第16話 大団円

夜明け前 赤松勢

先代守護 赤松晴政


 どこへ行っても、どこまで行っても、それは目の前に現れる。


 「天魔鬼神の所業かっ!?」


 幾度となく戦場に立ってきたが、これほどまでに敵が恐ろしいと思った事は一度たりともない。両細川の乱にて、細川高国が敗北した決定打となった奇襲を敢行した時も、尼子の大軍勢の侵攻により、国を捨てて畿内へと逃げた時も、これほどまでに恐ろしいと思った事は無い。

 読めない、見えない。全てが定石と違う。龍野城からも向かってきているはずだが、わざと挟まれようとする敵は見た事が無い。絶対に仕留める――こちらにハッキリと向けられた執念が恐ろしい。


 邂逅した時、敵は少数だった。それから龍野城へと退く為に押し込んでいたはずだが、決して崩れる事は無い。今思えば誘引されていたのだとわかる。それがわかったのは、日が暮れはじめ、何度目かの突破に失敗したあたりからだ。


 日が暮れると、手勢は埒が明かないと感じ、兵を分けてあえて避けるように進軍を始めた。


 だが、それでも奴らは眼の前に立ちふさがる。ごく一部は流石に抜けたようだが、たとえば、100程度の別動隊を動かした時は、その先で鉄砲隊の一斉掃射に遭い、別動隊が一つでは、と数を増やせども、本命の先には必ず奴らは出現してきた。まるで空からこちらの動きを逐次見渡されている様な、そんな不気味さがある。


 そうしている内に、味方の数は減り、兵は三々五々に散り―――それでも、儂と娘婿の赤松下野守がそれらに紛れて進もうとすると、必ず目の前に現れる。


 この闇夜の中、奴らはどれだけの兵を動員しているのだろうか?


 1000か。いや、1000では利くまい。3000、4000で囲まれているか。そうでなければ、こうも的確に先回りできる訳が無い。袋小路に儂らはいる。


 ここで果てるのか……儂が。


 守護という、地位にもう未練は……ない。だが、未練が無い訳ではない。せめて道連れにしてやりたい輩の何人かはすぐ思い浮かぶ。それが出来ない内には、死ねん。死ねんのだ。


 怨敵の内、一人は宿願叶って討ち遂げた。


 知勇兼備、播州で最も信頼のおける婿殿を頼んでも、まだこれだけだ。そして、その婿殿もこの得体のしれない軍にしてやられている。


 何故、立ちふさがる。


 何故、現れる。


 何故―――。 


 「義父上。お気を確かに」

 「……わかっておる」


 言葉を交わしても気安めにもならない。攻めていたはずにもかかわらず、この精神の摩耗具合。何をされるのか、何をされているのか、未知とはこれほどまでに恐ろしいものか。兵たちの限界も近い。これほどまでに長い夜があっただろうか。


 それでもなんとか―――。


 奮闘虚しく、数刻後に壊滅。そして捕えられた先で龍野城が既に陥落している事を知った時、全てが崩れ落ちた。



室山城陥落より数刻後

室山城 黒田隆鳳


 こんにちは。そしてさようなら。黒田隆鳳さまだよー。


 鼻で笑うだろうけど、言わせてくれ。アレは事故だったと。


 室山城の連中から聞くに、突然の当主とその後継者の死亡に、大分意見が割れそうだったらしい。ただ、直後に、赤松下野守からの奇襲があった事で、内紛をしている場合ではないという部分だけは意見が一致し、また、率先して城内を取り纏めた暫定城主、浦上小次郎の功もあり、表沙汰にはならなかったそうだ。


 そして、そこで見たのは、少数で赤松の手勢を悉く翻弄する官兵衛の手勢。


 なんでも、それを城から眺めた連中による降伏論が爆発的に増えたらしい。論より証拠、百聞は一見に如かずという奴だろうか。

 当然の事ながら、そんな状態で追撃が出来る訳も無く、ついには反対派の人間も折れ、それでも強硬論を唱える者は粛清され、城の意見は『夜が明けたら恭順の申し込み』という方針で纏まっていた。


 それなのに、俺が早朝に槍をぶち込んだ物だから、またしても大混乱。大慌てで城主自ら弁明と恭順の申し入れをし、それを俺が受け入れたのが、この度の顛末。こちらとしては願ってもいない申し出だ。


