第5話 やりすぎちゃった

 男装しても、腕力が増えたり背が高くなったりするわけじゃない。自分で言うのも何だけれど、私は本当に非力な女の子だ。


 私は途方に暮れながら、コリアンダー副隊長を地面にそっと寝かせると、門の方を振り向いた。いよいよ魔物がこちらに到達しようとしている。始まる前からボロボロの第八騎士団第六部隊は、最後の気力を振り絞って臨戦態勢に入ろうとしていた。全員、もう戦うどころではないはずなのに、目だけは魔物並に禍々しいぐらいのギラつきを見せている。


 明らかに先程よりも大群の魔達。そこから巻き起こった黒い風は、全ての物を奈落の底へ突き落とそうとばかりに力いっぱい吹き荒れていた。

 オレガノ隊長は、自分の大槍を天高く突き上げて精一杯叫ぶ。


「お前ら! 今、城の守りは俺達だけだ。日頃の訓練の成果を見せてやれ。行くぞ!」

「おー!」


 オレガノ隊長達、槍を持った隊員達は、雄叫びをあげながら魔物へ向かって突っ込んでいった。高速回転と鋭い突きを繰り出す槍が唸りを上げて、たちどころに戦闘は本格化する。吹き上がる魔物の血飛沫と広がる土煙。


 戦況はすぐに悪くなった。まず、相手の数が多すぎる。それに、魔物は死ぬことを恐れないらしい。いくら傷つこうとも攻撃の手は緩めない。その命が尽きるまで決して諦めることがないのだ。


 オレガノ隊長は再び声を上げた。


「お前ら、死ぬ気でかかれ! そして生きろ!」


 そして、一瞬だけこちらを向いて、私と目を合わせたのだ。まるで、私の無事を確認するかのように。


 ハッとした。



 そうだ。生きなきゃ。



 なぜ今の今まで、こんな当たり前のことを忘れていたのだろうか。


 私は弱いから。女の子だから。無知だから。

 そんなのただの言い訳だ。


 今、目の前で起こっていることは全て現実で、ここは確かに今私が生きている世界なのだ。転移してしまったと気づいた時は目の前が真っ暗になったけれど、結局のところ私の人生は野垂れ死にを回避して、ちゃんと『生きる』方向にサイコロの目が出続けている。


 まずは、運良く人の良さそうなオジサンとぶつかって、次にミントさんと知り合って、仕事を紹介してもらった。その後はオレガノ隊長が門衛として採用してくれて、クレソンさんというイケメンな先輩とお近づきになれた。これは、奇跡だ。


 私はこの世界に生かされている、と思う。


 せっかく拾った命を無駄にしたくない。

 ならば、私は私のできることをしなくては!


 私は、コリアンダー副隊長の杖を恐る恐る拾い上げた。ギュッと握ると妙にしっくりと手に馴染む。


「私なんかに、できるのかな」


 すぐ後ろで死んだように横たわっているコリアンダー副隊長。彼はとても真面目でキッチリとした人だ。そんな人がこんな一大事に、嘘や冗談を言うとは思えない。だからきっと、私に『任せた』のには、ちゃんと理由があるはずだ。


 そう、私にはできるはず。じゃ、何を? そんなの分からない。でも、非常事態を前にアドレナリンが大量に分泌しているこの頭では、細かいことなんて考える余裕が残っていなかった。


 と、その時。隊の戦闘で奮闘していたオレガノ隊長に、ドラゴン種と思われる巨大な魔物が大きな炎の玉を吹きかけた。隊長は槍の風圧でかわそうとするけれど、間に合わない。火炎の嵐から逃れようと後ずさった瞬間、隊長の槍が真っ二つに折れた。武器を無くしたオレガノ隊長は、もうなす術が無い。ドラゴンは、しっかりと隊長に狙いを見定める。そして、笑ったかのように見えた。


「許さない」


 次の瞬間、私の頭の中のどこかがショートする。込み上げてくる熱。怒りの濁流。恐怖や絶望を上回る、抑えきれないこの感情の名は――。


「こっちに来ないで!」


 こんな大声を出したのは生まれて初めてだ。オレガノ隊長は、私がこの世界で生きていけるように住む場所と仕事を与えてくれた大切な方。そんな恩人をこんな形で失くすわけにはいかない。私は死にものぐるいでオレガノ隊長に向かって走り出した。すると、ガラスが大量に割れた音とお寺の鐘の音を混ぜたような不協和音が私を包み込む。


第一制限装置ファーストリミッター解除クリア


 機械的な女性の声が頭の中に響く。これは何? なんて考えている暇はない。私は白い杖を魔物の大群に向かって振りかざした。


「魔物よ、消えろ! 隊長は、私が守る!!」


 白杖が火傷しそうになるぐらいに熱くなる。え、と思った時には、信じられない光景が目の前に広がっていた。


 白い杖から無数の白い光線が飛び出していく。それらは、城を塀や門ごとすっぽり覆うような網を形作っていった。巨大な透明の方眼紙の檻が突如現れたようで。王城が亜空間にぽっかりと浮いているみたいに見える。


 それだけではない。白く光る網に触れた魔物達は、ソーダ水みたいにシュワシュワと音を立てて、一瞬のうちに消えていくのだ。その際に放たれる青白い光はあまりに美しい。私は、『浄化』という言葉を思い浮かべた。灰すら残らない死は、コリアンダー副隊長の『死の大爆発』を上回る衝撃を私に与える。


