夏の木漏れ日

采岡志苑

夏の木漏れ日

 今日も柳沢はポストを開けて中を見ていた。


 だが、ポストの中はいつもの折り畳まれたチラシの広告に請求書なりが入っていた。


 チラシを手で掻き分けて、ポストの中を隈なく探す。


 だが出てくるのはチラシの山で、柳沢が求めていた物は出てこなかった。


 柳沢は重いため息をついた。それは自分でもハッキリと聞き取れるほどだった。


 チラシをポストの中に押し込んで、柳沢はポストを閉めた。これはもはや彼の中では日課となっていた。


 ポストの前で止まっていた足は、やがて自宅のドアへと向かっていく。


 ドアを開けて、ただいまと言うと奥から母が、おかえりと言うのが聞こえた。


 玄関まで漂ってくる味噌汁の匂いと、まな板に包丁が細かくぶつかる音が、柳沢の鼻と耳にまとわり付く。


 台所に顔を出すと、母は鍋に豆腐と刻んだネギを入れていた。


 鍋から煮え立つ水と具材が踊っているように見えて、白い湯気が天井高く昇っている。


「もうすぐ晩ご飯にするから、さっさとリュック置いて着替えてきちゃいな」

「あーい」


 母にそっけない返事をして、柳沢は階段を上って二階にある自分の部屋に向かった。


 自分の部屋のドアノブに手をかけて、ゆっくりと開くと、部屋の中は薄暗かった。


 柳沢は背中に背負っていたリュックを乱暴に机のそばに置いて、そのままベッドに仰向けになりながら倒れ込んだ。


 仰向けになった柳沢は、ただ天井の一点をボーッと見つめていた。


 ふと、視線を逸らすとそこには枕と壁にかけられた茶色のボードがあった。


 ボードには何枚かの写真が留められていて、その中央にある写真に視線が移る。


 その写真には、まだあどけなさが残りながら笑っている柳沢と白い花柄のワンピースを着た少女が写っていた。


 周りは緑に囲まれていて僅かな日の光が、手を繋ぎ並んで笑っている二人を照らしていた。


 柳沢は写真をジッと見つめた。


 次第に彼の耳には蝉の鳴き声が聞こえてくる。




         ✳︎ ✳︎ ✳︎




 柳沢は幼い頃から、毎年夏になると両親と一緒に秋田へ帰省していた。母が秋田の出身で、秋田には叔母が住んでいた。


 叔母の家はとても小さな一軒家で、台所にトイレ、風呂場に広いリビングがあるだけだった。


 そのリビングに全員集まって、テレビを見ながら話したり、一緒にご飯を食べたり、夜になるとテーブルをどかして布団を並べて寝ていた。


 叔母の家に来て二日が過ぎた頃、柳沢は叔母と一緒に道路を挟んで反対側にある神社に行った。


 その神社は公園も同じ敷地内にあり、至る所に木々が並んでは高く伸びていて、枝と枝が重なり合って日の光を遮って地面に届くのを僅かにしていた。


 柳沢は叔母と神社にお参りしていると、楽しそうな声が近くから聞こえてきた。


 神社の奥にある公園で、柳沢と同じくらいの子供たちが遊んでいた。


「トモちゃん、行っといで」


 叔母が柳沢の背中を軽く叩いた。


 柳沢が振り返ると、叔母は目尻に皺を作って満面の笑みを浮かべていた。


 柳沢は公園に向かって走り出した。足は軽やかに弾んでいて、地面を蹴るたびに跳ねる泥がなぜだか心地良かった。


「僕も混ざっていい!?」


 柳沢が公園で遊ぶ子供たちに声をかける。


 メジャーリーグの帽子を被り、サッカーボールを持った男の子が笑って言った。


「いいよ!お前名前は?」

「柳沢智哉!」

「智哉か!俺は竜二!サッカーしようぜ!」


 柳沢は竜二からサッカーボールを受け取って、前に蹴り出す。


 落ちたボールからは泥が少し跳ねて、蝉の鳴き声と柳沢たちの声がこだまするように響いた。




         ✳︎ ✳︎ ✳︎




 翌日、柳沢がまた公園に遊びに行くと、そこには竜二たちがいた。昨日と違うのはそこにはワンピースを着た女の子がいたことだった。


「智哉、こいつ俺らと同じクラスの陽菜だ」


 陽菜と呼ばれた女の子は、柳沢の前に来て、手を差し出す。


「よろしくね!」

「う、うん、よろしく」


 柳沢は差し出された手を握って握手をした。陽菜の顔に視線を向けると、その顔は誰よりも眩しいほどに笑顔だった。


