第7話 ◆ 狂聖12(クルセイダース)

◆ 狂聖12(クルセイダース)


 士朗は傘を差し、隠ヶ淵の「河童のカタリ岩」の上に屈(かが)んでいた。

 水面を指でなぞったり、草の根をかき分けたり、なにか探しているようだ。


(…あれは?)


 折れたカッターの刃のような、鈍く光るものに士朗は目を留めた。紫に透ける下に、銀箔の貼られた錠剤のシートが、小降りになってきた雨粒に打たれ、水面の縁の草の根元で浮いたり沈んだり、ひっくり返ったりしていた。


(思い過ごしであれば…)

 手をのばして、1錠分に切られたシートを拾い上げた。まだはじに、ホチキスの針がぶらさがっている。

(…よしっ)

 推測通りか? そうでないかも知れない。でもとりあえず、士朗はその紫の錠剤シートに、銀箔が破られずそのまま残っている1錠を確かめられて、ほっ、とした。


       †


 山岸京市(やまぎしきょういち)は、剣道部の2年生だ。体も大きく、実家が道場という事もあり、お箸か竹刀か、最初に持てるようになったのはどっちだったか、おぼえがないくらいの幼い頃から稽古を積んでいた。それで校内の先輩だけでなく、校外でも、最近では相手がいなくなり、大会で優勝をしても、達成感というものをあまり感じなくなっていた。


(勝ってあたりまえのヤツが、勝つ)


 なにかそんな空気の中、剣道って本当に自分のしたい事なのかなぁ? と、ぼんやり思うようになっていた。


 京市の中で剣道は「できること」であって「したいこと」とは違っている様にも思い始めていた。


 5月の事。学校行事の写生大会で、京市は龍神川にかかる赤い橋を描いた。水彩の青を溶き、平筆でまずべたべたに画用紙を塗りつぶした。

(こんなに青くないなぁ…空)

 そう思いこんどは白色で、塗ってしまった青色を薄くしようと上から塗り始めた。

(…なんか、曇り空みたいになっちまったぞ)

 川原の斜面に腰掛け描いていた京市は、少し下の斜面で、舜が、自分とほぼ同じ角度で橋の方へ視線を向けているのに気がついた。

 それで、なんとなく舜の手もとを眺めていると、舜は筆を持っていなかった。小さな爪楊枝を持って、紙をひっかいている。

(変なやつだなぁ…)

 京市たち男子は、無口というよりは、本当にまったく話す気がないように見える柚葉舜の事に少し反感を抱いていた。有名作家の父を持ち、テレビでも時々ドラマがやっているらしく、芸能人の世界の1人みたいな見方をして騒いでいる女子たちとは、舜に対する温

度が違っていた。

 舜がやっと筆を使いだしたので、京市はそのままなんとなく眺めていた。でも今度は、ただ水で濡らしているだけのようで、色はまったく塗られていない。

(描く気ないんだろ)

 と、京市は自分の風景に没頭するように、赤い鉄筋の橋に視線を戻した。

 川原には真魚たち3人の姿もあった。画用紙を持って、空をつかまえようとしているかのように画用紙を振り上げ、ひらひらさせながら走って来る真魚を、偲と麻衣が追っていた。

(あいつらも描く気ねえな… いや、篠月のやつはあれで乾かしてんのか?)

 偲は笑っていて、麻衣は早く描かないと、と注意しているようだった。

 京市の目は、それから舜の事など忘れてしまって、赤い橋と自分の画板の上を行ったり来たりするのに懸命になった。


 時々、1年から剣道部に入ってきた偲のポニーテールが揺れるのを気にして、目がいったりもした。


 真魚を追って走って来た麻衣は、河原の斜面に座っている舜に気づいて、どきっとして一瞬足をとめた。


 舜とは幼なじみの真魚が近づいて行くのに連れ立って、麻衣も舜の絵を覗き込むフリで近くに寄って行った。


(やっぱり、ミルクみたいな赤ちゃんの匂いがする)


 麻衣が舜を意識するようになったのは、ある朝の事。

 舜が、登校する向きとは逆の方向へ歩いて来たのを見つけて声をかけてからだった。


「どうしたの? 学校行かないの?」


 仔猫を抱いていた。

「ケガしているの?」

 車にでもはねられたのだろうか? 幼い銀毛に血がこびりつきぐったりしていた。

 どこかへ行ってしまいそうだった舜の腕を引っ張って、いっしょに仔猫を保健室へ連れて行った。

「ありがとう」

 舜が仔猫を抱いたまま、保健室へ引っ張って来てくれた麻衣にそう言った。その時の声とかすかに笑った表情がいつまでも麻衣に焼きついていた。

「うっわ! シュンちゃん、ズルいーーー!」

 真魚が舜の絵を覗き込んで言った。

 麻衣と偲も、舜の手元を見て驚いた。

 爪楊枝で引っ掻いてから濡らした粗めの画用紙に、よく溶いたビリジアンを筆先から落していったそこには、風になびく草原が生えていくかのように、土手の風景が現れていた。

 そんな描き方ずるいよーーーー! と抗議をする真魚の絵を、舜も笑いながら覗いた。

 真魚は溶いた絵の具を紙の上ですべらせ、色水を泳がせるようにしみ込ませながら川の動きを生き生きと表現していた。


(…天才か、あいつら)

 後日、廊下に貼り出されたふたりの絵の前で、京市は立ちつくしていた。

(同じ方向から描いていて、こんなに違うか?)