 いや……しかし、やばかった。これで『降伏を申し込んでも手遅れ』と思われたら大惨事になる所だった。


 誰かに任せると、その辺りツッコミが飛んできそうなんで、自分で後始末をしているうちに、色々と情報が集まってきた。


 曰く、龍野城はおやっさんの夜討により既に陥落。室山城に着いた当所、官兵衛が引き付けていた赤松勢もついに壊滅。赤松下野守、先代守護の赤松晴政は捕縛。現在、おやっさんは龍野城の事後処理を開始。俺が室山城を落とした事について「こっちは、あんなに身を削って城を落としたのに」と男泣きしたらしい、櫛橋左京はなんとか立ち直って、周辺残党を掃討しながら武兵衛たちの出迎えに赴いている。


 それと、官兵衛は―――、


 「貴様は本当に馬鹿か!?何故、わざわざ余計な騒ぎを起こして、寝た子を起こすような真似をする?!」

 「お前こそ馬鹿か!?龍野城狙うにしても、赤松の背中を狙うにしても、何で兵を分けたんだよ!?おまけに夜通し戦うとか、お前、死んだ人間がタケノコみてぇににょきっと生えてくるとでも思ってんのか!?」


 ……うん、まあ、なんだ、隠し事って難しいわ。


 官兵衛は俺と合流して、お互い反省点を罵り合う鉄拳の反省会。言葉と共に飛び交う拳は見事なクロスカウンター(相討ち)。まあ、割といつも通りだ。馬廻りたちなんて、またいつもの事だと心配する素振りも見せやしねぇ。


 しかし、官兵衛。お前、俺を悉く脳筋扱いするけど、俺が素でカウンター失敗して自爆するとか、お前も大概だよな?それが出来る人間は、お前に武兵衛に休夢の禿おやじにおやっさん、多分、馬廻りの連中も出来るだろうし……あれ?思ったよりも多い。


 ……俺、あんまり凄くないなぁ。


 そうやってしばらく殴り合いながらの反省会を終えると、俺達は室山城の本丸内の違う部屋へと足を向けていた。


 散々殴り合った所為で、頬やらなんやらあちこちズキズキするし、官兵衛も右頬を思いっきり腫らしているが、こういった殴り合いでの遺恨はのこさない事にしている。どうも俺達、ヒートアップしてくると手が出ちまうらしい。お互い遠慮の要らない仲でもあるし、ならばいっそ、激論を交わす時は憎しみ云々じゃ無くて拳も交えてしまおうと、官兵衛から言い出した事だ。


 ……たまに、これってただ単に俺を殴りたいだけなんじゃねぇかなとも思うが、まあお互い様だ。


 それに、今は流石に殴り合ったとしても、相手に大怪我をさせるほど思慮が無い訳ではない。


 「左近将監様。姫路より報告が」

 「歩きながら聞こう。それで?」

 「は、別所は一度城を出た後すぐ引き返したとの事です。それに際し、加古川近隣で陣を張っていた味方手勢に使者が」

 「使者?」


 報告者の顔色を見る限り、微妙な内容らしい。俺が聞き返すと、彼は少し言いよどんだあと、再び口を開いた。


 「それが……先代当主の別所大蔵大輔が、単身にて」

 「先代だと?播磨の軍神、別所就治が!?」

 「ははは、やるなぁ、俺好みだ」

 「何を呑気な事を言っている、隆鳳!」


 別所というと、俺は三木の干殺しで有名な別所長治を思い浮かべるのだが、どうもこの時代ではその祖父、大蔵大輔就治の方が有名だ。

 なんでも、その別所の根幹を作ったのが、官兵衛も冷や汗をかく『播磨の軍神』別所就治公。前世では知らなかったが、流石にこの播州に十数年もいれば、彼の話など嫌というほど聞く。常勝無敗とは言えないが、この播州で最も長く戦い続け、最も版図を広げた武将だ。