 その後は、私が何もしなくても魔物達が次々と光る檻へ激突し、自滅を繰り返していった。それは、最後の一匹までひっきりなしに続いた。



   ◇



「お手柄じゃないか、新人! えっと、名前は何て言うんだったっけ?」

「エースです」

第一人者エースか。お前にぴったりの名前だな。まぁ、とりあえず飲めよ。今夜は隊長と副隊長の奢りだぞ」


 まだ未成年なんですけど。と思いつつ、苦笑いで目の前のグラスに並々とワインが注がれていくのを眺める。このやり取り、もう何回目だろう。


 私は今、所謂に参加している。会場は寮の一階にある大会議室。なぜか上座らしきところに座らされている。テーブルの上に並ぶたくさんの料理は食堂から持ち込まれたもので、お酒は先程城下で調達されてきたものだとか。私はジュースが飲みたいのだけれど、そんな気の利いたものはここに無い。


 魔物討伐の直後は立ち上がれない人も多かったけれど、今はどんちゃん騒ぎができるぐらいに皆回復しているようだ。この賑やかさは、高校の文化祭の後、クラスの全員で近所のカラオケへ行った時との感じと少し似ていて、ちょっと懐かしくなる。


 何気なく窓から外を覗くと、城と塀。そして、この大騒ぎの発端となったものが見えた。


「あれ、消えないんだね」


 私の隣に座るクレソンさんは、感心したように呟いた。


「何とかして消せませんかね……」

「消したいの? 駄目だよ。あれはハーヴィー王城の防衛の要になるんだから」


 実は白い光の檻は、あれから数時間経った今も消えないのだ。コリアンダー副隊長曰く、これは『結界』らしい。私は「あぁ、ファンタジーでよくあるアレかぁ」と思ったのだけれど、この世界において結界とは幻の魔法とのこと。しかも、あれだけ大量の魔物を無力化してもなお、消えることなく存在し続けているのは驚異的なことだそうだ。


 それだけならば、何の問題も無い。王城が守られて万歳!って感じ。


 でもね。あれを作ったの、私なんだよ。

 私、入隊してまだ半日なんだよ。

 正直、我武者羅に杖を振りかざしただけなので、なぜこんな結界ができあがったのか、本人すら分からないんだよ。

 それから私、目立つの苦手なんだよ。


 どう考えても、やりすぎちゃったとしか思えない。


「このワインもらっちゃうね」


 クレソンさんは、私がお酒を飲めないことに気がついたみたいだ。私は処理をお願いしますとばかりに、軽く頭を下げる。


「これで僕達の仕事も楽になるといいんだけどな」


 クレソンさんはまだ結界を見つめていた。彼の言葉には、真剣な平和への願いが滲み出ている。あの戦線に立って、命のやり取りをした人だけが語ることのできる思い。


 確かにあの結界があれば、また魔物の大群が来ても蹴散らせるかもしれない。第八騎士団第六部隊が、もうあんな危険な目に遭わずに済むのは嬉しいことだけれど、果たしてあの結界はいつまでもつのかなぁ。それと、気になることがもう一つ。先程から会議室に第八騎士団第六部隊ではなさそうな人の出入りもあるのだけれど、明らかに私の方ばかり見てくるのだ。もしかして、偉い人から目をつけられてしまったのかな?


 私が少し遠い目をしていると、オレガノ隊長が緑っぽいグレーの髪の男性を引き連れてこちらへやってきた。オレガノ隊長は、私が間一髪で展開した結界に守られて命こそ取り留めたものの、肩から胸にかけて大火傷を負っている。上半身を覆う包帯は大変痛々しい。


「エース、飲んでるか?」

「それより隊長、傷はいかがですか?」

「こんなの掠り傷だ」


 とは言うものの、明らかに痩せ我慢だろう。


「隊長、折れた槍はもう捨てちゃいました? あれを私にいただけませんか?」

「いや、その辺に転がってるぞ? けど、あんなもの持ってどうするんだ。あ、お前はチビだから、あれぐらいの槍の方が使いやすいのかもしれないな」

「そういう意味じゃないです。私がもっと早くあの結界を展開していれば隊長は……だからその戒めに……」

「そんなこと気にしてたのか? でもよく考えてもみろ。お前は十分がんばった。あのタイミングでこれだけ強固な結界を張ってくれなければ、今頃第八騎士団第六部隊もろとも城が廃墟になっているところだ」


 オレガノ隊長は豪勢に笑うけれど、そんなことになってしまったら笑い事じゃない。と、その時、ずっと抱いていた疑問を思い出した。


「オレガノ隊長。それにしてもあんな魔物の大群、本当に頻繁にやってくるんですか? どこから来るんですか? 原因となる大元を叩くわけにはいかないんですか?」

「えっとだなぁ……」

「そんな矢継ぎ早に聞いてやるな。オレガノはそこまで賢くない」


 失礼な言い草でオレガノ隊長へ助け舟を出そうとしたのは、隊長が連れてきた男性だった。野性味溢れる風貌のオレガノ隊長とは対極の雰囲気で、理知的な感じがする。生徒会長が似合いそうなタイプだ。


「あ、自己紹介が遅れてすみません。エースと言います。あの……」

「私は第八騎士団団長のキャラウェイだ」


 やっぱり偉い人だった! どうしよう。緊張する。勝手に結界を張ったことを咎められるのかな。


「エース。君はもしかしてこの国の出身ではないのか?」

「はい。かなり遠いところから来ました」


 大丈夫。嘘は言っていないはず。


「しかも、こちらへ来てから日が浅いようだね」

「はい」

「だから魔物の大群の事情を知らないのか。良いだろう。私から説明しよう。ついでに、ちょっとお願いしたいこともあるしね」


 さすが団長。笑顔だけど、なんか怖い。有無を言わさぬ雰囲気って、このことか。後で他の隊員さんから教えてもらいますと言って逃げられそうにもないので、私は大人しく頷いた。


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