第9話 一線

 数時間後にその通知は届いた。


『コロホ運営事務局よりターゲット確保・収容完了のお知らせ』


 そのレスポンスの速さには驚くばかりだ。課長の時も一晩で身柄を確保していたよな。利用者がまだ少ないから、俺の依頼にすぐ対応できるのだろうか。

 そんなことはどうでもいい。終業を迎えたら、すぐにあの施設へ向かう。

 まずは宮下さんを問い質さなければ。その上で命を奪う。

 正直に答えてくれれば、できるだけ苦しまないように殺してあげよう。もし中々口を割らないようであれば、不本意だが課長の様にゆっくり傷つけて追い込んでいくしかない。


 もし宮下さんが莉久の失踪に関係していなかったら。施設へ向かう途中に、親から「莉久が帰ってきた」などと連絡があったら。

 少しだけ頭をよぎったその考えを、俺は無視した。

 考えるだけ無駄だ。もう戻ることはできない。宮下さんを解放したところで、俺が報復で殺されるだけだろう。

 殺すのは決まりだ。後は楽に殺すか、苦しませて殺すかの問題。

 終業までの間、仕事は一切手につかなかった。

 

 ◇

 

「では5番ルームへどうぞ」

 終業後、俺は施設へと急ぎ、スムーズに受付を済ませた。

 宮下さんは課長を殺した時と同じ部屋に収容されているらしい。道具は昨日と同じように、金属バットと包丁をレンタルした。

 着替えを持ってきていなかったので試しに受付の女性に相談してみたら、シンプルな紺色のジャージを貸してくれた。スーツが血で汚れるのはマズいから、先にこのジャージへ着替えておくことにしよう。

 

 俺は目的の部屋の前まで来た。まさか二日続けて人を殺すことになるなんて。

 相変わらず罪悪感なんかは無い。宮下さんを殺すということよりも、莉久の生死をはっきりさせたいという気持ちで頭の中は一杯だった。

 ICカードを使って扉のロックを解除し、入室する。

 昨日、課長の血やら何やらで汚れたはずのその部屋はすっかり綺麗に掃除されていて、またホコリすらも見当たらないような純白さを取り戻していた。

 そして部屋の中央に、椅子へ縛り付けにされた一人の男がいる。


「……宮下さん」

 俺の呼びかけに、目隠しと口封じをされた宮下さんが低く短く唸って答えた。服は部屋着のようだ。自宅にいるところを捕えられたのだろうか。

 俺は部屋隅のテーブルへ荷物を置いてから宮下さんへ近づき、できるだけ痛まないように口元のテープを剥がした。「ふうぅ……」と宮下さんが溜め息をつく。

 俺は続けて目隠しの布を外した。

 そこでスタッフが道具を届けにやってきた。昨日のようにテーブルへ道具を置き、スタッフは退室する。


「やっぱりお前だったか」

 宮下さんが言った。そして更に続ける。

「お前は俺が莉久ちゃんを殺したと思ってるんだろ?」

「……確信してます」

 俺の答えを聞くと、宮下さんはゆっくり目を閉じた。

 鼻から息を出して、しばし沈黙する。

「何で、殺したんですか」

 俺は宮下さんが殺した前提で問う。

 その問いを受けて、宮下さんはようやく目を開いた。

「そうだな……理由はちゃんとあるんだ。説明させてくれるか?」


 認めた。読み通り莉久はこの人に殺されていた。

 沸々と怒りが沸き上がる。家族を殺されたんだ、誰だってこうなるだろう。

 でも、確かに疑問もあった。なぜ宮下さんが莉久を殺さなければならなかったのか。莉久の何が、宮下さんをそこまで追い詰めたのか。それを聴くまでは、この人を殺すことはできない。

「教えてください。何で殺したのか、決して包み隠さずに」

「分かった」

 そう答えると、宮下さんは再び大きく溜め息をついた。

「……結論から言うと、俺はゆすられてたんだ。莉久ちゃんに」

 予想外の言葉を、うまく飲み込めなかった。ゆすってた? あの妹が?

「……どういうことですか?」

「信じられないだろ。あんなに純朴そうな子が、ゆすりなんて。でもこれは本当なんだ」

 何を言ってるんだこの人は。言葉の意味が理解できない。疑問符が脳の中をゴロゴロと転がる。


「俺は時々お前の家にお邪魔させてもらってただろ。そこで莉久ちゃんに会う内に、俺はあろうことか彼女に心を奪われてしまったんだ」

「え?」

「そして、俺は一線を超えてしまった。俺は彼女をけがしてしまった」

「……は?」

 は? 

 は? 

 一線?

 けがした?

 は?

 本当に、何を言ってる? 冗談か?


「後日、俺は彼女がその時の映像を撮っていたことを知った。俺が人として道を踏み外した証拠の映像だ。俺達の関係が明るみに出たら、俺は終わる。彼女はそれをネタに、金品を要求してきたんだ」

「ちょ、ちょっと待って」

 ダメだ。頭がパニックだ。

 意味が分からない。ただただ疑問符が増殖して、俺の頭を破裂させようとしている。

「冗談はやめてください。自分の殺しを正当化するためにテキトーな話を作ってるんじゃ……」

「この期に及んで俺が冗談なんか言うと思うか? 全部本当だ。彼女は初めから俺をめるつもりだったんだよ。俺は相当な金を搾り取られた。もう、限界だった。そこにコロホのメールが届いて、俺は……。お前には謝らなければいけない。本当にすまなかった」

 いや、謝られても。理解が追い付いていない。何も入ってこないよ。


「コロホを利用して莉久ちゃんを消せば、俺の過ちはお前やご両親に気付かれない。あの子はただの失踪で処理されて、俺はついに解放される。そう思ったんだ。だからターゲットに指定した。でも、まさかお前とここで鉢合わせるなんて、予想外だったよ……」


 つまり、つまり。


 俺の尊敬していた先輩は、ただ性欲に負けて後輩の妹、それもまだ高校生の少女に手を出したクズだった。

 そして俺の妹は、表では夢を追う純朴な少女を演じていながら、裏では自分の体を利用して人を陥れ、地獄に突き落としていたクズだった。

 そういうことか?


 ああ。目がくらむ。全身の血液が一瞬で消えて、代わりに悲しみや失望、嫌悪感なんかを混ぜ合わせて作ったドロドロの何かが血管の中を循環している感覚だ。


 何なんだ。どいつもこいつも仮面を被ってやがる。平気で人を欺き、傷つけやがる。素顔で人を傷つけてた課長の方がまだマシじゃねえか。

 裏切られた痛みは、想像以上に苦しい。


 俺もクズ。こいつもクズ。妹もクズ。


 何だこの世界。これが人間なのか。俺はこんなくだらない世界で、神経を擦り減らしながら生きてきたのか。


「まあでも、元はと言えば理性を働かせられなかった俺が悪いんだ。本当に、本当に申し訳ないことをした。殺される覚悟はもうできてる。どうか、一思いにやってくれ」

「……………………うるせえよ………」


 もう、めんどくせえ。何もかも。

 ……ぶっ壊れてしまえ。こんな世界。俺が、手伝ってやるから。 


「『覚悟はできてる』? そうか。分かった。じゃあ、その覚悟を粉々になるまで打ち砕いてから殺してやるよ」


 俺は間違った人間か?

 

 ――悩むまでもない。


 人間は、間違ってる。

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