 ところで、どーでもいいけど、播磨の軍神ってアジアの純真みたいな響きだよな。


 「で、なんつったんだ、軍神様は」

 「は……それが、『警戒ご苦労』とだけ」

 「負け惜しみか、はたまた元々陽動だけのつもりだったのか――多分後者だな。完全に弄ばれたな。官兵衛」

 「………………………………」


 俺たちが決着を付けるのが早過ぎたから退いた、とも受け取れる。だが、その僅かな時間で軍を動かすフリをして、最高指揮官であるはずの先代が単身やってきたという事は、元々本格的に動くつもりが無かったのだろう。ここまでの動きは奴らにとって元々予定した動きだったはずだ。

 でも、俺たちはそれでも別所の動きは警戒しなければならなかった。

 動くと見せかけて、俺達に兵を裂かせて劣勢を作った――これが無ければ、もう少しギリギリの戦いにはならなかったはずだ。

 足を止め、眼はそちらに向けずに肩を竦めると、横で官兵衛がギリッと歯を噛む音がした。


 「だが、お前の判断は間違っちゃいねぇ――そうだろう?俺たちは最初から別所を敵視していた。そして最も兵を持つ別所を警戒しなければならなかった。俺でも同じ判断をする」

 「……ああ」

 「友にぃと小兵衛に警戒しながら戻るよう伝えろ。戦は終いだ」

 「はっ!」


 頭を下げて即座に動こうとした伝令を呼びとめて、俺は『あと、』と告げる。


 「一休みしてからでいい。馬廻りの内、情報操作に長ける人間を選抜して、この戦の結果を各地へとバラまけ―――そうだな、『寡兵の黒田家が一夜にして赤松と浦上を滅ぼして室山と龍野を奪取。先に尻尾巻いて逃げた腰抜けの別所はいい判断だ』とでも言っておけ。消化不良の腹の虫は笑い物にして収めちまえ」

 「成程。特に別所の勢力圏にバラ撒く訳ですね?」

 「ああ、わかってんじゃねぇか。頼むぜ」

 「いいですな。早速手配いたしましょう」


 本当は別所は尻尾巻いて逃げた訳じゃないのだが、一度城から出陣して即座に引き返した事は、事情を知らなければ単なる腰抜けに見えるだろう。精々笑い物になってくれ。


 流石のアジアの純真も事が一夜で片付くとは思ってもいなかっただろうしな。使者としてやってきた時にしていたであろうドヤ顔も、今頃青ざめているだろうよ。


 「官兵衛」

 「……なんだ」

 「借りは?」

 「―――返す。必ずだ」

 「上等」


 バシッと官兵衛の背中を叩いて、反省会はこれぐらいにしておこう。留飲も下がった事で、少し気が楽になったかもしれない。


 もう一つ、やらなきゃならねぇ事がある。


 俺達は歩き慣れない室山城の廊下を抜け、大きく開けた部屋へと足を踏み入れた。途端に、既に待機していた旧浦上家の家臣らが一斉に頭を下げて出迎える。俺は当然のように一段高い間へ。官兵衛もそれに続いて腰を降ろして、正面に座る二人の捕虜とついに対面した。


 無精髭が似合うチョイ悪親父風の精悍な男と、初老の疲れ切った男。


 赤松下野守と先代守護の赤松晴政。共に捕虜ではあるが、縄は打っていない。


 ついに、と言うべきだろうか。だが、不思議と両親の顔は浮かばず、余計な感情も湧いてこなかった。その代わり、自然と頭が下がった。


 「……何故、頭を下げる」

 「知らん仲では無いからな。敬意は表しておくものだ」

 「死にゆく者への礼儀―――ッ!いや……お前は、まさか、」


 訝しげな赤松下野守の声を受け流し、俺は一つ息を吐く。こんなに早く推察されてしまうとは、俺はそんなにお袋に似ているかね?もし、その通りならば、自信を持って美少年と名乗るよ、俺は。


 「久し振りだな、弥三郎おじさん」

 「聡明丸……生きて、」


 幼名で呼ばれるだなんて何時ぶりだろうか。黒田家に引き取られた時は、細川京兆家の嫡男が名乗るこの名前で察したおやっさんに言い付けられて、別の名を名乗っていたから、本当に久し振りだ。


 「知り合いか?」

 「……実は、な」


 俺達のやり取りに首を傾げた官兵衛の疑問に俺は頷いて応える。


 赤松下野守―――親の仇でもある彼は、下野した俺の両親とは親友でもあり、俺の母が殺されるその時までは可愛がってくれた人だった。当時、親は彼の正体を俺には明かさず、昔の上司だと言い、俺は母が殺されるその時まで、粗末な格好で一人訪れてくる彼に懐き、慕っていたのだ。


