第19話 非モテの高学歴が、虐殺を夢想する理由

 

 「神などいる訳がない」それは、当然の帰結だと城田の理性は言っている。

 それでも、城田が宗教の本を読んでいるのは、救いにすがりたかったからだ。

 自分の理性を覆してくれる根拠があるのではないかという救いに。


 神を信じている者はどういう根拠で信じるに至ったのか。

 その理由はシンプルだ。

 答えは、その者が愚かだからだ。

 つまり、物事を深く考えることができない人間、そういう愚かな人間、大衆が神を信じている。


 それでは、世界中に、ここまで宗教が広まっている理由は何故なのか。

 これもまた単純だ。

 人類の大半は、愚昧だから。


 つまり、自分よりも、はるかに愚かだ。

 これは、城田くらいのつたない人生経験しかなくても、経験則から理解できる。

 

 振り込め詐欺に引っかかる高齢者たち、交通事故で死ぬ確率がはるかに高いのに、軍用ヘリの墜落を恐れる者たち、いたるところに、ちょっと考えればわかる道理すら理解できない人間が多くいる。


 だが、宗教を信奉している者たちには明らかに知的レベルが高い者も多く見られる。

 城田よりも、どうみても知性に優れている者もいる。

 そういう者たちが、宗教を信じている理由は何か。


 彼らは、本当に宗教を信じているのだろうか。

 外部に表現する言葉は、「自分は神の存在を信じている」という内容だろう。

 だが、人は嘘を付く。

 そして、嘘は容易につける。


 日本は、世俗国家だ。

 だから、自分は無神論者と言っても、「ふうん」で済む。

 みな宗教にさして関心がない。


 だが、そうでない国の方が世界ではまだ多い。

 自分が「無神論者」だと公言することではかりしれないリスクに見舞われる。

 なら、とりあえず、神を信じた方が合理的だろう。


 その者が本当に神を信じているか否かなど、愛の存在証明よりも難しいのだから。

 神がいないと思う理由は、死を意識し、宗教について考え出したこの短い数日でも無数に思い浮かぶことができてしまう。

 そう城田ほどの「中の上」ほどの知的レベルでも考えついてしまう。


 地球の人口は70億ほどいるらしい。

 そして、地球を照らす太陽のような恒星は銀河系の中に数千億あるらしい。

 さらに、その銀河系と同規模の星雲集団が、数千億あるらしい。

 

 仮にこの世界、この宇宙を想像した全治全能の神がいたとして、矮小な一人の人間の運命を推し量るだろうか。

 そもそも、それほどの存在が、この地球の、いやこの時代の一部の人間の価値観と一致するなどということがありえるだろうか。


 人間の善悪の基準に基づいて、人の来世の運命などを決めるのだろうか。

 そんなことは、ありえない。

 砂粒以下にありふれている人の運命などいちいち考えるはずもない。

 仮に創造者がいたとして、人の運命などまるで無関心だろう。


 それに・・・仮にこの宇宙を創造した全知全能の神がいたとしても、その全能なる意思は、人の価値観などでは決して推し量ることなどできないのだから、好きに振る舞っても・・・悪逆の限りをつくしても、神が救ってくれるということはありえるのではないか。


 それなのに、ほぼ全てのメジャーな宗教は、やたらと人の価値観から見て、正しい行いを推奨する。

 その正しい行為をすることにより報われると説く。

 その理由は明らかだろう。

 宗教を利用すれば、大衆を秩序正しく統制できるからだ。


 だから、その時の価値観や秩序が守るべき教義として謳われているだけだ。

 現代の視点で見れば、明らかに不条理なことも教義になっているのはそのためだろう。


 つまり、神を信じても救われないということだ。

 愚かであれば救われたかもしれない。

 死ぬその時まで、心の底から神を、宗教を信じることができるほどの愚かさを持つことができれば、心穏やかな気持ちで最後を迎えることができたのだろう。


 だが、そうはなれない。

 死んだら何も残らない。

 それが、事実だ。

 そこで、終わり。


 天国にも、地獄にも行けない。

 生まれ変わりもない。

 

 とてつもなく怖い・・・


 こんな虚無感に襲われるくらいなら、何かを、宗教を信じる気持ちもよくわかる。

 自分という唯一絶対の存在が、何も残さず終わり、世界は何事もなく進んでいく。 

 誰も、自分のことなど思い出さないだろう。

 

 やはり何かを残したい。

 そう思ってしまう。

 パッと思いつくのは、子供だろう。

 だが、相手がいない。


 一瞬城田の頭に数週間前に会った女が浮かび、すぐに消える。

 馬鹿らしい。

 仮に子供を作ってそれでどうなる。

 自分の遺伝子を残すことがそんなに重要なことだろうか。

 

 むろん生物的本能からすれば、遺伝子の拡散は唯一無二の生きた意味だろう。

 だが、そこまで本能に突き動かされるほどおめでたい人間ではない。

 精子バンクに行って、自分の精子を提供することを至上の喜びだと思う人間など滅多にいないだろう。

 

 そもそも、人類の遺伝子など、個体間でそれほど差がある訳ではないのに、その僅かな差を残すことに何の意味があるのか。

 それに、子が親に対して抱く気持ちなど大したことはない。

 人の気持ちなど移ろいでゆくものだから、親のことなど大人になればさほど気にならない。

 

