第18話

 あの娘は本当に美しかった。

 あの娘を見るたび、あたしはあの無邪気で無垢な美しさに憧れて、なぜ海の神様はこんなにきれいな生き物を作られたのか、とさえ思った。

 あの娘は、あたしだけでなく誰もが美しいと思う娘だった。

 みなが魅了されて、ユイと知り合いになりたいと取り巻きに加わったし、仲良くなりたいと願った。

 でも、あの娘には、そのことが不幸にしかならなかった……。

 あの娘があまりに美しいので、海の神様は、それ以外の物をあの娘に授けるのを忘れてしまったのかもしれない……。


 ルカのユイへのわだかまりは、ユイのことを祈っているうちに、いつの間にか小さく遠くなっていました。

 もう、ユイに迷惑をかけられたことは、ルカにとっては些細な、どうでもよいことになっていたのです。

 ユイのことを思い出すとき、ルカはもう、ユイが突然押しかけてきた日のことを思い出しませんでした。


 そんなことはもう、いいんだ。

 つまらないことは忘れて、あの娘の良いところだけを憶えていよう。

 あの娘が美しかったことだけを憶えていよう。

 ルカはそう思いました。


 そうして、その決心の通りになりました。


 ルカは、自分やほかの魚たちの中で思い出されるユイが、いつも、いつまでも、一番美しかったときの姿でいるようにと願いました。

 姿が美しいということが、一緒に思い出されるユイの心まで美しくしてくれるように思えたからです。

 その祈りの中には、ユイが愚かで冷たい心のまま永遠に海の中をひとりぼっちでさまよい続けるのではなく、いつの日か、どうにかして、たくさんの魚たちの死と共に海に散らばって溶けていった、魚たちの記憶や知恵や温かい心を、ユイが漂ううちに自然に身にまとい、安らかになっていって、静かな海そのものとなっていってくれるよう願う気持ちが混じっていました。


 ユイが美しくあるよう、賢く温かい心を得るよう、安心してゆったりと海を漂っていけるよう、ルカは祈りました。


 そうやって、たったひとりの友達としてユイのために祈っているとき、ルカは、自分では気がつきませんでしたが、その大きな黒い体の周りには、細かい海の泡が揃いレースのようにまとわりついて、まるで美しい花嫁の衣装を着ているように見えるのでした。


 ルカの祈りの中で思い浮かぶユイの姿は、ただ美しいだけではなく、いつしかルカに向かって優しく考え深げに微笑み返すようになっていきました。

 その桜貝のような口許は、確かに「ありがとう」と動いているのでした。


 それを見るとルカは、もし、魚にも魂というものがあって、それがまだどこかにおり、海の神様があの美しい娘のふびんな一生をやり直すことを許されるなら、きっとユイはこの次は、知恵も心もある優しい魚に生まれ変わってこられるような気がするのでした。

 そして、次第にそれを強く信じることができるようになると、ルカの心は、ユイと出会って初めて、本当に安らかになったのです。


 生きている間、決して心の通うことのなかった大切な友達を赦して祈り続けるルカに、ユイを抱きとめた海が、静かな優しい慰めを波に乗せて送っておりました。



                (了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鯨の娘 紫堂文緒(旧・中村文音) @fumine-nakamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