 昨日と同じサッカーをして幾らか経った後、柳沢たちは公園のすぐそばにある小さな駄菓子屋へ向かった。


 竜二たちはチューチューアイスやミニコーラ、ベビースターなどの駄菓子をいろんな棚から漁っていた。


 柳沢は入り口近くの棚に置いてある駄菓子を手に取って見ていると、隣から陽菜が話しかけてきた。


「あ!それおいしいよね!」


 柳沢の手にはフルーツ餅があった。柳沢は体を陽菜に向ける。


「うん、僕これ好きなんだ」

「ね、私買うから半分こしない?」

「え?」

「私、全部はいらないから。ね?いいでしょ?」

「うん、いいよ」


 柳沢は陽菜にフルーツ餅を渡す。陽菜はフルーツ餅を片手におばあちゃーん、と大きな声を出した。


 柳沢たちは駄菓子を買って、公園にあるドーム状の大きな滑り台の上で食べていた。心地よい風が吹いていて、木の枝がザワザワと音を立てて揺れている。


「ねぇ、智哉くんってどこから来たの?」


 陽菜がフルーツ餅を食べながら、柳沢に尋ねる。


「東京からだよ」

「東京!?凄い!ね、どんなとこ?」

「うーん、おっきな建物が沢山あって、車がいっぱい走ってる、かな?」

「へー!そうなんだ!じゃあこっちとは全然違う?」

「うん、違う」

「そっかー、私も行ってみたいなぁ」


 陽菜が滑り台から足をプラプラとさせながら、木の枝で隠れている空を見上げた。


 その時少し強い風が吹いて、陽菜の肩に少しかかった髪が後ろになびいた。


 柳沢はその光景に目を奪われた。


 陽菜から目が離せなかった。


「おーい!そろそろ帰るぞ!」


 竜二が滑り台の下で声を張り上げた。既にみんな滑り台の下にいた。


 竜二の声で柳沢はハッと我に返った。


 陽菜はワンピースをはたきながら立ち上がる。


「智哉くん、明日もここに来る?」

「......うん、来るよ」

「ほんと!?じゃあまた明日ね!」


 陽菜はそう言うと、滑り台から勢いよく滑って、竜二たちの下へ行く。


 何か話しながら遠ざかっていく陽菜たちを柳沢はただ見つめていた。


 それからは毎日のように、柳沢は陽菜たちと公園で遊んだ。毎日太陽が落ちる前まで遊んだ。そして必ず、駄菓子屋に寄っては柳沢は陽菜とフルーツ餅を半分こした。


 そして柳沢が東京に帰る時、いつもの公園で遊んでいると、両親が迎えに来た。


 柳沢は陽菜や竜二たちに別れの挨拶をすると、竜二たちは何個か駄菓子を柳沢にあげた。


 柳沢が公園から出ようとすると、後ろから陽菜が柳沢を呼び止める。柳沢が振り返ると、陽菜は少し悲しそうな表情をしていた。


「また、また遊びに来る?」


 柳沢は笑って言った。


「もちろん!また来るよ」


 その言葉に陽菜は笑って、また今度、と言いながら手を振って柳沢を見送った。




         ✳︎ ✳︎ ✳︎




 翌年の夏、柳沢は再び両親と一緒に秋田の叔母の家に遊びに行った。


 持ってきた荷物を叔母の家に置いていくと、すかさず公園に向かった。


 公園は去年と何も変わっていなかった。変わらず木は高く伸びていて、あの薄暗さは健在だった。


「智哉くん!」


 柳沢の後ろから声が聞こえた。


 柳沢は聞き覚えのある声に、勢いよく振り返る。


 そこには花柄のワンピースを着た陽菜が立っていた。去年よりも少し背が伸びただろうか?髪も伸びていて、綺麗な黒髪が風に乗って舞っている。雰囲気は少し大人びている。


 ただ顔には面影が残っていた。去年と変わらずあの眩しい笑顔を柳沢に向けている。


「久しぶり!智哉くん」

「うん、久しぶり。陽菜ちゃん」


 その時、柳沢は不思議に思った。竜二たちがいなかったのだ。


「竜二たちは?」

「ああ、竜二たちはきっとゲーセンにいるよ。先月からずっとそこにいるよ」

「そうなんだ」


 柳沢は少し寂しそうに顔を俯かせた。


 それを見た陽菜は、柳沢の背中を思い切り叩いた。


「いいじゃん別に!私は来たでしょ?」


 陽菜の無邪気な笑顔に、柳沢は思わずつられて笑顔になる。


「......うん!」


 柳沢は秋田にいる間、毎日のように陽菜と遊んだ。カブトムシを取ったり、陽菜が家から持ってきたグローブとボールでキャッチボールもした。駄菓子屋でたくさん駄菓子を買っては半分こにもした。


