第6話 幸先が良い※

※今回はミント視点です。


 受付カウンターから見える扉の向こう。空が、みるみるうちに暗くなった。これが通り雨ではなく魔物のせいだということは、ここ王都ハーヴィエルに住む者の常識だ。


 私は人知れず唇を噛みしめる。やはり、酷なことをしてしまっただろうか。脳裏に浮かぶのは屈託のない笑顔が可愛らしい、あの少女である。


 今朝、冒険者ギルドの出入口から中の様子を伺っていた彼女は、下着姿とも言える薄着だった。よりにもよって、こんな荒くれ者ばかりが集う場所にそんな格好で立っているなんて、『食べてください』と自ら身を差し出しているようなもの。私は思わず顔をしかめそうになったが、その瞬間、突然師匠の言葉が蘇る。


「ミント、よくお聞き。間もなく世界樹の管理人が交代する。次代は第一王女であることが分かった」

「つまり、王女に証が現れたということ?」


 当時、第一王女は誕生したばかり。国中がお祭り騒ぎだったが、当の王女自身は決して姿を現さなかったので、少し不審に思っていたのだ。


「そうだ。突然、右腕にタトゥーのような蔓草模様が出たらしい」

「伝説通りね」


 ハーヴィー王国の建国は数千年前にも遡ると言われている。その長きに渡り、ずっとハーヴィー一族が王家として君臨し続けられたのには理由がある。それは、定期的に……と言っても数百年単位だが、世界樹の管理人を輩出しているからだ。どうやら、そういう血筋らしい。過去には何度も別の者が管理人を名乗ろうとしたが、その度に天罰のようなものが下り、酷い死に方をしていると歴史書にはある。


 そして今、次なる管理人が誕生しようとしている。その兆候を見極めることができるのは、私達魔の森の番人であるエルフと、ハーヴィー王家のみ。


「ミント、ここ数年、ハーヴィー王城が頻繁に魔物の大群からの襲撃を受けているのは知っておるな?」

「はい。王家は、世界樹の力が不安定だから、魔の森から魔物が溢れて、強者を求めて王都へやってくるのだと説明しているわね」

「それは半分嘘で、半分は真じゃ。これは現在の管理人の力が弱まって、いよいよ交代の時が近づいている証拠。早く交代させろという意味の合図じゃな。となると、我らエルフは為さねばならぬことがある」


 そろそろ三百歳を越えようとする師匠は、愛用の杖を強く握りしめた。長命のエルフとは言え、この年にもなると老いに抗うことができないらしい。皺が目立つ手を私の手に重ねると、日頃見せないような真面目な顔をした。


「世界樹の管理人の交代の時期には、必ずと言って良いほど救世主が現れる」

「救世主? 強い人っていうこと?」

「そうじゃな。大抵、本人は無自覚らしいが、とてつもなく強い。彼らは、別世界からやってくるのじゃ。私の婆さんから聞いた話では、黒髪黒目で、明らかに妙な格好をして突然現れるらしい。そして城や次代の管理人を守ってくれるのだよ」

「でも、その救世主とやらはいつどこへやって来るの? もし、自分が為すべきことも分かっていないのだとしたら、大変なことに……」

「その通り。だからこそ、この秘められた伝承を知る我らエルフが異世界からの客人を早くに見つけ、保護する責務がある。その者がいなければ、城は魔物に滅ぼされ、最悪の場合次の管理人を失うことになるだろう。すると世界は滅亡だ。どれだけ大切な役目なのか分かるな? この任をお前に託したい」


 そう師匠は事も無げに言うけれど、世界は広いし、私の体は一つしかない。それに、いつどこに現れるか分からない異世界人なんて、手がかりも無しにどうやって見つければ良いのだろう。しかし師匠は、いつの世もエルフが異世界人を見つけ、保護してきたと言うのだ。私は、自分が本当にそういう巡り合わせの星の下にあるとはなかなか思えなかった。でも私はエルフ一族、族長の娘。不安は尽きないけれど、私は師匠の言葉と、エルフの勘や運の良さを信じることにした。


