第10話 【宝物】の正体

 クラリスが宿に戻ったのはそれから小一時間してからだった。


 小雨の中、シャネルと別れて町に入る。宿にようやく戻ると、カナリアが体当たりするように抱きついてきた。


「暑苦しいわね」


 クラリスはしばらく抱きしめられたままになっていた。頬に触れたカナリアの髪は冷え切っていた。用意しておいた食べ物も手につけず、彼女はずっと祈っていたらしかった。

 カナリアはクラリスの頬を包み込むと、にっこりと笑った。そして、綺麗に定着した赤銅色の髪を撫でた。


「ふふ、任務達成おめでとう、クラリス。素敵な髪色だわ」

「おめでたくないわよ。半分失敗したようなものだわ」


 クラリスは言い、床に宝物の入った黒い鞄を置いた。強烈な魔法がかかっていることはわかるが、こうして見るとよくある半円形の鞄だった。

 カナリアは、その鞄を不思議そうに見ていた。

 そんな彼女の様子に気付かず、クラリスは首をこきこきと鳴らす。


「私一人の力では無理だったの。屈辱だわ。ここからは極貧生活になりそうね」

「ねぇ、クラリス。この鞄開けていい?」

「爪がまたぼろぼろになるなんて最低」


 クラリスはカナリアの言葉が頭に入っていない。水差しを手に取り、グラスに乱暴に水を注ぐ。


「えい」

「……ちょっと、あんた何勝手なことしてんの?」


 飲んでいた水を吹き出し、クラリスはそれを見る。

 カナリアは床に膝をついて、困ったようにクラリスを見上げる。

 その足下にあるものに、クラリスは絶句した。


「これが、『宝物』ですって?」


 小さな鞄から飛び出し、床に横たわるのは見知らぬ少女。

 短い蜜柑色の髪に、白い肌にはそばかすが散る。痩せた体はまるで少年のようだった。年の頃なら十を少し過ぎたぐらいか、顔立ちはあどけない。

 その目が、見開かれる。右目は琥珀、左目は青。まるで夏の夜空のような色の。


 クラリスの脳裏に、鳴星が夢で逢瀬を重ねる女性の姿が浮かぶ。


 ――ハルディア。


 だが、少女はあまり夢の女性とは似ていない。やわらかい顔立ちのあの女性と違って、眉が濃く、つり上がっていた。

 少女はぼんやりとカナリアを見、次いでクラリスを見た。クラリスの緑の目を見るや否や、少女の目にたちまち怒りの炎が煌めいた。


「……スルーダー・ソル!」


 少女は立ち上がり、クラリスにつかみかかる。

 それをするりと避けると、少女は床にこけた。だが、すぐに立ち上がる。その手には、クラリスが適当に置いた短刀が握られている。


「ちくしょう! 殺してやる!」


 むやみやたらに剣を振り回す少女を、クラリスは冷たく見やる。難なくその手首をつかんで捻ると、少女は短剣を落として悲鳴を上げた。


「クラリス! 乱暴しないで!」


 背後からカナリアが叫ぶ。クラリスは少女の襟首をつかんでいた。小柄な少女の足が浮かび上がる。


「あんたは黙っていてちょうだい」


 クラリスはカナリアを睨む。そのクラリスに向かって、少女は呻き声と共に勢いよく頭突きした。


「……イッタイわね!」

 クラリスは顔を歪め、少女を壁へと突き放す。彼女は体を打ち付けたが、キッと顔を上げる。


「よくも、じいちゃんとばあちゃんを殺したな!」


 少女は大粒の涙を零して叫ぶ。そして、傍らにあった椅子に手を掛けた。それを振り上げようとしたところで、クラリスとの間にカナリアが割って入った。


「そんなことしちゃダメ!」


 カナリアは両手を広げて、立ち塞がる。


「どけろよ! 殺してやる、殺してやる!」


 少女の左目が、色を変える。どす黒く、白目まで染まっていく。そこに浮かび上がる、無数の星。

 それに気付いてクラリスは静かに腰の剣に手を掛ける。その手首を、カナリアは後ろに手を回してぎゅっとつかんで止めた。

 クラリスは、怪訝な表情でカナリアを見る。

 慈愛の、まさしく聖女に相応しい笑みを浮かべてカナリアは頷いた。


「……【夜】よ」


 カナリアは少女の目を真正面から見、膝を着き両手を胸に置いて恭順の姿勢を示す。


「どうぞ、お鎮まりを。私は神官、カナリアと申します。彼女はスルーダー・ソルではありません。私の騎士、クラリス。女性です。あなたを敵の手から救い出したのは彼女です」


 言われて、少女はクラリスを再度見つめる。その体の女性の曲線にようやく気付く。


「……でも、そっくりなのに……」

「血縁よ。会ったことないけど」


 クラリスは注意深く少女を見る。攻撃を仕掛けたなら、すぐに止められるように。


「私は依頼されてあんたを助けたの。私の相棒の友達の、えっと、ルーカスとかいうやつらしいけど」

「……ルーカス、だって」


 少女の目から、【夜】が消え失せる。たちまち、その眉間に凶暴な皺が寄った。


「……ちくしょう! 嫌い、大嫌いだ!」


 少女は涙が溢れる両目を掌でごしごしと擦り、その場でしゃがみこんだ。

 唸りながら泣く少女を、カナリアは静かに抱きしめる。


「……怖かったわね。よしよし」


 優しく頭を撫でると、少女はカナリアにすがりつく。そんな二人の様子を尻目に、クラリスは卓に置きっ放しだった石榴に手を伸ばす。


(鳴星。【夜】を私に預けるなんて、どういうつもり?)