 ある日、柳沢と陽菜は敷地内にある一番大きくて太い幹の樹を見上げていた。


「知ってる?この樹はね、私たちが生まれるずっと前からあるんだって!」


 陽菜が顔を輝かせながら、柳沢に言った。


「すごいね、見上げるだけで疲れちゃう」


 陽菜は柳沢の近くに来て、顔のすぐそばまで寄る。余りにも陽菜が近くに寄ったので、柳沢はどきりと動揺した。


「ね、木登りで競争しない?」

「え?競争?」

「そう!負けたら駄菓子おごり!」

「でも危な―」

「よーいドン!」


 陽菜は柳沢の言葉を待たずに、素早く樹にしがみついて登っていく。樹の割れ目に足をかけて、少しずつ高く登っていく。


 柳沢はただそれを見ては、危ないよと声をかける。


「智哉も早く!駄菓子買ってもらうよー!」


 陽菜は顔を下に向けて、柳沢をおちょくるように言った。


 柳沢は内心ドキドキしながら見ていた。普段の汗とは違う、冷ややかな汗が額から流れ始めて、足元が落ち着かなかった。


 陽菜が足を離して次の足場にかけようとした時、湿っていた箇所で滑らせて陽菜は両手を樹から離してしまう。


 それを見た柳沢は思わず息を呑んだ。


 陽菜は上半身から倒れるようにして、地面に向かって真っ直ぐ落下してきた。


 柳沢はその時、何も考えずに陽菜が落ちてくる場所に向かって駆け寄った。


 勢いよく落ちてきた陽菜を、柳沢は体で受け止めた。


 柳沢は思わず、苦しそうな声を漏らす。


 強い衝撃が柳沢を襲って、やがて痛みが身体中に渡ってくる。


 陽菜は柳沢の体の上に乗っかって、足の痛む箇所を押さえた。


「いたたた......」


 陽菜が自分の下に、柳沢がいるのに気付くと、急いでどいて柳沢に声をかける。


「智哉!智哉!」


 だが柳沢は返事をしなかった。陽菜は何度も柳沢の名前を呼んだ。


 柳沢が目を覚ました時、最初に視界に入ったのは白い天井だった。


 柳沢が目を覚ますと、隣では両親と叔母が声を上げて、泣いて喜んでいた。


 柳沢は気を失った後、救急車で病院に搬送されていた。


「あの子が家まで急いで来て呼んだのよ」


 母がそう言うと、病室の外でひっそりと立つ陽菜がいた。陽菜は思い足取りで顔を俯かせながら、柳沢の下まで近づいてくる。


「......ごめんね」


 泣きそうな声で陽菜が柳沢に謝る。柳沢は陽菜のこんな顔を初めて見た。その表情はなぜだか柳沢の胸を締め付けた。


「気にしないで、僕が止めなかったのも悪いんだから」

「違う!智哉は何も悪くない!」


 病室で陽菜は思わず声を荒げた。陽菜の目は潤んでいた。口も少し震えている。


「陽菜は大丈夫だった?」

「良かった」


 柳沢は安心した。ほっと胸を撫で下ろす気持ちだった。


 ただその答えは、陽菜に不思議な感情を湧き起こさせた。今まで感じたことのないものだった。


 四日後、柳沢は退院して公園にまた足を運んだ。すると、ドーム状の大きな滑り台の上で浮かない顔をした陽菜が座っていた。


「陽菜!」


 柳沢が呼びかけると、陽菜は驚いた顔をして、動揺した。


「......と、智哉?」


 その様子に柳沢は思わず吹き出した。


「一緒に遊ぼう!」


 柳沢の一言で、陽菜は一気に晴れやかな表情になり、うわずった声で言った。


「......うん!」


 それから柳沢は東京に帰るまで毎日、陽菜と一緒に遊んだ。二人は今まで以上に楽しく感じていた。時間があっという間に過ぎるほどに。


 最終日、母がカメラを片手に持って公園まで来た。


「トモ、陽菜ちゃん。写真撮ってあげるわ」


 母はカメラを構えて、柳沢と陽菜に向けてシャッターに指をかけた。


 大きなあの樹の下で、二人は並んだ。


 柳沢はなんだか照れ臭くなり、カメラに顔を向けなかった。


 すると、陽菜が柳沢の手をギュッと力強く握った。驚いて柳沢は陽菜の方を向いたが、陽菜は顔を柳沢から逸らしていた。


 心臓が早く打つのを感じた。陽菜の手は熱く感じた。いや、僕も熱いのか?柳沢にも言葉にできないほどの気持ちが高まってくる。


 陽菜は顔を逸らしたまま、ボソリと小さく呟いた。


「......カッコ良かったよ」

「......え?」


 柳沢は聞き取れず、陽菜に聞き返す。すると陽菜は振り向いて、笑顔で言った。


「......ありがとう!」


 カメラのシャッターを切る音が聞こえた。


 