 それだけに、言いたい事は山ほどある。それこそ、感情に任せて喚きたい程に。


 それでも、天下を獲ると決めた時に、そういった感情は捨てたつもりだった。ただ、俺がしたいから天下を獲り、見たくない現実を変える為に戦い、誰かの為と叫んで自分の為に戦うと決めた。


 恨みはもういらない。懐かしさもいらない。このクソッたれな時代そのものを変えると俺は決めた。


 けど、わかっていても感情は揺らぐ。懐かしさもある。恨みもある。怒りもある。悲しみもある。けど、俺は大将なんだ。頼む、もう少しだけ……。


 「久方の邂逅のついでに、悪いが私的な事を訊かせてくれ。どうしても訊きたい事がある」

 「藤姫様と正満様……お前の両親の事か」


 赤松下野守の口から出てきた母の名前に聞き憶えがあったのか、驚き俺を見る先代を無視し、俺はゆっくりと頷く。


 「本当にアンタが俺の母を、そして父を殺したのか?」


 みっともないほど上ずった泣きそうな声に、抑え込んでいた感情がにじみ出てきている事が自分でもわかる。それでも、何とか平静を保とうと荒くなった息を整えた。


 俺はもう、たった一人でこの世界に絶望し、復讐の為に片っ端から人を斬っていた鬼子じゃ無い。官兵衛や武兵衛ら親友、そして配下たちから寄せられた信頼を一身に背負う義務がある。お袋、親父、おやっさん、官兵衛のお袋さんから再び貰った人の心がある。みっともない姿は晒せない。


 お願いだ――頼むから涙は出てこないでくれ。

 次には、次に小夜に会う時までに全てにケリを付けて、スッキリした顔で会いたいから。


 「今更、復讐がどうこうとは言わねぇ。ただ……どうしても、腑に落ちないんだ。真実を聞かせてくれ。本当にアンタがやったのか?」

 「……お前、いや、君の父君、赤松正満様に関しては、申し開きも無い。君も知っての通り事実だ。戦の中で我が殺した」


 親父が赤松氏の人間だという事が初耳なんだが……それよりも引っ掛かる事がある。


 「親父は、か。その原因となったお袋については?」

 「……藤姫様は、違う。信じてくれとは言えないが、それだけは断固として違う!あの方を……我が殺すはずが無い」

 「けど、親父は確かにアンタの配下の仕業だと言った。あの日、俺達の住んでいた家の方角から逃げるアンタの配下を見たと」


 心のどこかで期待していた答えが返ってきた事で、少し感情が落ち付いたか。自分で喋っている内に、多少は頭が回り始め、言葉の最中にもかかわらず一つの仮説が思い浮かんだ。


 彼の言葉を鵜呑みにする訳にはいかないが、今聞いた事が事実ならば何となく事の成り行きが今ならばわかる。子供の頃は親が元偉い人だなんて知らない農民だから、そこら辺の諸事情もまったくと言ってもいいほど掴めていなかった。


 けど、ひとかどの勢力となり、この内紛続く播州……いや、赤松氏の勢力圏を見れば、何となく想像が出来る。

 官兵衛辺りは長らく小寺家と反目し合っていた相手だから、色眼鏡で見ているようだが、俺は少しだけ信用してもいいと思っている。むしろ、未だに記憶の中の、彼の言動と、俺の親を殺す動きが繋がらないから、今更こんな質問をしているのだが……甘いかな。


 少なくとも俺が知る弥三郎おじさんは、寡黙な親父と馬の合う情の篤い人だった。

 むしろ、動機があり、守護赤松の係累に手を出しそうな奴と言えば―――。


 「――黒幕は浦上、か」

 「…………………………」


 ふむ、この沈黙は当たりか。流石に、この流れで「俺は悪くねぇ」と重ねて言える程恥知らずでも無いだろうし、それこそ嘘臭い。だから、何万言の言葉よりもこの沈黙は雄弁だ。