 赤い小さな粒を口に含み、クラリスは思案する。


 ――【夜】。


 かつてこの国の始祖たるアトラス=ハイキングが所有した、最強の破魔の瞳。目の中に夜空と星を宿す者。

 その瞳の前では、どんな魔族も恐れひれ伏すという。


(所有しているのは、アストライアのオリオン王と、娘のライラ王女だけと聞いていたけれど)


 痩せた少女を見、クラリスはふむと顎を撫でる。

 今の今まで、三人目の所有者がいるなどとは聞いたこともなかった。注意深く隠されていたのだろう。そして、保護者たちは魔人団に見つかり殺された。


 ――魔人団総帥、スルーダー・ソル。

 顔も見たことがないが、クラリスと血が繋がっているという男。


(近々ぶつかるかもしれないわね)


 クラリスは思う。また、赤い粒を口に放り込む。


「あんたと私は一応親戚なのでしょうね」


 唐突にクラリスは言った。

 は、と少女は虚ろな目をして顔を上げる。


「あんた、その目だってことは王族なんでしょ? 私もそうよ」

「そうなの?」


 それに驚いた声を上げたのはカナリアだった。クラリスは、無言で印章入りの指輪を見せる。


「あら! ザハーブのくまちゃん印ね! かわいい!」


 カナリアは胸の前で手を合わせて、目をきらきらと輝かせる。クラリスはコホン、と咳き込む。


「……私の名前はクラリス・ロシュモーネよ。ザハーブ王家のアルビオ・ロシュモーネの娘」


 クラリスはそう言いつつ、「ソル」よりこっちの方がいいわと椅子に座って足を組む。まるで王のように。


「とってもとっても遠いけど、親戚のよしみであんたを守ってあげるわ。で、あんたの名前は?」


 そう問うと、少女は口をへの字にしてそっぽを向く。まだクラリスを警戒しているらしかった。


「ちょっと。私が名乗ったのに、あんたは名乗らないわけ?」


 これだから子供は嫌いだ、と彼女は思う。


「あんたの親はあんたをちゃんと躾なかったの?」


 そう言うと、また少女は噛みつきそうな顔でクラリスを睨みつける。


「うるせぇ! いねぇよ、そんなもん! おれにはじいちゃんとばあちゃんだけだ! 家族は二人だけだ……! ちゃんといろいろ教えてくれたもん!」


 バカにすんなよ、と少女は怒りを露にする。


「まぁそういうこともあるかもね。私のお父さんは私がお母さんのお腹の中にいる時に死んだし、お母さんは私と会う前に死んだし。あんたもそういう事情なのかしら?」


 それに対し少女は目を見開いたが、それより早くカナリアがクラリスに飛びつき

――否、抱きついた。


「まぁ……クラリス! そうだったのね! そうして選んだ戦士の道……! なんて過酷な運命なの……!」


 カナリアの力に、クラリスの体は椅子ごと激しく揺さぶられた。

 クラリスは黙って、残っていた石榴をカナリアの口に突っ込んだ。もがもがと言いながらカナリアはなぜかクラリスの膝の上に座った。


「お腹が空いていたの、忘れていたわ」

「……どきなさいよ」


 クラリスは心底迷惑そうな顔をしていた。

そんな二人の様子を見ながら、少女は自らの膝の上で握り拳を作る。


「……おれのなまえ……」


 少女の目は、自分の拳に向けられている。

「おれは、プロキア……じいちゃんの名前は、ナウス・トルーカ……ばぁちゃんの名前は、ユリア・トルーカだ……二人が、おれの、親だ」

「ナウス・トルーカ? もしかして……エカイユの、元近衛騎士の、ナウス・トルーカ? 王の手の……」


 クラリスの膝に座ったまま、カナリアが声を上げる。


「エカイユ? 魔人団に滅ぼされた国の?」


 カナリアの肩越しに、クラリスは少女――プロキアに目をやる。


「あんた、じいちゃんのことを知っているのか?」

「知っているわ。よく、知っている」


 カナリアが、目を瞑る。その両目から涙が零れる。


「……私は、カナリア。ナウスも、ユリアもよく知っているわ。とても優しくて素敵なご夫婦だった……」

「そう……そうだったのか」

「プロキア。私たち、今日から家族よ。血が繋がっているせいかもしれないけれど、とても近しいものを感じるの」


 カナリアはプロキアに力強く頷く。目を潤ませ、目の前に立っているプロキアの手を取り、力強く握りしめた。


(……この女、いつ私の膝から下りるの?)


 彼女を膝に乗せたままのクラリスはため息をついて、がっくり背もたれにもたれた。

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