"ごくつぶし"なパパ

深恵 遊子

第1話

「——ぼくのパパは"ごくつぶし"です」


 授業参観の日。『ぼくのパパ』という息子の翔太が書いた作文はそんな出だしから始まった。

 色とりどりのランドセルが収められた収納棚の前で顔面を青白くする俺と呆気に取られる親御さん方。周りの父兄らからの視線があまりに痛くて首の後ろへと手が伸びる。冷や汗が溢れ出てきて、穴があったら入りたく、消えられるものなら消えてしまいたい。

 なんでそんなことを作文に書かれたんだ、と半ばパニックになった頭で考えても寝不足の頭には何も浮かんでこない。というか、"穀潰し"なんて言葉どこで覚えたんだ!?


「いつも遊んでばかりのパパは、家にいる日でもずっとパソコンの前にいます。この前も『パパはママと違ってお仕事しないの?』とぼくが聞くと画面の前のパパは『"ごくつぶし"だから』とカラカラ笑いました。"ごくつぶし"というのはなにも働かずご飯食べる人のことです。確かにある日はお友達を呼んでお酒を飲みながら将棋を打って、別の日はぼくとキャンプの道具を持って山に登って、また別の日には水族館に行ってぼくとたくさんのお魚を見ます。そんなパパがお仕事をしてるなんて思えません」


 翔太の言葉に「あ、ああ……」と思わず呻き声があがる。

 心当たりはあった。

 半月くらい前のこと翔太がそんなことを聞いてきたことを覚えている。あの日は立て込んでたから忙しさにかまけて結構荒れてた記憶がある。

 だがしかし、そんな教育に悪いような変なことを言ってたのか。——俺はバカかよ!?



 静かな部屋に爆ぜるような音がパチ、パチ、パチと響いた。同時に3六歩、同歩、同飛などと頭の中の戦場でも次々に戦況を様変わりさせめいく。

 月に一度、高校からの友人である平正弘たいら まさひろとこうして盤越しに向かいあう。将棋を指しながら最近の動向について話し合ったり、あるいは遊びの予定を立てるのである。

 攻めてきた飛車を迎え撃つため俺は3七に打ち歩する。


「それで、」


 3四飛。


「お前はどうするんだよ、翔馬しょうま


 6八角。


「どうする、って何がだよ」


 3一飛。


「いや、今度また呑みに出るって言ってたろ。お前は来るの? 明美ちゃんは来れるって聞いたけど」


 3五銀。4五歩。2四歩。同歩。


「……金曜日のだろ? まだちょっと迷ってる。間に合うかどうか微妙でさ」


 4四歩。


「あん? その歩は筋がよろしくない気がするぞ、と。で、今回はどっちなんだ?」


 3四銀。2四銀。5三角。


「雑誌の方」


 6七金。


「てことは、あの茶髪でメガネかけてる若い女の子の方か。前みたいに家に押しかけられたら困るもんな。翔太の前で無様に言い訳重ねてたんだって?」


 2六歩打。4三銀。


「……うるさいな。明美のやつもこんなのにベラベラしゃべりやがって」


 2二歩打。


「明美ちゃんも心配してんだろ。翔太の将来のこともあるし」


 あの時は翔太がリビングに居たから焦った。知らない女の人が家に居て眉を顰めていたのを覚えている。明美がすごい剣幕だったのもあって怯えた翔太はすぐ二階に上がったが。

 あの修羅場をもう一度は流石にきついって……。


「おい、翔馬。これ、まだ続けるのか?」


 6九飛成。その一手で俺は自陣の全てを崩されていたのに気付いた。

 馬を引いても間に合わず、正弘がいつの間にやら打っていた二枚めの飛車が俺の玉が最後の砦たる金を睨んでいるのだ。


「……負けました」

「不貞腐れんなって。まあ、そっちの方はがんばればなんとかなるんだろ?」

「そうだけどなぁ、やっぱ思うところはあるんだよ。糞ッ、なんか今日のお前腹立つわ。お前なんて翔太にボッコボコにされちまえばいいんだ! おい、翔太今暇か!? 正弘おじさんが将棋で買ったらケーキ食べさせてくれるってさ!」


 翔太は最近将棋にハマり出した。というのも月一度に指す正弘との将棋の折、翔太にも一局だけ正弘が飛車角桂馬を落としてではあるが指させたことがあった。終盤、正弘の頓死を見逃さなかった翔太が勝ち、ご褒美という形でプリンを買ってもらったらしい。

 それに味をしめた翔太はメキメキと将棋を覚え、今では俺と普通に平手で指すほどだ。

 二階からどたどたと足音が聞こえる。よほど正弘の奴と指したかったと見える。はしゃいで降りてくる翔太を尻目に俺は書斎のパソコンと向かい合った。



「パパ! 勝ったよ!」


 その声が響くまでにそう時間はかからなかった。そのバックグラウンドには正弘の呻き声が流れている。相当手痛い詰められ方をしたらしい。

 とてとてと走ってきた翔太を抱き上げると膝の上に乗せてやる。すると翔太は俺の顔をジッと見て、


「パパはママみたいにお仕事に行ったりしないの?」


 うちは明美が外で働いて俺が翔太の面倒みるという形を取っている。翔太は周りの友達のパパママを見てたまに不思議そうな顔をしているが大黒柱の明美を支えることに何の文句もない。たまに他のパパママから変な目で見られる。それだけだ。

 だが、今はそんな風に言えるだけの余裕が俺にはなかった。

 画面を見つめながら俺は翔太を撫でる。


「俺はママのお金で生活してるようなもんだ。だから、翔太と遊びに行ったりとかもできるけど、……ある意味で役得かもな」


 しかし、俺がこいつをどうにかできるまでは、


「パパは穀潰しだからなぁ。ホント、早くどうにかしないと」

「パパはごくつぶしなの?」

「まあ、そんなところ」


 思わず乾いた笑いが溢れる。

 こんなことしてる時間もないのに時計の針が進むばかり。こんなことしてる時間が無駄だということもわかってる。

 翔太越しにキーボードを叩いてメールを打った。相手は噂になった茶髪の女の子。


「はぁ、憂鬱すぎる」



 あぁっ!! 言ってた、言ってたよ俺!!