 期せずして宇喜多直家と同じ仇敵になったが、悪くは無いな。


 見た事が無い、会った事が無い奴よりも、俺は見た物を、見た事を、会った人を信じる。ならば俺は信じよう。


 「そいつは、この中にいるか?」

 「……否」


 俺が左右に並ぶ旧浦上家の家臣の青ざめた顔を眺めながら言うと、彼は一度あたりを見渡してから首を横に振った。

 実行犯は高飛びしたか。それとも消されたのか。まあいい。黒幕が分かれば……多分、それでいい。


 「赤松下野守政秀。黒田左近将監隆鳳の名の下に――いや、細川藤姫と赤松正満の子、聡明丸として、貴公に沙汰を下す。泉下で待つ父上には俺が先に逝ってとりなしてやる。だから、俺より先に死ぬ事を一切禁じる」

 「それは、我を信じると……言うのか」

 「ああ、信じてやる。けど、今後、俺を裏切ったり、俺より先に逝ったらどうなるかわかるよな?弥三郎おじさん」

 「……忝し」


 弁明の声も届かず、復讐鬼となった友を殺してしまったという事実は、この武人には相当暗い影を落としていたのだろう。静かに落涙しながら頭を下げるその姿からは、命が助かった事を喜ぶそれでは無く、もっと穏やかな何かが感じ取れた。


 さて……そうは言ったが、俺もただでは死んでやるつもりもねぇしな。弥三郎おじさんには、驚異の100歳越えまで生きてもらうとしよう。


 さて、次は先代様だが、


 「あの藤の、そして正満の息子だと言うのか……」


 これがまた輪を掛けて難しい。ひとまず、呆然としながら呟かれた言葉には頷き返す。


 「それなんだが、母が細川の姫だという事は知ってるんだけど、残念ながら俺は父が赤松の係累だった事を知らない。半農半士の正満しか知らない。どういう関係なんだ?」

 「奴は儂の庶兄の子、つまり甥じゃ」


 うげ……赤松本家の係累と言う事は親父もマジモンの御曹司じゃねぇか。

 それは狙われるわ。つーか、なんで、農民になったのか、また他の土地じゃ無くてこの播州に留まったのかマジで謎だ。


 てっきり俺は半農の地侍にお袋が惚れて、下野した物だと思い込んでいた。違うな、これ、駆け落ち?駆け落ちならば他の国に逃げるだろうし、何がしたかったんだ?親父。


 「アレは変な男じゃった。嫡子でありながら、家を継ぐ事を放棄し、才能が有りながら静かにしていた。今ならばわかるが……多分、この播州の様子に辟易としていたのじゃろうな。極めつけは儂が尼子の軍勢に怯えて機内に逃げた事じゃろう。儂が戻り、探し出した時には奴は静かに畑を耕しておったよ」

 「あの方は、この時代を生きるには心根が綺麗すぎた」

 「……ああ、そっか。そうだな」


 弥三郎おじさんの言葉で、なんとなく腑に落ちたように俺は呟く。

 親父の気持ちは俺にもわかる。

 親父も戦国時代が嫌いだったんだろう。


 絶望し、逃げた先で好いた女と添い遂げ、そして貧しいながらにも穏やかに生活を営む。多分、それが親父の幸せだったのだろう。だからこそ、お袋が殺された時、親父は復讐の鬼になった。


 そしてその激情の余熱はまだ、ここにある。俺の野望の根底に確かに存在する。


 ふと気が付くと、堪えていたはずの涙が頬を伝っていた。我慢しようと思っていた、あの頃の空しい涙じゃない。きっと、今なら泣きながら笑える。


 「……礼を言わせてくれ。おかげでまた、胸を張って前に進めると」

 「いや……儂の所為で、重荷を背負わせてすまない」

 「いいんだ、爺さん」


 心の整理をつけたところで、涙をぬぐい、なんとなく俺は官兵衛を見た。予想外の事態に戸惑っていた物の、その眼が、あとで話してもらうぞ、と言っている気がする。


 まあいいさ。もう隠すつもりもねぇ。


 つーか、割と本気でおたおたする官兵衛を見るのは久しぶりだな。


 「さて、私的な話につきあわせてすまなかったな。改めて沙汰を下す。まず、浦上小次郎をはじめとする、旧浦上勢」

 「は……はっ!」


 話の詳しい流れはわからなかったものの、自分らが相当な事を仕出かしているのだと気が付いたのか、一同が今にも死にそうな顔で声を上げる。


 「初めに言っておく。俺はお前らに恨み辛みを理由に不当な扱いをしない。旧浦上だからと、降兵だからと侮りもしない。ただ、それが誰であろうと、立ち止まろうとする者は置いていく。足を引っ張る者、立ちふさがる者は斬り捨てる。唯只管ただひたすらに前へと進む気概を見せよ」

