第20話 フレデリック王子の提案
フレデリック王子は、初めは歌うことを躊躇していたソニアが、次第にのびやかに声を出していくのを見てさらに大きい声でリードしていった。体全体でリズムを取り、顔を上向き加減にして、大きく息を吐きだした。ソニアの方はほとんど譜面から目を離すことができないが、王子は高い天井を見上げたり、ソニアの顔を見ながらリズムを取ったりしている。
「そうです、その調子ですよ」
合間に王子がソニアに声を掛けるが、その瞳は怪しく光っている。全くこの人は何を企んでいるのかわからない。ソニアは、褒められても不安な気持ちになる。
「ふ~うっ、ちょっと休憩しましょうか」
ソニアは、ようやく譜面から顔を上げることができた。窓から入った陽ざしを受けて、ソニアの方に王子の影が出来ていた。ソニアは、歌い終わってようやく顔を上げ王子の方を見た。すると、太陽の光を受けてキラキラ光る髪の毛がまぶしく、思わず目を細めた。
「私、まだ夢の中にいるようです」
「面白いことを言う」
「このお部屋は、私には一生縁のない世界だと思いましたから」
「これが今に日常になります。またこちらへ来たときは、一緒に歌いましょう。いいですね」
「はい。王子様の様にお上手な方と歌ったので、私まで上手になったような気がしました」
「いい声をしている。練習すれば、もっと上達しますよ」
伴奏をしていた男性が顔をソニアたちの方へ向けて目くばせした。王子からすべて話を聞いて事情を知っているのだろうか。王子が、テーブルに置いてあった飲み物を飲みながらソニアにいった。
「ジョージから聞いたのですが、お姉さまのイザベラ様は最近だいぶお痩せになったようですね」
「ええ、王子様に扮したジョージ様が、痩せた方が美しくなるとおっしゃったようで、必死にダイエットしています」
「では、もう少しそのままダイエットを続けるように伝えてくださいませんか。私からと言っては何ですが、もう少しお痩せになるとさらに美しくなると言っていたと、お伝えください」
「はい。王子様がおっしゃったとあれば、まだまだ張り切ってダイエットすると思います。でも、事の真相はずっと秘密のままなのでしょうか?」
「まだ私とソニア様だけの秘密にしておいてください」
ソニアは、ジョージの事をフレデリック王子だと信じ切っている姉に、真相を黙っているのは心苦しいのだが、王子の命令なら守らなければならない。
「いつか、イザベラ様にも真相をお話しします。それまでは極秘です。ここで歌の練習をしたことも」
「このことも……ですか。極秘なのですね」
「はい。他言無用です」
なんだか秘密のミッションに参加しているようで、ソニアはぞくぞくする。これからまだ驚くべきことが起こるのだろう。
その後も、何度か王宮へ呼ばれ、そのたびにピアノの前で二人は声をそろえて練習した。ソニアは、伴奏者やフレデリック王子に褒められると、まんざらではなかった。歌が好きで、好きなことで認められるのは悪い気はしない。いつの間にか夢中になり、どこにいるのかも忘れて歌い込んでいることもあった。王子もそのたびに褒めてくれる。
「私が見込んだだけの事はありました。練習の度にめきめきと上達しています」
「あら、先生がいいのでしょう。こんなにのびのびと声を出せて、気分がいいです」
「そうなのです。それが歌の良いところです。大きい声を出していると悩み事も忘れてしまいます」
「あら、確かにそうでした。歌っている時は、悩んでいることは忘れました」
王子の眼がきらりと光った。ソニアの心の中を覗き込むような鋭い視線だ。
「おやおや、何を悩んでいらっしゃるのでしょう。早くなくなるといいですが」
「ええ、そうなのですが……」
ソニアは、このまま婚約していいかどうかいまだに悩んでいたのだが、口に出せなかった。
「ソニア様、だいぶ上達してきましたね。いつか私と一緒にステージにお立ちください。その時には私に妙案があります。私と婚約者のソニア様がステージに出ている間、いつものようにジョージがボックス席に座ります」
「はい。そして婚約者になった私は、ステージで歌うのですね」
「はい、でも婚約者は王子の隣に座っていなければなりません。婚約者に扮したイザベラ様がボックス席のジョージの隣に座ります。痩せて美しくなったイザベラ様ならソニア様にそっくりでしょう。黙って座っていればわかりませんよ」
これが、王子の企みだったのか、と思うとすぐには言葉が出なかった。少しの間考え込み、黙っていてはいけないと思いようやく返事をした。
「陛下、またそのようなことをおっしゃって、ボックス席に座っている二人は偽物ではありませんか。本気で仰っているのですか?」
「うまくいくでしょう、きっと今まで通り。痩せればイザベラ様は、ソニア様にそっくりになるはずですから」
「……あのう、痩せた方が美しくなるって、イザベラにおっしゃったのは、そのためだったのですか?」
「あっ、ああ、そうです。動機が不純でしたか」
ソニアは、絶句した。なにも疑うことなくジョージに夢中になっていた時のことが、はるか昔の事のように思える。
「お姉さままで、陛下に騙されていたのですか。しかもそんな企みがあったなんて、驚きました」
「何度も驚かせてしまいました」
フレデリック王子には振り回されっぱなしだ。秘密はもうこれっきりにしてほしいと思う。
ひょっとしてまだ何か隠していることがあるのだろうか。
「さあ、次回からは、振り付けもやりますので楽しみにしてください」
やはり、何度でも驚かせるつもりらしい。ソニアは、次第にあきらめの境地に達していた。
「えっ、振り付けもですか。全くやったことがありません」
「大丈夫、ここまで上達したソニア様ですから」
「はあ、はい。やってみます。本格的なのですね」
自分が情けない声を出していることなど、気がつかなかった。
「はい、振付を練習すれば、踊りながら歌えるようになりますから。もうひと頑張りですよ」
ソニアは、あれよあれよという間に、フレデリック王子という大きな渦の中に飲み込まれ、手も足も出なくなっていた。
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