第19話 王宮へ招かれて

 帰り道でも家に帰ってからも、楽屋での出来事がまるで別の世界の事のように思えて、夢うつつになっていた。魔法にかけられているような気持だ。自分だけが知っている真実が、頭や心の中、そして体中を駆け巡り、暴れまわっている。馬車の中では、目を閉ざしじっと下を向いて楽屋での会話を反芻していた。


「どうしたの、ソニア。頭でも痛いの?」


「違うの。ちょっと考え事をしていて」


「第二幕が始まってからも変だと思ったけど、何かあったのね?」


「……いいえ、何もないわ!」


「怪しい、全くあなたって、何を考えているのかわかりゃしないわ……」


 姉のイザベラにしてみれば、自分が親しくしていたと思ったフレデリック王子と、いつの間にかソニアの方が親しくなったと思い込んでいるからなおさらだ。しかし抜け駆けしようなどとは、全く考えていなかっただけに、イザベラに当たられてもつらい。誰にも相談できずたった一人でこの秘密を抱え、最後には自分一人で決断しなければならない。


 家に着くと、父母が待ち構えていた。ソニアの様子が気になって仕方がない。

ジョージ様とはお話ししてきたの、フレデリック王子様とは、お会いした、などと矢継ぎ早に質問してきた。


「ジョージ様ともお話ししたし、フレデリック王子様ともご挨拶してきたわ」


 そう答えても、まだまだ聞きたいことがある様子だ。


「ソニアったら、フレデリック王子様にお会いしてもご挨拶ぐらいしかしないのよ。もうちょっと愛想よくしたらいいのに。私だったら、ずっとつききりでお話ししていたでしょうに」


「もう、イザベラったら、余計なことを言わないで! 今日はジョージ様にお話があったんだから」


「ああ、そうだったわね。もうお別れですものね。全く、どうなっているのかしら、あの方も」


 ジョージとフレデリック王子が前半まで入れ替わっていたことが、喉元まで出かかっているがぐっとこらえた。真相を知るまでの絶望的な気持ちが一転して、混乱に変わっていることも悟られてはならない。


「私もお別れするのは辛くて、やっとの思いでジョージ様にお会いして、気持ちの整理がつきました」


「あら、随分あっさりしてるのね」


「ジョージ様も、陛下のお望みとあれば、自分は身を引かなければならないだろうとおっしゃっていました」


「ふ~ん、そんなもんなのお。もっと、抵抗してもらいたいもんだわよねえ、ソニア」


「ええ、まあ。ジョージ様もお辛いのですよ」


 イザベラはまだ納得できない様子で、ソニアの顔を覗き込んでいた。ソニアの父母は、少しは元気になったようで、一安心していた。


 数日後、王宮の馬車がカールトン邸を訪れた。目立たないように、とよく街を走っているような地味な馬車に、執事が一人乗っていた。しかし、良く見ると護衛のための兵士が、後部座席に待機していた。服装は私服だったが。

 気を使ってくださっているのだ、とソニアは照れ臭くなった。そんな扱いを受けたのは生まれて初めてだ。フレデリック王子のイニシャルを入れたハンカチを持っていくことは忘れなかった。本当の名前が入っている方が嬉しいに決まっている。誰にも見つからないように刺繍したハンカチを、バッグの中に忍ばせて持ってきた。

 婚約の日の様に執事が門兵に合図をし、扉が開いた。王宮の建物に入る時も同じような手続きがなされ、ソニアは執事の後をついて歩いた。婚約の日に着てきたシフォンのドレス以外で最も気に入っている淡いブルーのドレスを着てきた。ジョージがフレデリック王子であっても好きなことに変わりはない。


「フレデリック王子様がお待ちかねでございます。こちらへどうぞ」


「はっ、はい」


 執事の後をまっすぐについていく。廊下は広くどこへ行くのかもわからないが、美しく磨かれた床を進む。大理石の柱が滑らかに光を反射している。階段を上がり、二階のフロアへ行くとさらに廊下を歩いていく。いくつかの部屋を通り過ぎて、あるドアの前で止まった。執事はコツコツとノックした。


「どうぞお入りください」


 執事がドアノブを回し、静かに重い扉が開いた。美しい白い窓枠と、そこから入る日の光がまぶしい。その光を受けて、フレデリック王子の髪の毛がゆらゆら揺れている。

 眩しい、部屋も王子様も私にはまぶし過ぎる、とソニアは心の中で囁いた。この世界の中で生きられるだろうか、と疑問が湧き上がる。


「お久しぶりでございます、フレデリック様」


「よく来てくださいました。お待ちしていました」


 王子は、窓のそばで扉の方を向いて立っていた。


「この窓からソニア様の乗った馬車が見えました。そんなに緊張しないで、もっと勇気を持ってください」


「はっ、はい。気を付けます」


「ちょっとこちらへ来てください」


「はい。ピアノの前ですか?」


 ピアノの前の椅子には、スーツ姿の男性が座っていた。譜面台には楽譜が置かれている。


「これを……」


 譜面を一部ソニアに渡した。


「歌いましょう。私も歌いますから」


「こ、これは。楽譜ですね? 私に歌えるでしょうか?」


「やってみなければわからない。ほら」


 ピアノの音が部屋に響き、ゆったりとした旋律が流れ始めた。スローテンポの曲で音を追うだけなら容易だったが、それに合わせて歌うとなると初見では難しかった。小さい声で歌詞だけをなぞるように、リズムだけを合わせて読んでいく。音程まではなかなか合わせられない。フレデリック王子の美しい声がピアノ伴奏に合わせて、流れるように聞こえる。それだけでうっとりしてしまうが、今度はその声をほんの少し遅れてでも必死になって合わせようとした。次第に声が出るようになり、気持ちだけは一緒に歌っているようになり、音程がぴたりと合ったときは純粋にうれしい気持ちになった。切りの良いところまでメロディーが流れ、伴奏はそこで止まった。


「もう一度初めから。伴奏お願いします」


 再びピアノの伴奏が始まり、ソニアは譜面を穴が開くほど見つめながら、必死で音を取った。王子の声も聴きながら、できるだけ遅れないように耳にも神経を集中させた。聴覚と視覚を研ぎ澄ませ、音程だけではなく強弱も合わせるようにした。何度もそれを繰り返し、二人の声が寄り添うように聞こえるようになり、ソニアは感激で気分が高揚してくるのがわかった。


「歌えるようになりました」


「やればできるでしょ。ソニア様は、いい声をしていらっしゃる。一緒に歌っていると楽しい」


「わたしも、一緒に歌っていて、とても気分が良かった」


「その言葉を聞けて、良かった」


 フレデリック王子は、まるでいたずらっ子が遊び仲間を見つけたような顔をした。この人はいたずらはどこまで行ってしまうのだろうか。巻き込まれてしまったソニアは王子の嬉しそうな横顔を見詰めた。

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