第17話 春寒料峭のみぎり

1562年3月 姫路

黒田小夜


 コンコントントン、槌の音。

 ザワザワざわめく人の声。

 寒さも徐々に和らぎ、外の世界の活気に満ち溢れた音が城まで響いてきます。

 城内も同じくらい人が行き交い、慌ただしい様子ですが、活気があって良い事だと思います。


 あ、申し遅れました。黒田隆鳳が妻、小夜、と申します。


 早いもので、あの騒がしかった婚礼から、既に2ヵ月も経ちます。色々と遭った所為か、なんとも実感の湧かない時間ではありますが、徐々に変化に慣れてきた兆しでしょうか?当初、この婚礼の話を聞かされた時には、死を覚悟していたのに、今では日々絶え間なく響いてくる、この活気に満ちた音が何とも楽しげに聞こえてきます。


 残念ながら、他の婚礼の事を知りませんので、何とも言えませんが、あれほどまでに、列席者が疲れ切っていた婚礼も無いのではないでしょうか?私も疲れておりましたが、今思い出すと、笑いがこみあげてきてしまうほど滑稽な光景でした。なにしろ、先ほどまで殺し合っていた間柄の人たちまで居たというのですから。


 隆鳳さまはこの婚礼を出汁に、戦をした事について、何度も何度も―――それこそ、こちらが恐縮してしまうほど謝ってくれましたが、その隆鳳さまも初夜の後、次の次の朝になるまで目を覚まさなかったのですから、よほど無理を押していたのでしょう。特に、激戦だったのか、閨の中で見た、お顔の辺りも随分と怪我をしていたようですし……。


 ただ……その間、ずっと抱きしめられたままだったので、中々逃げられなかったことには苦労しましたが。


 でも、隆鳳さまが寝ながら涙を流していたことは、私だけの秘密にしておきます。


 婚礼のついでに戦があったり、隆鳳さまがその戦のあと、この婚礼の事を忘れていたりと、多少の椿事はありましたが、姫路での暮らしは驚くほど穏やかで、そして少し昔を思い出します。

 私がまだ幼少のころ、母がまだ存命で、父、直家がまだ貧乏だったころ、身分の分け隔てもなく、同じ食事を共に摂って過ごすような日々でした。あのころは、まだ家臣たちとともに畑仕事をしていた父の手伝いなどもよくしたものです。


 しかし、それは父が徐々に力をつけていくごとに家族は歪な物へと変わってしまいました。


 すべては、この時代を生き残るためだという事は、隆鳳さまの告白を受けた今ならば理解できます。立ち止まってしまったら今まで犠牲にしてきた全てが無駄な物になってしまう、という気持ちもわかります。ただ、家族が犠牲になった事は今でも理解したくありません。


 母の自死は父に対する精一杯の抗議だったのでしょうか。


 あのころ、父に対しては憎しみしかありませんでしたから、なんとも思いませんでしたが、母の自死後、父も私たちと距離をとりました。そうして、私の家族は完全に壊れてしまいました。


 しかし、そんなある日、珍しく父が上機嫌で言いました。


 私の婚礼相手が見つかったと。


 家の為に犠牲になれといわれることは、覚悟はしていました。そもそも、父に対してかける言葉などありませんでした。

 ただ、母のようにこの時代の女らしくあれと。


 女にとって、意地を貫くことは死以外の他に方法はないと思いました。


 だから、私はせめてその相手の前で死んでやろうと―――あるいは、婚礼の列が向かう途中、知られることなく死んでやろうと、その場で頷いた事を憶えています。


 そうして半年が過ぎ、年が明けて遂に迎えた宇喜多の家を出る日。それはとても寒い日でした。白無垢に着替え、家と別れを告げている最中、歓待役だったはずの又七郎様が、急ぎやってきて父に耳打ちをし、それから慌ただしく家から連れ出されてしまいました。


 そうして連れられた先は母の墓の前。


 訪れる事は無理だと諦めていた私にとっては望外の出来事でした。

 ですが、そこには先客がいました。


 父の背中の向こうに見えた人影は、この寒さの中、母に花を手向け、一心に手を合わせていました。鮮やかな紅の外套。脇の木にかかった兜。そして、腰に差した刀。一目で戦装束とわかる姿をした、その凛とした後ろ姿だけで、なぜか彼が私の夫になる人なのだとわかりました。


 なぜ、あの時、隆鳳さまは自ら迎えに来たのでしょう?今、訊いても、笑いながらはぐらかされるだけです。


 そのあと、私たちに気が付いた彼と入れ違いで、母に手を合わせている中、父が言いました。


 ここに来ると死にたくなる、と。


 初めて聞く、父の弱音でした。


 一瞬何を、と思ったのですが、そのあとの隆鳳さまとの会話で、なんとなく腑に落ちた気がします。


 彼は言いました。


 自分と父は弱い人間だ、と。それでも顧みてはいけない人間なのだと。そう語る隆鳳さまの目は、まっすぐで、それでいて儚い色をしていました。

 決して御免とは言いません。生き方を変えるとも言いません。理解してくれとも言いません。ただ、その悲しいほど誠実さがこもった声は、私が死ぬ事をとどまらせてくれました。


 その後、自然と会話も断ち切れ、始まってしまった嫁入りの道中、彼もまた家族を喪っていた事や、それを乗り越えようとする葛藤、失った物と背負っているものについて知りました。おそらくですが、失った物を大切にし、背負った物の重さを弁えている方だからこそ、あの時母に花を手向けたのだろうとは思います。


 ただ、不器用だとは思います。彼も、父も。


 そう思った時、私は完全に死のうとは思わなくなりました。多分、救われたのでしょうか?むしろ、救ってあげたいと思ったのかもしれません。


 あと、道中に……接吻、などもありましたけど。それについては、恥ずかしいので余計な事は思わないようにしておきます。

 そうして、紆余曲折を経て、夫婦となり、二ヵ月。未だに私たちはどこか探り合っているような気がします。隆鳳さまは明るく、そして時折、突拍子の無い事をする方ですが、人の心については無理強いをしない方です。気にかけていただいているといった感じでしょうか。


 そのお心遣いはありがたいのですが、こちらも多分に恐縮してしまっているような気も致します。

 何でなのか、私自身もよくわからないですけど。


 「小夜」

 「なんでしょう?隆鳳さま」

 「小夜のいた備前って桃太郎の舞台だよな?」

 「え、ええ……確かそうだと聞いておりますが」

 「鬼が島ってどこにあるんだ?山?」

 「えっと…………………………………」


 時折見せる、この紙一重の無邪気さがなんとなく安堵させてくれるのは確かです。

 島って言ってるのに、なんで真っ先に山と訊いたんでしょう……?


 願わくば、遅々とした歩みでも構いませんので、この穏やかな日々の中で、少しでも笑えることが出来ればと思います。


 幾、久しく、家族の傍らで。 


 ◆

 オマケ


小夜による隆鳳評を聞いた官兵衛さんと武兵衛さんと左京さん


官兵衛「貴様、いつの間に影武者雇ったんだ?」

武兵衛「どーせ、悪い物でも食ったんだろ」

左京 「……ちょっと予想外でした」


隆鳳 「おぉぉぉぉ?!辛辣ぅ!?つーか、左京、お前もか!?」


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