「金賞 2年A組 柚葉 舜

 銀賞 2年A組 篠月 真魚」


 舜の絵に描かれていた橋は、いろんな光を反射した多色で彩られており、川面に映りこんだ橋も、反射した虹の光がにじみこんだように、流れる川の水に溶け込んで描かれていた。

川の水が、画用紙の上に本当に流れているようだった。

 京市はため息をついて、舜の絵に魅入っていた。

 廊下の端で、違うクラスの真司に「すげーじゃん! さすが舜」と、ヘッドロックをされ嬉しそうに笑っている舜が見え、

(あいつ、あんな顔で笑うんだな)

 と、まるで少女みたいな笑顔をはじめて見て、女子に人気があるのも分かったような気になった。ちなみに、この時描いた京市の絵を見た士朗は「わかった。フランスの国旗だろう?」と、空、橋、川、と大胆なトリコロールになった絵を誉めてくれたけれど、それ

を、舜の描いた同じ風景だと気づく者は誰もいなかった。

 むしろ気づかれたくないほど京市はその差を感じて、本当に何度も舜の絵が見たくなって、用もないのに掲示されたその廊下を繰り返し行ったり来たりした。


       †


「…そうして、その時撮ったのがこの写メです♥」

 偲が携帯の写メを麻衣に見せていた。

「いいなぁ、偲。携帯持ってて」

 スマホの画面に、廊下で舜をヘッドロックしている真司の姿も映っていた。

「はぁしゅん❤ カワイー❤」

 机の周りに集まった女子達も、偲の携帯画面を覗き込んで羨ましがった。

 一部の女子からは「柚」ぬきで呼ぶのが「かわいい」からと「❤はぁしゅん(葉舜)」

の愛称が好まれ会話の中で使われていた。他にも「柚」と呼ばれていたり「舜くん」「舜ちゃん」「カンキツ」など様々な愛称が女子たちの会話の中で使われていた。もちろん舜本人はまったく知らない。


「あいつニャ、オレがいるのニャ❤」

「きゃあーーーーー❤」

 ふざけて真司をマネる偲に、囲んだ女子たちが盛り上がる。

「愛よねーっ❤」

 真司が舜の仇討ちをしに来た噂は、もうクラス中に広まっていた。

 偲は偲なりに、幼馴染みの真司の為に、喧嘩や荒ごとを怖がる麻衣へフォローを入れているのだ。

「シンは、わけもなく乱暴なんて振るわないよ」

(わかってるんだけど…)

 麻衣は、去年のクラスから仲良くなった人気者の真司を、みんなが自分の事を好きみたいだよ、て、あんまり言うので、逆に意識してぎくしゃくしてしまうようになっていた。周囲に、真司と麻衣をくっつけようとしているような雰囲気があって、麻衣自身は「好き」

とかどうとか? よくわからないのに、と感じて困っていた。

 今年、真司と違うクラスになって、麻衣はある意味ほっ、としていたくらいだ。

 もちろん嫌いじゃないし、でも時々見せる、麻衣にとっては「短気」に思える真司の一面をどうしても怖いと感じてしまい、麻衣は委縮してしまうのだった。

(…あたしは、もっとおとなしい人がいいのかも)

 偲の携帯画像を、自宅のPCメールに送ってくれないかな? と、思う麻衣は、真司というよりは、舜の珍しい笑顔を眺めてちょっと頬を赤くしていた。

(あたしも、ミーハーなのかな?)

 空いた隣の席を過ぎる風の中に、麻衣はミルクの残り香を思い出していた。


       †


 足の早い雨雲の尻尾が切れて、まだ降り止まぬ雨の中に陽光が射しはじめた。

 水滴に飛び込んだ光がキラキラと雨粒を光らせ落ちてくる。

 明るくなっていく空に、午後のチャイムが鳴り響いた。

 ようやく空を見上げた真司の目にも、ビーズのカーテンのような光の雨が写り、遠くにぽっかり、晴れた青空を見つけた。

 雨が止むのを待って蝉たちがいっせいに鳴き出した。その声を聞いているだけで、汗がにじんでくる。真司が立ち上がろうとした時、体育館裏の駐車場に和太鼓を打つような音が近づいてきた。