 それから十七年。夢物語のような話が、ついに現実のものとなった。その者と目が合った瞬間、身体に稲妻のようなものが駆け抜けたのだ。確かに、この人こそが救世主だ。私はそう理解した。と同時に、報われたと感じた。


 私は、王都ハーヴィエルの冒険者ギルド本部の受付譲だ。しかし、真の姿はギルドマスター。これこそが、異世界人探索の要であり、私が血も滲む思いをしてようやく手に入れた地位である。


 元々冒険者だった私は、師匠からの話を聞いた時点ではまだCランク。決して素質が無かったわけではない。わざわざランクアップして名誉を求める必要性がなかったので、昇格試験をずっと受けていなかったのだ。しかし、師匠から任を受けたからには全力を尽くさねばならない。私は上を目指し、権力を持ち、人脈を作り、来たるべき時に備えることにした。


 そして五年前、ついに本部のギルドマスターに就任した。ちょうど先代が魔の森での狩りで大怪我をし、ギルドマスターを引退するというチャンスが転がり込んできたのだ。私はAランクになってから随分経ち、数々の指名依頼を受けて多くの高ランク冒険者からの信頼や憧れを集めるようになっていたから、早急に後継を決めたがっていたギルド側とはすぐに話がついた。これは実質、私の冒険者引退だったので、惜しむ声も多くあったのだけれど、私の知識や経験はギルド側になることで初めて活かされるものも多く、すぐにランクに関わらずたくさんの冒険者から頼られる存在になっていったと思う。


 それと並行して私が行ったのは、もちろん異世界人捜索だ。冒険者ギルドには魔物情報に加えて、民衆の様々な悩みや噂も入ってくる。その中にこそ、ヒントがあると私は見ていた。それに、もし異世界人がこの世界で一人で生きていこうとするならば、まず接触することになるのは冒険者ギルドとなるだろう。そこで、ギルドのネットワークをもって、常に黒髪黒目の人物は必ず私のところへ身元の報告が入るように仕組みを築いておいた。そうすれば、異世界人を見逃す可能性は低くなると思っていたのだ。


 さらに、私はその地位に相応しい豪奢な部屋に引きこもるのではなく、エルフ特有の耳を魔術で人間のものに変え、受付嬢を装って常に受付カウンターに座ることにした。師匠の言葉を借りるならば、『会えば分かる』ということもあるかもしれないと思っていたし、できれば自分の目で数多いる冒険者の中から、かの救世主を見出したかったから。


 昨年師匠が亡くなってからは、自分でも何をやっているのだろうとぼんやりすることも増えていた。私がしようとしていることは、雲を掴むようなことだ。けれどその雲がないと、この世界は滅びの一途を辿ってしまう。

 彼女が現れたのはそんな矢先のことだった。


 私は、いつもの少しそそっかしいけれど愛嬌のある受付嬢を演じて、すぐに周囲の冒険者からの注目をそらすことにした。本部のギルドに出入りする冒険者達は、私の正体を知っている。あからさまな特別扱いをすれば、思わぬところから横槍が入って、今後の計画が頓挫しかねない。


 まずは、冒険者登録させ、彼女を手元においてこの世界に馴染ませようと思った。しかし、水晶は全く反応せず。そこで、次の作戦を決行することにした。いきなり門衛にして、城や王族を守るという気持ちを刷り込んでしまうのだ。


 もちろん、彼女に様々な事情を説明した上で協力してもらうという手もあった。しかし、明らかにこの世界に来たばかりという格好の彼女に、こちらの事情ばかりを押し付けて拒否されたら全てがおしまい。まずは、それとなく彼女の生活基盤を確保し、そこに私が滑り込んで少しずつ目的に向けて誘導する作戦にした。


 門衛とは、ハーヴィー王国第八騎士団第六部隊の別名である。魔物が大群で押し寄せて城を襲撃するようになって十七年。これに対応するために設立された隊で、王国騎士団の中では最も不人気な部隊である。