         ✳︎ ✳︎ ✳︎




 それから三年が経ち、柳沢は秋田へ行くことは無かった。叔母が他界したために、秋田には親族が誰も居なくなったからだ。


 だが陽菜の事は忘れることは無かった。今まで出会った女の子の中で、一番輝いて見えた彼女。智哉の中では不思議と特別な感情が芽生えはじめていた。


 叔母が他界して三回忌の年、柳沢は再び秋田へ両親と共に向かった。


 夏の間過ごした、叔母の家に柳沢一家を始め、親族が集まった。


 叔母の家からは、あの夏の頃に感じた匂いは消えていた。


 どことなく別世界にいるような雰囲気を柳沢は感じ取る。


 東京に帰る前日、柳沢はあの公園に立ち寄ってみることにした。


 三年の月日が流れていてもなお、公園は姿を変えてはいなかった。ただ、よく行っていた駄菓子屋は看板が無くなって、シャッターが閉まっていた。


 薄暗い公園で、ふと柳沢は空を見上げる。以前と変わらず日の光が絡み合う枝で遮られていた。


 時折、間からは強い日の光が差し込み、柳沢は目を背ける。


 その時、神社で手を叩く音が聞こえた。


 柳沢は神社の方を向いて、目を凝らして見る。そこには懐かしい面影のある女の子が立っていた。


 柳沢は思わず神社に向かって走り出した。


 地面を蹴る足は少し重く感じた。乾いた地面に強く反発して、前にのめり込むように速く走った。


 鳥居の前まで柳沢が着くと、参道から歩いてくる女の子を視界に認めた。


 紛れもなく陽菜だった。だがその姿は三年前からは程遠かった。


 背は伸びてはいたが、以前よりも痩せていて、ニット帽を被っていた。ただその顔は懐かしさを醸し出していた。


「......陽菜?」


 前から歩いていた陽菜は顔を上げて、口を押さえて驚いた表情になる。


「......智哉?」


 月日が経って、錆び始めた箇所も出てきたドーム状の大きな滑り台の上で、足をプラプラと出しながら座っていた。


 心なしか陽菜の顔には元気がなかった。三年前とは別人なほどに。


「陽菜?何かあったのか?いつものお前らしくないな」


 柳沢は脳裏に蘇る陽菜と今の陽菜の違いに戸惑いながら尋ねた。


 陽菜は少し悲しそうな顔から、すぐに笑って見せた。


「実はね、引っ越すことになったんだ」

「......え?どこに!?」

「ずっと遠いところ。智哉にも簡単には行けないところ」

「そんな......」


 久しぶりに秋田に訪れて再会した陽菜が口にしたのは、秋田から引っ越す知らせだった。


 今まで夏になっては秋田に来ると会っていた彼女。それが遠いところへ行ってしまう。柳沢は落ち着きを失いはじめていた。


「でもね、最後にこの公園でまた智哉に会えて良かった、私はねー」


 陽菜の言葉を遮って、柳沢は勢いよく陽菜の肩を掴んだ。


「手紙書く!」

「......え?」

「まだ携帯も持ってないから手紙書く!......だから、だから」


 柳沢は自分でも何を言っているのか分からなかった。ただ気づいた時には口に出していた。