 ボボボボボボボボボボッ

 ドドォン、ドォーン 


と、晴れた青空とはウラハラな雷鳴みたいな轟きが、駐車場入口の坂を上ってきた。

「うるっせえーーーー」

 真司は、音の割には小さい、2シーターの緑色の車が上って来るのを見て、慌てて体育館の鉄扉を開けた。

「…ぉわっ!」

 すると鉄扉に、いつからもたれかかっていたのか? 半寝に陥っていた京市がごろんと転がって現れ、驚いた真司は思わず声を上げた。

「な、なにしてんだ?! オマエ!」

 舜の描いた絵をもう一度見たいな、と思い出していた京市は、もたれていた背中が急になくなったのに驚きもせず、ごろん、と仰向けに外に転がって目に入った空をそのまま見上げた。

「おっ、晴れたな」

 仰向けに寝転がった京市が空を見て言った言葉に、見上げられた真司は泣き止んだ事を言い当てられたかのような気がして、

「びっくりさせんじゃねー!」

 と、でかい京市の頭を上履きを履いた爪先で軽く蹴突いた。

 京市が意にも介さず、気持ちよくそのまま空を見上げていると、エンジンの止まる音がして、士朗が降りてきた。

「お前らぁ! 早く教室戻れよ!」

 雨蛙のような流線型をした車から降りて、2人を見つけた士朗が声を飛ばすと、

「アイ ノォ!」

 と、2人の少年の声が思いがけずそろった。

 それは「know(わかっています)」「No(知らねーよ)」と相反する意味を同音の一言で答えられるもので、真司の好きなバンドが曲の中で使っているフレーズだったのだけれど、思わず声がそろった二人はお互いに顔を見合わせ、ふつう「はい」だろ? ここは、

とお互いへツッコミを入れながら、お前あれ好きなの? とそんな会話になり、京市の手をとり起き上がらせた真司の目も自然と笑っていた。

(ん? 珍しい取り合わせだったな)

 士朗は愛車のドアへ鍵をかけながら、体育館の扉が閉まるのを見届けた。


       †


 午後の授業で、士朗は理科の授業ではなく緊急HRを開いた。

 黒板に漢字3文字を書いた。

「はい、これ読める人ぉ?」

 我獣路

「…われ、じゅうろ?」

「がじゅう…ろ?」

 なにそれ? と、首をかしげる生徒達の多い中、鼻や頬に青タンをつくった生徒らが、ブスッとした顔で正解を口にした。

「ガジュウジ、だろ? 族じゃん」

「おお。こいつら、流行ってんの?」

 答えた生徒たちに士朗は声をかけた。

 読めない生徒たちは知らない、て事だろうと判断した。

 

「…なんかステッカー買わせたり、高校生のやつらが時々…」

「女の子には、ただであげてるってよ」

 1人が口火を切ると、何人かが同時に知っている事や噂を披露し始めた。

「お前らん中に、持っているヤツいる?」

 士朗は真魚の病室から持ってきたステッカーを生徒たちに見せた。

 すると、偲と麻衣が手を上げた。

「おっ! どこで、それ」

 士朗が冷やっ、とした気持ちで「今、持ってるか?」と問うと、ふたりは鞄から出してくれた。

「回収! これ、オレがもらうぞ。いいか?」

 とひったくるように回収すると、士朗が睨んだ通り、ステッカーには紫の錠剤シートが1錠、ホチキスで留められていた。


 錠剤が開封されていない事を確かめ、士朗は少しほっ、とした。

「ビタミン剤とか、ダイエット薬だとか言っていたけど、あたしたちの美貌にそんなの必要ないもんねーっ♪」

 と、偲がいつものようにふざけて笑う横で、麻衣が、真魚と3人でファストフード店にいた時に、高校生たちがくれたと話してくれた。ナンパされそうだったので、すぐ出てきたのだと…


「だいたい我獣路(ガジュウジ)なんて下っ端の族だろ?」

「そう、他に十字狼怒(クロスロード)とかさぁ、みんな一つのチームがシメてる、て話じゃん」

 さっき真司にねじ伏せられた3人が、そういう事には詳しいんだというように話し始めた。

「名前に十字架や狼が入っている族は、みんなそこの傘下なんだって」

「交叉狼(コウサロウ)とか、狼座力王(ロザリオ)だとか」

 士朗は聞きながら、なんだか亡霊の話を聞いているように感じていた。

「シメてるトップのヘッドが十門字とか、なんかそういう名前で、リーダーを中心に四天王がいて」

「その四天王がそれぞれ3つずつの族を仕切って、12チームをシメてんだって」

「…そのトップのチーム名は?」

 サーカス団といい、この族といい… 士朗は、奇妙な胸騒ぎにかられながら、知っている名前が出てくるのか? 確かめるように問いかけた。


「狂聖12(クルセイダース)」


 応えたのは偲だった。

 士朗は驚きを隠し切れずに、言葉をなくした。

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