 動揺した心が手を震わせ、目元を隠す。恥ずかしさのあまりこの場所から逃げ出したい。ともすれば消えてしまいたいまである。

 教卓の前に立つ重松しげまつ先生は俺を見てニコニコ笑っている。父兄の皆さんは冷たい目で見ているし、子どもたちはクスクス笑ってる。顔から火でも出せそうだ。

 俺が悶絶してもなお翔太の作文は止まらない。


「——そんなパパですが、いいところがたくさんあります」


 いや、ここまでズタボロにされた後に慰められてもパパ泣くからなぁ!!?


「パパは毎日、ぼくとママのご飯を作ってくれます。家のそうじをかかさずしてくれます。ぼくの宿題を手伝ってくれます」


 パチクリとする。


「ぼくのパパはお仕事をしていません。だけど、パパがいないとぼくもママもとても大変です」


 急に流れが変わって頭にはてなが浮かぶ。恥ずかしいと思って頭に登った血が戻り切れていないのを感じる。


「ママは言っていました。『パパは頑張り屋さんだから、ママはパパのこと大好き』って。ぼくも仕事はしてなくて、でも、ぼくたちのためにいつも頑張ってくれるそんなパパのことが大好きです」


 周りからにわかに拍手がぱらつきだす。翔太が恥ずかしそうに座って、肩の震えが止まらない重松先生が次の子を指す。

 恥ずかしさから急に解放された俺の涙腺は緩んで思わず涙がこぼれてくる。ハンカチを取り出していると周りの親御さんが「いい息子さんですね」と肩を叩いてくる。いや、たしかにそうです。できた息子なんだけですけどね、ちょっと疑問が残るわけですよ。ほら、

 目尻に伝う涙を拭き取り、少し逡巡する。

 ああ、そういうことか。

 なるほど。俺を掌で弄んでる感じ、覚えがある。

 俺は力が抜けた腰に力を入れて真っ正面を睨んだ。

 下手人は黒板の前で俺を見て吹き出した。



「……いや、あれは傑作だったね」

「穀潰し云々と言ってたのはあのとき聞こえてたが、……くくっ、そんなことになってるとはな」

「結論から言うと翔馬さんがそんなこと言ったのが悪いんじゃない」


 大人三人が網へそれぞれ箸を伸ばしながらそんなことを言う。俺はそれにふて腐れてビールをちびちび飲む。


「いや、さすがに驚いたね。一木くんの口から『先生、"ごくつぶし"って何?』って飛んできた時には」


 重松先生、重松和也しげまつ かずやは「翔馬が奨励会の時、当時幼稚園生だった俺の弟相手に見事な頓死したのを見たときと同じくらい笑ったよ」と言ってクツクツ笑い出す。


「それを懇切丁寧に辞書引かせて調べさせ、仕立て上げた作文がそれってわけか」

「いや、ね。悪いとは思ったよ? オレは翔太くんの家は明美ちゃんが大黒柱ってこと知ってたし。一応、会議で言ったんだけど既に他のクラスで宿題で出しちゃったところがあったらしく、学年主任が頭堅いのも相まって道徳の授業は『パパの仕事』で揃えるって聞かなかったんだよ」

「それにしたって、他にやりようがあったろうが!」


 俺がそう噛み付いても和也のやつは柳の風と受け流す。

 こいつは中学生の頃から、いけないこととわかってても楽しそうな方に流れる悪癖があった。俺と正弘がどれだけ苦労したことか。


「えー、だって子ども相手に何て説明するのさ」

「まあ、そもそもうちの家ではそこらへんの説明が面倒で翔太には『パパはお家のことしてるから外で働かなくていいの』って、説明してるわけだしね」


 隣の明美が両手で大ジョッキを持ってちびちびと飲む。


「それで、雑誌の締め切りは大丈夫だったのか? 今日までだったろ?」

「ああ、それか。なんとかなったよ。田中さんに無理言っても無理だったから徹夜で」

「あー、それで美智子ちゃんから翔馬の愚痴が私にきたのね」


 明美のその言葉に思わず目を瞬かせる。


「え、待って、俺それ知らないんだけど、いつの間に繋がったの?」

「ほら、この前うちに原稿を取りに来てくれた時に『締め切り前に翔太くんと遊びに行くことがあったら探すのが面倒なので』って言ってメッセージの連絡先交換したの」

「ああ、そういえば確かにこの前『山まで逃げて厄介ですね』ってメッセージがあったわ! 犯人、まさかの身内!?」


 そんな俺らの様子を見て正弘と和也はまたひとしきり笑った。

 賑やかな夜はまだまだ終わらない。

 一木翔馬。職業、自営業ごくつぶし。平たく言うとフリーのライターだ。

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"ごくつぶし"なパパ 深恵 遊子 @toubun76

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