じゃが素晴らしい幸運だと思わぬか。お前がこれから何をやろうとしておるのかは分からぬが、色々と都合は良かろう?」

『……確かに』


 主の言葉に相槌を打ちつつ、サタンクロスは自分を助けた少女のことを考えていた。


 何度も救われた。彼女はそう言った。

 正義の味方ではなく悪の秘密結社バベルに。

 彼女の言葉の意味が、ようやく理解出来たのだ。


「そして、最後の情報じゃ。オメガマン……奴も怪我が癒え、活動を再開したそうじゃ」

『……フ』

「……? どうした? 何がおかしい、サタンクロス」

『……いえ、妙案が浮かびました。ついては、一つ総統にお願いがございます』


 プリズマーは無言で先を促してくる。

 受話器の向こうでは、さぞ興味深そうに笑みを深めているに違いない。


『……今から一時間後に、警察とオメガマンが、俺の存在を察知するよう仕向けてください。出来ますか?』

「ふむ、そのくらいならば容易いが……、一体何をするつもりじゃ?」

『……奴に思い知らせてやるつもりです。自分達の無力さを』

「正義で救えぬ者を導くのではなかったか?」

『導くために、です』


 彼の言葉には確信があった。

 自らのやるべきことを理解したことで、迷いが消え、決意に満ちている。


 プリズマーは満足げに笑う。


「いいじゃろう。……やはり、お前は儂の最高傑作だったようじゃな」

『……どういう意味です?』

「お前の言うように、これまでのお前は確かに悪ではなかった。儂の命令通りに動く機械人形じゃ。人を殺せと命じられれば殺し、花を植えよと命じられれば植えたじゃろう」


 そこに善悪はないのだ、とプリズマーは言う。


「じゃが、お前は自らの意思で成し遂げたいことがあるだと言いおった。その時点でお前は機械を超えたのじゃ」

『……』

「後は自らの意思でしたいことをするがいい。己が欲望の赴くまま! 周りの都合を一切考えず! それこそ悪! それこそバベルである!」

『……肝に銘じます』

「戦士サタンクロスの徒花、しかと見届けさせてもらおう! 通信を終わる」





 電話が切れた後、サタンクロスは暗闇に無言で佇んでいた。


 しばらくして、足音が降りてくる。

 ドアを開け、目の前に座ったのを確認してからサタンクロスは目を開けた。


「電話、終わった?」

『……ああ』

「この後、どうするの?」


 暗視カメラに映る少女は、不安げな視線を送ってくる。


『……美咲、君に伝えておくことがある』

「何?」

『この電話は盗聴されていた。恐らく、君の父親だろう』

「……えっ?」

『君を監視するためだろうな。悪い虫が付かないように、見張っているつもりだったのだろうさ』

「……何で」

『美咲?』

「……何で? ……何でそんなことするの? 私を、見張る?」


 少女は自らの震える肩を抱く。爪が刺さるくらいにきつく、二の腕を握りしめる。


『……あの男は、君が考えている以上に君に執着しているようだな。だが、俺にとってそこは重要ではない。電話を聞かれたことで、遠からず、この家に警察が押し寄せるだろう』

「……!?」

『正直に言おう。君と過ごしたこの数日間はとても心地よかった。このまま、ずっとこうしていても構わないと思えるほどに』

「じゃ、じゃあ……!」

『だが、終わりだ』


 サタンクロスの言葉で、美咲の顔が絶望に染まる。


「……また、いつもの毎日が始まるの?」

『……かもな』

「二日間、苦しいのを我慢して耐えて……、やっと安心して眠れると思っても、また変わらずやってくる明後日に怯え続けるの?」

『……』


 美咲はうずくまって慟哭する。

 サタンクロスが見た、あの夢の少女のように。


「……やだ! やだ、やだ、やだ、やだ、やだ! もう、やだ……」


 拒絶の声が、闇に霧散する。

 サタンクロスは、少女の姿に決意を新たにする。


『……なぁ、美咲。あの男が怖いか?』

「……」

『答えろ。この場所から逃げ出したいか?』


 沈黙の後、美咲の口元が微かに動く。


「……けて」

『聞こえん。はっきり言え。君はどうしたい? どうして欲しい?」


 涙と嗚咽が入り交じった、普通であれば聞き逃してしまいそうな程、小さく折れてしまいそうな声。

 それが、少女の唇から絞り出される。


「助けて……サー君」


 少女の懇願を受け、満足そうに口元を歪ませるサタンクロス。


『……ならば、条件がある』


 美咲は顔を上げる。

 ぐしゃぐしゃになった目を擦り、サタンクロスを見つめる。


「……どうすれば?」

『俺はこれから自爆する。だから君の……君の命をもらいたい』





 美咲はサタンクロスを抱きしめると、ベッドに横になる。


『あの男が警官、か……』

「うん……。ごめんね」

『気にする必要はない。引き渡されたわけでもないからな』


――何度も助けられた

 

