第22話 美女と部屋で二人きりになっても、何もしない理由

 恵梨香は、公園にいた。

 土日の昼下りだから、公園内には多くの人々がいる。

 子連れの夫婦もいるが、カップルも多くいる。


 近年の再開発で商業地の一角に作られたこの公園は、お洒落なカフェを併設し、園内の木々や芝生も綺麗に整備されている。

 だから、家族連れでなく恵梨香のような若い女性が一人でいても、十分に楽しめる設計になっている。

 

 これで場所が池袋でなければいいんだけど・・・

 

 公園は池袋駅の近くにある。

 公園の面積はそんなに広くないから、ちょっと視界を外にやると雑多な商業ビル、派手な広告が目に入ってしまう。

 

 さんさんと降り注ぐ日光の元で、目の前に広がる緑一色の芝生を見て、せっかく開放感に浸っていても、すぐに現実に引き戻されてしまう。

 それどころか、この公園自体の酷く人口的なもの、作りものめいたものが鼻につくようになってしまう。

 

 そう思ってしまうのは、恵梨香が池袋という街自体にあまりいいイメージがないからだろう。

 非日常感や甘い夢など心に一切描くことができないほど、恵梨香にとって、この街は現実そのものだ。

 

 家を買うなら、池袋以外にしよう・・・

 

 場所を変えても、自分自身・・・恵梨香・・・が変わらなければ、結局、最初にいいイメージを持っている家もすぐ現実の色に変えられてしまう。

 それでも、ちょっとの間は、効果は持続するだろう。


 少なくとも、この街に抱いている恵梨香の負のイメージは簡単には払拭できそうにないから、場所を変えるのはやはり有効だ。

 視線を手元に戻し、スマホの画面を見る。


 待ち合わせの時間までは、まだ後20分ほどはある。

 恵梨香がこの公園に来ているのは、男との待ち合わせのためだ。

 会う男は、こないだの医者の男。


 なんだかんだと会う約束を引き伸ばしていたから、結局こないだ会ってから3週間ほど経っていた。

 もっとも、会う日程が後ずれしたのは、恵梨香だけに理由がある訳ではない。


 いざ、会うことをOKするラインを送っても、男からのラインはとんとこないのだ。

 既読にはすぐなるくせに、3日、4日待ってようやく返信がある。

 しかも、感情がまるでこもっていないような一文程度しかこない。

 

 相手がこの態度なのだから、恵梨香がすぐに返信する訳にはいかない。

 まるで手紙の文通のようにノロノロとした応酬が続き、ようやく会う場所、日程が決まったという訳だ。

 

 それにしても、まだあの男と会おうとしている自分の感情に少し違和感を感じていた。

 なんともつかめない雰囲気に惹かれはしたが、こんなに時間が経てば、その当時の感情も薄らいでゆくというもの。

 

 だからという訳ではないが、この数週間恵梨香は、アプリを使って、何人かの男と会っていた。

 しかし、やはりいいなと思う経歴の相手とは、なかなか進展しない。


 相手は手順を踏んで、次に進むタイプばかりなのだ。

 反対に、経営者や自営業者など、育ちはよくないが、今現在の金回りは断然良いタイプの人間は、非常に積極的だ。


 だが、こういう人間を恵梨香は結婚相手には望んでいなかった。

 安定とはほど遠いからだ。

 数年遊ぶだけなら、様々なことを体験させてくれるし、ノリも良くて面白い。


 だが、それが数十年も継続するとは思えない。

 小さい頃に出ていったきりの実父も、昔商売をやっていたと母から聞いたことがあった。

 女は、幼い子供を育てる数年の間は、どうしても一定の経済的支援を提供できる男が必要だ。


 母の現状を見ると、そこを見誤ることは、人生の大きな失点になる。

 下手をすれば、生涯にわたり取り戻すことのできないほどに・・・

 その点、医者ならベストだ。


 公園で遊んでいる子供と母親を目でなんとなく追っていると知った顔が視界に飛び込んできた。

 あの医者の男だ。

 恵梨香は目をそらし、笑顔を整える。


 視界の隅で確認したところ、男は恵梨香に気付いたようだ。

 男が近寄ってきたので、恵梨香はベンチから立ち上がり、満面の笑みを向ける

 

 はずだった・・

 「久し・・・」


 思わず、言葉が詰まってしまった。

 一瞬、恵梨香は別人に声をかけてしまったと思ったからだ。

 脳の顔認識システムは視界に映る顔と記憶にある顔とが一致するという答えを返している。


 しかし、それでも、恵梨香の脳の別の機能は違う人間だと言い張っている。

 この矛盾が、恵梨香を10秒程度逡巡させた。

 そんなフリーズを解いたのは、男の声だった。


 「ああ・・久しぶりです・・」

 「う、うん・・久しぶりですね・・」


 やはり、目の前の男は間違いなく、同一人物だ。

 しかし、この違和感は何なのだろう。

 最後に会ったのは、三週間ほど前だった。

 そうたった三週間だ!