 実際、仮に両親が今死んだとしても、あまり悲しくならない。

 むろん、公の場では悲しんでいるフリはするだろうが。

 子供を作る選択肢は仮にその選択肢を取ることができたとしても、ありえない。

 そんなことでは何も残すことなどできないのだから。

 

 なら、何を残す。

 何を残せる。

 この世界に。


 ある程度の成功者ならば、色々な爪痕を残せるだろう。

 金を出して、自分の名を冠した建物を作らせる。

 それこそ歴史に名を残す偉人ならば、そんなことをしなくても、勝手にあるゆる媒体に名が残るだろう。

 

 まさにこういうものこそ、自分が求めるものだ。

 子供を残すことなど、人類の歴史に名を残すことに比べれば、なんと薄っぺらいことか。

 歴史に名を残すとは、つまり人類が滅びない限り永遠に記憶に残るということだ。 


 これぞ、人が生きた意味だろう。

 だから、古今東西あらゆる権力者は、無駄に大きなモニュメントを建造したのだろう。

 

 一凡人に過ぎない城田にとって、そんなことは夢のまた夢だ。

 あと数十年生きることができれば、ひと角の人物になることがあるいはできたかもしれない。

 だが、今の城田にはそんな時間などない。

 この残された短い時間で、何かを成し遂げることなど不可能だ。

 

 結局、一人虚しく何も残さず死ぬしかないのか。

 いや一人ではないか。

 おそらく両親は悲しんでくれるだろう。

 だが、それが何になる。

 

 惨めでしかない。

 あの凡庸な両親に囲まれて、凡庸な哀れみの言葉をもらい、徐々に弱ってくる肉体とともに、病室で最後を迎えるなど。

 それなら・・いっそ自ら・・・


 しかし、それは恐ろしい。

 自分の命を自らの選択で断つなど。

 そんな勇気はとてもシラフでは持つことはできない。

 

 無差別殺人や無理心中などをする者の心理は今の城田のような気持ちなのだろう。 

 確かに、自身の確固たる決断で自ら命を断つより、周りの人間を巻き込み、自分がコントロールできない形で死を迎えた方がはるかに楽だ。

 

 そういう道もあるか・・と、城田はふと思う。


 いや、彼らが行ったことは、しかし無意味だ。

 単に感情の赴くままに後先に考えずに行動した結果だから、当然たいして人の記憶には残らない。

 

 「一人を殺せば単なる殺人者、100人を殺せば英雄」という俗説があるが、現実はそうではない。

 大量無差別殺人を犯した人間は、一部のカルト的な人気は得るかもしれないが、決してメジャーにはならない。

 歴史の本流にはならない。

 

 だが、これは一つのヒントだ。

 単なる自分の感情を制御できなかった落伍者、唾棄すべきおぞましい殺人者たち。 

 しかし、彼らの名前はおぼろげながら城田の記憶の片隅に残っている。

 

 人類の未来に貢献した多くの偉人たち、たとえば数年前のノーベル文学賞の受賞者の名前よりも。

 偉大な人物よりも城田の記憶に残っているのは、オズワルドだ。

 きっと城田よりもさらに愚かな大衆は、よりこの傾向が強いはずだ。

 

 ふと脳裏に高校時代のある記憶が蘇る。

 城田は、文系で、世界史を選択していた。

 そして、予備校で受けた世界史の教師はあることを言った。


 「皇太子を暗殺した男の名前は、マイナーだけど時々受験に出るから。第一次世界大戦の原因になった事件だから。」


 オズワルドもこの暗殺者も、単なる殺人者だ。

 だが、彼らは歴史に残っている。

 人類の発展に貢献した多くの偉人たちを差し置いて、人々の記憶に残っている。

 

 素晴らしい。


 城田は、ここ数年で一番と言えるほどに興奮していた。

 自分はそうなっている姿を想像したら、体は思わず、震えて、いつの間にか勃起さえしてしまっていた。

 

 こんなに簡単な答えがまさか見つかるとは思わなかった。

 やるべきことは見つかった。

 後は、それをどう成し遂げるかだ。

 

 もはやテーブルの上にある本は必要ない。

 救いは得ることはできなかったが、有意義な視点を与えてくれた。

 城田が現代の人間の価値観でどんなことをやらかそうと、そのことは死後に一切影響を与えない。

 

 無になるのだから・・・・・

 灰にあり、原子になるだけなのだから。


 躊躇せず、遠慮せずに、好き勝手に出来る。

 目的遂行のための、選択肢が無数にあるということだ。

 

 告知を受けてから、いや社会人になってから、城田の頭をずっと覆っていた雲はなくなっていた。

 ようやく、目的が見つかった。大学受験を終えてから・・・いや、人生で初めてといっていいほどの清々しさを感じていた。

 

 自分にできるだろうか。

 いや、必ず成し遂げなければならない。

 自分の生きた証を残すために、必ずやり遂げる必要がある。

 

 喫茶店を出て、外の日差しを浴びる。

 自分でも驚くほど足取りは軽やかになっていた。

 さあ、計画を立てよう。

 歴史に名を残すために。

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