 単純な理屈である。


 バベルが暴れれば、警察を動員せざるを得なくなる。

 警察が動員されれば、警官の父親が家からいなくなる。

 父親がいなくなれば、襲われることもない。安心して眠る事が出来る。


「……あの人が帰ってこない日にね。いつも決まって、テレビのニュースで貴方たちのことをやっていたの」

『ここ一年は特に慌ただしかったからな』

「……うん。どこが襲われた。何が壊された。何人が死んで、被害総額がどのくらい。でも、そんなの全部どうでもよかった。サー君達のお陰で、その夜安心して眠る事が出来た。私が苦しくてどうしようもなかった時、つかの間でも安心をくれたのは正義の味方じゃなかった。悪の秘密結社だったの』

『……たまたまだ』

「言ったでしょう? どうでもよかったの。私は貴方に救われた。あの日……、サー君と初めて会った日もそう」


 あの日、美咲が上野公園に行ったのは偶然ではなかった。

 バベルの敗北に、これからやってくる『日常』を思って絶望し、死ぬために行ったのだ。

せめて、安心をくれた者達と共に死にたい、と。


「……でも、貴方がいた。サー君は“サタンクロス”って名乗ったけど、私にはサンタクロースにしか見えなかったよ。一番欲しかった物をくれたから」


 幸せそうに微笑む美咲。

 寂しい笑顔だ、とサタンクロスは思う。


 やりたいことを諦めてしまった、生きることに疲れてしまった者が、終着点を見つけて安堵したように浮かべる笑顔だと。


「……私はどうすればいい?」

『もう間もなく、俺がいることを聞きつけて、ここには警察や自衛隊が押し寄せるだろう。今の俺でも、家一軒程度なら吹っ飛ばせる力が残っていることは話したな?』

「……うん」

『俺を奴らのど真ん中まで連れて行って欲しい。見ての通り、一人では動けないからな。そうして、出来る限り多くの奴らを道連れに自爆する』

「……そっか」

『奴らは、まだ俺が爆弾を抱えているのを知らない。可能な限り引きつけるためにも、君の力がいる。その時に、上手く言って、あの男も間違いなく殺してやる』

「……」

『美咲?』

「……あの世って、あるのかな?」

『よしんば、あったとしても、君が行くのは天国だ。母親も待っているだろう。地獄に落ちる俺やあの男とは違う』

「……サー君と同じ所がいいなぁ」


 意外な言葉に目を見開く。


『……変わった奴だ。が、まぁ、ついてくるなら守ってやるさ』


「来る者は拒まぬ主義だ」

『来る者は拒まぬ主義だ』


 二人の声が重なる。

 美咲は少し吹き出した。


『……あの世に行けば、流石に五体満足だろうしな』

「ふふふ。そしたら、えっちなこともされちゃうねぇ」

『言ったろう? 俺はノーマルだ。ストレートに気持ちのいいことしかしないぞ』


 美咲は、サタンクロスの額に自分の額を押し当てる。


「……上手くいくかな?」

『心配いらん。だが、本当にいいのか? 成功しても君は確実に死ぬ。俺を置き去りにして逃げる手もあるぞ』

「言ったよね? サー君を見つけるまで死のうとしてたんだよ?」

『……そうだったな』

「……ねぇ、サー君」


 不意に美咲は真顔になる。

 青ざめた唇が、躊躇いがちに願いを紡ぐ。


「最後の瞬間まで一緒にいてね。サー君が壊れちゃうのなら、必ず私も連れて行って」

『……美咲』

「……お願い」


 震える少女の願い。

 彼が目指す悪党であれば、答えは一つしかありえない。


『分かった。約束だ』


――出てこい、サタンクロス! この家は完全に包囲した!


 突然、強い光が窓を貫いて部屋の中を照らす。続いて、大音声の警告。

 時は来た。

 美咲はサタンクロスをしかと見つめると、覚悟を決めて一つ頷いたのだった。

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