 それなのに、なぜこの男はこんなにも別人になっているのだ。

 顔の造形が変わった訳ではもちろんない。

 変わったのは、この男の雰囲気。

 まるで違うタイプの人間になっている。


 さっき恵梨香が頭の中で考えていた草食系、肉食系とかそういう次元の話ではない。

 もっと、根本の部分が変わっている。

 何らかの決意をしている、目標に向かって邁進している、そんな充実したオーラを全身に身にまとっていた。

 

 前は、いかにも毎日が嫌でたまらないといった雰囲気だった。

 何かが変わることを願っているといった社会に出て数年働いた人間ならば誰もが持っている雰囲気だったのに。

 それでも、雰囲気が変わっただけなら、恵梨香はそこまで驚かなかったかもしれない。


 もう一つの変化の方がより恵梨香にとっては重要だった。

 男の目はまるで恵梨香の方を向いていなかったのだ。

 実際の視線はもちろん恵梨香のことを捉えている。


 しかし、その目には、まるで恵梨香のことをその他大勢の歩行者の一人としてしか見ていないように思えた。

 今まで恵梨香に視線を投げかけた多くの男たちの目には少なからず欲望、嫉妬、蔑視の光が宿っていた。


 小学生高学年ぐらいから、男たちからこういう類の視線を受けてきた恵梨香にとって、空気を吸うように当たり前のことだ。

 現にこの公園内の男たち〜子供と一緒に一見仲睦まじく遊んでいる男たち〜からも、大小差はあれどそういう目線で見られている。


 だから、目の前の男の目に一切の欲望を感じられないことに強烈な違和感を感じたのだ。

 初めて会った時は、この男は、もちろんそこいらの男と同じように、恵梨香に欲望の視線を向けていた。


 むろん、その目線は草食系の男らしく、丁寧に隠したものであったが。

 それなのに、今の男からはそれすら感じない。


 「少し歩きますか。」


 恵梨香が、男の前でぼおっと突っ立ってたのは時間にして、数十秒だろう。

 男は、そんな恵梨香のことを怪訝に思う素振りを見せずに、言葉を紡いだ。

 催眠術が解けたかのように、恵梨香は返答する。

 

 「え・・ああ・・は、はい」


 公園内を出て、池袋の繁華街を連れ立って歩いた。

 十数分歩いただろうか。

 その間、お互い無言だった。

 それでも、不思議と不快ではなかった。


 恵梨香はこの男に対する興味が膨らんでいた。

 いったい全体どうしてこの男はたった三週間で悟りを開いた仙人みたいになってしまったのか。


 繁華街を抜けて、街並みは住宅街に変わっていた。

 いつの間にか恵梨香が住んでいるアパートの近くに来ていたようだ。

 というより、この男は最初から恵梨香の家に行こうと歩いていたのか・・・


 「また家に行ってもいいですか?」

 「えっ?」


 仙人ではなくやはりサルだったか。

 だが、言葉とは裏腹に男の目からはやはり何も感じられない。


 「いい・・ですよ。」


 自分でも驚くほど早く即答していた。

 この男からはまるで危険を感じない。

 いや、少なくともそっち関係の危険はないだろう。


 だが、まるで読めないこの男はある意味、予測がつかないという意味では、欲望に駆られた男よりも危険かもしれない。

 それでも、興味の方が勝っていた。


 好奇心には勝てない。

 それに、予測がつかないとはいえ、恵梨香に害をなすことはしないという予測はしていた。

 根拠はまるでないが。


 こないだと全く同じシチュエーション。

 違うのは、誘ったのが、恵梨香ではなく、男の方からだということ。

 あと違うのは、自分の気持ち・・だけ・・


 部屋に入り、二人は、居間にあるローテーブルの前に並んで座った。

 やはり、数十秒沈黙が続いただろうか。

 そして、沈黙の後、男は恵梨香を抱き寄せてきて、そして、そのまま隣にあるベッドにもつれるように倒れこんだ。


 恵梨香は、男の行為自体には、驚かなかった。

 ただ、違和感は続いている。

 その行為の持つ意味とは正反対に、男からはなんらの欲望もやはり感じなかったのだ。


 男の行為自体、感情のままやっているというより、まるでレジを打つかのように機械的な印象を受けた。


「やっぱりか・・」


 恵梨香の真正面で馬乗りになっている男は、ボソリとつぶやいた。

 そのまま体を引き起こすと、恵梨香から離れていった。

 そして、男は踵を返し、そのまま部屋を出ていく。


 ガタっと、玄関が閉まる音を聞こえて、男は視界から姿を消した。

 恵梨香は、数分ベッドに倒れたまま天井を見ていた。

 呆然という訳ではない。


 何か変なことをするだろうなという予測はしていた。


 しかし・・意味がわからない・・・


 本来、激怒しても良いはずなのだが・・・

 いやそれよりは恐怖を感じるべきだろうか。

 それなのに、今恵梨香は一人笑ってしまっていた。


 こんなことを面白がっている自分の感情が不可思議で理解できないのだから、苦笑いするしかない。

 だが、自分はあの男ともう一度会おうとするだろうということは感じていた。

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