 なぜなら、死傷率が最も高いから。


 魔物の大群は、およそ五日に一度はやってくる。ニ日も開けずに来たこともある。現在ハーヴィー王国は長い平和の時代を築いていて、ほとんどの騎士は帯剣していても抜いたことがないような者ばかりだ。そのため、実戦の毎日を過ごすことになるこの部隊の隊員は、必然的に戦闘狂か、訳有りな人物、そして稀に特殊な能力を持った人物が多く所属することになる。つまり、有り体に言えば変人が多い部隊だ。でも今は王族……いや、今は一時的に籍を抜けているが、クレソンがいる。彼は、私と同じく異世界人のこと、そして妹姫の役目のことを熟知しているはず。きっと彼女のことを守ってくれるだろう。


 それに、隊長のオレガノは特別な目を持っている。異世界人のことなど知らなくても、彼女が貴重な人物であることを見抜いて、必ず門衛として採用するはずだ。


 それにしても、救世主が少女だとは思わなかった。同性同士の方が接触しやすいので、私にとっては僥倖だったけれど。


 さて。危険な男職場に飛び込んだ彼女に、明日は女の子グッズを持って様子見しに行こうか。きっといろいろと困っているはずだ。


 と、物思いに耽っている間に、今日も魔物の大群は無事に討伐されたようだ。あの子、魔物の多さとコリアンダーの魔法に腰を抜かしていないかな。


 そして、手元の冒険者魔物討伐記録へ視線を戻した時。再び空が暗くなった。


「え、また?」


 ギルドの一階ホールにいる冒険者達の顔も戸惑った様子だ。それもそのはず。これまで魔物の大群は、一日に二回もやってきたことなんて一度も無い。


 これは、北の森から湧きあがるようにやってくる悪夢。いよいよ世界樹の管理人に限界が訪れているのだろうか。次代管理人の第一王女は、未だにほとんど眠った日々を過ごしているらしい。というのは、王城に勤める侍女筋の話だ。


 世界樹の管理人を交代するには、王女自身が魔の森を抜けて世界樹のところまで行かねばならない。救世主は、その護衛の役目も兼ねている。


 私は漠然と「時間がない」と思った。


 けれど、もう一つ懸念事項がある。

 これはまだ噂段階だ。


 最近、ますます魔物の大群の襲撃頻度が上がっているけれど、これは人為的なものであるという話があるのだ。


 いつの世もそうだけれど、今もハーヴィー王家を乗っ取ろうと考える者はいるようで、その筆頭が王城の主席魔術師アルカネット一味だと言われている。彼らが、最近魔の森に出入りして何やら画策しているとの情報が、いくつかの筋から入っているのだ。


 アルカネットは、世界樹がこの世界の自然の理やバランスを調整するという重要な役目を果たしていることを嘘だと思っているようだ。馬鹿な話。ハーヴィー王家無しに、この世界は成り立たないというのに。隣国がこの国に強く出られないのも、こういった理由があるのに、自国の貴族が理解していないなんて恥ずかしすぎる。


 ともかく彼らは、王家を滅ぼすために、まずは城を守る第八騎士団第六部隊を壊滅させて、足元から崩していこうとしているのかもしれない。


 しばらくすると、また空の晴れ間が戻ってきた。しかし、ギルドの外の様子がおかしい。通りにいる人々が騒いでいるのだ。気になって、私は窓から外を見た。


 それは、城を敷地ごとすっぽり覆う、白い光でできた格子状の巨大な籠。元々白くて荘厳な城に、さらに神聖な輝きをもたらしている。


「すごいわ」


 私は魔法が使える。師匠からかなり難易度の高いものまで覚えさせられたから、国内屈指の魔術師だと自負している。でも、流石にあんな伝説級の結界なんて、逆立ちしても作れそうにない。


「あれは何だ?!」

「魔物から城を守ったらしいぞ」

「突然出てきたよな?」

「綺麗だ」

「誰がやったんだろう?」


 ハーヴィエルの住人たちもみんな大興奮だ。いつの間にか、私も自然と笑顔になっていた。


「さすがね」


 あんなもの、凡人が突然作れるようになるわけがない。ほぼ間違いなく、本日入隊したあの子の仕業だ。あの見た目は弱々しい少女がこんなことをやらかすなんて、こんなに驚いたのは久しぶり。


 幸先が良い。

 今夜は飲もう。


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