 「「「「はっ!!」」」」


 俺の喝に応じて響く声。安堵したそれではなく、厳しい顔つきになった様子を見れば、たぶん大丈夫だろう。あとは、この内どれだけの者が生き残るか……それは本人達次第だろう。


 「先代守護、赤松古右京」

 「は……」

 「貴公には母の育ての親という恩がある。身の安全は保障をする。ただ……悪いが、もう、この時代、次の時代を戦うに守護という古い権威は―――」

 「気にするでない。儂はもう守護に未練はない。栄耀栄華も名門の名も空しいだけじゃ。ただ、出来のいい孫に時代を託すと思えば、何とも思わん」

 「……すまん」

 「ただ」


 言葉を切って、赤松の爺さんから凄まじい気配が放たれた。


 「儂があの世に行く前に、何人か報いを受けさせなければならない者がいる。それを討つ時には儂も行かせてもらう」

 「……わかった」


 若干後ろめたいが、爺さんに関してはこうするしかない。重荷が下りて清々としたといった感じの爺さんに対して、俺ただ頭を下げるしかない。


 「赤松下野守」

 「はっ!」

 「改めて訊くが、共に戦う意志はあるか?」

 「是非もなし」


 打てば響く武人肌の返事。会う前にあったわだかまりも今はもう無い。


 「ならば、許す。しばらく龍野城はこちらで押さえさせてもらうが、それまで俺の側で武功を立て、信頼を重ね、挽回せよ」

 「忝し」


 細かい事はまだ色々と残っているが、これでひと段落か。ふぅ、と一つ息がこぼれ出る。

 いつまで経っても、こればかりは慣れそうにない。やっぱ、頭空っぽにしていた方が俺らしいか。


 「話は以上だ。それで後の事だが、官兵衛」

 「なんだ?」

 「姫路から人が来るのはいつだ?」

 「すでに手配はしてある。もう間もなく着くはずだ」


 相変わらず手配がいいこって。助かるぜ。


 「そっか、んじゃ、それと交代で俺とお前、弥三郎おじさんと爺さんと連れて姫路に帰るか。流石に眠いわ」

 「それは構わないのだが……いいのか?」

 「何が?」


 残党は目下掃討中だろ?ケリはついた。事後処理は最低限済ませた。あとは――、


 「嫁。迎えに行かなくていいのか?」

 「お?おぉぉおおおおおおっ!やべぇ!」


 やっべぇ、身辺整理が付きすぎてすっかり忘れてた。よくよく考えたら、儀礼上、俺が迎えに行く必要なんてまったくと言ってもいいほど無いんだけどな!


 いいさ。あれっきりで姫路で大人しく待ってるだなんてできそうもねぇし。


 「早く行って来い―――貴様一人楽出来ると思うなよ」

 「うるせぇ!んじゃあ、俺迎え行くから、お前は先姫路行ってろ!」

 「悪いな」

 「ちっとも悪いと思ってねぇだろ!その顔!」

 「いいからさっさと行け」

 「ついでだ、弥三郎おじさんと爺さんの席も作れよ?俺の数少ない身内なんだよ」

 「2人の分も用意するから行け」


 言われずとも俺の嫁だ。迎えに行くさ。笑顔で迎えに行こう。婚礼そのものをすっかり忘れるだなんて、大失態だけど、素直に話して小夜に笑ってもらおう。呆れてもらおう。怒ってもらおう。


 どれも一人じゃないから出来る事。


 あの頃、両親が笑いあっていたように。一人じゃ笑えなかったように。 


 また、家族が出来る。家族になる。


 ◆

 その頃の武兵衛さん


「アイツ、今頃忘れて寝てるんじゃねぇか?」

「流石にそれは……」


官兵衛の絶妙アシストにて、回避。

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