 陽菜は柳沢の顔を見て、昔の笑顔を見せた。


「......うん、ありがとう」


 陽菜の目は潤んでいた。やがて頬を伝って涙は流れていた。その涙はあの頃とは違うものを柳沢は感じた。


 陽菜から引越し先の住所を聞いて、柳沢も陽菜に自分の住所を伝えた。


 そして陽菜と昔のように話し始めた。三年の間に起きたことを、時を忘れるくらいに。


 やがて別れの時間がやってきて、陽菜はゆっくりと立ち上がった。


「智哉、今日はありがとう。本当に会えて嬉しかった」

「俺もだよ。まさか陽菜とまた会えるなんて思わなかった」


 陽菜は昔と同じように滑り台を勢いよく滑っていった。


「ねぇ、智哉。昔あの樹で写真撮ったときのこと覚えてる?」


 陽菜が大きな樹の方を指差しながら言った。


「覚えてるよ、陽菜があの樹で落ちたこともあったなぁ」

「それはごめんって!......ねぇ、あの時写真を撮る前に私が言ったこと覚えてる?」


 柳沢は悩ませながら、必死に思い出す。


「あ、ありがとうか!」


 陽菜はそれを聞いて、笑い出した。


「あはは!半分正解!」

「え?半分?」


 柳沢は不思議そうな表情をした。陽菜は公園の出口に向かって歩いた。そして、立ち止まって振り向く。


「......またね、智哉」


 柳沢はその時の陽菜の顔を忘れない。満面の笑みを浮かべて、彼女は泣いていた。


 その涙は木漏れ日に反射して、キラキラと輝いていた。




         ✳︎ ✳︎ ✳︎




 柳沢が東京に戻ってきて二週間が経っていた。


 秋田で再会した陽菜から聞いた住所を封筒に書き、その中に書き綴った便箋を入れ、ポストに投函していた。


 二週間経った今でも、陽菜のことをいつも思い出す。


 夏の時だけ秋田へ行っては遊んでいた日々の思い出は彼にとって代えがたい財産のものになっていた。


 竜二たちと一緒に遊んだ日々、そして陽菜と過ごした日々。


 この特別な瞬間は彼の記憶に強く根付いていた。


 そして、陽菜に募り始めていた思い。最後に会った時、それは確信に変わっていた。


 陽菜が好きだった。それは今でも変わっていない。


 もう秋田から引っ越した彼女には、今の自分には会う術はなかった。


 でも、いつの日か自分の力でまた彼女に会いに行く。そして伝える、好きだと。


 二人で撮った写真を眺めていた時、母が一階から声をかける。


「トモ!学校遅刻するわよ!」

「今出るよ!」


柳沢はリュックを背負い部屋から出る。家のドアを開けて、学校へ向かう。


 そして通学路のすれ違いざまに、バイクに乗った郵便局員が柳沢の家の前で止まる。


 郵便局員は一通の手紙を持って、ポストにカタンと音を立てて入れていく。


 その手紙には『あて名不完全で配達できません』の判子が押されていた。


 

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